9:決着
やっとサイキックなアクションが……!
加持祈祷の当夜、大納言家は物々しい雰囲気に包まれた。
帝の行幸道中を警護した兵五十人がそのまま大納言家を取り囲み、帝を迎えるために急遽雇われた女房たちが女御と帝の傍に侍った。そこにさらに阿闍梨の堯資一行が到着し、大納言家は鈴鹿が見たこともないほどの人が詰めかけているのだ。
「鈴鹿」
「秀兄」
「女御様のご様子はどうだ?」
「主上のお顔を見て、少し安心したみたい。準備は滞りないわ」
「そうか、良かった」
結局黒い犬の飼い主は見つからなかった。右大臣が黒幕だろうが証拠はなく、誰がどう動くのか予想がつかない状態だ。
「私は万が一の時、女御様の盾になる」
いつものように男装で戦うことができないと告げると、秀鷹は神妙にうなずいた。
「何か持ってるか」
「懐刀と針くらいしか駄目だって」
護衛とはいえ帝の側近くに控える女房が、あからさまな武器を持てるはずがない。稲子に諭され、鈴鹿はしぶしぶ着物に隠せるものだけにした。普通の女房は針といえば縫い針だが、鈴鹿のそれは特別製である。
「鈴鹿。ああ、秀鷹もいたか」
「透兄」
「どうせお前の薙刀は持てないんだろう? 俺の小柄を隠し持っとけ」
小柄は刀剣に付属している小刀である。普段はさやの内側に納められ、武器としてではなく、ちょっとしたものを切りたい時に使用されていた。
「投げても突き刺さるかどうか怪しいが、針よりはましだな」
俺のも持っていけ。秀鷹が刀から小柄を外して鈴鹿に手渡した。
「そういえば、お前の白猫は?」
「それが、朝から見ないの。お屋敷に知らない人がいっぱいいるから、どこかに隠れちゃったのかもしれないわ」
「祈祷の邪魔にならないか心配だな」
「見つけたら捕まえとく」
「うん。お願いね」
コツン、と拳を突き合わせ、源三兄妹はそれぞれの配置についた。
やがて夕刻になると松明に火が燈され、護摩壇が焚かれた。
大納言家は夜に浮かび上がっているかのように橙色の光に包まれる。
庭に堯資をはじめとする僧侶が降り立ち、祈祷がはじまった。
その光景を、屋根から見ている者がいる。
「ふむ。阿闍梨としての腕は本物のようだな」
安倍晴縁である。
足元には白玉がきちんとお座りしている。
護摩が燃える音に、堯資の祈祷が混じりあう。なんとも幻想的で厳かな雰囲気だ。
今夜ばかりは蓮華も部屋の奥ではなく、帝と共に御簾越しに祈祷を受けている。鈴鹿もそこにいた。
祈祷が続くにつれ、晴縁の目が剣呑さを帯びていく。
耳慣れた念仏とは違い、祈祷では真言が唱えられる。どうせ意味を理解できる者などいないと高を括っているのか、堯資の祈祷は安産ではなく、犬神の呪を完成させるものだった。
「やれやれ……。俺も舐められたものだ」
帝と晴縁が友人なのは周知の事実だ。負けるわけがないという自信があるのか、失敗しても右大臣が責任を取ると思っているのか、どちらだろう。
「さて、やるか」
晴縁の言葉に白玉が伸びをして、毛を逆立てた。
『オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ』
真言を唱え手印を結ぶと白玉の姿が白い虎に変化した。
鈴鹿には信じてもらえなかったが、白玉は晴縁が招いた神獣を猫の姿として顕現したものである。毘沙門天の御使いである白虎が白玉の正体だった。
『ベイ』
す、す、と手印を結び、真言を唱えていく。
犬神が白虎に気づき、炎の中で大きく吼えた。負けじと白虎も唸りをあげる。
両者の吼声で屋敷がびりびりと揺れた。
「ひぃっ、な、何っ!?」
蓮華の後ろで控えていた稲子が、突如として轟いた犬と猫の吼声に驚き鈴鹿にしがみついた。
「きっと白玉が黒い犬を見つけたんです。女御様をお守りしようとあの子も頑張っているんですよ」
「そ、そうなの? 猫なんて役に立たないと思ってたけど、意外と律儀なのね」
稲子は涙目になっている。どれだけ気丈に振舞おうが、怖いものは怖いのだ。
「ええ、そうです。白玉もこちらにはお世話になっていますからね。恩を忘れるような猫ではありません」
鈴鹿が得意げに言った。稲子にしがみつかれた腕が痛いが、離してくれそうにない。
