【短編版】大罪を犯したと断罪されそうになった聖女は、死ぬ寸前に愛を交わした盗賊騎士に救われる。
「見ろ。お前の仲間になったばかりに、あいつらは死んでいく。ほら、また一人。ああ、一撃で首が堕ちなかったなー。ありゃ、死んでも死にきれない痛みだろうなあ……」
ぐしゃりという音がして、熟したトマトを潰したように赤い血の華がその場所に一つ咲いた。
言われてついそちらに顔を向けと、私に処刑の様子をさも面白そうな何かを解説するかのように語る男と目が合った。
ルデノア神殿の死刑宣告を行う男。
死刑執行官とも呼ばれる裁判官がそこにいた。
「おやおや、そうか。首枷をはめられていてはそれ以上、左右には首の自由が効かないか。ああ、可哀想に。また一つだ……」
「やめろっ……」
頭に力を振り絞って、もうこれ以上ないというくらい首を左に向けた。
視界の隅に見てはいけないものが滑り込んでくる。
処刑人が斧を振り上げ狙いを付けてそれを振り下ろすと、もう一つ。さらにもう一つ。またまた、もう一つ。
勢いよく上から下へと放たれたその斬撃は、敢え無く死刑囚の命を摘み取っていく。
さながら、四つ葉のクローバーを探し出し、草冠を作ろうとする無邪気な子供たちのように。
一つ、また一つとあっけなく、無実なはずの命は断たれてしまった。
「彼らの罪は死ぬことにより清算される。お前は魔女になったからもう助かることはないが、仲間が天国に行けるように祈って行ってはどうだ?」
「違うっ! 私は魔女なんかじゃない、いいえ……私たちは何も間違ったことはしていない」
「していなければどうしてこうなった?」
裁判官は私の左側に並ぶ彼らを指さしていた。
私の左側に並ぶ彼らは十数人いたはずで。
最初のうちはゆっくりと恐怖を味わわせながら泣き叫ぶように誘導して、半分ぐらいから自分は無実だ助けてくれ、なんて。
そんな聞き入れられることもない叫び声が、悲痛な感情をあたりに伝えていく。
恐怖は伝染しやがて処刑人の足首が、四つん這いにされ、首に枷をかけられて持ち上げることのできない目の端に止まった時。
誰もが自分の最期を覚悟して叫び声をあげるのを止めると、処刑場に集まった大勢の市民からはこぶし大の石が投げ込まれたり、処刑される人間を冒涜するようなひどい言葉が投げつけられる。
「それは――。主の命により逆らうこと許さないと。そうお前たちが命じたからではないか!」
「それはそう。神託だ、誰も逆らうこと許されない。もちろん、聖女と呼ばれたお前ですらそうだ。だからこそ今ここでこうしている。そうだろ?」
「……間違っているわ。主は、我が神、ルデイア様はこんな無慈悲なことはなさらないはず!」
「馬鹿を言うな。無慈悲なように見えて、一番、慈悲のある行為だ」
「誰にとっての慈悲よ!」
それはもちろん、と裁判官ははるかの左奥にある宮殿を指さしていた。
王族のため……と。
ここは王都の端。
北側の外壁よりに作られた、大広場の一角。
普段は行商人達の市場が立ったり、東方からの珍しい劇団などが天幕を張って踊りや歌などを披露する、そんなために使われるような場所。
その場所の片隅に設えられた、公開処刑場。
第一と第三の土曜日の夕方、ここで数人から多い時で十数人の罪人が、その首をはねられたり、頭を斧で叩き潰されたりする。
市民はそれを見て、国王に対する憂さを晴らすから、処刑が行われない回などは暴動が起こることもあるらしい。
らしい、というのは私がこの国にやってきて三か月。
まだその光景を目の当たりにしたことがなかったからだ。
「何が王族のためよ! この国の国王のために、私たちは命をかけて戦ったのに! その礼がこれか!」
「これは心外だ。国王陛下はお前たちのためにこの場所を用意してくださったのだ。これまで二度も、神託を受けてそれを成し得なかったお前たちのために。愚かな罪人のお前たちのために、この場所を用意してくださったのに何の文句がある?」
「違う、それは濡れ衣だわ」
「ほう? どう違うというのかね? 元聖女アネッサ……いや、魔女アネッサと呼ぶべきかな?」
「ふざけるな! 魔女などになった覚えなどない! 二度の失敗? 国王陛下が欲を出さなければ……どちらも成功していたのに」
「ああ、そういう見方もあるかもしれないね? しかしそれは不敬罪が適用される」
