ゴルフ場
7月28日
午前中は、滅多に乗らない自転車で何軒かの整形外科や外科に顔をだし、治療をしてもらいたかったのだが、外傷どころか骨にも異常がなくて相手にされなかった。医者はみな厳つい顔で、仮病と診断してきたのだ。
けれども、痛みは本物だからたまったものではない。私のその日の気分は、一日もはやく治ってほしくて常に陰鬱だった。
午後の1時になってから、直っていた携帯が鳴った。
「赤羽さん。左肩の怪我はどう?」
物事をいつもはっきり言う呉林だったが、とても心配そうな声色をしている、私は一瞬頬が赤くなるが、痛みで歪む。
「最悪だ。午前中は医者にあちこち行ったんだが、外傷も骨の異常も何もなくて……。それでいて、痛みは常に酷い状態だったよ。今でも痛いが、仮病と診断されてとても困っているよ。それより、角田さんと渡辺君は?」
私は苦虫を噛み潰した顔をして訴えた。
「二人は大丈夫みたい。そう、感じる。でも、やっぱり……。」
呉林は心配しながら、徐々に真面目な声色になった。
「で、どうやって治すんだ?」
呉林は慎重に言葉を選ぶように、
「解らないわ……。でも、何か考えるから二時半にイースト・ジャイアントで落ち合いましょうよ」
私は諦め半分の気持ちを声にだして、
「解った」
午後2時30分。私は呉林と呉林の友人の安浦に会うために牛久駅の近くの「イースト・ジャイアント」に行く。昼食は摂らなかった。
電車の中では、この前の体験のためか極度に緊張していたが、牛久の改札口を通る頃に
は大分落着きを取り戻し、腹も空いてきたので、痛む肩を放っておいて今日は何を注文しようかなどと呑気に考えるようになっていた。
コンビニ弁当もいいが、たまには外食?も良い。
行き交う人々を見ると、どうしてもこんな体験をしている自分が奇異で不幸のように感じてしまう。不幸は昔から何の予告なく襲ってくるものだ。だが、呉林がいる。また彼女と出会える。私は今まで 26年間も恋をしたことは、一度中学生の時だけしかしていない。そんな私が……今は呉林に出会うことを楽しみにウキウキしている。積極的に女性と話せるようになってもいるし、貴重な体験だ。本当に恋は失恋してでもした方が良いだ。
渡部や角田は今、どうしているのだろう。こんな体験を共有できる仲間が増えて、とても心強くなると同時に、彼らのことを気遣うようになってきた。
ちょっとお洒落をして、ネズミ色のジーンズとラクダ色のワイシャツといったラフな格好で店に入った。
髪型を変えたりお洒落をしたりと私も変わったかな?
恋をすると自分の中の何かは変わるのだろうか?
店内には客は疎らで、コーヒーや紅茶だけを注文する客はごく少数であった。その中央に私は呉林と安浦を見つけた。
「赤羽さん。こっちこっち」
ブルーのノースリーブ、黒いジーンズを着た呉林が手招きする。二人はもう冷たい紅茶を注文していた。こんな体験を連続して、コーヒーには少し抵抗が出てきたのだろう。私も冷たい紅茶を頼んだ。
「ご主人様。左肩は大丈夫ですか?」
安浦は夢の時のことを引っ張ってきた?
「ああ。でも、そのご主人様って、やめてほしいが」
「……。ご主人様。左肩の治療法を考えたんですけど」
安浦はさらっと回避して、自分のピンク色のフリルの付いたシャツの肩のところを指差した。その下は同じくフリルの付いたピンクのスカートだ。それと、やはり私のことをご主人様と呼んだ。
確かにそう言ってくれる安浦はとても可愛らしくて、嬉しいが……。
「そうよ。今さっきだけど、恵ちゃんが考えたの。かなり治りそうな方法」
二人は私に向かって真剣な顔付きになった。
それは、もう一度、夢の世界に入れば治るのではないかということだった。
その直後、派手な格好のウェイトレスから、紅茶が運ばれてきた。それを手に取ると、私の意識は眩暈がするほど急速に現実の空間から遠のき、「あっ」と思うと私は意識を手放した……。
何故か横になっていた。風が草の香りを運んで、私の鼻に吸い込ます。私は仄かな眠気を含んだ頭で、寝返りを打とうとした。けれど、硬い何かに当たった。
「ん?」
私は眠気を取り払いながら、眼を少し開けてみた。それは木だった。そこはイースト・ジャイアントの店内ではなかった。私は慌てて起き上った。辺りは鬱蒼とした木々が立ち並び、その葉は太陽の光を一身に受けて、より一層光り輝き青々としていた。皮肉にも、草のいい匂いのする風が心地よかった。そんな雑木林の中で目覚めたのだ。
「ここって?」
安浦の声が近くでした。
「私。眠ったのね……」
呉林もいる。
下を見ると、私のと思われるテイーカップと安浦と呉林がすぐ近くに倒れていた。二人とも、そして、私も「イースト・ジャイアント」にいた時の服装である。そして、二人の片手には紅茶が、なみなみとあるテイーカップが握られていた。
「これは、私も驚いたわ。いきなりなんて、これじゃ手も足も出せないわ」
呉林が珍しく動揺しながら、緩々とテイーカップを地面に置いて立ち上がった。そして、辺りを見回した。
私とゆっくりと起き上った安浦は、事態の深刻さに緊迫した顔を見合わせる。
私と起き上った安浦は、事態の深刻さに緊迫した顔を見合わせる。
「でも、大きな音をたてて起きればどうってことないわ! そうよこんなこと……。赤羽さん。念のため携帯の目覚まし機能も鳴らしてみて。元の世界へ戻れるかも知れないから」
周りを見回していた呉林は、強がった声で、少しだがいつも通りに冷静さを取り戻す。私は携帯を取り出した。気が付いたのだが、携帯なら呉林たちも持っているのでは……?
