彼女に起きたことは俺のせい
俺は非常ベルが鳴るや教室を飛び出して廊下に出た。
そこで、校舎の外でミュゼを呼ぶ声を聞いた気がした。
「ミュゼ?彼女に何か!」
その後は何も考えていない。
廊下の窓から外へと飛び降り、ハハハ、ここは三階だったが、俺は風属性の魔法を習得していた男だ。
いや、本気で今日こそ自分が魔法使いで良かったと神に感謝した。
そのままミュゼの名を叫ぶ男の元へと、俺は風を纏ったまま空を飛んだのだ。
「うぉ!人間離れした奴め!」
非常ベルを鳴らし、ミュゼの名を叫びながら走っていたのは、ミュゼを自分が守ると言って俺に立ち塞がったばかりの、ジュールズ・センダンだった。
「ミュゼがどうかしたのか!」
俺が現れて体をのけぞらせるほどに驚いていたが、センダンは足を止めることはせず、さらに駆ける速度を上げた。
俺も地面に到着したそのまま駆け出して、彼の背中を追いかけた。
「おい!ミュゼがどうしたんだ!」
「畜生!バケモンだよ!鏡から出て来た白い奴がミュゼを連れ去りやがった。鏡が割れる寸前にプールが見えた!」
彼は非常ベルを鳴らすや、ミュゼを助けにミュゼがいるらしいプールへと駆け付けようとしていたらしい、ミュゼの名を大声で叫びながら。
俺はそのままセンダンを追い越した。
足を使って駆け抜けたのではない。
風魔法を再び身に纏うと、地面を蹴ったそのまま数メートルは空を飛び、段差があればダニかノミみたいにしてぴょんぴょんと跳ねた。
殆ど滑空しているも同然の移動によって、俺はセンダンと別れてから一分たたずにプール場に辿り着いていた。
プール場は、3、4メートルはある高いフェンスで囲まれており、監督官などいない未使用時などは生徒が不法侵入しないようにしっかりと施錠されている。
俺はフェンスに向かって飛び上がり、真ん中ぐらいに蹴りを入れてさらに自分を宙に浮きあがらせて、フェンスの上をなんとか乗り越えた。
高い空のもとから下を見下ろせば、三つあるプールの中で人の影が見えるのは、飛び込み専用の一番深いやつだった。
いや、誰かが水面に浮かんできた、のだ。
ああ、ミュゼ!
しかし、顔を出したミュゼの後ろからサメかイルカのように白い何かがざばっと出現し、ミュゼを抱き締めるや水中へと消えた。
「ミュゼ!」
俺はミュゼを追った。
ミュゼは俺に向かって両手を差し出した。
俺はその両腕をしっかりと掴み、自分の方へと引っ張った。
彼女にしがみ付いている化け物には足を蹴りこんだ。
無我夢中だった。
俺はミュゼをその化け物に再び奪われまいと、とにかく必死に抵抗していた。
化け物こそ俺に何度も蹴られても、何度も彼女に取りすがろうとする。
ああ、ちくしょう、どうしてミュゼの足を離さないんだ!
これじゃあ、彼女を水中から助けてあげられないじゃないか!
俺が抱きしめるミュゼは既に意識など全くなく、俺の内側はどんどんと冷たく強張って行った。
俺こそ死んで死後硬直をしていくような感覚だ。
動け、化け物を振り払うために、ミュゼを連れて外に飛び出すのだ。
俺には風魔法があったはずだろう!
だめだ、水の中で風など!
いや、衝撃で水流を起こせばいいんだ!
俺は風魔法で水流を起こした。
俺とミュゼの周りでグルンと強い水流の渦が巻き起こり、化け物の手はその渦に巻き込まれて指がちぎれてミュゼの足から手が離れた。
今だと、化け物を水流によって俺達から押しのけた。
しかし、それは遠ざけられたのはほんの少しの間だけだった。
それはアザラシかトドの様にして体を反転させるや、再び俺達に向かって泳いできたのだ。
きりがない!
ざばん。
俺はミュゼを抱いたまま、自分達にこそ水流を当てて水面へと押しやった。
俺達が水面から飛び出す寸前、俺達につかみかかろうと白くて真っ白な腕が空を掻き、化け物こそ水面から顔を出した。
白い化け物の顔はパンパンに膨らみ、生きていた時の面影も無く、また、目のあった所や眉間にかけておかしな穴が開いている。
しかし、誰とも知れない水死体にしか見えない化け物でしか無いのに、ミュゼを襲った目の前の化け物の正体が何かを、俺ははっきりと理解していた。
ミュゼを襲ったこの化け物が、俺が学園から追い払ったセリア・フォグの成れの果てだったということに!
セリアは潰れた目でありながら、俺を真っ直ぐに睨んできた。
「あたしはじぶんがなにをしているかしっているわよ?」
口を動かしてもいないのに、セリアの化け物の言葉は一言一句俺の脳裏にしっかりと刻まれた。
この化け物は俺への復讐にミュゼを襲ったのか?
俺のせいでセリア・フォグが死んでいたのか?
俺はプールサイドに着地していたが、知ったばかりの事実に愕然としており、俺は抱いているミュゼがピクリとも動かないのに何も動けなかった。
「俺が、殺していた?」
ミュゼは動かない。
もう動かない?
俺がミュゼも殺した?
「ミュゼ!おい!ロラン!大丈夫か!」
俺はセンダンの声にミュゼを抱き締め直した。
俺へと駆けよってくるセンダンにミュゼを奪われまいと。
「すごいな。魔法使い様はヒーローだな。」
センダンの目は、彼が俺に向けて口にした言葉通りの表情をしていなかった。
いや、口調だって皮肉めいたものだったのだから、彼の目に俺を侮蔑したような色があっても何らおかしくは無いだろう。
彼は俺に当たり前のようにして両手を差し出した。
「返してくれ。婚約者を助けてくれたことは感謝する。だけどさ、こんな化け物やらミュゼが受けているいじめは、全部お前のせいなんだろう?」
俺はミュゼを抱く腕に力を込めたが、俺の腕の中のミュゼは水死体のようにぐっしょりと濡れて力を失っていた。
救急車のサイレンの音だって聞こえて来た。
センダンは警察や救急車、とにかくミュゼを救うものを呼ぶために、非常ベルのボタンを叩き鳴らしたのだろう。
「こいつを殺す気か?早く渡してくれ。」
「俺が救急車に運んだ方が早い。」
俺はミュゼを抱き直すと、風魔法を使って高く舞い上がった。
「おい!ロラン!」
校舎の入り口には、救急車両がひしめいている。
せめてそこまで俺に運ばせてくれ。
その後は、俺は二度とミュゼに近づかないから。




