38.やりますわね
足元へ落とした視線の先。丁寧に描かれた魔法陣が自身の前方と斜め左後方、斜め右後方に展開している様子をリズは確認した。
各魔法陣は一部が重なり合い、その中心に自分がいる。上空から見れば三角形を描くように展開された魔法陣。
これは危険だ──
吸血鬼としての本能が危険を察知し、脳内に激しく警鐘が鳴り響いた。
『『『三角陣煉獄!!』』』
三つの魔法陣から同時に黒々とした爆炎があがる。魔法陣が重なり合う中心点へ向かい、角度をつけて放たれているため黒炎のピラミッドが完成した。
吹き荒れる熱風に、ユイとモア、メルは思わず顔をしかめる。が、それほど時間を置かずに炎は収束し魔法陣も姿を消した。
「あ、あれ……?」
両手のひらを前方へ突き出していたユイが間抜けな声を漏らす。
「あちゃー……やっぱあたしらじゃ難しいか」
「そうですね。発動はできましたけど、維持するのは困難です」
「練習あるのみ」
呑気に言葉を交わしていた三人娘だったが、視線の先のどこにもリズがいないことに気づき、三人そろって顔面蒼白になってしまった。
「リ、リズ先生!?」
「ま、まさか……さっきの三角陣煉獄で……?」
「……」
ユイが力無くその場に崩れ落ちる。モアも、瞳に涙を浮かべながら芝生の上にへたり込んだ。
敬愛する師匠を手にかけてしまった──
ユイの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「ウソだよ……いくらあたしらが強くなったっていっても……そんな簡単にやられないでよ、せんせー!!」
と、ユイが空を見上げて絶叫したそのとき。
「誰が、誰にやられたんですの?」
「わあああああっ!!」
声が聞こえた方向へ三人が一斉に体を向ける。そこには、ちょっぴり呆れたような表情を浮かべた師匠が腰に手をあてて立っていた。
「「「リズ先生!」」」
わっ、と駆け寄り抱きついてきた愛弟子たちの頭を、リズは優しく撫でた。
「あなた方、なかなかやりますわね。さすがの私でも、あれの直撃を受けたとなると火傷は免れませんでしたわ」
リズが「ふふっ」と笑みをこぼす。一瞬きょとんとした三人娘だったが、みるみる頬を膨らませ始めた。
「うう……あれで火傷程度って……」
「リズ先生ですから、まあそうかなという気もします」
「むむ」
肩を落とす弟子達の様子をにこやかに眺めていたリズだったが、にわかにその表情が険しくなった。
「で、あなた方。さっきのアレは何なんですの? 私、あのような術式を教えた記憶はないのですが?」
紅い瞳でじろりと睨まれた三人娘が、直立不動のままそーっと顔を見合わせる。
「術式だけではありませんの。おそらくですが、魔法陣の文字列も記述を変えてますわよね?」
「え、えーっと……うん。この前、冒険者ギルドへ行ったときに教えてもらったとゆーか……」
バツが悪そうに答えるユイ。
「ギルドで? 上位ランクの冒険者にでも教わったんですの?」
「んーん。受付嬢のお姉さん」
「受付嬢……?」
「うん。最近仲のいい受付嬢のお姉さんがいて、その人が魔法に詳しいんだー」
モアとメルが「うんうん」と頷く。
「ギルドでお喋りしてて、たまたま魔法の話になって、その人がいろいろ教えてくれたんです」
「ミウさんはできる女」
リズがかすかに首を捻る。
あのような術式を、たかだかギルドの受付嬢が……? ちょっと信じられませんの。もしかして、元冒険者なのでしょうか。それも高位の。
かすかなあいだ思考を巡らせていたリズだったが、三人娘が心配そうに上目遣いでちらちらと視線を送っていることに気づいた。
「リズ先生……怒ってる?」
「ふふ……。私以外の者から指導を受けたからといって、怒るようなことはありませんわ。むしろ、いろいろな者から指導を受けたほうが、あなた方の成長につながりますの」
顔を見合わせた三人娘が、ほっとしたように表情を緩める。
「そうそう。指導で思い出しましたが、明後日あなた方の学園へ指導に赴きますから」
「えっ!? 本当に!?」
「ええ。あまり先延ばしにするのも不誠実ですし、学園の図書室で調べたいこともありますので」
「調べたいこと?」
ユイが可愛らしく首を傾げる。
「あなた方が気にすることではありませんわ。それから、指導のときはあなた方にも何かお手伝いしてもらうかもしれませんので、よろしくお願いしますわよ?」
元気よく「はいっ!」と返事をした三人娘の様子を見て、リズは満足そうに頷いた。
──ヒステリックな金切り声がホールに響き渡り、その場にいたすべての冒険者が一斉にそちらへ目を向けた。
「舐めんじゃないわよ! あんた、もう一度言ってみなさいよ!!」
デュゼンバーグ王都の冒険者ギルド。皆が視線を向ける先では、黒いローブを纏った若い女性冒険者が一人の受付嬢へ激しく詰め寄っていた。
