過去と違和感
俺はミュゼを追いかけるのが遅すぎた。
ミュゼに声を掛ける寸前、俺の前に大きなヒヨコが立ちはだかった。
俺よりも背が高く体格が良いヒヨコは、ミュゼの視界から俺を隠す壁となり、俺がミュゼに近づけない障害物となったのである。
それからヒヨコは俺を睨みつけて、自分がミュゼを守ると言い切った。
俺の苔色みたいな濃い緑ではなく、春の新緑のような透明感のある瞳は真剣で、不良そうなその姿こそ仮の姿だと俺に突き付けたのだ。
「俺だって。」
「俺は婚約者だ。お前はミュゼの何だ?」
言い返す事が出来なかったその一瞬、ヒヨコは俺の胸を軽く押した。
「ミュゼをそっとしておいてくれ。お前が近くにいる限り、お前に惚れている女達にやっかまれて虐められる。そうだろう?ミュゼを貶めたあの金目の美女は、お前の元カノだったそうじゃないか。」
エルヴァイラと付き合った事など無い、と俺は言いかけて、俺がエルヴァイラに勘違いをさせたことがあったと思い出していた。
あのピンクのドレス。
大事だと叫んでいた癖に、幻術の術具にしてしまったあのドレスは、エルヴァイラが親友だと思っていた少女に馬鹿にされていただけの証拠の品である。
エルヴァイラは入学したての頃、実家は貧乏で服が無いから制服があって良かった、と冗談めかしていたと思い出す。
支給されている制服として、そこにはシャツやパンツ、女子にはスカートも加えてのジャケットの下に着るオプションはついている。
黒ジャケットは必ず着用だが、裏を返せばジャケットさえ羽織ればその下には何を着ても良いのだということで、そのオプションを身に着けている特待生はほとんどいない。
しかし何も持たないらしいエルヴァイラは、当時は常にその制服セットだけを身に着けていたのである。
そんな彼女にできた親友は、あのピンクのドレスを彼女に贈った、のである。
――私が作らせたの。あなたに似合うと思って。
それは、金持ちの娘が、貧乏な少女を笑ってやるための仕掛でしかなかった。
わざと悪趣味なドレスを作り上げて、それを親友が贈ってくれたものだからと無理に笑顔を作って着ている少女を、馬鹿だと嗤うためのものだったのだ。
エルヴァイラの親友を自称していながらそんな腐った行為を親友相手にできるセリア・フォグに俺はウンザリしており、気が付けばクラス中に聞こえる声を俺がセリアに対して上げていた。
「エルヴァイラへの君の友情に敬意を示して、俺が君に同じドレスを作ってあげるよ。エルヴァイラのドレスはピンクだな。対になるなら、君のドレスは何色にしたらいいかな。ねえ、エルヴァイラ?」
そんな悪趣味なのはいらないと、セリアは俺に叫び返せなかった。
代わりに、俺が本当にドレスを作り上げてドレスの箱を押し付けた翌日に、彼女は寮から姿を消したのだ。
セリアが消えるとエルヴァイラは毎日のようにして着ていたピンクドレスを脱ぎ去った。
彼女がもともとの制服セットの姿に戻ったのは、親友だと思っていた相手の悪意に気が付いたからだろうと思った。
落ち込む彼女に対し、俺は余計な事をしたような罪悪感を抱いていた。
正義感どころか、教室内で起きているいじめ行為にウンザリしていた事への、自己満足的なストレス解消行為でしかなかったからだ。
しかしエルヴァイラは、俺の考え付かない人間でもあった。
ミュゼも俺が理解できないことが多いが、ミュゼとは全く違う、悪意さえも凌駕できる理解不能さだ。
――あなたは陰ながらあたしを支えてくれるのね。うん、大丈夫。あたしね、今度の休みにセリアに会ってこようと思うの。セリアは私に言えない悩みをきっと抱えていたはずなのよ。だから、その苦しみを私に教えるために、あんなドレスを作ったと思うの。それに、あなたが私に声を掛ける勇気を出すきっかけになったドレスでしょう!あれは本当に親友のドレスだったのよ!
俺はその日からエルヴァイラが苦手なんだと思い出していた。
そうだ、俺はその日から彼女を避けるようになったが、彼女こそ俺が彼女を助けた理由を、俺が彼女に恋をしているからだと思い違いしたのでは無いのか?
「おい、ロラン。頼むからミュゼの前から消えてくれ。あいつは人気者のお前が自分を好きなんじゃないかって、勘違いしているだろ?」
俺はヒヨコを睨み返した。
「勘違いじゃないよ。」
ヒヨコが一瞬怯んだ気がした。
けれど俺はミュゼの元に行かず、そのまま踵を返して自分の教室へと向かった。
俺がミュゼの前に出るには、俺がしてしまった罪が大きすぎる。
まず、俺が勘違いさせた少女の勘違いこそ、俺は解かなければいけないだろう。
しかし、教室にエルヴァイラの姿はなかった。
「はい。ロラン君。そのままさっさと席に座れ。授業に遅れたペナルティは後で申しつける。」
「授業放棄をしているローゼンバークは?教官。」
講師は俺に片眉を上げただけでなく、いつもエルヴァイラが座っている今は空の席を指さした。
「いるだろう、そこに。」
「どこに?」
教室で突っ立っているだけの俺のジャケット背中が、前列に座っていた男によって引っ張られた。
チョコレート色の賢そうな瞳をした男は、俺をさらに引っ張って自分に屈ませると俺の耳に顔を寄せて囁いた。
「ハルト、座れ。俺も同じ質問をして同じ答えだった。ニッケが言うには幻術にかかっているわけでもない、正気だってさ。」
ダレンの隣にちょこんと座るニッケを見やれば、ダレンの言葉にうんうんと頭を上下させた。
「どういうことだ?」
「あとで。」
「あとだ。なあ。」
俺は渋々と彼等の隣、通路を挟んだダレンの隣に腰を下ろした。
するとその途端に、けたたましい悲鳴のような非常ベルが校内に鳴り響いた。




