1:鈴鹿
連載の息抜きに書いていたものです。まったくジャンルが違いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです!
――今は昔。
「女御、更衣、揃いも揃って性悪とはいとおかし」
お前ら莫迦じゃねえの、という意味合いの言葉を、小声とはいえ歯に衣着せずに漏らした鈴鹿に、彼女の上司である女房の稲子がぎょっとした。
さりげなく周囲を見回し、他に聞こえた者がいないのを確かめ、鈴鹿の後頭部をぺしっと叩く。
「これっ、何言ってるの。誰かに聞かれたらどうするのよ」
「事実じゃないですか」
小声で制止する稲子に、鈴鹿が叩かれた部分を擦りながら言い返した。
鈴鹿と稲子、二人の主である女御の部屋が近づくと、あちこちから悲鳴や啜り泣きが聞こえてくる。
後宮でも日当たりのよい昴宿殿、そこが女御・蓮華に与えられている対屋だ。
御簾どころかとまで締め切られた部屋の前に、騒動の原因が散らばっている。
鈴鹿は呆れを隠さずに言った。
「気に食わないからって平気で人をいじめるような女が女御だなんて、主上がお気の毒です」
うつくしく整えられた庭、毎日磨かれている廊下、そこにうぞうぞと、蛇が這いまわっているのだ。
「……そんなお方が女御だからこそ、うちの姫様に目を止められたのでしょう」
「権力ある人って大変ですね」
まるっきり他人事の鈴鹿はいい迷惑だと言わんばかりだ。蛇を目の当たりにして足が止まった稲子を振り返る。
女御の乳兄弟として気丈に振舞っていても、やはり蛇は恐ろしいのだろう。
「稲子様、危険ですからそこで待っていてください」
「毒蛇なのっ?」
「いえ。毒のあるものはいませんが、私の武器がコレですので」
トン、と鈴鹿が持っていた物で床を突いた。彼女の背よりも長い、薙刀である。
鈴鹿は慣れた手つきで鞘を取ると、構えてみせた。
朝日を受けて輝く刀身に、鈴鹿はうっとりと見惚れてしまう。が、女房として奥まった場所に籠る生活をしていた稲子には、刺激が強かったようだ。
「わ、私は姫様をお守りしないと。鈴鹿、終わったら声かけてちょうだいね」
震えながら言うだけ言って、稲子は女御の元に逃げていった。
情けない、とは思わない。身分の高い女とはそうしたものだと鈴鹿も理解していた。自分を呼び出すためとはいえ部屋の外に出た稲子は立派なものだ。女御はともかく、他の女房たちなど誰ひとりとして出てこない。
「さて、やりますか」
鈴鹿はぺろりと舌なめずりをした。
蛇はパッと見で十匹ほどいる。庭に割れた壺が落ちていることから、集めた蛇を壺に入れて放り投げたのだろう。わざわざ集めてくるとはご苦労なこと、鈴鹿はそれをさせたのだろう他の女御をせせら笑った。
「いただきまーす」
女房たちには恐ろしい生き物でも、鈴鹿にしてみれば毒のない蛇など食料だ。
喜々として首を斬り落とし、絶命してもまだ暴れる蛇の胴体を袋に詰めていく。首は後で山にでも埋めて念仏を唱えてやればいいだろう。
「稲子様、終わりました」
言われた通り、稲子に向かって呼びかける。カタリと戸が開かれ、安心したような稲子が顔を出した。
「ご苦労――」
さま、と続けられるはずの言葉が途切れ、鈴鹿はどうしたのかと稲子の視線を振り返った。
廊下も庭も、蛇の血が散乱していた。
おまけに鈴鹿が薙刀に括り付けた袋がもぞもぞと動き、底から血が滴っている。
「稲子様?」
突っ立ったまま動かない稲子に鈴鹿が近づいた。
「稲……」
