壁ドンはしていない
「お前が生きていくにはミュゼじゃ無いお前にならなきゃなんだよな。」
ダレンの言葉は私の希望を打ち砕くものだった。
私はアストルフォに以前の姿に戻れる希望を抱かされたが、そういえばアストルフォに必ず戻れると言われた事は無く、奇跡が起こる、としか言われていないと気付かされたからだ。
いや、もともとこの姿にされた時には絶望しかなかったのに、もしかしたらの可能性を希望にして現実を見ようとしていなかったのかもしれない。
ヒール使いに、顔の筋肉や骨格を変えられたのよ?
これは普通の整形手術と同じようなものでしょう。
メスを入れた顔は元に戻らないと言われているじゃ無いの!
私はダレンの前まで数歩歩いた。
ダレンは私が間近に迫った事で、私が彼に彼の失言を八つ当たり、あるいは問い詰めるのかと身構えた。
大丈夫、彼を困らせはしない。
ただ、私は彼が閉じたカーテンを開けただけだ。
暗くなった部屋では気が沈んでろくでもないことばかり考える。
部屋が明るければ、それだけ気分がいいでしょう。
首から下が麻痺した私に、私の看病をしている母はそう言って病室のカーテンを毎日開けたのだ。
今日はいい天気よ、美世、と。
金色の陽光を顔に受け、眩しいと目を瞑った私の瞼の裏に浮かんだのは、金色の光のイメージのある風使いの王子様の姿だった。
「私の恋心は手強くて、しつこいな。」
「ミュゼ?」
心配してくれた友人に笑顔で返した。
「まずは九月十四日に私は賭ける。あなたがくれたあのチラシ。人類に魔法力が蘇った魔法使いだけのお祝いの日。その日にアストルフォも奇跡が起こるって言ったもの。私は頑張って、ええ、頑張って、ミュゼに戻る。」
カーテンを開けて入ってきた陽光は、秋めいてどころかスーハーバーでは夏のものでしかない。
エルヴァイラどころか、首都や他の町から来た特待生の女の子達全員が、日焼けをするって嫌がるスーハーバーの強い陽光。
それでもこの陽光が無ければ、海をキラキラと輝かすことはできないのだ。
キラキラした海の光景は、私の中では最高の想い出の風景じゃないか。
ミュゼに戻れなくとも、いいえ、ミュゼに戻れないならば、ハルトの命を自分の命をかけてでも守る。
九月十四日はどちらにしろ決戦日なのだ。
「私はこの町が好きで、この町で生まれたつまらないミュゼ。そのミュゼにこそ私は戻りたい。ハルトが壁ドンしてくれたミュゼなのだもの。」
「していないよ。」
私もダレンもハルトの声にうわっと驚きながら振り向き、そして、戸口にいたハルトはとっても怒ったような顔で私達の方へ真っ直ぐに歩いてきた。
「俺はお前に壁ドンなんかしていない!」
「あ、そうか。そうだね、壁ドンはしていなかった。そう、え!」
私は腕を引っ張られ、そのまま窓の前から引き剥がされて、戸口も黒板もある方ではない何もない、そう、壁しかない方へと連れていかれたのだ。
ハルトはそこで私の背中が少し痛いくらいに乱暴に壁に押し付け、それから、私の斜め頭上となる場所に自分の右腕を叩きつけた。
どん!
私が彼に教えた壁ドンの作法どおりだと、背中に響く振動に心が震えた。
ハルトは右腕を壁に付けた体勢で身を私にかがめ、彼の影で覆われてしまった私を見下ろしている。
嬉しいのに、ひたすら辛いのは何故だろう。
彼の口はあの日の言葉、私が彼に言って見せた「好きだ」の「す」を形作ろうとしている!
私は歯を喰いしばった。
そして、ハルトが私にあの言葉を言う前に、彼の胸を両手で押していた。
いいえ、叫んでもいた。
「だめ!言わないで!ミュゼじゃ無い私に思い出なんか作らないで!ハルトに壁ドンしてもらうのは、ミュゼの時じゃ無いと嫌なの!」
「畜生!俺もそうだよ!」
ハルトは私を抱き締めた。
私もハルトを抱き締めようと腕を伸ばした。
ただ、私が両腕を伸ばしたこの時、私の左手が何か掴んでいるって気が付いた。
……アストルフォの魔法によって、無意識でも手が離さないアレだ。
そいつは呪いの魔法をかけた本人の如く邪魔で嫌な奴だった。
「ぴー。魔法電池の充電が完了しました。」
余計な報告をアストルフォの声でしてくれて、私達の盛り上がりに思いっきり水を差してくれたのである。
「なんで、充電が完了?」
「魔法力のある人と肉体的接触を持っちゃったから。」
「普段は誰に充電して貰っているんだ?」
私を抱き締めたままのハルトは私の耳に物凄く低くて怖い声で囁いた。
私は気兼ねなくデリカシーのない男を右手で指さしていた。
月曜日の充電は確かにコイツだった。
明日っから俺にもハルト同じ弁当を作ってと、後から私に飛びついて来たのだ。
「あ、てめ!裏切り者!そんなんだからお前に票が入らないんだ!エルヴァイラを見習え!ハルトの次点だぞ。お前はエルヴァイラより二票少ない。俺は一般学生のマゼイラちゃんに入れたから、俺には頼るなよ。」
あ、本気で裏切り者だ!




