王太子 2
間が開いてしまいました。待っていた方すみません。
たとえ八歳でも、王太子という立場の僕はそれほど暇ではない。そのため、ディアナと会う時間を作るとなると、夜遅くまでスケジュールが埋め尽くされることになる。
それでも僕はディアナに会いたかった。話していると僕も知らない知識を披露するので、会話をしていてとても楽しいし有意義だ。
それなのに、貴族令嬢として必須のダンスのレッスンのパートナーをしてみたら、運動音痴なのかリズム感がないのか……失礼だがダンスはものすごく下手だった。足を何回も踏まれ、そのたびに涙目になって謝るディアナ嬢は可愛かったけど。
最初は他の貴族令嬢と違うディアナに対しての興味が一番だったけど、いつの間にか僕の中で『好き』に変わっていた。
そして、恒例のやりとりになる。
「ねぇ、ディアナ嬢、そろそろ返事が欲しいな」
「……返事ならしたはずですが」
「僕の望んでいる返事が欲しい、に言い換えるね?」
『はい』と言って――そう促すと、ディアナは「あー……えーと……」と呟きながら視線を逸らす。
これはこれで面白いけど、そろそろいい返事を聞きたい。
だって初めて会った時から、もう一年以上経ってる。
ディアナ、君は気づいている? 僕がこれだけ公爵家に足しげく通っているため、ディアナが婚約者として通ってしまっているってこと。顔合わせをした他の令嬢たちの半分は、王太子妃になるのを諦めて、他に婚約者を探していることを。
最初に決めた通り、ディアナの意思を無視したくない。でも、もう僕にはディアナしかいないので、ディアナには了承してもらうしかないのだけど。
そんなやり取りを繰り返す中、周囲は僕の婚約者として物事を進めていた。
他の貴族のご令嬢は別の婚約者を探し始めるし、マードック家も一人娘を嫁に出すことになるため、親戚筋から養子をとった。ディアナより数か月だけ下のカイルという男の子。最初は今までと違う環境に戸惑っていたようだが、ディアナが何かと面倒を見たせいか、今ではすっかりディアナに懐いている。
ディアナもカイルのことを可愛がっているし、僕より普通に話をしているため、僕は少し複雑な気分だ。僕のために用意されたマードック家の跡取りなんだけど、端から見ているとディアナとカイルのほうが仲が良いから。
それでも粘って粘って最初の顔合わせから約二年くらいした頃、やっとディアナは頷いてくれた。
僕がどれだけ嬉しかったか、ディアナにわかるだろうか?
***
それから、学院に入る五年間、常に……とは言えないけれど、私たちは一緒にいた。
時に彼女の義弟――カイルも含め、三人で出かけることもあった。
私は早々にカイルの気持ちに気づいたが、彼は自分の立場を理解していた。ディアナの弟であり続けるため、公爵家を担うための努力を怠らない姿勢は、恋敵と言えども好ましいと思えた。彼がディアナの弟であり続けようとする限り、私もまた彼のことを良き義弟として可愛がろうと思う。
この国では貴族や豪商の子女など国にとって有益な家の子供は十五歳になると王都に学院に通う。勉強は基本的に各家の家庭教師が教える。学院はその復習と大人になる前の人脈作りの場と言える。そのため、学院では生徒には親の身分が適応される。例えばディアナとカイルは公爵家の身分が適応される。
学院では親の身分がそのまま子供にも適応されるが、実際は違う。公爵家の人間として婿を取るか、侯爵家、伯爵家等、爵位が下の家に嫁ぐ場合もある。未来のディアナは私の婚約者なのだから将来は王族になる。
――が、ディアナは王族として扱われない。まあ、公爵令嬢でもあるし、私の婚約者としての肩書がある以上、ディアナ以上に身分の高い女性は存在しないのだが。
そんな中、ある女性の馴れ馴れしい態度が目に付いた。
名前はレイラ・キーナン男爵令嬢。
気づいた時は、私の弟のクライヴ、側近候補のヘンリー、バリーが揃って彼女と親しくなり始めた。まだ友人と言えるくらいのものだが、彼らには婚約者がいる。まずは婚約者との仲を深めるほうが先だろうに、彼女たちを放ってこぞってキーナン男爵令嬢に話しかけている。
