55話『何事もなくてよかったわ』リル視点
ライラ博士たちが到着してから続いていた研究作業は、予定通り2日目の夜に後片付けをして翌日持ち帰ることとなった。
傷んでしまいそうな残っていた血液や内臓に関しては、取り出して保存用の箱にしまっている。
膜の張ってあった荷馬車には一応保存結界が張ってあり、気温がそこまで上がらないこの地域でも、普通に運ぶよりは劣化を抑えられるようになっている。
「どうにかひと段落つきましたねぇ。これで領都のほかの研究所にも回せますよ」
「ミラス博士のところで全部やるわけじゃないのね?」
「えぇ。私たちは一応領主直属の研究所扱いになっていて、このように一足早く見させてもらえるのですから、出来る限り状態のいいように保存して持ち帰り、ほかの研究所の意見もきいておきたいのですよ」
「保存状態のいいものを回してくれる、研究内容を独占しない、この2つが大きいからかほかの研究所も特に何もいってこないのよね」
と自分の道具の後片付けを終えたライラ博士が会話に加わってきた。
「でも研究者としては少しでも早く見てみたいんじゃ……」
「普段こういうことになっても、討伐から2、3日後から研究開始なんてよくあることだし、きちんと保存したものを回してくれるならそれでいいんじゃないかしら?」
「この研修所が出来立て頃は、なんでここばかり先にとか、例の形だけのって悪い噂のせいで入りそびれた人が一気に押し寄せたりしてましたよ」
「それでも所長が『これ以上はまだ増やせない、代わりにきちんと保存したものを持ち帰った際には、ほかの研究所に我々の大まかな研究成果のメモを添えて回す』って公言してからは大人しくなりましたよね」
「まぁ渡す研究成果はほんとすぐに見つけられるようなものばかりで、大事な部分はほとんど教えてませんけどね」
「そうしないとうちが研究資金がもらえないでしょ」
「それでも独占するよりは減ってるから、ほかの研究所も文句の言いようがないんでしょうね」
「なるほど」
「ちなみに、当初逆恨みで悪い噂を流していた研究員たちは、ほかの研究所からも相手にされなくなって領都から去りました」
「それはそうでしょうね……」
「今となっては領都にある研究所のほぼすべてが競い合いこそすれど、協力的にまとまっているのでいい関係を築けているとは思いますよ」
「それはいいことだわ」
「さて、片付けた道具は朝すぐに積み込めるようにまとめておいてくださいね」
「わかりました」
そう言うとミラス博士も自分の道具を入り口付近の邪魔にならないところにおき、ライラ博士の分も運んでいた。
ブルーワイバーンの死骸はマジックバッグにしまっているより、ギリギリまでここに置いておいた方が劣化しなさそうなので、荷馬車に移すときだけ入れるようにした。
後片付けが終わった後慰労会という形で、研究所のメンバーと護衛していたカーウィンに剣士を加えて夕食をとることになった。
と言ってもミラス博士に加えてライラ博士もいるためいつもの食堂ではなく、ギルドの大部屋に料理を運び込んで行うことにした。
「それではみなさん、2日間お疲れさまでした!」
ミラス博士の言葉を皮切りに、それぞれがお酒や飲み物入ったグラスを掲げた後、ワイワイと食べたり飲んだりし始めた。
「フフフ、そんなに緊張しなくていいわよ。ほら、あの子たちを見てごらんなさいな」
別室での貴族を交えた食事ということに緊張していたカーウィンに、ライラ博士が声をかけて研究所のほかのメンバーを見るように促す。
今回来ていたほかのメンバーは貴族ではないのだが、特に緊張したような様子もなく、家族や友達と食事するように普通に飲食して楽しんでいた。
「私たちがいるからといっても、作法などを気にすることはありませんよ。この間の食堂のような感じでかまいません」
ミラス博士が微笑みながらカーウィンにそう告げる。
「いやぁ、今思うとあの時も食堂で食べたのはまずかったのかなぁと……」
「はっはっは。何も問題はありませんよ。私は研究者であなたはハンター。仕事は違えど一緒に食堂で食事をしていて何も問題はないでしょう」
「いやまぁ……そうだな……」
貴族の安全を考えるとあまりよろしくはないのだけれど、今回ずっと警護もしてくれていたカーウィンも一緒だったし、なにより博士自身は戦闘は得意ではないと言っていたが、研究のために戦闘面で秀でている父親と狩場に向かえるということは戦闘自体もちゃんとできる。
それにこの町には多少気性の荒いハンター達もいはするが、だれかれ構わず突っかかるような人はいないし、ほかの町と比べても平和なのだ。
しばらく話しているとドアがノックされて、ギルドの隣の食堂で給仕をしている娘が追加の料理を運んできてくれた。
研究所のメンバーは作業中は食べる量がそこまで多くなくそれに合わせて用意していたが、その時は研究優先だっただけなようで普段は人並みにきちんと食べるようだ。