大げさに両手を開いて、裁判官は大きく頷いた。
まだ物足りない。
場の盛り上がりに欠ける。
そんなことも、この男はつぶやいた。
「どちらにせよ失敗したでしょう。チャンスはあったはずだ違いますか?」
「……聖騎士たちと王国の騎士団がきちんと手を貸してくれていれば、こうはならなかったのよ!」
また一つ。
ぐしゃっという音がした。
うめき声のようなものが聞こえて、命の灯火が消えたのは私が感じた。
「一度目は、確か……暴竜バルドの退治でしたか。あの時、街を一つ焼いておりましたな? 領主はあなたたちに城塞の食料庫を襲われて、備蓄していた食物を奪われたと聞いていますが?」
「そんな話になってるんだ……」
「二度目は何だったか、ああそうそう。デア大河の氾濫を食い止めろと言われたのに、あなたはできなかった。そうですな?」
「……」
言い返すことができない。返す言葉がない。
それは紛れもない真実だったから。
そこにどんな理由があったとしても、彼の言ったことは間違いがない真実だったから。
反論が出来なかった。
「黙ってしまわれたということはつまり、あなたは悪逆非道の魔女になってしまったということです。暴竜を取り逃がし、街を焼き、城主から奪った食物を転売して財を得た。それが一度目の罪ですな。しかしそれは、なかなか明るみには出なかった」
「真実はいろんな角度から見ることができるわ。いずれ後世の歴史家が、あなたたちのやった不正を暴くことでしょう」
「後の世に生きるものがどう言おうが、あなたがこのまで死ぬことに変わりはありませんよ」
「好きにすればいい……裏切り者め」
「これは心外な。まさしく心外な一言です。私は神殿において、あなたの補佐をきちんとしてきたというのに。あなたは何もかも、全て良かれと思ってしたことかもしれませんが……やりすぎたのですよ、聖女様。神殿と王家とは常に手を取り合って生きなければいけないのに。あなたはそのパワーバランスを崩した。おまけに、領民の側に立って彼らを助けた。暴動や反乱起こした、愚かな彼らを助けたあなたに誰がついていくというのですか」
「お前はそうやって仲間をどんどん裏切ったのね。そして、最後に私達を王家に売り飛ばしたんだわ!」
裁判官は、更に心外です、と小さく叫んでいた。
私達のこのやりとりが周りを囲む市民に聞こえないように。
卑怯にも音を遮断する範囲の狭い結界まで張り巡らして、こいつは安全な場所で悪事を働いたことを認めるんだから。
神託をくださった神は、もう私たちを見捨ててしまったのだろう。
そう思うしかできなかった。
「まだ何か言いたいことがありますか? 最後の最後だ。聞いて差し上げるぐらいは出来ますよ」
「お前になど何も言うことはない。何も!」
「ではそろそろ静かになっていただきましょうか」
一時間近くをかけ、行われてきた処刑はそろそろ山場を迎える。
と、いうのも処刑される列の最後尾にいるのが私だから、そう思うわけで。
処刑人の斧が、すぐそばにいるはずのかつての副官の頭に振り下ろされ、その血しぶきが私の顔に降りかかる。
これはいかんともしがたく、辛くて苦しくて。
おまけに罪悪感をこれでもかというぐらい心の奥底にねじ込んでくる、恐ろしいやり方。
それまで、罪人の罪状と身分と年齢と、その名前を告げるだけの発言しかしなかった裁判官が、いきなりゆらりと声を上げた。
「それでは!」
周囲を数階建ての建物に囲まれた大広場に、その声は凛として響きわたった。
さながら、舞台劇の主役でもあるかのように、彼は威厳を保ちながらその宣告を解き放つ。
「では、ここに。聖女アネッサを魔女として、我がルデノア神殿は認めることとする!」
その発言が鼓膜を通して民衆の脳裏に染み込んだ時、まるで誰かに先導されたかのように彼らは叫びだす。
「そうだ! その女は聖女じゃない、魔女だ!」
「魔女だって? そんなにひどい奴だったのか。火あぶりにしろ、首を落としただけでは復活するかもしれないじゃないか! 火あぶりだ」
「聖なる炎によって焼いてしまえ! そんな女を生かしておくな」
「俺たちを騙しやがって。何が聖女だ! この悪魔の手先、売女め!」
様々な声、様々な怒り、様々な恨み言が人という形を肉体のした口を突いて飛び出てくる。
私からしてみれば彼らの発言の方が悪魔のようで、到底受け入れることなんてできるはずがない。
