この魔法はいつか解ける
短編を書いてみました。
パチンと何かが弾けたような気がした。
気づくと微かに視界を遮っていた靄のようなものが晴れ、目の前に座る一人の令嬢と目が合った。
「魔法が解けたのですね。」
目の前に座る令嬢。婚約者であるリリアーナは、驚いたように目を大きく見開いた。
中庭を吹き抜けた風が木漏れ日を揺らし、彼女の一見深い瑠璃色に見えて、オパールのような光を隠し持つその瞳に一瞬の影を落とす。
「おめでとうございます。ついに真実の愛を見つけられたのですね。」
リリアーナはそう言って、花のように美しく、そして何故か泣き出しそうな表情で微笑み、目を伏せた。
「真実の愛?」
そう問うた私に、リリアーナが告げた言葉は、予想だにしない言葉だった。
「はい、この魔法は真実の愛に目覚めた時に解けるのです。いつか、この日が来るのは分かっていました。今までジーン様・・・いえ、ユージーン王太子殿下を謀った罪を償う覚悟はできています。」
そう答えると、リリアーナは静かに席を立って膝立ちになり、両の手を後ろに組んで、首を差し出した。
それは、刑の執行を待つ罪人の姿勢だ。
「ま、待ってくれ!」
慌てて彼女を立たせ、元の椅子に座らせる。
状況が理解できず混乱する私とは反対に、リリアーナの眼差しは何処までも穏やかだった。
理由を尋ねた私に、リリアーナは淡々と、予め準備していたかのような滑らかな口調で説明した。
私がリリアーナを婚約者に選んだのは、彼女が持つ魅了眼のせいであること。
初めて出会った時、彼女が無意識に魔法を使ってしまったこと。
そして、真実の愛だけがその魔法を解くことができること。
瞼を伏せた彼女の長い睫毛の先に、透明な水滴が光っていた。
夕日に照らされた彼女の姿はあまりにも美しくて儚くて、この世のものとは思えなかった。
だから、私はその言葉の裏に隠された、彼女の悲痛な覚悟など気付きもしなかったのだ。
◇◇◇
その時、初めて目が合ったと思った。
正確に言うと二度目なのだろうが、少なくとも私は初めてだと思った。
殿下の夏の青空のように澄んだ青い瞳が、真っ直ぐ私を捉えた。
「魔法が解けたのですね。」
気づけば、そう声に出していた。
ああ、やっと解放して差し上げられる時がきた。
そう安堵すると共に、胸に去来する言いようのない寂しさ。
唐突に訪れた終わりに頭がついていかない。
けれど、これはずっと前から覚悟していたこと。
これまで何度も頭の中で繰り返してきた台詞を告げる。
「おめでとうございます。ついに真実の愛を見つけられたのですね。」
祝福しよう。
そして、心からの笑みを見せなければ。
殿下の愛が、この忌まわしい呪いの力を退けたのだから。
まだ事態を理解できていない殿下に、ありのままを告げる。
殿下が、私がかけた魅了の魔法にかかっていたこと。
それは真実の愛に目覚めた時に解けること。
私がこれまで殿下を謀っていたこと。
椅子を降りて、跪く。
王族を魔力で惑わすなど、到底許されることではない。
今、ここで首をはねられても不思議はないのだ。
「ま、待ってくれ!」
けれど、殿下はこんな時でさえ優しさを失わなかった。
私を立たせて、元の椅子に座らせてくださった。
魔法が解けた時、その場で母の両目を斬りつけた父とは違って。
***
私には古の魔女の血が流れている。
そのため、私の系譜には時折、魅了という魔法で相手を惑わす術を使える者が現れるという。
私の母もまた魅了眼の持ち主で、父を惑わし、そして切り捨てられた。
美しい瞳と夫からの愛を失った母は、その後、自らの命を絶ったという。
そして、父から捨てられた私は、母の妹だという叔母に引き取られ、そこで養育された。
真実の愛の相手と再婚した父は、叔母に私の養育費を払っていたらしい。
「お前は偽りの愛から生まれた呪われた子さ。ここに置いてもらえるだけ感謝するんだね。」
物心ついた頃には、そこで叔母とその家族から虐げられていた。
誰からも愛されず、誰の温もりも知らず、ただ息をしていた。
本来なら、私はそのまま小さくて暗い部屋の片隅で生きていくことしかできないはずだったのだ。
運命が大きく変わったのは、八歳だったあの日。
突然、父が私を迎えに来たのだ。
その時初めて知ったことだが、父はこの国の侯爵家の人間で、政敵の娘が王太子の婚約者に選ばれることを阻止したかったらしい。