これはもう、溜息しか出ない。彼らは何のための婚約者なのかわかっているのだろうか? それにこの状態が続けば彼らの評判は落ち、私の側近という将来も危うくなるのに。
私の中で彼らの評価は下がる一方だった時、学力を測るために行ったテストの結果が校内に表示された。
私は首席だった。そのあとはカイル。そして、問題の令嬢だった。
複数の男――しかも婚約者がいる――と親しくするような礼儀知らずな令嬢かと思いきや、勉強は意外に出来るようだ。とはいえ、彼女の出方を見るために順位の張り紙を見ている彼女に声を掛けてみる。
「君がキーナン男爵令嬢? すごいね、学年で三位なんて、女性では一位だよ」
私が声を掛けると、待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。
最初から、私が声を掛けるのが分かっていたかのような態度に引っかかりを覚える。
「はい、レイラ・キーナンと申します。王太子殿下にお声をかけて頂けるなんて光栄です」
彼女は笑みを浮かべて軽く会釈をする。公的な場ではないから、失礼には当たらない範囲だ。
けれど、先ほどの態度に多少の違和感が残る。
まるでこうなることが分かっていたような――
……まさか、な。未来が分かるのであれば、彼女の行動は不可解すぎる。これから先、貴族社会の中で生活していくにしては、波風を立てすぎている。これは未来が分からなくても、少し考えれば分かる事だ。
とりあえず、そんな考えは表に出さずに、笑みを浮かべて褒める言葉を紡ぐ。
「すごいね。この学力テストで三位なんて、男爵家に居た頃から熱心に勉強をしていたみたいだね」
「ありがとうございます。それにしても、かなり頑張ったのですが、王太子殿下にはかないませんでした」
残念です――と言ったような表情を浮かべる男爵令嬢。
まあ、小さい頃から英才教育を施されてきた身としては、そう簡単に追い抜かされては困るのだけれどね。
その後、二、三言会話した後、私は彼女との会話を切り上げてその場を離れた。
これが彼女との初めての会話だったけれど、成績は優秀、礼儀作法も下位貴族とは思えない程しっかりしていた。男爵家の令嬢――しかも庶子――とは思えない完璧な貴族令嬢。
ただ一つ、異性に対しての対応だけが可笑しい。
婚約者のいる男性にも親しげに話しかけている。それも見目良く将来有望な令息のみに限るようだが。
その最たるのが、弟のクライヴと、側近候補のヘンリーとバリーだ。
彼らはキーナン男爵令嬢にのめり込み、互いに競うように彼女を褒めたたえる。
さて、ここでどうしてそこまで彼女に対してあのような態度になるのか、子飼いを使って調べさせた。
弟の場合――私のスぺアではなく、弟自身に価値がある。皆それが分かっていないと涙ながらに弟の不遇さを悲しんだという。
ヘンリーの場合、優秀な父(現宰相)に対するコンプレックスを、ヘンリーにはヘンリーのいい所があるし、これから先も学ぶことは色々ある。いつか父を超えることは出来ると言ったらしい。
バリーも似たようなものだと言う。
確かに弟は私のスペア扱いだが、この国では年下でもより優秀な者が王太子になる事がある。私が無能だと思われたら、弟のほうが優秀だと思われたら、王太子は弟になっていた。
能力が劣る者を王位を継がせることがないようになっているのだ。はっきり言ってしまえば、弟は能力で私に負けたのだ。
――だが、弟にも小さい頃から教育を施している以上、無能ではない。王弟として国政を担う人物になる予定だ。
ヘンリーやバリーは親と比べられたコンプレックスがメインだが、現在、父親との壁を感じて当たり前なのだ。学院に通う身ですでに父に勝ったと思っているようなら、それこそ見る目のない役立たずの烙印を押されるのに違いない。今は父を超えられないけれど、若い分、伸びしろはあるはずなのだから。