つい先週まで彼らは私のことを聖女として慕ってくれたのに……。
今は何を言っても聞き入れてもらえないのだろう。
そう思うと、心に灯っていた怒りのようなものが霧散して何も考えることができなくなってしまった。
「どうした聖女様。あんたの犯した罪のせいで裁かれようとしているんだ。こんなにありがたいことはないだろう?」
「……」
「喋る権利は与えているはずだ。言いたいことがあるなら話してみてはどうかね」
「私は間違ったことはしていない」
「そうかね。ならばどうしてあなたはこうやって神の裁きを受けようとしているのか。おかしなことだ」
「くっ――!」
「答えは簡単だよ。お前が悪魔に魂を売った愚かな女だからだ。この魔女め」
長く足首まである黒い法衣をまとった聖職者はわざわざ膝をつき、私の耳元で囁いた。
それは迷いの無い一言。
信仰というものに心を奪われて真実を見失った、哀れな男の自信に満ちた一言だった。
しかし、と彼は何か迷ったように首をひねり思い出したかのようにはたと手を打ち合わせた。
「そうそう、彼もそろそろ王宮の中で処刑されるころだ」
「っ!」
「言わなくてもわかるだろう? あなたに唆され、暴竜の退治に失敗し、大河の氾濫を抑えることが出来なかった。あの愚かな第四王子ルイゼスのことだよ」
くっくっく。
気持ち悪い抑えたようなそんな押し殺された笑い声が、裁判官の喉の漏れ出て来る。
どっちが悪魔よ?
あなたの方がよほど悪魔らしいじゃない。
その一言を言ってやりたかったのに、発言しようと口を開いたら、いきなり出てきた別の手が私の口に何かを押し込んで黙らせてしまった。
それは多分、ボロ布か何かだったろうけど。
ひどく血の匂いと鉄臭い味がして、仲間たちの首をたたき切り、頭を砕いていたあの斧の血糊が拭き取られた布だ。
そう理解するまでに時間はかからなかった。
喉奥まで押し込まれたその布は息すらさせようとしてくれない。
抵抗して吐き出そうとして、吐き出すことができず、嗚咽のうめき声しか漏らすことを許さない。
頭の上から水をたっぷりと吸い込んだ布袋が被せられて、喉元辺りでそれはロープか何かによって締め上げられる。
唯一、呼吸することができた鼻が塞がれてしまい、さらにその上から誰かの手が意図的に押し付けられたことによって私の意識は数分で混濁した。
「もういいだろう。斬首してしまえ。全く汚らしい……窒息させると人間が汚物を撒き散らすというが、それは本当らしいな。二度と見たくないものだ」
「首吊りをさせてやったらそうなりますぜ。裁判官様」
「どうでもいい、さっさと斬首しろ。その首は、いつも通り王都の果てにさらしておけ」
「はいよ。じゃあ……」
はっきりとしない意識の中で聞こえてきたのはそこまでだ。
その後、ヒュっ。
そんな音がして、私の意識は真っ黒な闇の中に消えていった。
+ + +
「最後に見た景色を覚えているかい?」
真っ暗闇の中で迷っているといきなり光がさした。
目がくらんでこけそうになる。
思わず片手で明るすぎる光を遮ったら、そんな声があちら側から向けられた。
「景色? 何を言っているの? あなたは誰……?」
記憶の最後にあるのは死んだはずの自分だ。
もちろん意識はボロボロになっていて何も覚えていないと言った方が正確かもしれない。
はっきりとした意識の片隅に残っているのは、赤く。
オレンジ色で薄気味が悪いぐらいに巨大な太陽が、地平線の向こうに落ちて行こうとする光景。
それだった。
「面白いね。裁判官の足元とか、君の真横まで近づけられた彼の横顔とか。仲間たちの地面に落ちた無念の顔とか……ああ、この場合は胴体と切り離された首。そう表現したほうが的確なのかな?」
冒涜だ。
罪を償い死をもってこの世の全てから解き放たれた彼らに対して、この声の主。
まだ若い男だろうと思われた、彼の言うその言葉は死者に対する冒涜であり誇り高くも尊敬すべき仲間に対しての侮辱だった。
瞬間、それまでずっと溜め込んでいた負の感情が、ドロドロとしたどす黒い怨念とともに逆巻いて、心の奥底から吹き上げてくる。
それは怒りという名前の鮮烈な炎。
「ふざけないで! 彼らは、死をもってその罪を償ったわ! あの人たちは逃げることもせず、潔く死んでいった……」
潔く?
