奈落の底で悪魔が囁く
心霊関係のホラー漫画を読み漁っていて良かったと、転生した世界で思うキャラクターなど私ぐらいなものだろう。
そうだよ。
怨霊体うんたら言ったところで、霊だよ、幽霊!
そんなものが見えるようになったという事は、私は実話漫画の霊能者のように浮遊霊や先祖霊なんかが見えるって事になる。
そして、この世界でどうやって霊を祓うのか、といえばこの世界の神様の印が必要だが、そんなものが通用しない生前から神様も信じていない悪霊化した幽霊だってもいて、そんな霊にも前世の知識は有効だった。
般若心経これ最高。
最初は票集めという軽い気持ちだったが、意外に意外、本気で先祖因縁系の幽霊に呪われていた人が何人もいたのだ。
大体にしてそんな幽霊は凶悪で、何か適当なものに縛り付けて怨霊体にするにも、神様の印だけでは力不足になることばかりだったのである。
私は悩み、何も浮かばなかったそんな時、どうしようもなくなって唱えたのが般若心経。
唱え切れば、どんな幽霊も簡単に滅せられる、というものだった。
ありがとう、母校!
仏教系大学だったからか学生手帳に般若心経の記載があり、高校の友人達との飲み会ではかなりそこを揶揄われたが、こんな所で役に立っているわよ!
いいえ、どうせだからと読んで暗記していた私が最高ってことね。
まあ、大昔に読んだ大好きな漫画の脇キャラの特技で般若心経の暗唱があったから、それを思い出して暗記してみただけなんだけどね。
過去の私よよくやった、だわ!
「~はらそうぎゃ~てぃぼじそわか~。」
合掌しながら経を唱え終わった私の目の前で、私に呪いの言葉を吐いていた一体の悪霊がぼふっと体を崩壊させ、そのまま線香の煙みたいになって天へとすぅっと昇って行った。
そして、私の後頭部が生きているサイコパスに叩かれた。
「何をやってんの。それはせっかくシュルマティクスの倉庫から俺が持ち込んでやった、二十四人の子供を殺したサイコ野郎の怨霊体でしょう!」
「でも、ショーン。こいつは制御できない。こいつを放ったら本気で殺戮が起きてしまうもの。」
「はっ!君は生き残る意志が弱すぎる。これはいけないことだわ~。それで、君は自分の手を汚さずに、ハルト君に汚れ仕事をさせるのかな?彼は喜んでやるだろう。君の為に、あああ!大好きなミュゼちゃんと一緒の世界を歩きたい!」
アストルフォは芝居がかったようにして、天に向かって両手をあげた。
天など無い、暗闇に近い世界でしかないが。
私とアストルフォだけがいるここは、誰もいない学校の校庭のど真ん中だ。
明日の祭りの会場設営という、工事真っ只中の一か所だ。
いいえ、作られたばかりの祭りのステージのその内部だ。
舞台の下の地下は奈落という。
大きな本格的なサーカスも出来そうなテントを、アストルフォは校庭のど真ん中に建てさせた。
テントはサーカスと違って観客席が高くなってはおらず、ステージが建物の二階ぐらいに高いというものだった。
だから実際に私とアストルフォが立つ場所は地面の上でしかないが、作り上げられたステージ下という空間は地下のようで、電気式のランタンが無ければ真っ暗っ闇の地獄の底同然という場所となってしまった。
そんな場所で芝居がかった振る舞いをしているアストルフォは、白いシャツに黒のサテンパンツというそれだけの格好だったが、そのシンプルさゆえに彼こそ世界の主役で、それも世界を滅ぼそうとしている存在に見えた。
いいえ、彼こそ私とハルトの未来を壊そうとしているのだから、この世の破壊者であっているわね。
「あれ、怒らないの?ああ、喜んじゃっただけか?ハルトの愛は私にだけ~。ハルト君は私じゃ無いと嫌だって全校生徒にお願いしているの~。」
「え、何それ!ハルトは何をしているの!」
アストルフォはご機嫌だ。
今やワルツを踊り始めるかのように私に手を伸ばし、私を揶揄うようにして数歩だけステップを踏んで見せた。
「だから、何を?」
「簡単だよ。君が元に戻った先をハルト君は考えている。君が疎まれ追い出されたこの学校、この世界を、君が受け入れられる世界になるように奔走している。お願い、ミュゼと僕が愛し合う事を認めて頂戴って。そうそうハルト君の親友のダレン君はね、君が失敗した先の事を考えている。君が死んでしまったその時、ハルト君が自分の命を絶ってしまうだろうって。」
目の前で閉められるカーテン。
バーンズワースが私に占いを頼んで来た人のもとへと連れ出していく時、その時には必ずダレンの目配せがバーンズワースにあった。
そして火曜日のあの壁ドン未満の日から、私はハルトの姿を一度も目にしていないとも気が付いた。
「うさぎちゃん?人は失敗を受け入れるべきなんだよ?人はね、止めるって、諦めるって、そういう選択をすることも出来るんだ。自殺をする事が出来るのも、それが人間だからだよ?」
アストルフォはもう踊ってはいなかった。
私の目の前に立って、教師の様にして私を見下ろして、私に心のない人間しか浮かべられない微笑みを見せつけているのだ。
まるで人形みたいで、空虚なだけの微笑み。
「私に死ねと?」
「違う。生き延びなさいってこと。絶望しても君が生き延びればね、ああ、結局のところ、ハルト君は自分を殺す事をとどまってくれるだろう。」
「死ねと言っているも同じね。私にミュゼに戻ることを諦めろって言っているのだもの。」
「人間、たやすい方に流れた方が幸せだよ。」
アストルフォの声は表情とは違って人間味があるような優しい声で、その上、私を労わるようにして私の肩をポンと軽く撫でた。
「私を私のままでいさせたくないくせに、どうして明日の魔法使いの日に拘るの?どうして、その日に私がミュゼに戻れる希望を持たせたの?」
アストルフォはハハハハと笑い声をあげた。
囲いのある場所だからか彼の声はこもって響き、禍々しい雰囲気を深めた。
「アストルフォ。」
「ショーンだ。うさぎちゃん。」
「ショーン。」
私は両肩に彼の手を感じ、馴れ馴れしい彼に抗議したいと顔を上げた。
!!!!
私の口は悪魔に塞がれてしまった。




