居場所
俺がここにいる意味とは何だろう。いなくなって、そのことに気付く人はどれくらいいるのだろう。きっと、思っている以上に少ない。だって、みんな自分のことで精一杯だから。
「おっす。ちょっとノート見せて。ついでにテスト範囲も。」
「お前、ちゃんと起きとけよー。」
「そんなんじゃ、東大行けないぞー。」
「塾で勉強してるからいいんだよ。目指すは赤門だぁ!」
大して仲良くもないくせに、テストやノート提出があると急に親しくなるクラスメイト。
「購買行こうぜ。焼きそばパン売り切れるぞ。」
「あ、今日、昼練なんだ。悪い。」
「そっか。頑張れよ。」
「おぅ! ありがとな!」
将来に夢を持って、部活に打ち込む友人。
「何見てんの?」
「大学のパンフレット。専門学校の方が安いんだけど、親からは金出すから大学行けって言われてんだよ。」
すでに先を見据えている同級生。
「でもなぁ、大学行けるだけの頭がないんだよな。お前はいいよな。頭良いからどこでも行けるだろ。」
「……どこにも行けないよ、俺は。」
「何か言った?」
「なんでもない。」
みんな、どれだけ現実離れしていようとも未来を見ている。俺だけが何もできずに立ち止まっている。置いて行かれる。
でも、やりたいことなんてない。やるべきこともわからない。誰か教えてはくれないか。俺は自分がどうしたいのか、わからない。
家に帰ると明菜が車に乗り込んでいるところだった。
「どっか行くの?」
「うん、ちょっと。あんたも行く?」
「いや、いい。」
「晩御飯までには帰るからって言っといて。」
「自分で言えよ。」
助手席には綺麗な包装紙に包まれた四角い箱が見えた。この人にも大切な誰かができたのか。みんな、どんどん大人になってゆく。
「おかえり~。」
リビングにはテレビをつけながら雑誌を読んでいる母がいた。どこに目、ついているんだ?
「姉ちゃん、晩飯までには帰るって。」
「聞いた聞いた。」
なんだよ。言ってんじゃん。
「来週は大輝が帰ってくるんだって。どうせなら2人いっぺんにしてほしかったな。」
自慢の息子が帰ってくることが嬉しいようだ。それもそうだろう。兄の大輝は難関国立大学の医学部に現役で合格、国家試験も難なくクリアでエリート街道まっしぐらだ。兄弟なのに天と地ほどの差がある。
「大輝は医者、明菜はホテリエ。弘人は何になるのかな。」
母にとってはただの会話のはずだろう。けれど、俺にとっては脅しに聞こえた。
「……何かにならなくちゃいけないの……?」
「なんか言った?」
「……勉強するから、部屋入ってこないで。」
「なら、ご飯できたら呼ぶね。」
テレビからはまるで俺のことを笑っているかのような甲高い笑い声が聞こえてきた。逃げるように、二階にある自分の部屋へと駆け込んだ。
いくら自分が嫌だと思っても、時間は刻々と進んでゆく。何も目標がないまま、生きる意味すら見つけられないまま体だけが大人になってゆく。
俺は何故ここにいる。何のために生きている。
誰か教えてくれ。
少女がいる。またあの夢か。
「あ、サトシくんだ。」
振り返った彼女は満面の笑みを浮かべた。
「誰それ。」
「だって、自分のことわかんないんでしょう? だから、見た目から名前を付けてみたの。誰かに似てると思って。そしたら、昔見てたアニメの主人公だぁって思い出して、その子の名前がサトシくん。」
何も思い出せないが、自分の名前がサトシではないことはわかる。が、面倒なので訂正しないことにした。
「もしかして、もう夜になっちゃった? ここずっと夜だから時間の感覚わかんないんだよね。」
そう言いながら、シャボン玉を吹いている。色のついたそれは空高く登ってゆき、やがて夜空の星となった。相変わらず不思議な夢だ。
「まだ晩飯食ってないんだよな。」
あ、そうだ。俺まだ晩飯食ってない。
「お? さてはさては、思い出したか?」
いや……晩飯のことしか思い出せないな。
「昼寝、か?」
「覚えてないんかい。」
こ、これはこの前の『ノリ』というやつか……?