そんなはずがない。
そうやってしまったのだ。
この――聖女と呼ばれた私が。
「そうだね。君は愚かにも彼の裏切りを見抜けなかった。まあ、あんな男だ。いつ裏切ってもおかしくはなかった」
「誰のことを言っているのですか」
「君が最後に言葉を交わした男」
「……裁判官」
「そう、それだよ、それ。どうしてあんな男を信じる気になったのか」
「信じてなどいませんでした。神がそうせよとおっしゃったのです」
三か月前。
ルデノア神を信仰していた私が、大神殿のあるこの王国を隣国から訪れて、神の像の前で祈っていた時のことだ。
いきなり、ルデノア神から神託が告げられた。
それは大神殿を統括する神官長の口から直接、私に告げられた。
(お前が聖女だ。はるばる異国からの旅路、ご苦労だった。アネッサよ)
(えっ? 私が……聖女? どこでその名を知りましたか?)
その一言しか口をついて出なかった。
アネッサというのは、生まれた時に神殿から各個人に与えられる聖なる名前で。
それはどこかに出すべきものではなくて、親兄妹とそれを告げた神殿の関係者と、本人である私しか知らないはずのもの。
親兄弟はここに来ておらず、大神殿を巡礼するパックツアーに参加していたから、どこかから漏れるはずもない。
そんなわけであっけにとられた私に向かい、神官長は有無を言わさず神殿の奥に私を連れ去った。
それから一月ほどかけて聖女としての作法を学び、王侯貴族に挨拶を交わし、一番最初の大罪とされた『暴竜バルドの退治』に赴いた。
途中、神から啓示を受けたとして、多くの仲間たちが旅に加わった。
庶子として、王族の列からはみ出てしまった彼。
第四王子ルイゼスも、そのうちの一人だった。
暴竜バルドが舞い降りたブローデルの街にたどり着いた時、街ははひどい有様だった。
領主はどこかに雲隠れし、市民たちは竜の毒に倒れて動けなくなり、大勢の人々が飢えと冬の寒さに苦しんでいた。
「君と第四王子がしたことは間違ってはなかったかもしれないね」
思い出したくもなかった記憶の回想から、いきなり現実へと呼び戻される。
声の主は相変わらず強い光が向こうにいて、その姿は明らかではなかった。
「間違ったことをしておりません。備蓄されていた倉庫から食料を運び出し、軍隊が夜営などで使用するテントのほぼすべてを領民に分け与えました。それはあの、裁判官……ドルテも知っているはず。というか、彼が神託を受けたのですよ? 神より、そうしろと言われた、と」
「奇妙な話だ。どうして聖女に選ばれた君に神託が降りない?」
そう言われてうっ、と私は言葉に詰まった。
聖女にも神託は降りて来る。
正確には、聖女と神官の両方に神託が下る。
内容は同じもの。
一言一句変わらないそれは、二人が照らし合わせて間違いのない内容だと、世間に知らしめる必要があるから。
「あの時、私はまだ未熟でした。でも、同じようなイメージで神託を受け取りはしました。でもそれが、言葉として知らされなかったことは事実だけど……」
「なるほど、与えられたその役割に順応しきっていなかったという可能性はあるのか。ルデイアの愚か者め」
「……は? いま、なんとおっしゃられましたか? 我が主を、愚か者と?」
「そう言った。何か他の言葉に聞こえたか?」
信じられない一言だった。
神様のことを侮辱するなんて許されない、不遜だと言ってもいい。
そう思ったら、光の向こうにいる彼が誰なのかでも気になってしまってついつい質問をしている私がいた。
主を馬鹿にされた怒りも少しだけ――そこには出ていたかもしれない。
「あなた何様ですか! 我が主のことを愚か者呼ばわりするなんて、許されないことですよ!」
「……我が主、か。あんな目にあわされ、まだ信仰を捨てないとは。どちらが愚かなのか」
「なんですって!」