それはミラス博士にも当てはまり、大柄な体格相応に食べるようなので追加の料理を頼んでおいた。
「お、お待たせしました。角イノシシ肉と角狼肉を焼いたものと付け合わせのサラダです」
給仕の娘も普段の態度とは違い、若干緊張はしているようだった。
「ありがとうございます」
ミラス博士はお礼を言うと、それぞれの肉を少しづつ皿にとってすぐに食べ始めた。
「おぉ、これはおいしいですね。研究するために野営もするので臭みとかも平気な方なのですが、ほとんど臭みがない。時間をかけて下処理をしっかりしているんですねぇ」
「あ、いえ、処理自体は焼き上げる少し前です」
「なんと! 焼き調理でここまで臭みを抑えるのには時間がかかると思っておりましたが……」
「そうなんですよ、今まではもっと時間がかかって大変でした……臭みが平気な方も多いのであんまり気にしてなかったのですが、ごまかすための大量の香辛料とかも必要なくなるし、その分ちゃんとお肉の味が感じられるのでおいしいんですよ!」
先ほどお礼を言われたときはほとんど言葉がでず、慌ててペコリと頭を下げていただけだったが、料理の話になってつい口から出てしまったようだ。
「そうでしょうねぇ。何か秘伝の調理法でも編み出したのでしょうか?」
「いえ、この間カーウィンさんに教えてもらった臭みを取る方法です……ね……あぁ! し、失礼しました!」
「いえ、何も失礼はしていませんよ。それより聞いていい内容であれば教えていただけますか?」
自分が話している相手の肩書を思い出して萎縮してしまうが、給仕に対しても丁寧な言葉で話すミラス博士に言われてその方法を教えていた。
「なるほど……あの薬草にそのような効果もあったのですねぇ……植物の研究もしているのに、そのような使い方は思いつきもしませんでした……カーウィン殿はどういった経緯でこのような使用方法を?」
話の途中で呼ばれたカーウィンは返答に困っていたが、周りをちらっと確認して「例の彼女から教わりました」と怪しまれないようにかつ、周りには極力聞こえない程度の声量で話していた。
「なるほど……彼女からでしたか。これはまた色々お聞きしたいことが増えましたねぇ。ハッハッハ」
と笑うミラス博士にライラ博士が近寄っていき「わたくし以外の女性のお話ですの?」と詰め寄り、ミラス博士は慌てていた様子だったが冗談だとすぐに察して笑いあっていた。
無事慰労会も終わった翌日、荷物を積み終えた博士たちは領都へ帰ることになった。
博士たちもマジックバッグは持ってきているが劣化は避けられないため、移動中は簡易ではあるが保存結界の張ってある荷馬車に出して運ぶようだ。
「それではお世話になりました。お礼は後日改めてお送りしますね」
「えぇ、わかったわ。お気を付けて」
「優秀な護衛もいるので大丈夫ですよ」
「その優秀な護衛を置いて単独行動は控えてくれるとありがたいのですが……ミラス様積み荷の確認終わりました」
護衛の剣士が苦笑しながらいつつ、荷馬車から降りてきて準備ができたことを告げる。
「それでは出発しましょうか」
そう言うとミラス博士は来た時と同じように自分の馬にまたがる。身体の大きい自分が乗るとほかの人が窮屈になるという理由で、自分の馬で帰ることを選んだようだ。
「それではギルドマスター殿カーウィン殿、いずれまた。ミリー殿の件も事情は分かりましたので、心配しなくてもいいですよ」
後半は私たちにだけ聞こえるように告げると、馬車の後ろについていく形で帰っていった。
「ふぅ……何とか終わったなぁ」
と伸びをしながらカーウィンが息を吐く。
「えぇ、何事もなくてよかったわ。ライラ博士も来るとは思わなかったもの」
「夫婦そろって研究者気質だったんだな」
「そうねぇ。領都に行ったときに顔は見たことあったけれど話したことはなかったし、ミラス博士からもきいてなかったから驚いたわ……」
「ミリーの件もうまく伝えられたようだし、ブルーワイバーンの死骸も引き取ってもらえたし、とりあえずやることは終わったな」
「あ、そうだ。あなたの警護の報酬は領主様から出るようになってるから、依頼は終わったんだし取りに入ってね」
「了解。さて、警護で街にいっぱなしだったから、今日は森にはいるかなぁ」
「あ、それなら角イノシシメインで狩ってきてくれるかしら? 牙と肉の依頼が来てたのよ」
「了解了解。牙ってことはある程度大きさの指定もあるのか?」
「まぁ一旦中に入ってから説明するわ」
「それもそうだな」
カーウィンを連れてギルドに戻り、報酬の件と昨日新しく来た依頼の件の説明をすることになった。
まだ朝早いため、準備をゆっくりしてから森に入ると言って一旦自宅へ帰っていった。
――ふぅ。私もまたミリーの所に持っていくお土産とか考えなくちゃ。
一息ついてから今朝来た書類等を確認するためにギルドマスター室へ上がり、ミラス博士がいる間はほとんど一緒にいたため少しだけ溜まっていた仕事を済ませようと取り掛かった。