三人に対し、そう評価を下した後、問題のキーナン男爵令嬢のことを思い出した。
ここで彼女の甘言に乗せられ、上を目指すのをやめるか、惑わされずに上を目指すか――ある意味彼女は彼らにとって試金石になるだろう。
私は彼らの行動を見て、将来この国の中枢を担うに足る人物かどうか見極めることにした。
そう、思っていたのに、学力テスト以降、キーナン男爵令嬢がたびたび話しかけてくるようになった。
もしかして、私まで彼らのように自分の取り巻きのようにするつもりなのだろうか? 彼らにしたように、自分が抱えているものを勝手に暴き、気の毒そうな顔をする。
正直、心底不愉快だった。
王太子になる覚悟は、ディアナと婚約する前すでに決めていた。王太子というものがいずれ王になり、退位するか死ぬまで孤独が続くのも、年齢が一桁のうちから理解していた。理解しても弟に譲る気はなかった。それを簡単に『孤独で可哀想』の一言で語られると、怒りが湧いてきそうだった。
それに、ディアナは王太子妃、ひいては王妃の座が目当てで、私の事を気遣っていないとまで言う。全くどこを見てそんな事が言えるのか。ディアナが王太子妃になるのが目当てならば、ディアナに頷いてもらえるまで二年もかからなかっただろう。
クライヴ達の試金石であり、また、どんな性格でも我が国の民だと思い直し、彼女を責める言葉を喉元で抑える。
それよりも、彼女は何が目的なのかを知るために、私はあえて彼女の望む言葉をどういう風にもとれる曖昧な言葉で返した。
そして――
***
学院生活二年を経て、クライブ達はより酷く彼女に依存してしまった。
一応、ただ傍観していた訳ではない。己を客観的に見るようクライヴには注意をしたし、各家からも彼らに注意は行っている。中には婚約者の家からの苦情もあったのに、彼らはそれらを自分たちの恋を妨害する悪いものだと思い込み、聞く耳を持たなくなった。
しかも、卒業時にクライヴ達はディアナを糾弾し、多くの貴族令息、令嬢達の前で恥をかかせようとした。こちらは多少遅くなってしまったが、カイルと二人でディアナに罪はないのだと証明した。
まあ、周囲の目はどう見てもクライヴ達を非難しているものだったが、それも理解出来たかどうか……
この辺りは、問題の男爵令嬢を、彼らの試金石にしてしまった私が悪かった。
彼らも将来国の中枢を担う若者だという自覚がしっかりあるだろうという、私の読みの甘さだった。
そして、気づけばキーナン男爵令嬢は、各々の家からの苦情により、男爵家を追われて行方不明になっていた。
そのことをディアナに告げると、ディアナは動揺して持っていたカップを音を立ててソーサーの上に置いた。
「それは本当ですの?」
「ああ、私は罪に問わないと言ったが、ヘンリー達の実家、また婚約者の家などは顔を潰されているからね。苦情が行って、これ幸いとばかりに、男爵夫人が彼女を追い出したそうだ」
「……そんな……」
青ざめて震える姿に、自分を陥れようとしたキーナン男爵令嬢のことを、これほどまでに心配するディアナは優しすぎると思ってしまう。
「ディー、仕方ないことだよ。彼女のしたことは、高位貴族の家に泥を塗ったようなものだ」
「そうですが……でも、貴族として暮らしてきたのですもの、いきなり家を追い出されて生きていけるかどうか……」
確かにそれはディアナの言うとおりだ。頼れる者もなく放り出されれば、墜ちていくのは早いだろう。せめて、教会か孤児院までたどり着ければ……慎ましやかな生活でも我慢出来るのなら生きていく事は可能だろうが……
そう思って、私は国民だから大事だと言ったのに、彼女のことをぞんざいに扱っている事に気づく。
「とりあえず、彼女が今どうしているか探らせよう。それでいいかい?」
まだ青ざめているディアナの頬に手を添えて訊ねると、弱々しいけれど、確かな返事が返ってきた。
「はい。ウィル様、お願いします」
「分かったよ、ディーの望むままに」
私はディアナの『お願い』に弱いからね。
王太子編は後1話で、これで完結の予定になります。