35.ちょっぴり青春ですの
自分の名前はおろか、なぜここにいるのかも分からないと申し訳なさそうに顔を伏せた彼女を前に、ユイたち三人娘は困惑したように顔を見あわせた。
「そ、それって、どういうこと……?」
「き、記憶を失っている、ということでしょうか……?」
「多分」
顔を寄せあいヒソヒソと言葉を交わした三人娘は、再びそっと彼女の顔を見あげた。彼女の顔には、困ったような、悲しいような何とも言えない表情が浮かんでいる。とてもウソをついているとは思えない、とユイたちは感じた。
「ど、どうしよう……こういうときって、どうすればいいんだろ? 衛兵さんのとこ連れてく?」
ユイの言葉に、モアとメルが同時に「んー……」と首を傾げる。
「衛兵さんたち、信じてくれますかね?」
「ヘタしたら厳しく取り調べられる」
自分が何者なのかも、どこから来たのかも分からない得体の知れない者など、衛兵からすれば怪しさ満点の取り調べ対象である。
「そう、だよね。うーん……」
ユイも腕を組んで唸り始める。と、そこへ――
「おーい! ユイ!」
突然、大きな声で呼びかけられ、ユイたち三人は背後を振りかえった。視線の先にいたのは、こっちへ向かって大きく手を振っている男の子。
デュゼンバーグの冒険者であり、ときどきリズからも指導を受けているエングル少年だ。
「ユイ。これからリズ先生のとこか?」
「うん。てゆーか、あんた。こんなとこでなれなれしく大声で名前呼ばないでくれる?」
「う……」
以前より態度は軟化したとはいえ、ユイのエングルに対するあたりはまだまだキツい。ジト目を向けられたエングル少年が思わず肩をすくめた。
「どうしてお前はいつも俺に厳しいんだよ……」
「うっさいわね。それより、あんたこそこんなとこで何してんのよ」
「まったく……。俺は今から……って、誰だその人? 知りあいか?」
ユイたちのそばに立つ女性に気づき、エングルが率直な疑問を口にした。
「あ、知りあいではないんだけど……って、そうだ。ねぇ、あんた今からギルド行くんでしょ?」
「ああ、そのつもりだが」
「ちょうどよかった。この人、ちょっと困ってるみたいでさ」
怪訝な表情を浮かべるエングルに、ユイは今の状況を簡潔に説明した。ユイからの説明を「ふむふむ」と一通り聞いたエングルは、いまだ顔を伏せたままの女をちらりと見やる。
「ギルドマスターさんなら、何か手助けしてくれるんじゃないかって思ったんだけど」
「そう、だな。あの人もこの街じゃ顔役みたいなものだし。わかった。ちょっと相談してみるよ」
「よかった。あたしらは今から先生のとこ行くから、あとお願いしていい?」
「おう。お前に貸し一つな」
「は? 調子にのるんじゃないわよ」
ユイはエングルをじろりと睨むと、不安そうな表情を浮かべたままの女性へ向き直った。
「えと、お姉さん。とりあえず、こいつと一緒に行ってもらってもいいですか? いろいろ相談にのってくれる人のところへ連れていってくれるので」
「え……あの……」
「大丈夫です! こいつはこれでもまあまあ信用できますし、今から行ってもらうところにいる人はもっと信用できますから」
「う、うん……あ、あの、あ……ありがとう……」
おどおどしながらも感謝の言葉を述べた彼女のそばでは、エングルが「何て言い草だよ」とぶつくさ言っている。
こうして、記憶をなくしたと思わしき女性は、エングルに連れられて冒険者ギルドへと向かった。
「ふぅ……まあ、これでひとまずは安心かな」
「そうですね。ギルマスのリッケンバッカーさんはいい人ですし」
「無問題」
気を取り直した三人娘は、リズのもとへ向かうべく大通りを再び歩み始めた。
「それより、ユイちゃん。私、気づいちゃいました」
「? 何を?」
横並びで歩きながら顔を覗き込んできたモアに対し、ユイが首を傾げる。なぜかモアの顔にはいたずらっぽい表情が浮かんでいた。
「ユイちゃん、エングルさんのこと好きでしょ?」
「はぁあああああああああ!!?」
絶叫にも似たユイの声があたり一帯に響きわたり、驚いた何人かの通行人がぎょっとした顔を三人に向けた。
「こ、声が大きいですよユイちゃん」
「モアが変なこと言うからでしょうが!!」
「だって、エングルさんとやり取りしているときのユイちゃん、何となく楽しそうに見えましたよ?」
「い、意味分かんないだけど……。いったい、どこをどう見たらそんなふうに見えるのよ」
「えー。じゃあ、違うんですか?」
「違うに決まってんでしょ!」
ぷいっと顔を背けたユイだが、その耳がかすかに赤くなっているのをモアとメルは見逃さなかった。
「ほんと、ユイちゃんて素直じゃないですよね」
「ユイは不器用」
「はぁ!?」
ユイが目を剥いてぷりぷりと怒り始めるが、モアもメルも口もとをにんまりとしならせたままだ。
「もうっ! バカなこと言ってないで、早く先生とこ行くよ!」
照れ隠しなのか、ユイが突然駆けだした。それを慌てた様子でモアとメルが追いかける。
「ち、ちょっと、ユイちゃん待ってくださいよ!」
「ユイ。図星だからって逃げるのはよくない」
こんな調子で、きゃいきゃいと姦しくしながら三人娘は敬愛する師匠のもとへと向かうのであった。
そして、この日の練習終わり。ユイたち三人はリズの口から思いもよらぬ嬉しい報告を聞くことになる。