後妻との間に生まれたのが皆、男子だったため、私のことを思い出したのだろう。
そうして連れて来られた王宮の中庭で、私はあの方と出会ってしまった。
今でもはっきりと覚えている。
初めて見た時、天使が舞い降りたのだと思った。
日差しを集めたかのような美しい金色の髪。
夏の青空を切り取ってはめたかのような澄んだ青い瞳。
「大丈夫?」
そう言って、慣れないドレスで無様に転んだ私に、手を差し伸べてくれたその人の笑顔を見た時、私は思ってしまったのだ。
ああ、いつもこんな風に誰かが私に微笑みかけてくれたらいいのに。
私は愛に飢えていたのだ。
父からも母からも誰からも愛されず、いつも冷たい目で蔑まれていた。
侯爵家に引き取られてから、令嬢としての教育を全く受けて来なかった私を待っていたのは、教育という名の下に行われる絶え間ない暴力だった。
目立たないところを鞭で打たれ、言葉で傷つけられ続ける日々。
王太子が婚約者を選ぶ茶会の席が設けられる今日の日のために、寝る間も惜しんで準備を重ねてきた。
だから、あの優しい笑顔を向けられた時、つい強く願ってしまったのだ。
この優しい眼差しが、ずっと私を見ていてくれたらいいのにと。
そして、その時、私の力が目覚めた。
私を助けてくれた少年は、急にうっとりとした表情で私を見つめた。
その眼差しは、熱に浮かされた時のように曇って見えた。
そして、彼は私の手を握り私の名前を尋ねた。
何が起きたのか分からず固まった私とは対照的に、父には全てが分かったのだろう。
「ユージーン殿下、大変失礼いたしました。こちらは私の娘、リリアーナでございます。静養のため郊外の邸宅にいたため、このような場には今日が初めてでして。まだいろいろと不慣れで申し訳ありません。」
父はこれまで私には見せたことがない笑顔で、そう答えた。
「クローデン侯爵の御令嬢だったのですね。初めまして、リリアーナ嬢。」
殿下はそう言って跪くと、私の指先にキスをした。
私を見つめる眼差しはどこまでも優しかった。
帰りの馬車の中で、父は犯した過ちに身を震わせている私に「よくやった」と、初めて声をかけた。
おそらく父は、私が母と同じ力を受け継いでいる可能性に賭けていたのだろう。
そうでなければ、たった半年付け焼き刃のマナーを叩き込まれただけの私が、他の令嬢に敵うわけが無いのだから。
そのしばらく後、私はこの国の王太子である二歳年上のユージーン殿下の婚約者に選ばれた。
それまで一切公の場に現れたことがなかった侯爵令嬢はあらぬ噂の的となったが、王太子本人の強い希望だったこともあり、速やかに承認された。
そしてそれは、私にとっての幸福の始まりだった。
まず、私は王妃教育を受けるため、王宮に住まいを移すことになった。
これには父が関与したようだった。
父は魅了魔法の経験者なだけあって、この魔法のことをよく知っていた。
魅了魔法というのは、傍から見てはっきりと分かるようなものではないのだという。
初めは、ただの一目惚れのように感じるのだそうだ。
会いたい。顔を見たい。それは普通に恋する男女が感じるものと似ているのだという。
ただ魅了魔法にかかった者は、その対象から長く離れていることを苦痛に感じるのだという。
父曰く、麻薬のようなもので、定期的に会っていれば特に問題はないが、長く離れていると耐え難い飢餓感に襲われ、そのまま会わずにいれば精神に異常をきたすのだという。
だから、父は過去に、王太子妃の座をめぐった争いの末、婚約者に内定していた令嬢が暗殺されたことなどを理由に、私が王宮に住まうことを提案した。
実際、私が急に婚約者に選ばれたこともあり、懸念があったのだろう。
父の提案は疑われることなく了承された。
そして、私は王宮に住むことになり、侍女や教育係には、王家が選んだ最良の人材が選ばれた。
そこには悪意で私を傷つける人はいなかった。
それは、夢のような日々の始まりだった。
皆が私に微笑み、優しくしてくれる世界。
もう誰も私を蔑まない世界。
けれど、私はこの日々に終わりがあることを知っていた。
この魔法はいつか解けるもの。
殿下が真実の愛を見つけられた時、この幸せな日々は終わるのだと。
婚約者に選ばれたことで、私と父はそれまでとは違い、言うなれば共犯者のような関係になった。
父は、それからも私に魅了魔法のことを色々と教えてくれ、またそれに関する書物なども惜しみなく提供してくれた。
