うさぎちゃん、君は生き抜こうよ?
アストルフォの唇が重なった瞬間、私が思った事はただ一つ、だった。
いやだ。
キスはハルトじゃ無いと嫌だ!
私はパニックになったまま暴れようとしたが、私の両手首は彼の片手に簡単に捕まれて押さえつけられてしまった。
そして、私の顎が彼の右手に痛いくらいに掴まれて、私は暴れるどころかアストルフォの舌による蹂躙を口中に受ける事になったのだ。
「う、ううう。」
ハルトにキスされた時は、心地よく、ふわふわする感触を体中に感じていた。
でもこれは拷問だ。
ゾクゾクと感じるが、それには嫌悪感を必ず伴う。
ハルトに引き出された快感をどす黒く汚されていくような感覚。
嫌だと心が叫び、叫び声の代りに両目から涙が噴き出した。
私の顎からアストルフォの手は外れ、彼の唇も私から去った。
私はそれでもまだ怖いと、涙を両目から零しながら瞼をぎゅっと瞑っていた。
目を瞑って真っ暗になれば、これが全部夢だったり、幻覚にしてしまえるような気もしていた。
そう思い込もうとしていたのだ。
「この程度で泣くなんて。いや、俺のキスで泣くなんてがっかりだ。俺はキスが上手いっていつも褒められるのにね。」
怖いとアストルフォに脅えているのに、アストルフォの言葉に私はキスをされた悔しさを我慢できずに叫び返していた。
「それは恋人?あなたを大好きだって言う人?言わせてもらえば、大好きな人からのキスだったら何でも最高よ。それで、あなたみたいな怖い人のキスだったら、聞かれれば最高って答えるわ。だって、怖いもの!嫌でも、怖いもの!あなたなんか最低でも、凄く凄く怖いもの!」
「じゃあ、最高と答えなさい。最高な振りをしなさい。俺が怖いんだろう?」
彼の唇が再び私に下がって来て、私は嫌だと叫んで身を捩った。
「いやだ!止めて!私はハルトじゃ無いと嫌!お願い止めて!」
アストルフォの唇は私の耳を齧り、私は受けた刺激にビクンと体を震わせた。
恐怖の中にぞわっとした電気の様な刺激もあり、その刺激を感じた事でさらに私はパニックになっていた。
嫌だ、怖い。
そして、アストルフォは私の左胸の頂きに右手の指先を置いた。
私は叫んでいた。
このまま殺されても構わないと、叫び声をあげていた。
その叫び声がその叫び声だけで終わったのは、アストルフォの指がその先に動くことは無く、叫び声をあげている最中に私を見つめるアストルフォの視線に目が合ったからである。
「そんな殺されそうな悲鳴を上げるくせに、君はミュゼのままでいようとするのか?この体から逃げてしまえば、君には安全で幸福な場所が待っているかもしれないのに。」
「あ、あなたは支離滅裂だわ!この体から逃げたら私は死んじゃうだけじゃない。私は生きたいの!ミュゼとして生きていたいだけだわ!」
「君のこの体がミュゼのものって、君はどうして信じていられるの?俺が君の顔を変えた時、嫌だと暴れる君を俺は気絶させたって覚えているよね。」
私の足は穴に落ちてしまった。
いいえ、一瞬で力を失って何も為さなくなってしまった。
だけど私が完全に沈みこまなかったのは、私の両手首がアストルフォに掴まれているだけだからだろう。
私はそれこそ猟で狩られたウサギが両耳を掴まれたみたいにして、アストルフォに手首を掴まれてぶら下げられていた。
「わた、わたしのこの、から、体こそ、偽物、だった?」
「どうだろう?君はどう思う?俺は昔魂を捕まえた。死んだばかりの魂だ。その魂をとある妊婦のお腹に植えこんだ。死んだばかりの胎児に死んだばかりの魂を植えたらどうなるかなって実験だった。」
両親が思い出話に語っていた、奇跡の手による私という赤ん坊の復活。
それがこんなサイコパス野郎のただの実験だった?
「わた、わたしは、その赤ん坊、で?だから、本当の身体では、ない?」
「魂の移転はいくらでもできるって俺の実験結果だ。君は二回も死んでいる。いや、俺が魂を捕まえたその時を入れれば、君は三回も死んでいるって事になるね。じゃあ、その体に、ミュゼという外見に拘るのは何故かな。生きたいんでしょう?良いじゃない、どんな姿でも、生きていられれば。」
「う、ううう、う。」
嗚咽しか出なかった。
泣く事しか出来なかった。
どうして私はミュゼでいたいの?
この世界で大成もするわけ無い、単なるモブのその他大勢じゃ無いの。
でも、ミュゼでいないと私じゃないと思うのに、そんな私こそ幻影でしか無いと残酷な男が突きつけたのだ。
「君は可愛いうさぎだ。俺が作り上げたうさぎ。この世で一匹しかいない、俺の大事なうさぎなんだよ?」
「そ、それって、ああ、私はあなたには単なる実験動物なのね。だから、あなたの想い通りに動けっていう脅しなのね。」
「違うよ。実験は実験動物を殺すために行うものじゃない。実験動物が生き抜く様を観察するためのものだよ。だからね、生きよう。生き抜いてくれたら、ああ、君にご褒美をあげる。ハルト君からミュゼの記憶を抜いてあげる。そうしたらね、ミュゼじゃ無い君と彼はもう一度恋愛できるでしょう。君は死なない。ハルト君も死なない。今度は誰にも邪魔をされないハッピーエンドを君にあげよう。」
アストルフォは私の手首から手を放した。
私の両手首はそれで開放され、でも私はその腕を動かす事どころか、完全に殺されたウサギのようにして地面に崩れ落ちた。
「俺のうさぎちゃん、起きて。君は生き残る。まずは目の前の敵を倒す。さあ、罪もない人々を惑わす魔女が君を火あぶりにしたいと喚いている。君は立ち上がらねば。」
アストルフォは私にかがみこんできて、私の耳に甘く優しい声で囁いた。
彼の吐息がその時に耳たぶの敏感な所をくすぐり、私はその刺激によって彼に齧られ触れられた事がフラッシュバックした。
嫌だ、もう彼に触れられたくない!
すると、意思が体に動けと命令するよりも早く、数分前の行為への恐怖心でびくりとした体の方が動いていた。
泣きながら、鼻を啜りながら、私はアストルフォの命令通りに起き上がっていたのである。
「よし、いい子だ。俺の言う事を聞く限り、俺は君に優しくしてあげよう。君は俺を信じ、俺の思うように動くんだ。いいね?」
アストルフォの右手が私の左肩をそっと撫でた。
私は嫌悪にびくりと大きく震え、私に触れた男は嬉しそうに喉を震わせた。




