プロローグ
その村はカルダという巫女が支配していた。
今は夜なのか辺りは薄暗く。村の光源は数多にある天幕に立ててある松明と夜空に浮きでた赤い月。
闇夜の鬱蒼とした森の中に位置を示している。なかなかに広い村。そこは大勢の村人たちがいればごく普通の村なのだが……。
青白い顔の村の若者たち二人が話をしていた。この森は寒く……だが、二人の顔の青白さは寒さのせいではなかった。
「カルダ様は……今日も生贄が必要だと言われたようだ」
その唇は不規則に震えていた。
カルダはこのところ毎日、生贄を求めた。
「次は……私かもな……」
もう一人は諦観していた。
そこは針葉樹の森だった。中央に焚き火がある広場では、人の気配がない。牛などの家畜は瘦せ衰え、餌が十分ではないことが目に見えていた。
針葉樹の森はシンと静まり返り、猛獣の飢えの声や吠え声、鳥の囀り、虫の羽音なども……何も聞こえなかった。
辺りをどっぷりと包み込む闇は、この森だけのようだ。その村だけが闇夜が支配していた。不思議とこの森を抜ければ朝日の下で生活が出来るようだ。
何十人と森を抜けるために、出て行ったが森の奥には腹を空かした猛獣がいる。その猛獣によって命を落とすもの。危険な植物に命を落とすものもいる。それ以外はもっと残酷だった。
「カルダ様に家畜の生贄を捧げれば……」
「駄目だな。人間でないといけない。そう、ルゥーダー様が仰っていた」
一人は心をかきむしる戦慄で蹲りたい気持ちに耐え、もう一人はあまり気にしないのか、深い暗闇の中を俯いてトボトボと歩き出した。今日も生贄を奉げる儀式があるようだ。
二人は、数人だけの大人や女子供と道へと歩いて、奥の大きな天幕に向かう。
何かを目覚めさせるための生贄を奉げる儀式はもう始まっている。今日は何人の生贄が奉げられるのだろうか。
一つだけだが、そこには周りより一段と大きな天幕がある。豪勢な作りで鹿や熊の毛皮が飾られていた。しかし、中は血の匂いがこびり付いていて、草木もない地面には人間の頭蓋骨が辺りに無造作に散らかり、夜の闇の中。一層薄暗くなっていた。
天幕の奥には人の気配は二つ。ルゥーダーとカルダのものだ。
松明の仄かな明かりが照らす。中央の質素な木で出来ただけの祭壇の上には、蔓で拘束されている少年の胸に、カルダが短剣を突き刺し心臓を抉り出していた。
天幕の隙間から見える奥の方には、何やらとてつもなく巨大な爬虫類の姿が垣間見えた。
「まだまだじゃな。もっと、多くの生贄が……。ルゥーダー、解っておるな。少年や少女。とにかく、若い生贄がほしい。若ければ若いほど。まだ目覚めんのじゃ」
「解った。今日も二グレド族の村へと行こう。この村ではもう子供の生贄を出し過ぎたようだ」
カルダのまるで呪詛を言うような口調に、端整のとれた顔のルゥーダーは力強く頷き、ビクビクと動く少年の心臓を鷲掴み。地面に放り投げた。
ルゥーダーとカルダはまるで世間話をするかのように、人の命を絶っていた。
二人の若者は恐怖で、カタカタとなる歯から奇怪な言葉を漏らしながら呆然と立っていた。
カルダにルゥーダーと言われた男は長身でがっしりとした体格をしていて、なかなかの好青年だった。松明を持って隣村まで歩いていく。村の若者でも歩いていくと一日半かかるが、ルゥーダーは何故か僅か数分で辿りつけた。
ルゥーダーは猛獣の気配のない森を早歩きで進む。いくらか、明かりがあればいいのだが、生憎と夜の森。光源は星空と赤くなった月、それと手に持った松明だった。
それから少し経って隣の村へと着く。
そこは熱い朝日の照らす二グレド族の村。やはり、カルダの村から外へと出ると、朝があった。
そこの村人は周辺の村よりは活気があり、生活の音やどこからか子供たちのはしゃぎ声が木霊していた。しかし、ルゥーダーが現れると村人たちの目は恐怖と警戒の色をした。
「カルダ様は生贄を欲している! 出来るだけ若い者をだ!」
ルゥーダーは広場の中央まで歩いていくと、誰かを呼ぶために大声を発する。その声はシンと静まり返った村に行き渡り、それを聞いた村の奥から長老らしき人物が二人の護衛と一緒に俯き加減で現れ、ルゥーダーのところへ急いで来た。
長老らしき人物は早口に捲くし立てる。
「今度は何を? わしらの村は昨日、少年を二人も犠牲にして……。もう勘弁して下さい!お願いですじゃ! 子供たちが死んで、わしらが生きるのはとてもつらいことなのです!」
長老らしき者は涙を流して、ルゥーダーの顔色を恐る恐る窺っていた。その目は怯えきっていて、二人の屈強な護衛もどこか極度の緊張のために体を強張らせている。
「では、こうしよう。複数の赤子の生贄をもらう!」
ルゥーダーは全く動じない。眉ひとつ動かさずに大声で言い放った。冷たいがよく通る声だった。
二グレド族の村人たちはそれまでの生活を一旦止めて、一斉にこちらを見守る。怯えたように……。
「逆らえばどうなるのか解るだろう……皆殺しだ。だが、カルダ様は寛容なのだ。赤子を三人だけで今日の生贄は十分だと言っている……どうだ」
「う……。赤子を……何と! 酷い事を……」
ルゥーダーの冷たい脅しに長老は涙目で重く頷き、二人の護衛に指示をだし、周辺の天幕から親のいない元気な赤子を三人抱えて来た。
「……もうわしの村はほっといてくれ! こんなことはたくさんじゃ!」
長老は堪らず涙に濡れた顔を覆った。しかし、ルゥーダーは一切意に介さず、軽々と泣き喚く赤子を三人、片手で無造作に抱きかかえ歩き出した。
「お願いだ! わしの村だけでも村人の安全な生活を守ってやってくれ!」
ルゥーダーは振り向かない。
「お願いだ!」
長老はついに蹲くまった。この村からの生贄はそれから更に増えたという。
ルゥーダーの抱えている赤子たちを見送る少女が長老の傍に寄って来た。
こんな残酷な出来事を少女が慰めるかのように……。
「あのね、長老。私、空が見えるの……」
少女が長老にその小さな唇を寄せて囁いた。