フラグが立てば
真後ろで囁かれたと私は後ろを振り返ったが、私の後ろにはジュールズが持ってきたクーラーボックスだけだった。
クーラーボックスの上にはジュールズが掛けていたサングラスが乗っている。
明らかにサイバーパンクな、幅の広いヘアバンドみたいな形をしたタイプで、銀色に輝いているという派手なものだ。
彼はいつもの不良そのものの海男版で現れたのである。
水着はゆったりとした膝丈タイプというスタンダードでも、水着の柄がサイケデリックと呼んでしまいたいカラフルさなのだ。
ハルトがいたら、カラーヒヨコと失礼な事をきっと言い出すだろう。
!
ああ、ハルトがいたら、ハルトだったら、私はそんな事ばかりだ。
いつまでたってもフラれた事を受け入れられないなんて!
情けない自分を隠したいその気持ちのまま、反射的に両手で顔を覆った。
「はは。仲間外れが辛くなったか?」
「違うって。」
ニッケのからかいの声に、顔を両手から出して言い返していたが、私は耳に残るあの囁き声が、聞いた事のある声だった、と急に気が付いて怖気が走った。
あれは、あの白い化け物の声じゃなかったか。
「どうした、寒いのか?」
ジュールズは彼が持っていたタオルを私の肩に巻きつけた。
ありがとうと言うべきなのに、今の私はこのタオルを振り払いたかった。
白くて蝋みたいな腕にしがみ付かれた事を思い出したからかもしれない。
タオルを巻きつけられたことで、なんだか彼に捕らわれてしまったような感じに陥って、それで私は化け物を思い出してビクついてしまっているのだ。
優しいだけのジュールズにそんな気持を抱くなんてと、申し訳ないと思いながらも、私はジュールズの手からタオルの端を少し強引に受け取っていた。
「ありがとう。温かいわ。」
ジュールズはふっと笑ったが、目元がなんだか少し寂しそうだった。
そこに気がついていないようにして、私は砂の上に腰を下ろした。
海を見ていれば、私の心はハルトと歩いたあの日に戻れる。
人生で一番幸せだったあの日に。
彼に思いを馳せている間だけは、私の頭の中から怖いものや考えたくもない未来なんて消えてなくなるのだ。
「よっし!全員集合だな!俺に注目!」
ダレンが大学の飲みサークルみたいなノリで現れた。
膝ぐらいまであるゆったり目の水着は普通の黒であるが、神々しいくらいの腹筋に、白い歯まで光って見えるような好青年風の彼は、勝手に輝いているので余計な色など不要なのだろう。
「ミュゼちゃんたら、せっかくのビキニで何をタオルを被っているかな。寒いんだったらさ。体を動かそうか!ビーチバレーをしよう!負けたチームは勝ったチームの命令に服従だ!」
私は隣にやって来たニッケの膝を突き、彼女に囁いた。
「いいの?なんだか残念そうよ、彼。」
「いやいや、そこが可愛いではないか。さて、わしが勝てばあやつを思い通りなんて腕がなる。なあ。」
「へ?」
「おい、ダレン!お前はミュゼと組め!わしはジュールズと組む。いいな、ジュールズ。勝ったらあいつらを好きにできるんだぞ!なあ!」
「おい、ニッケ!勝手に仕切るなよ!」
「言い出しっぺはお前だろうが!わしが勝ったら、お前はわしに何でも服従か。ふくくく。腕がなるわい。なあ。」
わお!
ジュールズはニッケに対して尊敬するような目を向けたではないか。
って、その目を今度は私に向けたが、ジュールズ!その目の光は一体何を考えてのものなの!
私はここで唯一の味方らしいダレンを見返した。
ダレンは見るからにビクビクに脅えている。
いや、これは演技なのかな。
「ダレン――。」
私は砂に体を横倒しにしていた。
頭に何かの衝撃を受けて、そのまま横に倒れたのだ。
私の衝撃を受けた側頭部、髪の毛はベタベタして嗅いだことのある臭いを発していた。
あれだ、あの日のエントランスで受けた腐った卵の臭いだ。
「ミュゼ!それは一体誰が!」
「畜生!誰だ!こんなことをした奴は!」
「待っておれ。水を汲んでその汚いものを流してやる!」
水で流す?
ああそうだ。
私はあの日、あの腐った卵を必死になって落とそうとしていた、んだった。
気が付いたのと、私の目がジュールズのサングラスを見てしまったのは同時だった。
クーラーボックスの上に置かれたサングラス、鏡面仕上げしてあるような銀色のサングラスに、白い化け物が映っていた、のである。
「ミュゼ!」
三人が一斉に私の名を呼んだが、私は彼らに何も答えられなかった。
サングラスから白い腕がにょっきりと生えだし、ほんの一瞬で私は二度と捕まりたくない白い腕に抱きしめられていたのである。