私はどうでも良いことを考えながら、携帯の目覚まし機能を鳴らしてみた。
辺りに「ピー・ピー・ピー」と音の後に私の好きなメロディが流れる。メロディは呉林のことを特別と思ってから流れるようにした。
「ちょっと待って。ご主人様。左肩は?」
安浦の好奇心の眼差しを受け、私は自分の左肩を右手で触ってみた。何ともない。
「治った。痛みが完全にとれていて、安浦の言うとおりだったよ。ありがとう」
私は嬉しさの余り左肩を叩いた。激しい鈍痛がしない。健康的な痛みだった。
「どう致しまして、ご主人様のためになれば幸いです」
安浦はそういうとテイーカップ片手に私に頭を下げる。私はその真摯な態度を見て、何にも装いがないことに気付き動揺した。安浦を前から知っていなかったら頭を疑っていたかも……。けれど、何度か死線を潜ってきた仲なので、安浦の自分に対しての態度をあまり気にしないことにしてやることにした。
「それにしても、恵ちゃん……」
呟くように呉林も何かいいたそうだったが、口を噤んで次からでる言葉を飲み込んだ。
私は呉林に向かって、苦笑いを浮かべると、三人で接触し合って、携帯の目覚まし機能を消した。
……
「何も起こらないですよ。ご主人様?」
私は携帯片手に呉林の方を見た、
「え、どうして、元の世界に戻れないの……。なんで?」
呉林は顔面蒼白とまでいかないが、青い顔をしてまた動揺してしまった。呉林が動揺すると、こちらも動揺する。また、私と安浦は緊迫しながら互いの顔を見合わせた。青い顔で、呉林は何かブツブツしながら俯いてしまった。
三人はしばらく立ち往生をするしかなかった。
木々の匂い、暖かい日差し、眠くなってきた。
「なあ、確かここは夢の世界なんだよな」
呉林はぶつぶつ言うのを止め、
「そうよ。でも、正確には違うかも。取り敢えずは夢に似た世界よ」
「だったら、寝てみるのはどうだろう。元の世界で起きるかも」
呉林はゆっくり顔を上げ、
「うーんと。その手もあるかも。ここが夢の世界だとしたら出来るのかもしれないわ。ここで寝ると元の世界で起きられるのかも知れない。何となく間の抜けた話ね」
早速3人はその場で横になった。みんなで横になると、こんな世界へと迷い込んだ恐怖が幾らか薄らいだ。
「こんな世界に来たりすると、現実って何なのって、思えてしまうわね」
呉林は隣の私に向かって呟く。
「ああ。以外と現実って強いものだけど、それよりこの世界は強いって感じだね。頭が混乱しそうだが……」
私はそう受け答えをした。呉林は目を大きく開け、
「もし、私たちの世界に戻れなくなったら、やっぱりこの世界で三人で生きていくしかないんじゃないのかな」
呉林は冗談半分の口調で呟く。
そこは、森林というには懸け離れている。云わば均整のとれた雑木林のようだった。3人は木々と青葉の匂いの心地よい風を受け、眠気が生じてきたようだ。私を除いて……。
しばらくすると、安浦が眠りだした。その次に呉林。私はしばらく起きていた。二度寝は苦手なのだ。
柔らかな風を受けて、横になっている私の頭に幾つかの疑問がよぎってくる。いろいろと考える。渡部や角田もこの世界に来たのだろうか、本当にこの世界で寝ると元の世界で起きられるのだろうか、呉林は今回ばかりはかなり動揺していたな。でも、この世界にある驚異が何であろうと元の世界に戻ればどうってことはないな。
仕方なく私は眠っている呉林の顔を見つめていたら、急にストンと眠った。