私が愚かなんじゃないあなたが愚かなんだ。
そう叫ぼうとしたら、帰ってきた返事があまりにも意外すぎて言葉を失った。
「私は奴のことをそう呼ぶことができる。あれを生み出した存在だからな」
「……どういう、意味ですか」
「そのままの意味だ。お前が信仰する神は私の息子だ、あれの父親だと名乗ってもいい。愚かな息子がお前に与えた悲しみをどうしても許せなくてな」
「嘘……」
信じられない発言だった。
私の信仰する神、水のルデノア神の父親は、その名をグランという。
グランとは王を意味していて、文字通りグラン神は神々の王様だ。
そんな偉大な存在が、こんな矮小な私の元にやってくるなんて、ありえない。
「信じないならそれでいい。だが、信じるなら詫びを受け入れてもらうことも可能かもしれんな」
「随分、上からの目線で物を申されますね。どんな褒美を与えてくださると言うのですか? 私と失われた仲間たちの命を元に戻してくださるとても? 汚された彼らの名誉を回復して頂けるとでも?」
「望むのであればその両方が可能だが。しかし、一度決まってしまった現実は覆すことはできない」
「ならば意味がないではないですか」
「名誉の回復は神託により、数百年の後に行うこともできるだろう?」
「……仲間の遺族がそれで納得するならば……人間は、数百年生きることはできません」
「それは確かにそうだな。死んだ時に生きている者たちに納得してもらわねばこちらも困る」
「あなたがどう困っても、私たちに関係はないわ。決まった現実を変えることができないのなら、どんな願い事も意味をなさない」
ほんの少しだけ光明が見えたと思ったらこれだ。
やっぱりこいつは悪魔か何かに違いない。
私の魂を弄び、絶望に悶え苦しむところ眺めて楽しむのだろう。
そう思っていたら、別の回答が出てきた。
「入れ替えることは可能だ」
「入れ替え? どういう意味ですか」
「文字通り交換するのだ。殺された、もしくは殺されてしまった者たちと同じだけの数の人間の命を、立場を入れ替えればいい」
「あの場にいた人数は、私を含めて十六人。処刑された人数を含めれば、百人はくだらないはず。彼だって……」
「ああ、あれか」
あれと言われてなんだか、ムカッとした。
私は聖女だったから、彼の告白を受け入れることはできなかったけど。
それでも、一月近くの冒険の間で育まれた友情はある意味、愛情といっても……。
「あれなんて言わないでください。彼は確かに盗賊騎士なんて不名誉なあだ名を付けられていましたけど。それでも誇り高き王族ではあったの」
「知っているよ。ブローデルの街の食料庫を開放した時、彼は王族の特権を使った。第四王子の名を使ったのだったね、そのせいで領主などから盗賊騎士などと呼ばれたことは知っている」
「それだけではありません。ブローデルの街は暴竜の肉体から生まれて出た毒に侵されていました。その効果を止めるにはあの街を焼くしかなかったもの……そうでなければ、あと半世紀は毒が街を侵して不毛な大地に変えていたでしょうから」
「それも、我が息子からの神託かな?」
「ええ……はっきりとした言葉にはできませんでしたが。あの裁判官はきちんと言葉にしていましたから。神託は降りたのだと思います」
「なるほど。では二番目の罪とはどうなのだ」
「? どうしてそんなことを、お知りになりたいのですか?」
神々の王ならば、そんな質問をしなくても全てを見て知っているだろうに。
怪しい。
やっぱり悪魔なんじゃないだろうか。
そんな訝しむ視線を受けてか、光の向こうにいる誰かは言い訳のような一言を放つ。
「認識の齟齬、というものがあるからな。受けた神託を都合よく理解して略奪を行ったのなら、それは罪だ」
「それも含めて、神々の王ならば理解していただかなければ困ります」
