腕枕と見舞客
右手首と右膝の複雑骨折により、私は全治一か月の重傷だった。
軍部の偉い魔法療養士が直々に来て、私にヒールを施そうとしてくれたが、私はそれを丁重に断った。
両親は勿論母方のセンダン一族も、今すぐに私を隣町か首都のどこかに避難させたい気持ちであり、軍部の治療の申し出には一も二もなく受けいれようとしたが、私は一か月もこの町に残れるならばとヒールを断った。
だって、ハルトも実は一週間は病院に缶詰めなのである。
母は私の恋心を受け入れて笑って許してくれたが、父は私の体の方が大事だと言ってハルトに関して怒り狂ってしまった。
でも、言えはしないだろう。
軍部こそが怖いって。
「ごめんなさい。あなたのそばにいたいのは私の本気の真実だけど、全部あなたのせいに思われちゃったでしょう。父や親族があなたに辛く当たっていない?大丈夫?」
ハルトは隙があれば自分の病室を抜け出して、私のベッドの枕元に置いてあるパイプ椅子に座ってくれる。
彼だって体が痛くて辛いのに。
そして、今日も私の怪我をしていない左手をぎゅっと握って微笑んでくれた。
ああ、黒ずんだ左目、ジュールズに殴られて眼底骨折した目に笑顔が響いたのか、彼の笑顔はすぐに歪んだ。
「ああ、笑わなくていい。あなたこそ痛いでしょうに!」
「大丈夫だって。ハハハ、小うるさく心配してくれるのは嬉しいけどね。」
「小うるさいって。」
「ハハハ、怒りんぼ。俺は君のその百面相が好きだ。それからね、俺のことは気にしないでいいよ。俺も君以上に軍部が怖い。何も悪くない同級生の不幸を知ったらね、怖いどころじゃないよ。」
ダレンが一歳年上だって初めて知った。
ハルトが言うには、ダレンも最初の年に特待生の招致を蹴ってジュリアーニャ音楽院に進み、そこで暴漢に姉のダニエル共々襲われて音楽家になる夢を頓挫させられたのだという事だ。
セリアとアーサーの悲恋物語も、セリアが特待生の招致を蹴ったからこそ起きたのであり、私やハルトが交信した相手、アーサーは、軍部が特待生達を殺そうとしている真実に気が付いていた、という事だ。
そこで私が見た記憶、紺色の呪いで操られた母親に殺されたアーサー、という結果に結びつくのだ。
真実を知って動いた者も殺される、と。
ぞくっと震え、私の震えをハルトは誤解した。
「痛みが?看護師を呼ぼうか?」
私は元気な左手をハルトの手から剥がすと、自分の掛け布団を持ち上げた。
「寒いみたい。あなたは椅子だと辛くない?肋骨も骨折しているのでしょう。」
ハルトは豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔を私に数秒見せたあと、ぷっと大きく吹き出した。
「なんだか、ミュゼは時々お母さんみたいな振る舞いをするね。」
「もう!でも、痛み止めが欲しいなって、あの。ハルトが隣に入ってくれた日はすごく、ええと、落ち着いたから。」
あの日、私の乗っていた最初の救急車は横転した。
私は二台目の救急車で搬送されるという、前代未聞の救急患者だったのだ。
付き添いで救急車に乗っていたハルトは、その横転事故で肋骨骨折の重傷だ。
両親が面会時間が終わったからと病院に追い出された後、一人になった私自身は第二の襲撃があるのではと、二台目に乗っていなかったハルトこそ大丈夫かと、看護師に叫んで暴れていたのだ。
そこに現れたのがハルトだ。
看護師が私とハルトを二人きりにしてくれたのは、ベッドの上で暴れていた私がピタリと動きを止め、そして私達二人が何かが出来る状態ではないと判断できる大怪我人だったからであろう。
実際に何もできないが、何もできない満身創痍の彼だからこそ、看護師たちが消えるや私のベッドに潜り込んでくれた。
男の人に添い寝される。
腕枕という生まれて初めてのシチェーション。
ええ、腕枕がそんなに寝心地の良いものじゃ無いと分かったのは残念なことかもしれないが、大好きな男性の体が横にあるのがこんなにも安心感や幸せを生むものなのだと私は初めて知ったのだ。
もう一回を望んでしまうのは仕方ない、わよね。
しかしハルトは顔が痛いのか、はあと大きく溜息をついて顔を両手で覆った。
「ごめんなさい。自分の事ばかりね。キスしたいとか、あなたを抱きしめたいとか、そんな事ばっかり考える私こそふしだらね。」
ぐほっ。
ハルトは急に咽せ始め、椅子の上で二つ折りになってしまった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないから、そこで休む。」
私のベッドの左側が大きく軋み、私の横にハルトの大きな体が滑り込んで来た。
ハルトは当たり前のようにして右腕を私に差し出し、私は彼の右腕に当たり前のようにして頭を乗せた。
「ああ、幸せ。」
「キスしていないからまだ幸せ言うの中止。」
私達は笑いながら唇を重ね、私の唇にハルトの舌が入り込んだ事で私は反射的に彼に腕をまわしてしまった。
怪我をしている右腕で。
「痛った~い。」
「バカ。」
「でも、あなたを抱き締めたかった。」
「じゃあ、もう一回。」
私達は笑いあい、互いの鼻を擦り付け合った。
なんて幸せな時間だろう。
私はハルトの唇を舐め、するとすぐにハルトの唇が私の唇を覆った。
あの夜から、私達は何度口づけているのかしら。
そして、何度口づけても私のドキドキが収まらないのはなぜかしら。
「ふふ。幸せだわ。」
「看護師に見つかる度に、俺は怪我が増えていきそうだけどね。」
「またジュールズに殴られたりしたの?」
「いいや。あいつは、……優しいよ。あの場で俺を君の付き添いにするために俺を殴って見せたのだから。そして、殴ってすっきりしたからって、君との婚約を取り消してもくれただろ?畜生、いい男すぎて腹が立つ。」
「ハルトったら。あなたこそ優しいわ。全部悪者になって、ええ、あなただけが責められているじゃないの。私があなたを愛したばっかりに。」
彼はニッケみたいな笑みをにやっと作ると、私の顔に垂れた前髪を摘み、その髪を私の右耳に掛けて撫でつけた。
「ウサギさんみたいなふわふわな髪の毛。俺は一目見た時から、君は何て可愛い女の子なんだろうと目が離せなかった。どうしてお祖母ちゃんみたいな水着を着ているのって、俺は君を追いかけちゃったんだ。自分が自殺しようとしていた事を忘れてね。君のへたくそな歌は俺を久しぶりに笑わせてくれたんだよ。」
私は酷いと言って笑いながら、ハルトの抱いていた喪失感を思った。
彼だって魔法特待生なんかになりたくなかった人なのだ。
「あの歌を歌って。あのへたくそな歌。下手くそ過ぎて何の歌か俺は未だにわかんないという不思議な歌じゃないか。」
「そんな下手くそ下手くそ言う人に歌いませんよ。それに、ハルトこそ歌ってよ。私ハルトが歌うの聞いた事ない。」
「ば、ばか。俺は肋骨が折れての絶対安静な――。」
「絶対安静な人はベッドに戻りなさいな!」
エルヴァイラの怒声が病室に響き、私は天井に貼り付けられていた。