「で、ですから……この魔物は魔法への耐性が高いうえにとても狡猾なんです。それに、独特な魔法を使って攻撃してくるので、ナーシャさん一人ではちょっと……」
遠慮がちに口を開くミウに対し、ナーシャと呼ばれた冒険者が憎々しいと言わんばかりの目を向ける。プライドを傷つけられたと感じたのか、握りしめた拳がワナワナと震えていた。
「この私に向かって……何様のつもり……!? 冒険者でもない、たかが受付嬢の分際で……!」
ナーシャが言い放った言葉に、周りの冒険者たちが一斉に眉根を寄せる。あからさまに受付嬢を差別する彼女に対し、ほとんどの冒険者が不快感を抱いているのは明らかだった。
「あんた、ほかの冒険者にも魔物や魔法についてよく助言してるらしいじゃない……。ずいぶんご立派なことね」
「い、いえ……私はそんな……」
「頭でっかちなだけの受付嬢が、経験豊富な冒険者に助言するなんて、あんたどんだけ思い上がってんのよ」
「で、でも……私にはその、何というか……わかるんです。うまく説明できないけど……その人の実力とかも……」
その言葉を聞いて、ナーシャの何かが弾けた。
「……上等じゃない。あんた、ちょっとこっち来なさいよ」
顎をしゃくったナーシャが訓練場のほうを指さす。
「え……?」
「え? じゃないわよ。早くしなさいよ!」
「は、はい……」
おどおどしながらカウンターから出てきたミウは、ナーシャに引きずられるようにして訓練場へ連れて行かれてしまった。慌てたのはほかの受付嬢や冒険者たちである。
「ち、ちょっと、どうすんのよこれ……!」
「まずいぞ。癇癪もちのナーシャがああなったら、もう誰にも止められねぇ」
「おい、ギルマスはどこ行った!? 誰か呼んでこい!」
途端にホールのなかが騒がしくなる。ミウを心配した数人の冒険者が、慌てた様子で訓練場へと駆けだした。
訓練場では、制服姿のミウとナーシャが一定の距離をとって向かいあっていた。
「あ、あの、ナーシャさん。私はその、戦闘とかは……」
ミウがおずおずと口を開く。
「はぁ? 今さら何言ってんの? 私にあそこまで偉そうなこと言っといて。あんな口叩けるってことは、私を納得させられるだけの実力をあんたはもってるってことよね?」
「い、いえ、そんなことは……」
慌てた様子で首を横に振るミウへ、ナーシャは刺すような視線を向けた。
「大丈夫よ、殺したりはしないから。でも、身のほどを知ってもらうためにも、多少痛い目には遭ってもらうわ」
言うやいなや、ナーシャが魔法を発動させる体勢に入る。
「おいナーシャ! やめろ!」
「相手は受付嬢の女の子だそ!?」
少し離れた場所で見ていた冒険者たちが声をあげる。それを無視して、ナーシャは魔法を発動させた。
「『風槍!!』」
空気を切り裂きながら、風の刃がミウへ襲いかかる。横っ飛びするような形で何とか避けたミウだったが、制服の一部が切り裂かれてしまった。
そんなことはお構いなしに、ナーシャが連続で魔法を放つ。
「ほらほら、どうしたのよ。やっぱり口だけなの?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、ナーシャが次々と魔法で攻撃する。が、意外にもミウは俊敏な動きでそれを避けていた。
普段おっとりとした様子のミウが、思わぬ身体能力の高さを見せたことに、見物していた冒険者たちは唖然とせざるを得なかった。
「ちっ……鬱陶しい。逃げ足が早いことはよくわかったわ。でもこれでおしまい」
忌々しげに吐き捨てたナーシャが、一際威力の高い魔法の発動体勢に入る。が──
その場にいた誰もが目を疑った。ミウが咄嗟に右手のひらを前方へ突き出したのと同時に、ナーシャの体を囲むように複数の魔法陣が宙へ展開した。
「は……? な、何よこれ……!?」
ナーシャの顔が驚愕に歪む。その瞳には明確な恐怖の色が見てとれた。
「え……あ……『鋼鉄の処女』?」
戸惑った様子のミウが魔法を唱えると同時に、展開していた魔法陣からおびただしい数の棘が一斉に顕現し、四方八方からナーシャの全身を貫いた。
「ぎ……ぃあああああああっ!!」
断末魔のような絶叫が訓練場に響き渡り、ナーシャは大量の血溜まりができた地面に膝から崩れ落ちた。
一部始終を見ていた冒険者たちが呆然と立ち尽くす。誰もが、信じられないものを見たような顔をしていた。
が、それはミウも同じだった。
「わ、私……どうして、こんなことを……?」
これは……私がやったの? 私が魔法を? どうして? どうして私にこんなことができるの? わからない、何も……!
歪んでいく視界の端に、見物していた冒険者たちがナーシャのそばへ駆け寄る様子が映り込む。
魔法に長けた数人の冒険者が、倒れて痙攣しているナーシャへ必死に治癒魔法を施す。その様子を、ミウは呆然と立ち尽くしたまま眺めていた。




