魔法特待生という呪い
ダレンが俺に見せつけた手の平には、親指の付け根から薬指に向かって切り裂かれたのだろう、と一目でわかる白い線となった傷跡が残っていた。
「自分で?」
「ふざけるな!双子の姉はピアノで、俺はチェロで、ガキのくせに演奏会に招待されるぐらいには持て囃されていたんだよ。だからね、最初の魔法特待生への進学は断った。断って音楽学院に進んで、俺達は楽しく過ごしていた。とある日に、暴漢に俺達が襲われるまで、ね。俺がお前達より一歳年上なのはそういう事だ。夢が潰れて、他に生きていく道が無いだろうって決心しての進学なんだよ。」
俺の頭の中で、兄のように慕っていた少年の葬式が蘇った。
彼も魔法特待生の認定を蹴っていたのだ。
「俺の知り合いも、魔法特待生を蹴った数か月後に通り魔に殺されている。」
「ああ。俺も今お前が考えたのと同じことをずっと考えている。俺がこっちに来たら、姉の手は通りがかりのヒーラーに癒して貰えたからね。」
「そのヒーラーに君も癒して貰えば。」
「貰えると思うか?そのヒーラーは通りがかりなんだよ。俺達を襲った奴と同じ、名前も名乗らない通りがかりって奴だ。」
ダレンは俺の視界から自分の手を外すと、俺に顔を寄せて俺の耳に囁いた。
「姉が俺が寂しくないようにってね、当時のおぼつかない手でぬいぐるみを縫ってくれたんだ。アバロン君という大きなクマ。今は悲しい事に行方不明だ。君の大事なチョコ缶を盗みかけた男の部屋を見に行きたい。今すぐに。」
「どうして?……あ。そいつはもしかしてプールの底に沈んでいた警備員、か!お前は知っていたのか!そいつがあそこに沈められているって!」
ダレンは豆鉄砲を喰らったような目で俺を見返した。
そして、茫然とした顔付のまま、違う、と言った。
「いいや。知らなかった。職員や救急隊員がプールに集まって大騒ぎしているだろ。騒ぎは大きくなるばかりだしさ、多分、寮にいる警備員もこっちに駆り出されると思ってね。それなら、今のうちにって。」
セリアに襲われたミュゼ。
先に殺されていた警備員。
行方不明のエルヴァイラ。
――私は何も盗んでいないわ。あなたがそれを一番ご存じよね。
頭の中に蘇る、ミュゼがエルヴァイラに放った言葉。
「行くぞ!今すぐに寮に戻る!」
「うお!」
俺はダレンを掴むや、再び風を身に纏って、強く地面を蹴りこんだ。
ぽーんとノミのように俺達の身体は宙に浮き、しかし、ダレンが俺にかなり強くしがみ付いて来たので、俺はバランスを崩して飛んでいられなくなった。
そんな俺達が落ちたのは、校舎と寮の間に広がる林の中だ。
林という場所で、バランスを崩した俺達が地面に直接に叩きつけられなくて良かった。
けれども、落ちていく俺達のクッションに木々の枝がなりながらも、俺達の身体に葉っぱや何かを叩きつけて来るので、落ち切った後はちくちくするひっかき傷が全身に出来上がっていた。
制服だって破れていたし。
「せめて道があるところに墜落してよ。」
「お前がバランスを崩させたんだろ!」
「急に飛んだら誰だって驚くだろ!」
「あ、怖かったんだ。ごめん?」
ダレンはぷくっと頬を膨らませ、俺をどんと突き飛ばすと、のしのしと林の中を歩き始めた。
初夏の為に下草がぼうぼうというけもの道も無い場所に落ちたのだが、ダレンは俺に怒っているからかそんなものが気にならないという風に進んでいく。
俺は友人に怒らせたことを謝るべきなのだろうが、俺よりも大柄なダレンが下草をかき分け踏みつけて前を進んでくれる状況を壊してはいけないだろうと、口をつぐんで彼の背中を追いかけていた。
「ああ、畜生。って、お前こそ畜生だな。」
「気が付いたか。」
ダレンは再びむっとした顔をすると、選手交代という風に俺を前に押しのけかけ、そこで何かに気が付いたようにして俺のジャケットの裾を掴んだ。
「ダレン、どうし……、わお!黒ジャケットを脱いじゃいけない呪いって奴か。」
破れた穴からその服の生地でないシートが見えたのだ。
魔法使いの目には、その芯布に魔法が施されているのが見えた。
「安全祈願のお守りどころか、探索用の印呪か。ハルト、どうする?」
「俺に聞くなよ。取りあえず、このまま進もう。俺達の行動を逐一追われているのかもしれないけどね、今のところは邪魔が入らない。その理由こそ俺達は探ろうか。次の長期休暇中に通り魔に遭わないようにさ。」
ダレンは乾いた笑いを上げ、確かに、と再び自分が前に歩き出した。
そう、俺達は今のところ前に歩くしかない。