再度呼びかけ、鈴鹿が手を伸ばす。稲子の肩に触れる前に、硬直したまま稲子が背中からひっくり返った。
稲子は気絶していた。
「ありゃま」
先に掃除してもらったほうが良かったか。今更なことを思いつき、鈴鹿は部屋の中にいるだろう女房たちにその旨を伝え、稲子を引き摺っていった。
「ついでに厨に行って、コレ焼いてもらおう」
肉を食べないから柔なんだよ。
稲子が聞けばまた無言で気絶するだろうことをぼやきつつ、鈴鹿は先程から感じている視線を無視した。
***
今上帝には、三人の女御がいる。
まずは北斗殿の女御・蝉時雨。帝の唯一の御子である皇子を産み、父の右大臣家を背景に持つ、権勢第一の女御だ。
次に恒星殿の女御・蛍風。こちらは左大臣家の姫で、宮中の権力の均衡を考えての入内である。蝉時雨よりも先に皇子を産んだが、病で亡くしている。
そして昴宿殿の女御が蓮華である。元は客星舎の更衣の一人だったが、帝の寵愛が高じて昴宿殿に移ったのだ。鈴鹿の主である。
「女御様はあれですよ、ちょっと繊細すぎるんですって。もっと肉を食べたほうがいいですよ」
「無神経なお前とうちの姫様を一緒にしないでちょうだい。だいたい肉食なんて、罰が当たりますよ」
「お釈迦様は恵んでもらったものは肉だろうが魚だろうが好き嫌いなく食べてたじゃないですか」
「屁理屈言わない!」
「……人に殺させておいて罰が当たるなんて、どの口が言うんだか」
ムッとした鈴鹿の反論に、後ろめたい自覚があったのか稲子が黙り込んだ。食べ物に優劣や好き嫌いをしてはいけないという思いもある。
しゃがみこんだ鈴鹿の足元には焚き火があり、ぐるっと囲むように串刺しにされた肉が焼かれている。稲子に見つかっても平然と一本差し出した鈴鹿の度胸はお墨付きだ。
「いい具合に焼けてますよ」
じゅわじゅわと肉の焼ける匂いに稲子は誘われて来たのだろうに、なぜ食べないのだろう。鈴鹿は厨から失敬してきた塩をふり、肉に齧り付いた。少々硬いが、美味い。
今朝の騒動で仕留めた蛇だが、厨では調理できないと断られてしまったのだ。なのでこうしてこっそり昴宿殿の裏庭で焼いているのである。
「と、とにかく!」
ごくりと唾液を飲み込んだ稲子だが、それがあの蛇だと思うと食欲は湧いてこない。美味そうに肉を食べる鈴鹿を眺めていた稲子は再度怒鳴りつけた。
「蓮華様の昴宿殿で、勝手に火を熾すのは禁止です! いいわね!?」
「えー……」
「今度やったら食事抜き!」
「了解しました!」
飯抜きは困る。一日二回の食事と間食が楽しみだから、退屈な女房なんてやっていられるのだ。鈴鹿はピッと立ち上がった。
「よろしい。では、火の始末だけはくれぐれもしっかりやっておくように」
「はい」
今度肉を焼く時は北斗殿にしよう。焼けた肉を回収し、焚き火に水をかけて消火しさらに土を被せた。鈴鹿は懲りずにばれない方法を考えていた。
源鈴鹿は左近少将の娘で、度胸の良さと剣の腕前を買われて昴宿殿の女御・蓮華の女房兼護衛として出仕している。
五人の兄と両親がいて、全員が鈴鹿と似たり寄ったりの性格だった。家族仲良く、武家の常識として体を鍛えることを日々の日課にしている。
もちろん鈴鹿も例外ではなく、女だてらに刀を握り、薙刀を振り回し、時に弓矢を持って山に出かけては獣を狩っていた。自分で仕留めた獲物は自分で頂くのが基本の生活だったのが、昴宿殿に仕えて一日二食になり、しかも肉無しに激変してしまったのだ。不満が溜まるのも当然といえよう。
