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普通列車

7月25日。


涼しい風の朝の8時少し前、早朝のお決まりで車の少ない広い駐車場に、私と同期のバイト仲間の中村と上村とで、いつもの待機をしていた。

そこは緊急時には、例えば火災や地震の時だが、避難所となるところでもある。

 株式会社エコールの正社員の谷川さんが、真向かいの古い工場から現れた。工場と同じく古い姿形をしていて、もちろん停年退職すれすれ。くたびれた歩き方でやってきた。

「今日もよろしくお願いします」

 谷川さんへ三人で挨拶をした。

「おはよう。今日もよろしくね」

 毎日の挨拶が済むと、三人は谷川さんの後について行く。行先は古い工場の中にある。ライン上の大量のペットボトルの死骸があるところだ。


 作業内容はその大量のペットボトルの死骸から生存者を見つけること。ただの目視検査だ。作業は単調で寝むくなることこの上ないが、給料も悪くなく時給870円だ。私と中村と上村は、規則正しく5年間もこの仕事を続けていた。

「ああ、早く帰りてぇ」

 中村は正社員が傍に居てもマイペースだ。確か50代になる。中年で白髪である。

「……」

 私は今日も単調な仕事で、人生という名の時間の一部を捨てるのだと思うと塞ぎ気味だった。

「そうですよ! 中村さんフャイトー!」

 と、上村。36歳になったばかりのひょろ長い体型。そして、禿頭。

「確か赤羽くんはカラオケ好きだったよね。一人カラオケ?」

 上村が歩きながら話しかけている。

「単に暇潰しですよ」


 多種多様の大型機械の間を通り抜け、巨大な一室の作業場に着いた。腰のあたりの高さにあるベルトコンベアーに流れる大量の色々な形のペットボトルは、500ミリリットルや1リットル、そして4リットルなど主に飲料水だ。汚れがひどい死骸は長方形の洗浄機へ、そうでない生存者を各々の脇にある大型のリサイクル機に入れるだけの仕事だ。作業は必然的に、どうしても眠くなる。この環境が人生にもならない3年間だ。

 作業開始のチャイムが鳴る。正社員の谷川さんは工場の二階の端末と睨めっこしに行ってくれる。

「だけど、すっごい量だよな。このペットボトルの量だと……。いったい幾らになるんだ?」

 中村がコンクリートの壁に掛けてある。上着だけの作業着を着ながら、話しかけてくる。

「俺たちのバイト代よりは高いですね」

 私はテンションを上げ冗談を飛ばし、それからエコールの作業着を着て良品とそうでないものを17時まで選別をする。

 こんな私でも、最初は良品と不良品の選別に苦労していた。しかし、中村・上村に楽だからと勧められ、経験を重ねていくうちに自然に出来るようになった。中村・上村もだいたいは私と同じくちょっとした苦労と、自然な気楽さに身を委ねた。

二時間後。

「俺は昨日、隣の家のババアにナスを貰ったんだけどさ」

 中村は慣れた速度で、リサイクル機と洗浄機にかなりのペットボトルを入れながら、こちらに向いてしゃべっている。

「それで夏野菜カレーを作ったんだけどさ……まだあるんだよ。赤羽くん食べるか?」

「頂きまッス。……」


 私はそう答えながら、作業に集中していた。


「でも、ここへ来て良かっただろ」

「ええ。こんなに簡単で雑談をしているだけの仕事はないと思います」

 中村は遠い目をして、

「もう五年か。君と出会ってから……。最初は怠け者で仕事もしないいい加減な奴だったな。そして、たまにしか出会わなかったが、この仕事を紹介してから少し人が変わったよ。あの時の事覚えているかい?」

「ええ。あの時、中村さんと上村さんにこの仕事を紹介してもらって、そん時はバイト先で少し仲が良かったんですよね」

 思えば中村・上村にこの仕事を紹介してもらって、毎日なんとか働くようになり、今では親元から離れて一人暮らしだ。

「上村さん。アデラ◯スにしてみては?」

「いや。そんな金ないし。今は暑いからこのままでいいよ」

 ネタのチャージをしている上村は、大抵髪の話には乗ってくれる。

 そういえば中村・上村と私は、三人ともこの五年間でまともな仕事をした時は皆無だ。私は一生ここで働くのだろうと人生を諦めていた。きっと、中村・上村もそうだろうと思う。こんな仕事をして、楽な人生を謳歌し、運がよければ子供のいない家庭を築く。そんな人生を夢見ているのだ。



今日も一日の仕事を終えて、地味な達成感を味わいながら家路に着く。いつもの駅前の自動販売機で缶コーヒーを買い。


「御疲れ様」


 と、自動販売機の機械の音声を聞き今日も一日の終わりを実感する。

 友達はいない。

プライベートでは一年くらい会っていないが、仕事仲間の中村・上村だけだ。

高校時代も友達はいなかった。引っ込み思案な私はクラスでは先生くらいしか相手にして来ない。今は同級生とは全然会わないことにしている。

しかし、彼女がいないというのはやはり寂しい。

私は高校を卒業してからは、数百社に履歴書を送り。面接を受けたが。玉砕をし、毎日働くことが嫌になって、人と接しなくなった。

私の住むひたちの牛久にある1LDKまで、電車で三駅徒歩で30分。藤代駅から「エコール」までは、路線バスで40分。こんな生活を私は飽きずに毎日続けていた。あ、それと休日は祝祭日と土日だ。