父が取り寄せてくれた資料や、変装して図書館で読み漁った文献によると、これまで歴史に登場する有名な魅了魔法の持ち主は三人。
いずれも死刑になっていた。
一人は火あぶり。一人はギロチン。一人は執行前に獄中で餓死。
いずれもロクな死に方ではなかった。
父は、私が魅了魔法を使いこなせるようになれば問題ないと考えていたようだったけれど、私は本能的にこの魔法が解けるものであることを知っていた。
王太子殿下を惑わしたとなれば死刑は免れないだろう。
だから、私は決めた。
それまでの日々を、精一杯楽しく過ごすことに。
王宮での日々は、まさしく夢のような日々だった。
まだ幼かった私は、女の子が欲しかったという王妃殿下からは娘のように可愛がられたし、ユージーン殿下も忙しい中、毎日必ず一緒に過ごす時間を設けてくれた。
ユージーン殿下は、勉強が遅れがちな私を心配して、ダンスや語学を教えてくれることもあった。
それまで何も与えられてこなかった私にとっては、他の人が大変だという王妃教育も少しも苦にならなかった。
初めて知る新しい世界に夢中になり、毎日の勉強時間が待ち遠しくすらあった。
王立学園に通い始めると、私が婚約者に選ばれるまで最有力候補であったという、父の政敵の令嬢であるエリーゼ様を始めとする色々な方々から嫌がらせを受けることもあったけれど、処刑される未来が待っていると知っていた私にとっては、そんなことは全て些末なことに感じられた。
いつか終わる夢のような日々の中では全てが美しく見え、ドレスにかかった紅茶が染めた布の鮮やかさにも目を奪われたし、引き出しに入っていた青虫さえ愛おしく感じた。
この魔法が解けた時、私の幸せな日々は終わる。
私はずっとそれを知っていたのだ。
***
断罪の日がやって来たのは、それから数日後のことだった。
謁見の間には、国王陛下夫妻、ユージーン殿下、私の父、宰相閣下が待っていた。
そして、何故かユージーン様のご学友の皆様も集まっていらした。
殿下の左隣には、光魔法の使い手として有名な聖女セレナ様。
そして、右隣には宰相閣下の御令嬢エリーゼ様。
さらに、その三人を挟むように、殿下が信頼されている護衛騎士のウィリアム様と、一千年に一度とも言われる稀代の天才魔術師ルーク様が立っていらした。
殿下を挟んで立つこの御二方の御令嬢のどちらかが、この魔法を解いたのだろうか。
そう考えると軋むように胸が痛むが、そんなことを言える立場ではないのは分かっている。
私はそんな胸の内が外に出てしまわないよう、精一杯の謝意を込めて頭を下げた。
最初に声を上げたのは、宰相閣下だった。
「クローデン侯は上手く隠したつもりだったろうが、リリアーナ嬢の生母の妹という人物から証言も取れております。国王陛下、この父娘が結託して王太子殿下を惑わしたのは明白であります!」
「リリアーナ様は魅了魔法で殿下を惑わしていたのですわ!そうでなければ、ユージーン様がわたくしを退けて、リリアーナ様を婚約者に選ぶなんて愚行をするはずがありませんもの。」
エリーゼ様は、そう言って私を睨みつけた。
その言葉が胸に突き刺さる。
確かに、私がユージーン殿下に選ばれたのは魅了魔法のためであり、それがなければ何も持たない私なんかに目を止めてくれる人などいるわけがないのだ。
と、その時、殿下を挟んで立つセレナ様が、エリーゼ様に飛びかからんばかりの勢いで口を出した。
「はあ?例えリリアーナ様が選ばれなかったとしても、あんたみたいな性悪女が婚約者に選ばれるわけないでしょ!私のこと平民出身だって、散々いじめ抜いてくれたこと忘れていないわよ!これ以上、リリアーナ様を馬鹿にするようなこと口にしたら、あんたの家の領地だけ結界を外してやるから!」
セレナ様の勢いは止まらず、そのままエリーゼ様に掴み掛かろうとし、またエリーゼ様も応戦する様子が見てとれた。
それを、間に挟まれたユージーン殿下が止めている。
よく見れば、二人の御令嬢の髪型やドレスは既に乱れており、この掴み合いが今始まったわけではないことを示していた。
確かに、以前から仲が良くないことは知っていたけれど、私が入る前に何かあったのだろう。
私が狼狽えていると、その様子に気づいたウィリアム様がこちらに近寄ってきた。
「ささ、リリアーナ様、こんなところに長居は無用です。早速、私の実家へ行きましょう。我が領地は王都とは違い、とても穏やかな場所です。きっと、リリアーナ様も気に入られると思いますよ。どうぞご安心ください。」
