とあるサイコパスの告白①
俺は兎のリリーが大好きだった。
どうしてリリーなんて名付けたのか俺には判らないが、初めて出会ったその時に、彼女は自分がリリーだと言ったような気がする。
嘘だ、嘘。
祖父が五歳の小さな俺に小さな灰色のうさぎを抱かせるや、勝手に亡くなった祖母の名前をそのうさぎに付けただけだ。
「ショーン。可愛がって大事にしてくれよ。俺の死んだ女房と同じ名前のウサギなんだからな。」
これは兎を殺さずに可愛がれという、祖父からの強制的な命令だった。
当時の俺は知りたがりで、虫やカエル、小魚は言うに及ばず、巣から落ちて死んでいた小鳥のひな、全てを解剖して肉体の構造を調べていたのである。
だって知りたいじゃないか。
俺はなんだって元通りに治せるんだよ?
だけど、死んでいたものは治した所で動き出さないんだ。
生きているモノと死んでいるモノ、絶対に違いがあるはずだ。
そう考えて実行するものだろう?
しかし、祖父のこの行動によって、俺は周囲が俺に向けていた目というものに初めて気が付き、今後はあからさまな探求をする事を控えようと警戒した。
今にして思えば、幼い俺は感覚が鈍かった。
子供ってそんなものか?
とにかく、小汚い虫やら生き物の死骸を平気で触れた過去の自分は、今の俺が当時の親の気持ちこそわかるぐらいに、周囲の空気も読めないし自分の行為に何ら疑問を抱いてはいなかった。
まあ、そのおかげで大概の生き物の仕組みは理解できた。
今は汚いものどころか虫なんか絶対に触れなくなった俺としては、過去の自分よよくやった、かもしれない。
さて、そんな鈍い俺でも自分の立ち位置に危機感を抱いたのは、夜中に両親と祖父が話し合っている内容を盗み聞いた事による。
彼等、特に俺の母が、俺の純粋な探求心が快楽殺人者のそれと似ている、と脅えながら父と祖父に訴えていたのだ。
あの子は私にもナイフをきっと振るうわ。
だから児童行動矯正院への入所?
俺は急いで児童行動矯正院などという存在について調べ、すぐさま、そんな所に入れられてたまるものか、という結論に達した。
そこで俺は、リリーを取りあえず可愛がることにしたのだ。
可愛がるという方法を知らないため、祖父に「リリーの幸せの為にはどうしたらいいの?」なんて可愛らしく聞いたりもした。
お陰で祖父は俺の味方となり、俺が小動物を解剖していた理由、「生き返りの方法を探していたの、だって死んだお祖母ちゃんに会いたかったから。」などと聞けば、完全に俺に同情までもしてくる始末だ。
「こいつは無駄に頭が良いんだ。お前らはこの子を連れてもう少し都会へ行け。そこでこいつに教育をつけてやれ。」
人を尊敬などしない俺が、今でも、バイラム・アストルフォだけは尊敬するのは、彼あってこその俺と言えるからであろう。
十八歳の俺が彼の危篤の報を聞くや彼の枕元に駆け付け、「じいちゃん死ぬんじゃない。」と言って縋って見せたぐらいなのだ。
彼は俺の最高の孫演技により、最高の人生の終焉を迎えられたはずだ。
ああ、感傷が過ぎた。
俺の話したいことは、祖父が死ぬ前の八年前、俺が十歳の時の話に戻り、俺の解剖癖、それがリリーに及んだ所だ。
フレミッシュジャイアントだった彼女はかなり巨大化し、都会で飼うにはいささか不具合が生じる程の生き物となったが、俺は彼女に幸福と思える生存環境を与える事が俺の進退に影響すると考えて、それはもう大事にしていた。
生き物には変えられない寿命があるというのに。
俺の十歳の誕生日の六月六日から三か月後に彼女は死に、俺は彼女の死が俺の怠慢じゃないと周囲に知らしめるために彼女を解剖し、ついでに彼女の肉を喰ったのである。
ちゃんと調理して、だぞ?
老衰で死んだ彼女の肉はフレッシュな兎肉と比べて段違いにまずかったが、内臓を処理されて肉を剥ぎ取られて綺麗に骨と皮だけになった彼女は、骨格標本に毛皮のチェアシートという俺にとって最高のコレクションとなった。
都会の庭のない賃貸に住む両親には、この俺の所業のお陰で死体の始末という面倒が減ったはずで、互いに最高の結末だったはずだった。
俺はそう考えていたが、まあ、十歳の考えはそんなものだ。
親はペットの死骸を食べ、ペットの遺体を骨格標本と毛皮にしてしまった息子に恐れ慄き、精神鑑定が必要だと騒いで俺を病院に連れ込んだのである。
医師は祖父を彷彿とさせる、じいさん医師だった。
どうしてそんなことをしたのと聞かれ、俺は正直に答えていた。
「死んだリリーがどんな病気だったのか知りたかった。」
「どうして食べたの?」
うん?食べてしまった事こそが問題なのか?




