ホテルのバスルームは何かがある
ホテルのバスルームは建物の外観が白くてそっけない事を忘れるくらいに、彩があって手の込んだものだった。
トルコ石色に塗られた壁の上部には黄色の帯が一本走っていて、その帯の中には蔦と小鳥が描かれている。
白いシャワーカーテンに半分隠されているバスタブは、真っ白だが、固定式のシャワーの管や蛇口はアンティックゴールドに輝く何かの植物っぽい。
そして、泣いたばかり見たいな真っ赤な鼻をした私を映す鏡がある洗面台は、バスタブのアンティークさを笑うかのように、いや、その雰囲気を壊さないぐらいに高級感があって(この世界では)最新型だった。
「ひどい顔。」
大きく鼻をすすると、頭に手をやって、そこにいるウミウシを手に取った。
そして、私の傍にいるせいでシオシオに萎れてしまうことになったその子を、ジュールズが汲んで来てくれたグラスの中、安っぽい小さなグラスは大理石風に洗面台には場違いだったが、その中にポトンと落とした。
花びらのようなヒレを持ったそれは萎んでいたが、海水に浸かるや水中花の様にヒレを開いてグラスの中で舞って見せた。
「ありがとうな。アオミノウミウシ様は優しいミュゼが大好きになったらしいぞ。なあ。」
「ニッケ。嬉しいわ。私は誰かを傷つけるばっかりだから、ウミウシ様に喜んでもらえて本当に嬉しい。」
涙が溢れ出て、私はそれを手の甲で拭っていた。
ジュールズの事は家族として昔から大好きなのだ。
でも、私は叶わない恋だと思っていても、ハルトに恋する自分を止める事が出来ないのである。
「ミュゼ?」
「うん。大丈夫。」
私は水着を全て脱ぐと、シャワーの蛇口をひねり、固定されたシャワーヘッドから流れる温かで綺麗なお湯の中に身を投じた。
ガビガビになった臭いものが自分から剥がれ落ちていくのは、どんなに落ち込んでいても気持がいいものだ。
私は、ほう、っと息を吐き、ホテルのシャワー室というシチェーションのホラーがあったなと、この世界は70年代から80年代にかけての舞台装置なせいかそんなホラー映画が嵌るな、なんて、いつもの癖で考えてしまった。
ちゃんと最後まで落ち込めないから、私は前世でも今世でも、まともに人づきあいが出来ないのであろうか。
何気なしに真っ白のシャワーカーテンを見つめた。
映画ではシャワーカーテンからナイフが突き出す。
ナイフは突き出さなかったけれど、薄いシャワーカーテンの向こうに誰かが立っているという人影があった。
「ジュ、ジュールズ?な、何か、忘れ物かしら?」
ガシャン。
乱暴にシャワーカーテンは引かれ、私は悲鳴ではなく息を飲んでしまった。
人は本気で驚くと声が出なくなるって本当だ。
ハルトが私を見ている。
いや、何かを言おうと大きく息を吸った。
けれども彼は何も言わなかった。
その代わりのように、汚いものを見たという風に顔を大きく歪めると、彼はそのまま身を翻してバスルームを飛び出て行ってしまったのである。
白い雲が浮く青い空みたいなTシャツはハルトに似合うなんて思いながら、私は彼のあの歪めた顔を忘れたいと両腕で自分の身体を抱いた。
背中を壁に付けていても足には力が入らず、そのままずるずると下に落ちていき、終にはバスタブの底に丸まった。
体を見られて気持ち悪いって思われるなんて、女としては大ダメージだ。
前世の私と違い、完全モブで小説の世界だからこそ、今のミュゼの腹はぶよぶよしていないというのに!
「うわああ。ハルトの馬鹿がそっちに飛んだ!ミュゼ気を付けろ!」
「遅いよ。ニッケ。」
私は膝に顔を埋めた。
頭の上にかかるシャワーのお湯は、無情にも水に変わってざあざあと私の落ち込みを煽るように私に打ち付けていた。
ああ、このまんま溺れ死にたい。