そう言って、ウィリアム様が私の目の前で跪いた。
ウィリアム様は辺境伯の御子息で、若手騎士の中では一番の実力者としてとても人気がある方だ。
そんな方が私に向かって跪く様子に驚いて、思わずその目を見てしまう。
「ああ、リリアーナ様、やっと私の目を見てくださいましたね。せっかく、ユージーン殿下にかけた魔法が解けたのですから、今度は私にかけてください。とは言っても、私はすでに貴方に魅了されております。」
ウィリアム様はそう言って、にっこりと微笑んだ。
私は急いで目を逸らし、返す言葉を探した。
と、次に、そこを遮ったのは、魔術師ルーク様だ。
「ばっかか、お前は!魅了魔法っていうのは、一生に一回しか使えないものだ。それに、お前みたいな脳筋にリリアーナちゃんの相手が務まるわけないだろ。」
ルーク様はそう言って、ウィリアム様を退けると、私の方へ向き直った。
「それよりも、リリアーナちゃん。これからは、この俺が君を守るよ。せっかく魅了魔法が解けて、無理に付き合わなくても良くなったんだから。」
ルーク様がそう言って、私に微笑んだ。
これまで、殿下のご友人としての交流はあったものの、それ以上の関係ではなかったはずなのに、一体どうしたのだろう。
私が戸惑っていると、それを見ていたエリーゼ様が声を上げた。
「ほ、ほら!ご覧ください!このようにリリアーナ嬢は、次々と周りの人間を魅了して、意のままに操っているのです!」
確かにそう思われても仕方ない。
けれど、私が知る限り、それは絶対に起こらないはずなのだけれど。
戸惑う私に代わって、ルーク様が言葉を返した。
「だから、さっきも言った通り、魅了魔法っていうのは、一生に一度きり。しかも、たった一人にしかかけられないものだ。魅了した相手の精神が崩壊しないように、定期的に接触して調整していくのは必要以上に手間がかかる。それに、脳筋のウィリアムはともかく、人並外れた魔力量を誇る、俺とセレナが魅了魔法なんかにかかるわけないだろうが!」
ルーク様の言葉に、皆が静まり返った。
世間で思われているほど、魅了魔法は万能の魔法ではない。
様々な制限があり、同時にかけることなんてできない。
「実際、彼女はそれはそれは慎重に接していたさ。まあ、気づいていたのは俺とセレナくらいのものだろうが、彼女はユージーンに必要な接触量を見極め、依存症にならないよう必要最低限の接触に努めていた。魅了魔法を使ってねじ曲げた好意は、魔法が解けた時に憎悪となって跳ね返ってくるもの。だけど、魔法が解けた時、ユージーンが彼女に少しの憎悪も抱かなかったのを見るに、彼女は最初に魅了して以来、ユージーンの気持ちを捻じ曲げるようなことは一度もしていないんじゃないか?」
ルーク様の問いかけに、私は言葉を返せずに俯いた。
これまで普通に接してくださっていたお二方が、私の魅了魔法に気づいていたことに驚いて声も出ない。
確かに、殿下は私を斬りつけたりはしなかった。
でも、殿下が今、私をどう思っているのかは分からない。
恐ろしくて、顔をあげることは出来なかった。
ルーク様が、そんな私の顔を覗き込むように、腰をかがめた。
「君は、ずっと魅了魔法を解く方法を探していたね。君が変装してまで通い詰めていた図書館で読んだ本は、そのどれもが魔法の解呪に関するものばかりだった。そして、君の魔力の残滓は、魅了魔法の解き方に関するところに溜まっていた。君は、ユージーンにかけた魔法を解きたかったんだろ?でも、もう魔法は解けたんだ。君が奴に罪悪感を抱くことなんてない。もう君は君の好きにしていいんだ。」
そう言って、ルーク様が私の手を取ったその時。
「ちょ、ちょっと待った!」
セレナ様とエリーゼ様の諍いを諌めていたユージーン殿下が、こちらに向かって叫んだ。
そして、二人を引き離して、こちらへと歩いてくる。
「勝手に話を進めないでくれ!確かに、きっかけは魅了魔法だったのかもしれないが、私は今もリリアーナを強く望んでいる!これは、紛れもない事実だ!それに、みんな大事なことを忘れていないか?この魔法を解くのは『真実の愛』だということを。もし、それが事実なら、私の愛が『真実の愛』だということだ。」
殿下はそう言って、私の前に立った。
その頬は赤く染まっている。
