深海からの物体
「ミュゼの言った通りだ。萌えはギャップだ!ギャップにこそ萌えがあるのだ!これでダレンとの距離を縮めようぞ!」
ダレンはニッケの言葉にピタッと動きを止めた。
そして訝し気に自分の腕の中のニッケを覗き込み、それから俺に眉根を寄せた顔を見せつけて来たのだ。
「ハルト、どうしよう。ニッケが本気で混乱している。モエ?ギャップモエ?意味の分からないことを言い出した。」
俺はダレンに彼がミュゼとの親密度が低すぎる事を指摘するべきか、俺もニッケもミュゼに影響され過ぎていると認めるべきか、ほんの少し躊躇した。
「うははは。これじゃな。カッコいい奴が可愛い。ミュゼがハルトの事を言っていた通りじゃ!ギャップにきゅんと来るとな!」
ミュゼが俺にきゅんとするだと?
俺が格好良くて可愛いから?
それを知れた事で、俺は、全面的にニッケの味方になろうと誓った。
しかしミュゼとの親密度がいまいちなダレンは、完全に無表情な真面目な顔を作るや、すぐにニッケをぽいっと腕から放り投げてしまった。
「おおう!」
「おい、ニッケが可哀想!」
放り投げられたニッケは風の壁に巻き込まれて俺達の周りをぐるっと一周したが、彼女がぽろっと落ちてきた時には俺が彼女を受け止めていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ。お主の事はミュゼに良いように伝えてやろうぞ、なあ。」
「恩に着ます。ニッケ様。」
「いい加減にしろよ!お前!演技かよ!俺は本気で心配してやったというのに!」
「う~わ!お前こそ本気だったのかよ!」
「お前らああああああ。俺と同じにいいいいい、してやるうううううううう。」
俺こそダレンに叫び返していたのだが、そんな俺の声に重なるようにして、幽霊の恨みの叫びが室内を切り裂いた。
幽霊に重なるようにして、オレンジ色の繋ぎを着た五人の仲間に押さえつけられ、ミシンで針を突き立てられて縫われる幽霊の過去の映像が見えた。
「馬鹿者が!お前をそんなにした奴らに化けて出ろ!」
脅えたふりをしていたニッケは、ダレンに放りだされた鬱憤をぶつけるがごとく、全くの正論を幽霊にぶつけた。
けれど、目の前の幽霊は、囚人仲間からのリンチを呼ぶ罪を犯した囚人でしか無かったようだ。
ニッケの姿を目にするや、好色そうに顔を歪めた。
「いひひひ。引き裂いてやる。可愛い女の子は柔らかいゴムまりの感触で、熟れたてのメロンみたいにジューシィだぁ。ああ、美味しそうなおんなのこだあ。いらない男達を壊したら、お前は時間をかけて食べてあげるよぉ。」
ニッケはすっと真顔になると、俺の腕からぴょんと飛び降りた。
「ニッケ。」
「ハルト、風を止めてくれ。」
俺の風が止むや、彼女は天に向かって両手をあげた。
室内でしかないけれど。
そして、彼女の国の神様らしき者に呼びかけた、のである。
「海の底、暗黒なる世界の王よ!次代のトゥルカン王の呼びかけに応え、この悪辣な魂をその世界に導き給え!」
「おい、暗黒って!海の底って!」
ガラガラ、ガッシャーん。
外で雷が落ちた音が響き、俺達の床もびりびりと震えた。
うわ、外がなんか暗くなっていないか?
「ハルト!俺の息が白い!」
「俺の吐く息も白いよ!」
俺とダレンは無意識に後ろへと下がり、無意識のまま体を寄せ合った。
薄暗くなった室内なのに、幽霊の足元に出来た影は真っ黒だ。
真黒な影はごぼりと濁った音を立て、腐った海の潮の臭いが辺りに充満した。
真黒な影が吐きだしたのは臭い匂いだけでは無かった。
白く色が抜けたタコ足の様な触手が、ぬうっと三本突き出したのだ。
幼女惨殺魔だったらしい幽霊こそ脅えた顔を俺達に晒した。
タコ触手は食虫植物が蠅を掴むようにして幽霊を掴むや、再び、今度は目にもとまらぬ速さで真っ黒い影の中に消えた。
「う、うお、あ、あ、あああああああああああああああ!」
俺とダレンは、ニッケに召喚されたもののおどろおどろしい存在感に、今や完全に脅え切り、情けなくも抱き合っていた。
影が消えれば、辺りは再び明るさを取り戻し、幽霊の存在さえも幻だったと錯覚できる、空気さえも清浄なものに戻っていた。
そして、呼び出してはいけないっぽいものを呼び出した姫は、頑張りましたというふうな笑顔を俺達に向けるや、わざとらしく額の汗を拭って見せた。
「やれやれじゃな。怖くて漏らしそうだったぞ。なあ!」
「お前の方が怖いわ!」
「ぜったいに絶対、お前となんか距離縮めねぇ!」
「ひどいぞ、おぬしら!お前らもキャスパーさんで海底に沈めるぞ!」
※ニッケが召喚したタコのお化けはクラーケン様ではありません。
2016/3/7にハワイのネッカー島沖合の深海で見つかった新種タコらしきもの。
愛称:キャスパー さん です。