しばらくは困り顔の両親のいる実家で、ごろごろしたりしながら、週に2日か3日、単発のバイトをしていた。

引越しから接客に倉庫内作業など多種多様なバイトをして、それから同じ日雇いだった中村・上村に出会いエコールを紹介され、二年前に今の1LDKに住むようになった。

私の住むひたち野うしくにある1LDKから、ひたち野うしく駅まで徒歩で30分。駅からエコールまでは電車で三駅と藤代駅からエコールまでは、路線バスで40分。こんな生活を私は飽きずに毎日続けていた。休日は祝祭日と土日で、プライベートは部屋の片隅でテレビを観ているだけ。

 

その日は、傘を忘れていた。

電車の中で車窓越しに外を見ていると、雨がぽつぽつと降ってきた。車窓に緩い水滴が所々広がる。7月の下旬だが空は、周囲の空間に黒煙が充満したかのように暗かった。

 そういえば少し前、中村が、

「傘を持ってくと雨は降らなくて、傘を持ってないと降るんだよな。俺の経験上の教訓さ」

 と言っていっていたのを何気なしに覚えていた。

私は忙しない雑踏の駅から改札口へと出た。毎日の自宅までの距離を歩いている時に、それまでの小降りから大降りとなりだした。

駅のロータリーは通行人が多く、傘を持っていない人も疎らにいたが、駅から離れるにつれ傘を持つ人が目立ってきたようだ。

 いつも通りに幾つものコンビニの前を通り抜け、大きな公園の真ん中を足早に通り抜け

る。それから、延々と林の小道を歩かなければならない。その先には住宅街があり、そ

こに私のボロアパートがある。

雨がこれ以上ないほど強くなり風もでてきた、汗を吸った洋服がべったりと体につく。

「今日はツイてない」

私はボヤいた。ボサボサの頭は雨で頭皮にくっ付きだし、いつもの服装である黒のジーンズと灰色のTシャツは素肌に張り付いていた。

林の小道に着くと強風で前が見えない、コンビニも何もなく、私の住むアパートまで走らなければならない、雨宿り出来る所はまったく無い。私はそれでも、林から痛そうな枝や葉っぱが強風で飛んでくるのを我慢出来ずに、どこかに雨宿りできる場所を探した。

まるで、嵐のような風と雨の中に、小さいが頑丈そうな赤い煉瓦の喫茶店が目に入った。


 それは、真っ暗な林の中にポツンとあった。5年もこの道を毎日のように往復しているのに、缶コーヒーをいつも買うので今までまったく気にも留めなかったようだ。それは全体的に古い趣で、石造りのお城のような。いかにも頑固そうな老人が営んでいる。といった感じの頑丈な喫茶店だった。この嵐の日の雨宿りには、まさにうってつけの所である。

仄かな明かりの喫茶店へと、家まではまだだいぶ遠いので、ずぶ濡れの服のまま私は迷うことなく入ることにした。

 林の中にポツンとある(笹井喫茶室)という名の喫茶店は、一階建てで、外観は頑丈そうだったが店内は明るく女性でも気楽に入れるような華奢な造りだった。カランカランと青銅の鈴の音が店内に鳴り響く。客は一人もいなかった。

テーブルが3つにカウンター席にイスが5つ。天井には中央しか付いていない照明があり、その照明のまわりにはガラスでできたチューリップの模造品が四方に付いている。カウンター席には黄色とオレンジの花が飾られていた。

 私はカウンター席に向かった。席に着こうとしたら、奥から東洋風の店主らしい初老の男が現れた。


「いらっしゃいまし」


 東洋風の男は皺の目立つ顔で、そう言って奥から澄んだ音がする綺麗な氷入りの水を持って来てくれた。

 男は喫茶店の店主というより、易などの占い師のほうが似合っている。髪は白く後ろで結っていて、卵型の顔は皺が目立った。

 私はびしょびしょの服で、客のいないカウンター席の隅に座るとメニューを捲る。

「あ、少々お待ち下さい」

そう言うと、店主は何に気が付いたのかまた奥に消えた。しはらくすると、コポコポと音が奥の方からしたかと思うと、私に淹れたてのコーヒーを持って来てくた。それと同時に、私のところまでコーヒーの芳醇な香りがしてきた。一瞬、私はずぶ濡れなのに雨宿りをしに来たことを忘れる。


「どうぞ」


何も注文をしていなかった。店主が雨宿りしに来た客にコーヒーをサービスしてくれたようだ。私は遠慮なしにその芳醇な香りのコーヒーを味わっていた。適度な苦みと何とも言えない豊かなコク。コーヒーの熱さがそれらを一層際立たせる。きっと、一滴一滴と淹れてくれた。お金を出さなければ飲めないほどのコーヒーなのだろう。

「本当にすいません。うまいですね」

「ありがとうございます。当店自慢のオリジナルコーヒーです。一杯目は私の奢りです」

 何も注文しないわけにはいかず、私はサンドイッチを頼んだ。

東洋風の店主はにっこりと笑った。笑うと顔の皺も優しそうにクシャっと笑った。

三杯目のコーヒーを注文する頃には、雨が小降りになっていた。東洋風の店主にお金を支払い外に出た。




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