最終話 それぞれの幸せ
「ヴィンセント、もう逝ってしまうの?」
「……シャルロット。愛する其方を置いて逝くのは忍び無いが……すまない。あとのことは頼む。」
グベール帝国はヴィンセントが皇帝となってからも平和と繁栄が続いた。
皇帝ヴィンセントを献身的に支える皇后シャルロットと、皇后シャルロットただ一人を愛し大切にする皇帝ヴィンセントの姿は、帝国の民たちの皇族への憧れと尊敬の象徴とも言えた。
そしてその皇帝がまだ五十五歳の頃に病で儚くなった時、帝国は深い悲しみに包まれたのであった。
残された皇后は皇太子を皇帝へ即位させ、自らは上皇后となった。
その他の皇女たちは近隣諸国へ嫁いだり、残った皇子たちも皇帝を支えて平和に帝国を統治した。
上皇后となったシャルロットは、ヴィンセントが居なくなったあとも息子である新しい皇帝を精力的に支え、次の世代の帝国に不安がないように精一杯努めるのであった。
「イヴァン、喉が渇いたわ。」
「はい。シャルロット様。こちらをどうぞ。」
ヴィンセントより長く生き、六十歳となったシャルロットは病の床にいた。
イヴァンは七十歳となっていたが、それでも見た目は五十代でも通用するほど若々しく、それは猛毒を身体に宿すことが関係あるのかどうかは誰にも分からなかった。
「イヴァン、身体中がとても痛むの。もうあの薬も効かないようね。」
「シャルロット様。もう少し強い薬を試してみますか?」
「……いいえ。もういいの。息子たちは立派に育ったし、ヴィンセントは先に逝ってしまった。私は身体に病を抱えて毎日痛みと闘う日々。もう疲れたのよ。」
「シャルロット様。弱音を吐くなどシャルロット様らしくありませんよ。今あちらに行ったとしても、きっとヴィンセント陛下に追い返されます。」
そう言いながら新たに果実水をグラスへ注ぐイヴァンはやはり見目麗しいままであった。
そんな見た目で相変わらずな口調の従者にシャルロットはその瞳を細めた。
「イヴァン、私はもう十分幸せだったのよ。」
シャルロットの言葉にイヴァンは動きを止めた。
「貴方のおかげでとても幸せだったの。イヴァン、私の願いを聞いてくれないかしら?」
「……何なりと。」
シャルロットの美しい色彩の瞳がイヴァンの青紫の瞳と合わさった。
「私へ口づけを。イヴァン。」
暫く二人は時が止まったかのように動かなかった。
「イヴァン。お願い。」
「シャルロット様……。」
まつ毛を震わせてそこにキラキラとした雫が乗った瞼を閉じて、シャルロットはじっとしていた。
イヴァンはそっとシャルロットの華奢になった肩を腕で支えて、その顎を持ち上げた。
シャルロットの少しかさついていた唇は先程の果実水で濡れており、そこから小さな呟きが漏れた。
「ありがとう。」
イヴァンはその僅かに開いた唇に初めて口づけを落とした。
その刹那シャルロットの身体は脱力し、イヴァンは寝台へその身体をそっと横たえた。
「シャオリン……シャルロット。」
イヴァンの青紫の瞳からは透明の熱い雫が零れている。
寝台のシャルロットの顔はとても穏やかで、口元には微笑みをたたえていた。
ここは教会の地下にあるグベール帝国の皇族墓地。
上皇后シャルロットの墓石の前には時々美しい花が手向けられている。
それが、シャルロットの忠実な従者であったイヴァンが手向けているのかどうかは分からない。
シャルロットが儚くなってから、誰もイヴァンの姿を見た者はいないからだ。
幼い頃に身体に毒を宿した少年と幼女は、二人とも幸せに生きることが出来た。
彼等はお互いが半身で、なくてはならない存在であった。
その感情は、恋とか愛とかその他人間が持つそのようなものを超越したもので神々しくもある領域である。