何かした方がいいのか悩んでいると、彼女は続けて話した。
「疲れてたの?」
「さぁ? でも、そうかもな。」
「よしっ。そんなサトシくんのために魔女さんがまたまた魔法を見せてあげよう。」
いつの間にかシャボン玉は消えていて、彼女は気合を入れるように腕まくりをした。
また飛ぶのかと身構える。
「今度は飛ばないよ。何もないこの更地を、息を呑むほど美しいお花畑に。」
彼女が手を握り合わせると、彼女を中心に色とりどりの花が咲き始めた。赤、青、黄、白……金や銀の花も咲いている。そして何より、一つ一つの花が自ら発光しているのだ。まるでLED電球。
「綺麗でしょう。覚えてるのと想像で作ったのがあるから、現実では拝めないぞ。」
「どうやって光ってるんだ……? LED?」
「ちょっと、サトシくん? 夢を持ちなさいよ、夢を。これは魔法なんだからLEDなわけないでしょう。」
大きなため息をつかれた。
「ここは夢の中だけど。」
「……あなた、顔はいいけど絶対モテないでしょう。」
「思い出せないだけで、現実はモテてるかもしれない。」
「そう言う人はモテないのよ。知らないの?」
「いいや、モテてた。絶対モテてた。」
「モテない。」
モテた、モテないの掛け合いが続き、どちらからともなく笑った。
「で、何の話してたっけ?」
「忘れた。あんたが変なこと言い出すからだ。」
大して面白くもないはずなのに、顔が緩んで笑ってしまう。
「いつまで笑ってるの?」
そういう彼女もずっと笑っている。
「なんだか楽しくて。誰かとこんなに言い合ったの久しぶりだなぁ。」
言い合いにも入らないような些細なことだが、何も気にせず思いをぶつけられる場所ができた気がした。
「好きだな、この場所。夢を見られる。俺が考えもしないようなことを、あんたは考えて見せてくれる。楽しい。」
「お気に召していただけましたら幸いですわ。」
「誰だよ、それ。」
「マダムの真似。いつでも来てよ。私も退屈しのぎになるし。どうやって来てるのか知らないけど。」
「それ思った。二日連続同じ夢ってすごいよな。どうなってんだろ。」
うーん、と考え込んだ彼女は、人差し指をピンと立てた。
「……私の魔法で呼び寄せてるのかな?」
想定外の答えに鼻で笑ってしまった。
「ははっ。非現実的な妄想だな。」
「理屈っぽい人はモテないんだよ。」
「また始まった。」
どこからか声が聞こえる。空が白けだし、辺り一面が眩しい白に染まってゆく。
「朝だ。これって目が覚めるときに朝になるのか?」
何気なく聞いたことだったが、彼女の顔からは笑顔が消えた。
「……私にはずっと暗い夜のままだけど。」
そこで夢は終わった。
「ひ~ろ~ちゃ~ん。おっきしましょうね~。」
人を小ばかにしたような声で目が覚めた。体が痛い。机に突っ伏して寝ていたようだ。
「あ、やっと起きたぁ。もう、ひろちゃんったらいくら声かけても起きないんだもん。お姉ちゃんがかわいくしてあげましたよ~。」
ほら、といって渡された鏡を見ると、上の方の髪の毛を二つに結ばれている自分がいた。
「……ご苦労様でーす。」
姉よ、何してくれてんだ。とは言わずに髪ゴムを取る。大事な髪の毛が一本抜け落ちた。
「ちぇっ。なんか反応してくれてもいいのにさ。ノリ悪いわね。もうご飯できてるよ。」
明菜はさっさとリビングへ移動した。俺も行こう。
眠ったことで少しは落ち着いたようだ。なんだか少し、軽くなった気がする。