さらにいえば、ぞろぞろした女房装束を着なければならないことも不満だった。下級とはいえ貴族の姫としてそれなりの教養はあるが、鈴鹿は男服を着て野外を走り回るのが好きなのだ。
薄暗い部屋に籠り、琴をかき鳴らしたり和歌を詠んだりと、まったく体を動かさない日々に参っていた。ちょっとしたおイタくらいは大目に見てもらいたいものである。
そんな姫らしくない姫である鈴鹿がなぜ、女御の女房として召し抱えられたのかというと、理由は簡単、蓮華へのいじめ問題だ。
蓮華は北斗殿の女御や恒星殿の女御よりも位の低い、大納言家の姫である。にも関わらず帝の寵愛深く、ほぼ毎晩帝の寝所に呼ばれている。特に北斗殿の女御は皇子を産んでもまだ春宮は決まっておらず、中宮の位は空いたまま。帝は昴宿殿の女御を中宮に据えたいと思っているのではないかという噂まであった。
気位の高い北斗殿、恒星殿は当然ながら、良い気分ではない。女御に仕える女房たちにとっては、我らが姫こそ一番だと思っているから尚更蓮華への反感が大きくなる。北斗殿と恒星殿で均衡を取りつつ駆け引きをしていたというのに、ぽっと出の昴宿殿に帝を掻っ攫われたのだ。
そうして陰湿ないじめがはじまった。
あいにく蓮華はそれに耐えきれるほど強い女ではなく、鼠の死骸に気絶し、汚物を撒かれては泣き、藁人形を送りつけられては悲鳴をあげて部屋に籠った。
帝とて二人の女御がいることで内裏が成り立っていることを理解している。いじめを知っても強く諌めることができないのはそのためだ。唯一できたのが、話に聞く左近少将の姫である鈴鹿に出仕を命じたことだった。
否とは言えない哀しき宮仕えを我慢できているのは、
「おーい、鈴鹿」
「良い物食ってんじゃんか」
兄たちもまた、内裏に出仕しているからである。
「秀兄、透兄」
鈴鹿と歳が近い秀鷹と透頼は、さっそく蛇の串焼きを嗅ぎつけた。鈴鹿が一本差し出すのを遠慮なく受け取る。
「何?」
「蛇」
「あー、朝の騒動のあれか」
どうやら兄たちも知っているらしい。蛇を怖がるようなか弱い姫ではないが、見事に女御を守った鈴鹿に誇らしそうに頭を撫でた。
「よくやったな」
「主上もご心配されていた。鈴鹿がついていれば安心されるだろう」
「蛇なんかじゃ腕が鈍っちゃうよ。熊とまではいかなくても、せめて猪とかならやりがいがあるのに」
少し冷めた串焼きを食べながら鈴鹿が文句をつけた。まったく頼もしい妹に秀鷹と透頼が笑い出す。
「無茶言うな。内裏に獣が入ってきたらそれこそ大事だ」
「鈍ったら母ちゃんがうるさい。鍛え直すって怒られるよ」
「鈴は蛇より母ちゃんが怖いかぁ」
秀鷹と透頼は共に近衛であり、常に鍛えている。そのうえ肉も食べているので他の公達に比べて体格がはるかに良かった。しかもけっこう美男子だ。二人が来たことを聞きつけて、昴宿殿の女房たちが一目見ようとさやさやと御簾の近くにまで集まってくる。
「……鈴鹿」
豪快に肉を食べきって、秀鷹が鈴鹿の耳に顔を寄せた。
「今夜は新月だ。こっそり抜け出して狩りに行こうぜ」
ありえない内容に鈴鹿がぱっと顔を輝かせた。秀鷹と透頼は、悪巧みをする子供のようににやにや笑っている。
「迎えに来る」
後宮は、女の園。とはいえ女房のところに通う男もいるので、別に男子禁制というわけではなかった。兄が妹のところに来ても、おかしな話ではない。
「やった、今夜は肉祭り……!」
稲子にばれないように、鈴鹿はぐっと拳を突き上げた。
物理系女子・鈴鹿。兄の名前にピンときた方、そっとしておいてください……。