変わらないもの?
何か月ぶりだろう。
久しぶりのハルトは、痛々しいほどに痩せていた。
たった二か月で男の子は背が伸びて大人びてしまうが、彼も少し背が伸びて少年らしさの柔らかな線を失っていた。
男臭くなっていた、というわけではない。
彼を王子様と印象付ける透明な感じや線の細さはそのままだ。
頬が少しこけて頬骨が目立つようになり、ダレンよりも柔らかそうだった肩や腕が筋肉で筋張っているのだ。
そう、減量中のボクサーって感じの、尖った感じに。
痩せすぎだよ……。
私はハルトに自分がミュゼだとバレてはいけない。
バレたとしても、彼を以前のように求めてはいけない。
それなのに、私の口は勝手に動いていた。
「……ご飯を食べていないの?」
「ちょ、アリス!アリスちゃん!俺の友人のハルト!や、痩せちゃったけど、こいつは元気ぴんぴんだから!ってええと。」
ダレンの方が状況を解っていた。
私を見つめて立ち尽くすハルトの後から、次々と同級生たちが教室に入って来たじゃ無いの。
ダレンは席から立ち上がると、ハルトに向かって行った。
そして、ハルトの目を真っ直ぐに見て、ハルトに語りかけはじめたのだ。
誰が聞いても無害な友人同士の会話にしか聞こえないように。
「ほら、ハルト、座って。適当な所に、だ。俺が隣じゃ無くてお前は寂しいかもしれないが、俺も大事な目的がある。わかるな。休み時間に俺達はしっかりと話し合えばいい。そうだろ?」
ハルトはダレンに返事を返さない。
自分を覗き込むダレンの目だって、ハルトは見つめ返していないのだ。
感情も見えない表情のまま、いえ、私を目にして凍り付いてしまったそのまま、ハルトは私だけを見つめているのだ。
私は彼の腕の中で死んだ。
死体となった私は本物で、死体となった私を抱く事となった彼は、ああ、どれほどの苦しみを受けた事だろう。
彼が痩せてしまったのは私のせいだ。
気さくさも朗らかさも消えた男性にしてしまったのは、私のせいなのだ。
せり上がってくる嗚咽に私は口元を押さえ、とにかく立ち上がると教室を飛び出した。
ああ!鞄だって放り出して来たのに、私の左手は金の箒を抱えている!
自分もアストルフォに変えられてしまったのだと、急に自分自身が汚れてしまったもののように感じた。
ハルトを裏切り続ける私なんか死んだ方がいい!
そうだ!屋上に行こう!
私の足は階段へと走り続け、けれど、急に襟首を掴まれて後ろに引き倒された。
床に転がる私が見たのは、床一面に広がる紺色。
一面に紺色が広がっているが、一つ一つがひも状の蛇みたいなものが連なって絡み合ってその紺色の海を形成しているのだ。
それらは床を染めているだけでは無かった。
私の身体にも幾重にも巻き付いている!
状況に驚いた私が片手を顔に持って行ったそこで、私の頬に蠢くナメクジの様な感触を感じ、生理的嫌悪感がぶわっと体中から吹き出した。
私がうわあと叫んだ第一声で、私に纏わりついていたもの、それに、床を染めていたものが物凄い勢いで私の周囲から遠ざかって行った。
海の潮が引くみたいにして。
「なに、なんだったの!これは?」
「君こそ何をしているの!」
私を転がせたのはハルトで、私の喉が締まるぐらいに乱暴に転がせた理由をハルトを見た事で知ることとなった。
私の目の前には上り階段など無い。
下り階段が奈落の底への誘いのように私に口を開けていたのだ。
「うそ。階段を上がろうとして下がる階段に飛び込んでいた?ああ、あなたに引き止められなきゃ私は真っ逆さまに階段を転げ落ちていたって事ね。」
「俺から逃げたかったんなら、俺は君を止めるべきじゃなかった、かな。」
ハルトの喋り方はいつもの私へのものとは違っていた。
それは仕方がない。
彼を裏切ったも同然なのは、私だ。
「さあ、立って。君はダレンから校舎の案内をしてもらったんだろう?あいつは屋上は君に見せたかな。」
ハルトの差し出した手と言葉を受け取りたい。
ハルトは一緒に屋上に行こうと誘っているのだ。
でも、ハルトと一緒の所をアストルフォ達に見つかれば、ハルトがどんな目に遭ってしまうか!
金の箒を私はぎゅっと両手で抱えた。
自分の拠り所の様にして。
いえ、ハルトに抱きついて行かないようにする重しとして。
「さあ。」
「こ、高所恐怖症だしぃ↑、案内ならダレン君にして、してもらうしぃ↑。」
ぷす。
え?
ハルトが小さく吹き出した気がして見上げたが、私はハルトの顔を見上げられなかった。
彼は無造作に、本当に乱暴な動作で私に腕をまわして引き揚げ、殆ど引きずるようにして私を歩かせ始めたのだ。
私が見る事が出来るのは、ハルトの歯を喰いしばった横顔。
とっても辛そうな顔。
「俺が君を守れないのは知っている。だから、生きている限り君といたい。」
なんて酷い事を言うのよ。
私の足は完全に萎えてしまった。
私はハルトにしがみ付くしか出来なくなってしまった。
ハルトは私に回した腕に力を込めた。
「三階分も君を抱いて運べない。自分で歩いてくれる?」
私は笑い泣きしながら足を踏ん張り、でも、あら!自分で立ったそこで、ハルトが私の額にキスをした。
「ハルト?」
彼はエメラルドの瞳を輝かせて微笑んでいて、懐かしいものを見つけたという風に私の額をそっと優しく指先で撫でた。
「ここだけは俺のミュゼだ。」
私がモブで良かった。
簡単に殺されるだけかもしれないけれど、何度だって生き返り、愛する人のもとに戻ることが出来るのだもの。