「当たり前のことを当たり前のように言うが、ここにいるのは私だけではない。まずはそれを理解してほしいものだ」
私だけではない? 他に誰がいると――その疑問に答えるかのように、いくつものまばゆい光が私の周囲で点滅した。
それはまるで、数多くの名も無き神々までこの場所にやってきているような。
無数の光が私の遥か前で瞬いていた。
「まさか。もしかしてこれは、我が主の断罪……裁判……?」
「おや? 聖女という名前は伊達ではなかったようだ。神といえども、必要以上の干渉は罪となる」
「それならば、私が口にできることは何もありません」
「どうしてそんなことを言う?」
「たとえどのような結果であれ、信じ奉った神を裏切ることはできないからです。それが人間だから」
光の向こうの彼はなぜか大きくため息を吐いて、それから嬉しそうに語りかけてきた。
「お前のような信徒を持ち、あれは何よりも救われたと言うべきだろうか。多すぎた地上への干渉も、最後は素晴らしい成果を残したと言うべきかもしれん」
「そんなことは私には分からないし、神々の世界のことは神々の世界で終わらせてください。人の世のことは、人の世で終わらせなければならないように」
「それを言うなら、聖女としてのお前を認めてしまった時点で神である我々の負けだ」
「勝ち負けの話をしているわけではないのですよ……」
どうも話が噛み合わない。
私の発言で主が裁かれるのであればそんなこと言えるわけないじゃない。
死んでいった仲間達をその名誉を回復できるならそれに越したことはないけど……でも、物事には優先順位というものがある。
仲間たちだって信仰した神が自分たちのせいで裁かれるとか。
誰も望まないだろうから。
「あの裁判官、ドルテと言ったか。あれの言葉しか、我々には伝わっていない」
「どういうことですか……?」
「必要以上の干渉が許されないということはつまり、こちらから遡ることができるのは決まった歴史だけということだ」
「まさか。歴史の中では彼の発言だけが残された……? じゃあ私たちの、二度にわたる神託の結果は? それすらも大罪とみなされているのですか? あれは欲深い領主と一部の民衆が結託して起こったことなのに」
「後世の歴史家は正しい評価を下していないようだ。まずは真実を知りたい」
「真実?」
何をもって真実と言えばいいのか。
語れることはたったひとつしかない。ついでに光の向こうの彼はひとつ最初の罪にこう付け加えて言った。
「ブローデルの街の市民が国外に奴隷として売られたという話も聞いたが?」
「それは間違いです。いいえ、ある意味では正しいですが間違いです」
「ではそこも含めて教えてもらいたい」
「……」
どう説明したものか。
奴隷として売られた領民?
それは仕方がない。だって彼らは暴竜の信徒になり王国を内部から荒らそうとしていた。
破壊と混沌と暴力が大好きな暴竜。あれを封印するのは痛かった。
全身、ハリネズミみたいな刃の雨に串刺しにされた。
彼も――第四王子もその攻撃を受けて片足を失った。申し訳なかった、あれを再生することが出来たのに彼はそれを拒んだから。
私はこれまで三度、死んでいるのだ
一度目は、暴竜を封印して最初の命を落としたからだ。
そして、私はそれから直ぐに神殿で転生を果たした。
王子の足を治さなかったのは彼の希望だった。
命を賭して暴竜を封じてくれた私への、感謝のしるしだという。
第四王子ルイゼスも最後は国民からは忌み嫌われてしまい、処刑を待つ身となってしまった。
それはテオ大河の氾濫が決定打になったみたいだけど。
「なるほど。言葉にしなくてもこちらに伝わることは理解してほしい」
そんなの、神々の暴力だ。
私は心で叫んでいた。知りたくもない、思い出したくもないようなことも、彼らに伝わってしまうなんて。
本当に神は私たちの味方なんだろうか?