その間にもますます吼声は激しくなっていった。
「あの、稲子様。私ちょっと兄に知らせてきます」
「駄目よ! 行かないで鈴鹿!」
恐ろしい獣の声に女房たちは混乱状態だ。鈴鹿が平然としているのを見て、稲子と同じく鈴鹿にしがみついてきた。
「え、ちょっと。女御様をお守りしないと」
「姫様には主上がいるけど私たちには鈴鹿しかいないの! お願いだから一人にしないで!」
「え――っ!?」
こんなに女房がいるのに!? 鈴鹿の反論は稲子の悲鳴にかき消されてしまった。
「あっ!」
「えっ?」
鈴鹿は天井を見上げた。
白虎と犬神の威嚇はついに終わり、牙を剥き出しにして距離を図っている。
『アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ』
炎をまとわせた犬神に白虎が飛びかかった。屋根の上、白虎を操っている晴縁のほうが殺しやすいと見たのか、白虎を避けた犬神が晴縁に襲いかかる。
白虎は跳躍し、晴縁の前に着地すると犬神の首に噛みついた。
――オオオオオオォォ……ン…………。
犬神の遠吠えが夜空を震わせた。
暴れる犬神に食いついている白虎は、首を左右に振って犬神を弱らせ、首を食いちぎろうとしていた。牙の隙間から黒と赤の入り混じった――瘴気と血の混じった粘液が溢れ出した。
神の御使いである白虎と呪法が実体を持っただけの犬神では、はじめから勝負は決まっていた。しかし堯資もさるもの、真言を変えて抵抗してくる。
――ギャン!!
とうとう犬神の首が食いちぎられた。
体が炎に包まれて消えても、首は這いずって屋根から逃げ出した。
「なっ?」
ドスン、と重たい音を立てて地面に落下した首は、一度晴縁を見上げてニタリと笑い、屋敷の中に跳ねていった。
直後、女御の悲鳴が響き渡った。
晴縁が慌てて屋根から飛び降りる。突如降ってきた犬の首に騒然となっていた兵たちは、次に降りてきた晴縁に身構えた。
兵たちの後ろ、護摩壇で堯資が笑っていた。
他の呪法ではなく犬神にしたのはこのためか。晴縁は堯資の周到さに舌打ちした。たとえ首だけであろうと主の命を果たそうとする、犬の生命力の強さと忠誠心を利用したのだ。
「主上をお守りしろ!」
晴縁が叫んで御簾を払いのけた。大きな腹の女御がつっぷして気絶している。帝は女御に覆いかぶさり、犬の首に刀を向けていた。
晴縁を見つけた帝が一瞬安堵の息を吐いた。その隙を見逃さず、ぶるりと震えた首が、女御に向かって牙を剝いて飛びかかった。
「てええええい!!」
晴縁が印を結ぶより早く、稲子と他の女房たちから脱出した鈴鹿が裂帛をあげて現れた。手には小柄を握りしめている。空中に浮かんでいた犬神の首、その目に狙いたがわず突き立てた。
「鈴鹿!」
「稲子様、早く女御様と主上を!」
鈴鹿の声に我に返ったように稲子が倒れ伏す蓮華を見つけた。
おそらく何らかの――いつぞや晴縁が使った幻惑香か、その類が使われていたのだろう。幻惑香は嗅いだ者を夢見心地にさせて命令を刷り込む。事が済むまで邪魔をしないように、女房たちの恐怖を増大させていたのだ。そのため唯一自我を保っていた鈴鹿に稲子まで縋りついていたのであろう。
「姫様!」
稲子が蓮華の体を助け起こし、他の女房に手伝わせて奥へと逃げ込んだ。帝も危険だと女房たちに囲まれて引っ張られていった。
「鈴鹿……」
「こンの犬畜生めが! さっさと飼い主のところに帰んな!!」
いくら鈴鹿でも本能剥き出しの犬神の相手は無理だ。鈴鹿を下がらせようとした晴縁の手を払いのけ、鈴鹿が吼えた。
鈴鹿の剣幕に、負けを察したのか犬神の首が萎んでいった。キューン、と情けない鳴き声を漏らし、小柄が目に刺さったままぴょんぴょんと逃げていった。
「…………」
あまりといえばあまりな終わり方に唖然としていた晴縁だったが、咄嗟に糸を貼り付けるのを忘れなかった。繭は晴縁が持っている。糸を追えば、呪の主に辿り着く寸法だ。
「秀兄! 透兄! 犬が逃げた。傷を負わせたから血の痕を追って!」
「よっしゃよくやった鈴鹿!」
「者共行くぞ! あのクソッ垂れな犬の飼い主をぼこぼこにしてやれ!」
