呪いのワンピースとモブの宿命
母の顔はお面のようだ。
癖のない顔はつるんとした陶器みたいになって、口元だって、作り笑いそのものにしか見えない。
「ミュゼ?さあ、着ようよ。」
母は私にドレスを翳しながらじりじりと近づき、私はドレスに触れられないようにじりじりと後ろへと下がった。
がつっ。
腰にローチェストがぶつかった。
そんなに広くもない部屋では、もう限界だ。
「ミュゼ~。」
「い、嫌だって。」
――かがみ。
「え?」
私は自分に囁いたものが何なのかわからないまま、それでも一縷の望みの様にして自分の後ろにあるチェストの上を無造作に手探りしていた。
ああ、指先に触れた硬いものは、置きっぱなしにしていた手鏡の柄、だ!
「ミュ~ゼ~。」
「ママ!しっかりして!」
鏡を自分の盾の様にして顔の前に掲げ、母の顔に翳した。
ぴかん!
「きゃあ!」
閃光が走り、鏡には何かがぶつかった衝撃を感じた。
「なになに?」
鏡からそっと顔を出して母を伺えば、なんと、私にドレスを翳していた母は、ドレスを翳した格好のまま硬直している。
「ママ!」
私の声に母の身体は揺れ、そのまますとんと床に倒れた。
助かったのか分からないが、とにかく手鏡を棒みたいに使いながら母の上に乗ったドレスを母から取り除いた。
だって、素手でこんなの触りたく無いもの。
それで覚束ないながらも、なんとかドレスを部屋の隅に纏めることはできた。
あとは、倒れている母親の介抱だ。
「ママ!大丈夫!?起きて!ママ!」
揺らしていいのか分からないから、横になっている母の脇に座り、母に声だけ掛けたのだが、意外や母はすぐに瞼をぱちぱちさせながら目を開けた。
瞳の中の渦は無い。
「ああ、よかった。ママ、大丈夫?」
「え?私は、ええ、大丈夫よ。あら、どうして私は床に寝て、あら、あなた、まだ服を着てもいないのね。急ぎなさい、ジュールズが迎えに来ているのよ!」
「え、どうして、ジュールズが。ジュールズが来ているのは本当なの?」
「今日から送り迎えは彼がするって言っているわよ。」
ああ、私がいじめに遭っている事で、従兄として守ろうって考えているのね。
センダンさん、いえ、ジュールズは昔から責任感が強いもの。
「夏が終われば彼は卒業でしょう。あと少ししか気楽に過ごせないからって。いいわよねえ。甥っ子の中でもジュールズは一番素敵だって私は思うのよ。あなたもそう思うでしょう。」
「え、ええ。そう思うけど?」
「チューぐらいはしてもいいのよ?」
「え、ええ?」
母は私が寝ぼけているかのような笑顔を見せた。
子供に言い聞かせる時に親が見せる笑顔ってことだ。
「ママ?」
「ジュールズは漁師さんになって、あなたは結婚した後もパパのお店を手伝う。従兄妹同士の二人だったら気心も知れているし、幸せになれると思うわ。ああ、なんて夢みたいな素敵なカップル。」
「カップル?」
「あなたたちは結婚してずっとこの町に住む。そうなんでしょう?」
「いや、まだ未来を決めるのは早いし。」
「そうね。あなたが卒業するまでまだまだ時間があるわね。」
私は母が決まった事として喋る内容に、勝手に決められているそのことに怒りが湧くどころかカチリと何かが嵌ったような感覚になっていた。
いや、自分の立ち位置を思い知らされただけ、なのかもしれない。
ああ、そうだ。
ゲーム内のモブは、モブとして指定された場所を動いちゃいけない。
小説や漫画だって、モブは主人公達の背景でしか無いじゃない。
そうよ、よくあるじゃない。
主人公と高校時代に仲が良かった幼馴染が、田舎で幼馴染同士結婚しちゃっている、なんて、未来展開は腐るほどあるじゃないの!
私は部屋の隅のピンク色の呪いのワンピースを見返し、それから母をもう一度見返した。
モブを外れようとした人間への呪いと、モブでしかない私の設定、だ。
どちらが私には重たい呪いなんだろう。
「どうしたの?」
「いえ、何でもない。直ぐに服を着るから。」
母は、そうね、と言って立ち上がると部屋を出て行った。
私はあのピンクのドレスを今一度眺め、モブである自分自身の先行きを考えることは後回しにして、あのドレスが私のクローゼットに入っていた謎こそ解こうと思い立った。
いや、そう決めた。
だって、ジュールズと結婚というモブ未来に関しては、ハルトに失恋する未来が確実にあるのだから、受け入れ先があると喜びこそすれ悩むことなど無いでしょう、と。