「……言葉で会話をするのが人間というものです。勝手に記憶を見ないでください。神といえどもそれは、人に対する冒涜というものです……」
「なかなか強気な発言だ。気をつけることにしよう。では二度目は?」
「二度目は……」
またしても思い出したくない記憶が蘇ってきた。
大河の氾濫。
これは竜神様と我が主神の共同事業だ。
王国は肥沃な土地が少ない。
水はけはよすぎて、作物が育たないのだ。
そこで大河の底から泥を押し上げて作物が育つ土地にしようとした。
王国の、人が住まない土地を選んだんだけど、四回起こす予定だった最初の洪水で、なんと地表の薄い層に隠されていた砂金が漏れ出た。
「もう記憶を読まれたと思いますが」
「読んでいないことにしたいんだが、まあ読んでいる」
「でしょうね、あの砂金が全てを変えてしまったんです」
「人の欲望には限りがないものだと? いやいや、それは我ら神も変わらん。滅亡することを常に恐れている」
「はい? 神が滅亡? 意味が分かりませんが。とにかく……欲深い人間たちは、我先にとその砂金の所有権を賭けて土地を占領しようとしたのです。私や第一王子が彼らにどんな話をしても、神殿から神託がでても、彼らは無視した。いま目の前にある欲望を優先し……私たちは仕方なく、計画外の人民がいる土地に、洪水を流すことになりました」
「それは神託外の決断だと?」
「その通り、です……我が主と竜神様は最後まで迷われていたようです。でも自然には時期というものがあるので、大河の氾濫する時期は目の前に迫っていました」
「なるほど」
「はい。そして、神様たちは予定通りに大河を氾濫させました。しかし、砂金を探している王国の民を犠牲にするわけにはいかない。氾濫が起こり、なんとか民を先導して助けようとした第四王子は溺れた子供を救おうとして、左腕を失った……」
その頃、私は大河の氾濫する力を一身に受けとめて、人々が死ななくていいように荒れ狂う水を計画外の場所へと逃していた。
ごめんね、ルイゼス……大事な時に役に立たない聖女で。
思い出すだけで、己の無力さに腹が立ち、情けなさで涙が溢れそうになった。
「なかなか大変だったようだ。そしてどうなった」
「どうして、そう――語らせたがるのですか……逃がそうとした水の量と、荒れ狂う大河の力に抗いきれず、激流は低い土地に住んでいた人々に襲いかかった。全て私の無力が原因です。千人では済まない人が死んだのだとか。それも全部、私と彼のせいになっていると断罪される前に聞きました。でも、私が至らなかったのが全ての原因だと思います」
そして、洪水を人がいる土地に流した罪により、捕縛された私。
はあ、とため息を一つ。
神々の王グランは、同じようにため息をついていた。
なんだろう、これ。
まるでため息が伝染したように感じる。
「しっかりとした計画がない上に、そこまでしてくれた者たちをむざむざ殺しおって。あの馬鹿どもが……!」
「馬鹿、ども?」
「竜神もその片割れだ! なんと情けない」
「情けないと言われましても。神々が決められたことに人が口を挟むことなどできません」
「神は決めてなどおらん」
「は?」
どういうこと?
だって、あの時決定を下したのは――。
「お前たち人間の意志も少なからず含まれていたはずだ。未熟な少女の言語化できない神託という、都合のよいものを利用してな」
「あ……」
「思い当たる点はいくつもあるだろう。そうでなければ、二柱の神が力を貸してまで行ったはずのものが、こうも失敗するはずがない。王族も神殿も、お前たちを都合よく利用して己の私腹を肥やしていたのよ」
「そう、だとしても。今更何も変えることができないのでは?」
「ひとつだけ変えることができるものがある」
ひとつだけ?
仲間たちの名誉の回復?
