あなたは私を追い詰める?
アメフラシ様?
私はニッケとニッケが連れて来た大きな化け物を茫然と見つめた。
「これは、何?」
「アメフラシ様と言っただろう。さあ、雨を降らせ!」
ニッケが天に向かって両手を挙げると、彼女の後ろのアメフラシがブホっと何かを吐きだした。
それは真紫色の粘液で、エントランス中にぼたぼたと降り注ぎ、私は今までのことなど忘れて、きゃあと叫んで自分の頭を庇って身を屈めた。
もちろん、私以外の人達も同じ素振りだ。
殆ど催眠状態で私を死ね死ねと合唱していた人達が、粘液を浴びるや正気に戻るのか、きゃあ、わあ、と叫びながら次々に身を丸めるのだ。
だって、この紫色のどよんとした粘液を受けたら、きっと死んでしまうと思うぐらいに、忌まわしいものに思えるのよ!
「ニッケ!なんてことをするのよ!みんながどろどろのぐしゃぐしゃになったじゃないの!この馬鹿!」
私を追い詰める場が壊されたと知ったからか、エルヴァイラが悲鳴に近い声をあげてニッケを責めた。
「馬鹿はあなたよ!みんなをおかしくさせて!私は殺しても死なない女だけどさ、死んじゃう奴だったら、ここにいるみんなは凄い罪悪感で辛くなるのよ!」
「あたしは誰もおかしくなんかさせていない!この泥棒が!正義感溢れるみんなは、泥棒のお前が許せないってだけじゃないの!」
私は何もされていないはずなのに、後ろへと突き飛ばされた。
しかし、私は後ろに転がるどころか何かに受け止められた。
私を受け止めたのは、私が何処にも転がらないようにと、私の両の二の腕を後ろから支えてくれているのは、私のヒーローだ。
「ミュゼはドレスなんて盗んでいないよ。俺がミュゼの荷物を担当したんだ。俺がミュゼの荷物を自宅まで運んだのさ。間違いがあったとしたら、俺が間違えたって事だろう。どうかな?」
私は救世主の到来に感動していた。
そして、私を貶めようとした女性は、両目を釣り上げて歯ぎしりをすると、身を翻して走り去っていった。
「ちょっと、ピンクのドレスは大事なんじゃないの!」
エルヴァイラの背中に叫んだが、彼女は振り向く事は無い。
「欲しくも大事でも無いじゃろうな。あんな恥ずかしいドレスは。」
ニッケの少し哀れむような声音に驚いたその時、私の周囲はごうっと大きな音を立てて風の渦が巻いた。
「きゃあ!」
飛ばされる!
それぐらいに強い風がエントランス中を薙ぎ払い、誰もがぎゅっと目を瞑り、そして、その風が去ったと目を開けた時、エントランスは何事も起こっていないという風ないつもの情景に戻っていた。
「どうして?」
「幻術だからな。ワシの幻術で全部覆い隠して一か所にまとめたんじゃ。それでな、そこのハルトが全部吹き飛ばしたのさ。なあ。」
まあ凄いわと、後ろのハルトに振り向こうとしたが、ハルトは私の肩に腕をまわし直すと、そのまま私をぐいっと引っ張って歩かせ始めた。
校舎の外へと。
え?
訳も分からずハルトの腕に引っ張られるままにしていると、私達は校舎の裏ともいえる場所にいた。
そこで、私はようやくハルトに向かい合わせられた。
ハルトは思つめた顔で私を見下ろしている。
「ハルト?」
彼は何か話そうとして口を開けたが、すぐに口を閉じた。
何か辛い事があったかのようにして、目を伏せて唇をきゅっと噛んでいる。
「ハルト?」
ダークグリーンの瞳は呼びかけた私に向けられたが、いつもと違って陰りがあって怖いぐらいだ。
私は彼に何かしてしまったのだろうか。
ああ、エルヴァイラの行動を見て、彼はエルヴァイラの気持ちに気が付いたに違いない。
だから、なんだか恋人気分で勘違いしている私に釘を刺そうとしている?
「君はあのヒヨコの方が良いんだね。」
「ヒヨコ?え?」
私の頭にこそヒヨコがピヨピヨ鳴き始めている。
え、ヒヨコって何?
ハルトの言葉が何一つ理解できず、私は彼をまじまじと見返した。
何を言っているの?
という顔になっていたかもしれない。
だって、ハルトが私と目が合うや、かっと頬骨の辺りを赤らめて怒った風な顔になり、そのまま私の後ろの壁に大きく右手を打ち付けたのだ。
え、壁?
私の後ろには校舎の壁?
ハルトの身体は私を動けないように威圧し、壁に打ち付けられたハルトの右手によって私は逃げ場を失っている。
密着しているようでしていないけれど、彼という空間に閉じ込められた私だ。
彼の瞳は一心に、真剣に、私だけを見つめている。
「センダンと婚約していたなんて、一言も俺に言ってくれなかったじゃないか!」
「あ、あの。」
私こそ今朝まで婚約など知らなかったとすぐに答えるべきなのに、わた、私は、私の脳みそは違う事ばっかり考えてしまっていた。
これって、壁ドン、だよねって。
うそ!壁ドン、されている?
うそ!!
ハルトムート・ロラン様に壁ドンされちゃっている!!!!




