シロナガス亭で知る従兄の本当の姿
海に面して建てられたシロナガス亭は、平べったい屋根を持つ階段状になっているピラミッド構造の五階建てだ。
大きいが飾り気のない簡素な建物の壁は真っ白で、青い海に映えるそのホテルの佇まいは、ギリシャの風景を私に思わせる。
もう少し町に近い位置にあるスーハーバーホテルは、首都でも有名なホテルチェーンのもので、安い部屋からスィートの高級な部屋まで取り揃えてあるというものだ。
しかし、シロナガス亭はそんな有名ホテルに負けずに繁盛している。
それはレストランの料理が町一番に美味しいという点と、この世界ではどの国になるのか出てこないのでギリシャ風と言ってしまうが、そんなギリシャ風隠れ家的な雰囲気のホテルは、首都の大金持ちや有名人には心の洗濯ができる憩いの場所になるようなのだ。
大金持ちには当り前のラグジュアリーだけでなく、彼らが望む静かで落ち着ける空間を演出できるなんて、凄いでしょう、ジョゼ伯父さんて。
さて、髪はべとべと膝は擦り切れてと汚れ切っている私は、ジュールズに連れられて裏口からホテルに入り、従業員廊下からジュールズがレンタルしているらしき部屋に連れ込まれた。
ジュールズが借りている部屋に入って一目で気が付いたが、ジュールズの自宅ではジュールズが持ちえないものがこの一室には溢れていた。
網元であり漁師達のご意見番でもあるようなセンダン家では、常に家族でない人が家の中を出入りもしており、そんな家の中の彼の自室は、誰が見てもやんちゃな青年としか思えない部屋だったのである。
流行のバンドのレコードに音楽デッキ、棚の上には革製品のアクセサリーや派手な置物や小物が並べられて、机の上には若い男性が好む雑誌が積み上げられ、そこに申し訳ない程度に教科書が放ってある、というものだ。
私がジュールズの部屋を従兄弟達と覗いた時はそんな感じで、それなのに学年トップどころか県内?いやいや全国での上位クラス成績を叩きだせるジュールズに首を傾げていたぐらいなのだ。
だけど、ホテルの部屋を見て、私はその理由が分かった。
ホテルの部屋なのに大きな本棚が壁一面を占領し、そこには専門書や文学書がぎゅうぎゅうに詰めこまれている。
また、本が全て読み込まれた跡があるというならば、これこそ、彼が勉強を続けたくて、それで、彼は本気で医者になりたかった証なのだ、と。
俺は初孫でセンダン家の跡継ぎだからね、と気さくに笑う彼は、きっと何度もその身の上に泣いて来たのだろう。
「海水はこれでいいか?」
ジュールズには見えないウミウシ様の海水が欲しいとお願いした私に、彼は嫌な顔をするどころか、部屋にあったガラスのコップを持って海に走って行ってくれたのである。
部屋の窓からホテルのプライベートビーチに出られるという、本気でジョゼ伯父さんのジュールズへの可愛がりが見える部屋だ。
「どうした?涙目で。ほら、俺は何もしないから、約束通りに汚れを落としておいで。」
ジュールズは私にホテルに置いておいた自分の服と、海水の入ったピンクのグラスを手渡した。
手渡されて、そのピンクの小さなグラスが、幼い頃に私がゼリーを入れて配ったものだったと思い出した。
「まだ、持っていてくれたんだ?これ、美味しくなかったんだよね。」
「はは。そう。カキ氷用の青いシロップにレモンの破片をこれでもかって入れたゼリーはね、うん、綺麗だけど美味しくなかったよ。」
九歳ぐらいの女の子の美味しくないお菓子は、従兄弟達には大不評で罵られたりもしたが、でも、ジュールズはそんな従兄弟を窘めてくれた。
その上、美味しそうにゼリーを食べてもくれたのだ。
「ありがとう。ジュールズ。ええと、その、お風呂に入ってくる。」
私はジュールズを見つめた。
もっと彼に言うべきことがあるでしょう、と。
ジュールズはいつものように笑みを返さず、それどころか、車の中で私を泣かせたことに未だに罪悪感を抱いているような暗い目をしていた。
「わた、私ね。ハルトの事が好きなの。でも、ハッピーエンドになれるって思っていない。でも、だから、ジュールズがお医者になりたいなら、それが私との婚約が条件になっているなら、」
「それ以上口にするな!」
私はびくりとして口を閉じ、私に怒鳴ったジュールズはしまったという風に右手で自分の口元を押さえた。
「ご、ごめ。」
「いいから。早くお風呂に入っておいで。ベッドを後ろにビキニ姿の女の子が立ってたら、俺の勃たなくていいものも勃っちゃうでしょう。」
「ごめんなさい!」
私はバスルームに駆け込んでいた。
ジュールズを傷つけてばかりだ。