「リリアーナ。あの時、君が魔法が解けたと言ったあの時、私が何を考えていたか思い出してみたんだ。あの時、私は間違いなく、君のことを考えていた。君とずっと一緒にいられる未来に想いを馳せていた。そして、その時、魔法は解けた。」
殿下が膝を折り、私の手を取った。
「つまり、この魔法を解いたのは、君なんだ。リリアーナ。」
殿下の美しい青い瞳は、真っ直ぐ私に向けられている。
「私が?ですか?」
「ああ、そうだ。君以外いない。私が愛しているのはリリアーナなのだから。」
殿下の言葉に息を呑んだ。
先ほどルーク様が仰ったとおり、魅了魔法を安全に継続させるには様々な制限がある。
長い間、ずっと我慢していた。
禁断症状を起こさせないためには、定期的に会う必要がある。
けれど、逆に長い時間を一緒に過ごしすぎてもいけない。
目を合わせるのは、一回十秒以内。
触れ合うのも、長い時間、会話し続けるのも良くない。
自分の想いや願いは口にすることさえできず、恥ずかしいとか、緊張しているからなどと言い続けて、ずっと誤魔化して来た。
この魔法はいつか解ける。
だから、その時に傷付かずに済むよう、殿下を好きにならないように気をつけていた。
けれど、恋する気持ちはもう止められなかった。
私は勇気を出して、目の前で跪くユージーン殿下の瞳を見つめ返した。
そして、心の中で数を数える。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十・・・。
殿下の眼差しは変わらない。
濁りのない澄んだ瞳で、私を見つめている。
ああ、私はもう、何も我慢しなくていいのだ。
自分の気持ちに素直になっていいのだ。
「私も、ずっと殿下をお慕いしております。」
私は殿下の手を握り返した。
自然と笑みが溢れる。
これからは好きなだけ殿下の目を見つめていていいし、好きなだけ好意を伝えられる。
なんて幸せなんだろう。
私の言葉に、殿下は飛び上がるように立ち上がり、そして私を強く抱きしめた。
そんな殿下を、私も抱きしめ返す。
こんな風に触れ合うことも恐れなくていい。
この魔法はもう解けたのだから。
◇◇◇
「っていうかさ、さっきから見つめ合いすぎなんじゃないの?あれから何分たったと思ってるんだよ!」
「いくら婚約してるからって、その距離はどうかと思いますよ。」
「さっ、邪魔者は帰りますよー。」
ぶつくさと文句を垂れる幼馴染のルークとウィリアムが、セレナに引きずられていくのを横目で見やる。
魔法が解けたあの日と同じ中庭の四阿で、リリアーナを見つめる。
これまでなら自分の立場を弁え、自重するところだが、今はそんなことどうでもいい。
目の前に座る、愛しい婚約者から目を離したくない。
十年前の、あの日のことを思い出す。
婚約者を選ぶために開かれた誕生日会の会場で、リリアーナに出会ったあの日のことを。
リリアーナは一人、中庭に佇んでいた。
初めて見た時、妖精が迷い込んだのだと思った。
咲き乱れる季節の花々を背景に、不慣れな様子で戸惑っている彼女の姿は、会場内で一際目を引いた。
目を奪われたのは私だけではなく、一緒にいたルークとウィリアムも同じだったと思う。
そして、誰かとぶつかり、転んでしまった彼女に一番最初に駆け寄ったのが私だった。
あの時、一番最初に辿り着けて良かったと、心から思う。
もし、別の人間が彼女を助け起こしてたなら、その者が魅了魔法にかかったかもしれないのだから。
リリアーナに出会えたのは、私にとって幸運そのものだった。
彼女を婚約者として認めてもらうためならば、どんな努力も惜しくはなかった。
リリアーナに教えるためだと思えば、それまで苦手だった勉強も語学もダンスも、全てを頑張れた。
あの幼い日にかけられた恋の魔法は、確かに私を成長させてくれたのだ。
これまで、遠慮がちにしか目を合わさなかったリリアーナが、真っ赤に頬を染めて、私を見つめている。
そんな彼女を抱き寄せ、その唇にそっとキスする。
魅了の魔法は解けたかもしれないが、私がリリアーナを愛する気持ちは変わらないだろう。
真実の愛という魔法は、永遠に解けることはないのだから。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
初めての短編。短くまとめるのは難しいですね。苦しみました・・・。
個人的には、セレナとエリーゼの戦いをもう少し見たかった気がしますが、それはまた別の機会に。