それだけでも死んでいった彼らにとっては最高の手向けとなるかもしれない。
そんなことを考えたら、即座に否定された。
「そうではない」
「え……」
「彼はまだ死んでおらん。そこが狙い目だ」
「死んで……いない? でも、ここで会話をした時間だけでも彼は窮地に立たされているのでは?」
戻ってきた返事はたくさんの笑い声だった。
なぜ笑われてるのか分からず、腹を立てているとグラン神が静かにそれを説明してくれた。
「ここでの時間は地上におけるほんのまたたきの時間に過ぎない。一瞬、まぶたを閉じたくらいのその程度のものだ」
「だけど。私はもう死んでいます。自分の首が斬首される瞬間を、感じてしまったし……」
「どこまで戻せば全てを変えることができると思う?」
意地悪な謎かけだ。
さっき自分が言ったばっかりじゃない。
決まってしまった現実は変えられないって。
戻せるものなら、一番最初のあの時点。
聖女となったあの瞬間に戻してほしい。何もかもを否定してそのまま国を出て、静かに故郷で暮らしたい。
「それをするのはなかなかに難しい」
「さっきから難しい難しいばっかり。自分の子供がやったことなら親なら責任を取りなさいよ!」
と、言ってしまってから自分自身の発言に唖然とした。
神の王になんたる暴言を吐いてしまったのだろう、と。
変わらない現実ならこのまま死なせてくれたらいいのに。
光の向こうにいる彼等がいったい私に何をさせたいのか。全くもってわからなかった。
「どこまでが正しかったと思う?」
「おっしゃる意味がわかりませんが!」
「お前が見た神託の光景だ」
「……何もかもが正しかったと思います。ただ一番最初に言われたあの言葉。無実の罪を着せられて殺されてしまった百人近い仲間と、そんなふうに追いやった裏切り者たちを。その命を交換することができるなら、私は全てを失ってもいい」
「それはあまり賢くない一言だが。しかし、時間を入れ替えるということは多少可能だ。面白いくらいにな?」
「はあ? もうどうにでも好きにしてください。どうせ何も変わらないんだろう」
「ではそうすることにしよう。後から感謝しても知らんぞ?」
「感謝? こんなめちゃくちゃな裁判、何が感謝ですか」
文句を言い終わる前に、あっさりと場は閉じた。
再び私は暗闇の中に戻されて行き場のない怒りだけを抱えたまま、ずっとずっと。
彼のことだけを考えていた。
戻れるなら、戻りたい。
みんなが笑顔で周りにいた、あの時に。
泣き言ばかり考えていたら疲れてしまって生きていた時のようにふと目を閉じた。
+ + +
再度目を開けた時、そこには光が広がっていて私の隣にはあの男が。
裁判官が立っていて。
それは、処刑が始まる寸前のことで。
全員の罪を朗々と、裁判官が述べようとしていた、その時だった。
わあっという大勢の怒りの声とともに、市民の列を押しのけて彼らはやってきた。
目深にフードをかぶりマントを着てその下に鎧を着込み、盗賊騎士の名にふさわしく。
彼らは――私の仲間たちはこれから処刑されようとしていた十数人の仲間のためにこの場所になだれ込んできたのだと理解するまで、ほんの少しだけど時間がかかる。
理解したら、私の視線が。
必要以上に上げられない頭をどうにか動かして、最初に目に入った彼のことを追いかけた。
数百人に及ぶ仲間たちがマントとフードを跳ね上げて、腰や背中に背負っていた鞘から剣を抜くと、数十人しかいなかった衛兵たちに立ち向かっていく。
数の差は圧倒的でどうやってこれだけの仲間を集めたのかと思うくらい、彼は鮮やかに部下を指揮しながら、壇上に駆け上がってきた。
そして、そこから先は見えなかったけど。
大声で叫ぶ裁判官と、それの悲鳴と、市民から湧き上がった歓声と。
最後に、
「遅くなった」
一言そう告げて、目の前に現れた彼は失ったはずの腕も足もきちんと揃っていて。
私の枷を解くと何よりも大事なものを取り戻した。
そう言って私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「愛している」
その一言とともに、私達の新しい未来は始まった。