秀鷹と透頼の発破に鬱憤が溜まっていた兵たちがいっせいに呼応した。松明を持ち、我先にと追いかけていくのを堯資が震えながら見ている。その顔は蒼白だった。
犬神が晴縁の術で倒されることは想定していても、まさか物理攻撃で退けられ、気合で返されるとは思わなかったのだろう。
無理もない。屋敷に入ってしまえば、いるのは帝と女御、あとは女房たちくらいだ。眼中にもなかった小娘一人に負けるとは、晴縁でも予想外である。ちょっとだけ堯資に同情したくなった。
「……堯資殿、祈祷の最中に災難でしたな」
薄笑いを浮かべた晴縁が近づくと、堯資はぎくりと固まった。
「ええ。まったくです。大納言家はいったいどういう警護をしていたのやら」
あくまで無関係を装う堯資の耳に「てめぇら何してやがる!」「坊主が火付けとは御仏も許しちゃおけねえ!」「いい度胸じゃねえかこらぁ!」などという叫びが聞こえてきた。どうやら失敗に備えて火付けの準備をさせていたらしい。だが、秀鷹と透頼率いる兵が外に出たせいで見つかってしまったのだ。
「真面目に職務をこなしているようですな」
顎が外れたのかと思うほど口を開けて唖然とそちらの方向を見ていた堯資に、晴縁は笑いを堪えた。すぐに真顔に戻る。
呪法の危険を堯資が知らないはずがない。成功しても失敗しても、結局はなんらかの形で返ってくるのだ。成功していれば代わりの贄で回避できるが、失敗の余波は周囲にまで広がる。相手の強さを反映し、倍返しどころか三倍ほどになることもあるのだ。すぐに回避行動をとらなければ、命に関わってくる。
首謀者の右大臣家はもう駄目だろう。晴縁は冷静にそう考えた。命は助かっても病になるか、今までの権力を失うか。いずれにせよ死んだほうがましな目に遭う。
「犬は飼い主の元に返りましたが、元々の主を忘れたりはしますまい」
逃げられると思うな。晴縁が言った。
堯資は一度悔しげに歯を食いしばり、それでも微笑んでみせた。
「そうですか。憐れなものです。……主上と女御様のお側に参りましょう。せめて、経をあげさせていただきたい」
犬神の、元の縁を辿れば堯資に行き着く。彼は右大臣に教えただけだが、縁とはそうしたものだ。
そして、縁を名に持つ男が、それを見逃すはずがない。
「主上」
「おお、堯資よ無事であったか」
帝の声こそやさしいが、目は鋭く堯資を睨んでいる。堯資は恭しく平伏した。
「堯資よ。護摩の炎からあのような犬が生まれるとは、どうしたことであろう」
帝が詰問した。誰が何を企んであのような呪法を使ったのか、おおよそのことは掴んでいる。だが、帝はどうしても自供させたかった。
女御の安産祈願なのである。その最中に護摩から犬が生まれて女御に襲いかかったとなれば、天が帝の御子を祝福していない、むしろ女御の腹の子に怒っていると思われかねなかった。その疑惑を払拭するために、堯資の口から真実を語らせたかった。
「……は。されば、女御様に宿りし御子は、何らかの因縁を持っているのかと」
「何と申すか。我が子に忌まわしき因縁があると?」
「畏れながら。かように愚考いたします。ゆえに御子様は――」
「では、そなたがあの炎でその因縁とやらを断ち切ったとみて良いのだな?」
御子は早急に処分すべし。堯資が言い切る前に帝が問いかけた。
堯資は伏せたまま、どっと汗が吹きだすのを感じた。
ここで御子を処分せよと言えば、祈祷は無駄であったのか、そなたの力はそんなものかと叱責されるだろうし、因縁を断ったと言えば原因の追究をされるだろう。
犬神は飼い主である右大臣家か、北斗殿の女御の元に返ったはずだ。御子と彼らとの因果関係を、堯資が立証しなければならなくなる。
堯資はここで御子を始末することで、自分の身代わりの贄にするつもりだった。その企みが成立しない。それどころか御子を堯資が守らなければならなくなる。御子が死ねば、責任は堯資が負わされるだろう。
「どうした? 堯資よ、祓い終えたのであろうな?」
帝はさらに追及してくる。すべてわかっているのだというような鋭い視線が堯資に突き刺さった。
是とも否とも言えず、黙って平伏しながら堯資はどうこの場を切り抜けるか考えていた。
