九月十四日の奇跡
ハルトに去られた私は、ひとしきり泣いただろうと自分を叱った。
このまま屋上で干上がって仕舞いたくとも、原作でのハルトの終焉まで今日を入れて十三日というカウントになっているじゃないか、と。
私はハルトから貸して貰ったハンカチで思いっきり涙を拭い、ハルトの為にと気力を振り絞って立ち上がった。
原作ではエルヴァイラは生徒を惑わす魔女を追い詰め、その魔女が呼び出した妖魔の攻撃をハルトがエルヴァイラを庇って受ける、という流れだ。
「あ、魔女は私だから、私が呼び出す妖魔の、ええと怨霊体だけど、それを弱体化させればハルトは死なない、のかな。」
良い事を思いついたじゃないかと自分を慰め、私はやるべきことに向かうべきだと足を進めた。
屋上の階段口まで歩き、日陰となる階段の踊り場に足を踏み入れる時に、陽光のもとにいたせいで視界が紺色の影で覆われた。
薄紺色の世界の中にはあの紺色の帯状の存在も見え、私は紺色の呪いがどんなものなのかわかったような気がした。
「自分が不確かになるとやってくるのね。なぜ鏡で撃退できるのかは分からないけれど、って、鏡で撃退できたじゃ無いの!アストルフォは知らないの?」
びびび。
「いた!」
右耳に感電したような痛みを受け、私は存在を忘れていた右耳のイアホンに手を当てた。
ハルトがよくぞこれに気が付かなかったな、と思ったが、私こそこれの存在を忘れていたじゃないかとびくっと脅えた。
これはアストルフォによる魔法だ。
私とハルトは、アストルフォにいつだって観察されているし、簡単に惑わす事も出来るという、完全なる死刑囚だってことなのだ、と。
いえ、目的の日に向けて、屠るためだけに飼われている家畜、なのだわ。
私はアストルフォに脅えながらも、しっかりした声を出そうとした。
それなりな自由行動を私に許しているのは、今の私が彼の思惑を外れないと彼が考えているからだとしたら、私に変化があったと気が付けば、私の行動制限がされるかもしれないじゃないか。
私の望みは、ぎりぎりまでハルトを死なせないように努力する、だもの。
「電撃で鼓膜が破れるかと思ったわ。」
「迂闊っ子。閃いた!系のものはお家で報連相。理解した?」
ぶつ。
「もう!こっちの返事もなく言いたいだけ言って切るなんて。」
「君のハルト君との会話も、君がぐしぐし泣いていた事も、俺は聞かない振りをしてあげたのにねえ。もしかしたら君は、そのいけない逢瀬こそこの俺に叱られたいと考えていた悪いうさぎちゃんだったんだ?」
「ごめんなさい。でも、せっかくだから教えてくれる?どうして九月十四日に私がエルヴァイラに戦いを挑まなければいけないのか。」
「君は魔法使いじゃないから教えられない。教えても理解できない。でもね、うさぎちゃん、その日じゃ無いと奇跡は起きないんだよ。」
ぶつ。
私は再び溢れて来た涙を、今度は自分の袖で拭っていた。
優しい言葉と静かな大人の声を使ってくるなんて、アストルフォは本当に残酷な酷い男だ。
私は奇跡があるものだと期待したし、ハルトが死なない未来だって見えた気がしたじゃないか。
「大丈夫?」
階段の踊り場で聞きなれた声が静かに響き、私は影となった場所で私を待っていた男の子を見返した。
ダレンは済まなそうな表情で肩をすくめて見せると、私に右手を差し出した。
まるで騎士が姫に差し出すように。
「学校案内。昨日はあれで全部してないよね。続きをしよう。」
私は、そうね、と言ってダレンの手に自分の手を置いた。
ダレンは私の手をぎゅっと握り、私を自分の方へと引き寄せると、自分の胸に芝居がかって当てていた左手を私の前で手品師のように動かして見せた。
左手の指先には折りたたまれたチラシのような紙片があり、彼はその紙片こそ私に受け取れと言う風に差し出してきたのである。
「さあ、図書館に行こうか?屋上は風雲児ハルトのさぼり場所。冷暖房完備な場所にしか生きられない、温室育ちなダレン様のさぼり場所は図書館だ。秘密基地に案内してあげるよ。」
ダレンがお道化た口調で私に誘いの言葉を掛けたが、彼が伝えたいのは彼が手渡したチラシの方だろう。
私は彼から手を離すと、急いで折りたたまれたチラシを開いた。
チラシには毎年恒例の行事が印刷されてあった。
それは、モブでしかない私が殆ど気にもしていなかった、秋の風物詩の一つ。
――魔法使いじゃない君は理解できない。
その通りだ。
今までの私には何の意味もない行事だもの。
この世界において全ての言葉の原点となったという古代語が刻まれた石碑、その一部が百年前に解読され、その解読された文字を読み聞いたことで、人々は失われていた能力、つまり魔法力を再び手にしたのだ。
だから、その石碑が解読されて発表された日を、人類の目覚めの日として祝う。
それが、九月十四日。
行事内容は簡単だ。
九月十四日には、解読された石碑の一文を、時差を調整した同一時刻に、世界中の様々な言語で同時に語り上げ、自動魔法拡声器で十分ほど流すだけである。
私はダレンを見上げた。
彼は私に微笑み、図書館に行こう、とそれだけ言った。