「主上!」
そこに、慌てた様子の稲子が駈け込んで来た。
「大変でございます。先程の騒ぎで、女御様が産気づいたようにございます」
「何!?」
「今、乳母である私の母がついております。主上、阿闍梨様、殿方はこれより先立ち入り禁止とさせていただきます」
出産時、男は血の穢れを浴びないよう立ち入り禁止になる。外から声かけくらいはできるが、ようするに男は役に立たないから出ていけ、というわけだ。
立ち合いに関しては賛否あるだろうが、生きるか死ぬかの痛みに耐え、ものすごい形相でいきんでいる姿を見られたり、血やもろもろに塗れて出てくる赤子に失神されるよりましであろう。普段和歌だの宴だのと優雅に暮らしている貴族は特に神経質な男が多い。誰の子供を命がけで産むと思ってるんだと思わぬ暴言を吐くこともあり、自由恋愛と男尊女卑、おまけに一夫多妻のこの時代、男を逃がさないための女の知恵だったのだろう。ついでに仏教では女は毎月血を流すという理由で地獄行きとされている。すべての母ちゃんに謝るべきであろう。
ともあれ出産となれば帝であろうと出ていかなければならない。稲子の慌てぶりにつられたように立ち上がった帝に、堯資がひらめいた。
「その前に、真御子様の因縁が断ち切れたか、確認いたします」
「は!?」
この大変な時に何を言い出すのかと稲子が怒りの形相で振り返った。
帝はしばし考えていたが、晴縁がうなずくのを見て同意した。
蓮華のそばには、鈴鹿がいる。
「……よかろう」
「主上!?」
「ただし、直接触るのは許さん。着物の上からだ。阿闍梨といえど出産に立ち会うことは認めぬ」
「御意」
堯資は万が一に備えて太い針を用意していた。いざという時は帝に使うつもりであったが、御子のほうがやりやすい。好都合だ。
堯資が出産のための部屋に行くと、蓮華が数人の女房と産婆、稲子の母に当たる乳母に付き添われて唸っていた。
「稲子様、なぜ男が!?」
僧侶とはいえ男を連れてきたことに驚いた鈴鹿に、稲子も困惑気味に首を捻るしかなかった。
「いえ、本当になぜかしらね? よくわからないけど主上の許可が下りたのよ」
「先程の化け犬騒ぎは御子様に関連しています。結末を見届けさせていただくことになりました」
「化け犬? いくら坊さんだからって、なんでもかんでも迷信づけるのは良くないですよ」
ここにもこじらせた人がいた。鈴鹿の呆れ果てた目に堯資は一瞬怯んだが、それでも取り澄ました顔でずかずかと部屋に踏み込んだ。
「余計なことしたら叩きだしますからね」
「心得ました」
すでに出産の準備に入っていた蓮華に着物をかぶせ、両脇に乳母と稲子がついて手を握って励ましていた。
「女御様、少々失礼いたします」
帝以外の男に触られる嫌悪感に蓮華の顔が泣きそうに歪んだ。だが、襲ってくる陣痛の波に耐えるので精一杯な蓮華には、堯資の手を払いのけるだけの余裕がなかった。
人当たりの良い笑みを浮かべて蓮華に声をかけつつ腹に手を当てる堯資を、鈴鹿は注意深く見ていた。
黒い犬騒動にかこつけて、こんな大切な場に踏み込んで来るなんて、絶対に何かある。本当に蓮華と御子のことを思っているのなら、坊主らしく念仏でも唱えていればいいのだ。わざわざ直接触れたいなど、裏があると公言しているようなものだ。
鈴鹿には堯資が阿闍梨であろうと関係ない。坊主のくせに豪華な服を着て、高い金をとって祈祷を行い、美味い飯を食っている男だ。しかも晴縁と同じこじらせ系。煩悩まみれじゃないか、とさえ思っていた。
「ふぅむ。これは元気なややこですな」
膨らんだ腹の頂きを撫でた堯資の指先が、何かを抓む仕草をした。
「!!」
がっ、と鈴鹿が堯資の手首を掴んでいた。
「今、何をしようとしていた」
手首を摑む鈴鹿の力が強くなる。堯資の指先から針が落ちた。すかさず鈴鹿が拾い上げた。
「あ……」
蒼ざめる堯資を射殺さんばかりに鈴鹿が睨みつけた。
「鈴鹿、どうかしたの?」
「――いえ。これ以上は女御様に障ります。もういいですね?」
返事を待たずに鈴鹿は堯資を叩きだした。有言実行の女である。
「こ、小娘! この私にこんなことをして……」
「黙りな」
長い女袴の裾をまくりあげ、鈴鹿が堯資を蹴りつけた。僧衣の首根っこ掴んで帝の前に引っ立てる。
「何事だ」
帝は落ち着きなく部屋をうろついて晴縁にたしなめられたりしていたが、転がるようにやってきた堯資と、大人の男をものともせずに投げ捨てた鈴鹿に目を丸くした。すぐに帝の顔になり、問い質す。
「畏れながら申し上げます」
鈴鹿は先程までの乱暴さが嘘のように慎ましやかに平伏した。
一介の女房ごときが帝に直言することはできない。ここが昴宿殿でも鈴鹿から稲子、稲子から女御に頼んでようやく話が伝わる。内裏であればもっと複雑な手続きが必要だった。帝とはまさに天上の存在なのだ。
しかし鈴鹿はその常識をすっとばした。怒っているのだ。
鈴鹿の怒りを見た帝は震えている堯資を見て、晴縁を見た。
やはり鈴鹿か、と思いながら晴縁が声をかけた。
「鈴鹿、何があった」
「この坊さんが女御様に不届きなまねをしようとしておりました!」
「ち、違います!」
いきなり女犯疑惑をかけられた堯資は咄嗟に否定した。帝と晴縁が堯資に注目する。
「何が違うのよ! 女御様のお腹をいやらしい手つきで撫で回して!」
「いや、だから、あれは……。へ、臍の位置を確かめていただけだ!」
「臍!? お臍を探してどうするつもりだったわけ!?」
「だ、だからその、犬の影響が」
「そんなくだらない怪談で女御様の不安を煽ってまで妊婦の腹に触りたいって……。他人の趣味に文句をつける筋合いはないけど、性癖が特殊すぎる。まさか性癖の隠れ蓑に出家したの!?」
「ちがう!!」
腹が大きくなった妊婦にしか欲情しない特殊性癖。鈴鹿の疑いに堯資は剃髪した頭頂部まで真っ赤にして否定した。
「では、この針はどう言い訳するつもり? これをお臍に刺して、出産を妨害するつもりだったんでしょう」
思いがけない展開に笑いを堪えていた晴縁と帝だが、鈴鹿が物証の針を取り出すと顔色を変えた。
「どういうことだ、堯資殿」
「……存じません。針など、そちらの女房殿の持ち物では?」
「鈴鹿」
「たしかに針は持っていますが、こんな粗悪品は私のものではありません」
鈴鹿は自分の針と堯資の針を並べてみせた。晴縁が双方を目の前に翳して見比べる。
「……ふむ。鈴鹿のものとこれは、ずいぶん違うな」
「当然です。私の針は刀鍛冶が打ったものですから。そちらの針は野鍛冶が適当に打ったものでは?」
鈴鹿の針は銀色にきらめき、先端は細く鋭く、針とはいえ痛そうだ。一方の堯資の針は鈍い色で輝きはなく、長くしまわれていたのか錆が浮いている。
「なるほどな。左近少将殿のところの鍛冶師か。それではこの差がつくのも納得だ」
「ありがとうございます」
贔屓の鍛冶師を褒められ、鈴鹿は我が事のように喜んだ。頬を染めて笑う鈴鹿に、晴縁は物騒な話題ながらほんわかした気分になる。
「――さて、堯資殿。申し開きはあるか?」
「……晴縁」
脂汗を流し、ぎりぎりと歯ぎしりをして恨みがましく帝と晴縁を睨みつけている堯資に、晴縁はふと憐れむ目になった。
「あのな、堯資殿。さっさと白状したほうが良いぞ?」
「何を言うっ。私は、私は利用されただけだっ!」
「利用したもされたも俺は知らぬ。だがな、そら、犬神の返しが来ておる」
ぽん、と肩を叩き、背後を示す。
堯資が恐る恐る振り返ると、女房や残った兵が集まり口々に「特殊性癖」「妊婦趣味」「特殊すぎて出家」「坊主は稚児趣味だけじゃなかったのか」などなど好き勝手言っている。堯資が凝視していることに気づくとささっと目を反らし、ひそひそと囁き合う。
「な……」
「負け犬の遠吠え、だな。犬は恩を忘れぬが、恨みもしつこいぞ」
内容のひどさに絶句する堯資に、晴縁は同情したような、ざまあみろというような、複雑な気分になった。
「え? 何? あの犬もあんたの仕業なの? 女御様の不安を煽って自分が祈祷に呼ばれるように細工したってこと? それなんて自作自演?」
背後のざわめきが大きくなった。
堯資は真っ赤だった顔が真っ白になり、晴縁は袖で口を押えて笑いを堪え、帝はとうとう声をあげて大笑いしたのだった。
犬神(´・ω・`)ナニアノニンゲンコワイ……