ヒロイン 2
噂が流れるのと同時に、なかなか接点のなかったカイルと会話できるようになり、カイルにわたしはこんな噂が流れているの――と悲しそうな表情で伝えた。
「うん、僕も聞いてる」
「カイル様は噂が本当だと思っているんですか?」
「さぁ?」
探るようにカイルの顔を見ると、嫌悪の表情が浮かんでいる。
やっぱりカイルはディアナの事が嫌いなのかしら? 仲良かったら噂を否定するわよね。
「カイル様でもわからないんですか? ディアナ様の弟ですのに」
「……まあ、僕は養子だから」
「……ごめんなさい。余計なことを……」
「いや、別に構わないよ。皆知ってることだから」
まあ、わたしも知ってるんだけど。
とりあえず知らないふりをしておこう。噂好きな女と思われても嫌だものね。
「ただ、姉様は最近王宮に行くのが多くて会話をしてないから」
「そうですか。でも、噂が事実なら、ディアナ様と仲良くするのは控えた方がいいかもしれませんね」
「……どうしてそう思う?」
「え? えと……公爵家の話まで出ているので、カイル様は養子ですし、公爵家とは違うという意思表示になるんじゃないですか?」
「……そう思う?」
「わたしは……そう思います」
カイルに問われて、ディアナと接触しない方がいい理由を考えながら説明した。
本音はディアナと仲良くして欲しくないだけだけど。攻略対象者と仲良くすれば、ディアナが卒業時の断罪イベントで、ざまぁ返ししてくる可能性も出てきてしまうでしょう? だって、転生者みたいだもの。
それに、まだルートを絞ってないせいか、ウィリアムとそれなりに会話してるし。といっても、ウィリアムはディアナに難問を出したりして虐めている感じ。やっぱり、ディアナの事、気に入らないのよ。好きだったら、もっと優しくしてくれるわ。
そう、わたしに対してのように、ね。ウィリアムはいつもわたしに優しい笑みを浮かべて話をしてくれる。前世、二次元で見たスチルを思い出すわ。
「殿下、ここの質問が良く分からないのですが――」
「ん、ああ。ここの事? これは――」
二年になって、攻略対象者は軒並み生徒会の役員をしている。もちろんわたしもね。
その中にディアナがいるのが気に入らないけど、まあ、ウィリアムの婚約者って事でお情けで入っている。実力重視なら、学年十位をうろうろしている成績のディアナが入れるわけないもの。彼女もそれが分かっているのか、妙に大人しい。
でも、わたしを虐めてくる女は他にいるから、その罪を被ってもらって断罪イベントへ持っていこう。ウィリアムとカイルはともかく、クライヴ、ヘンリー、バリーはわたしの言う事は常に正しいって思うくらい、わたしに惚れ込んでくれているの。自分の婚約者を蔑ろにしてわたしに心酔してるのよ。もう、これほど嬉しいものはないわ。
できれば、ウィリアムもこれくらい惚れさせないとね。彼は優しいけど、掴みどころがないというか、好意は感じられるんだけど、恋愛感情にまで発展しているのかと言われると微妙なの。優しいけど甘い言葉を囁かれたこともないし、抱きしめられたりする事もない。もうちょっと仲を進められるように頑張らないといけないの。
それから、何かにつけて「殿下をお慕いしています」というニュアンスのものを言葉を変えては、ウィリアムに伝えた。彼は「ありがとう」とか「嬉しいよ」という答えが返ってきていたのが、次第に「私もだよ」という同意する言葉に変わっていく。
少しずつ、ウィリアムの心がわたしに傾いてくようで気持ちよかった。
早く、早くわたしのことをもっともっと好きになって。
***
卒業式当日、眠くなるような式の後、卒業生を送るパーティが開かれる。
この時、ウィリアムルートに入っていれば、ディアナを断罪するイベントが始まる。
ウィリアムとの進展具合を考えると多少不安が残る――ゲームより甘さが足りない気がする――けど、クライヴ達が証拠と思えるもの、証人として発言してくれる人を集めてくれた。
これなら大丈夫かしらね――と思っていると、ウィリアムがいないことに気づく。
あら、ウィリアムは何処へ行ってしまったの?
優しい性格のせいか、ウィリアムは最後までディアナをエスコートしてパーティへ参加したから、ディアナと一緒に居ないか探してみるけど、ディアナはエミーとかいう子爵家の娘と話をしていた。
なんだ、会話をする程度の友人はいるのね。
ウィリアムが居ないとクライヴ達が知ると、このままディアナの罪を暴こうと話が進む。
「ま、待って」
まだ早い気がするわ。ウィリアムもまだ来てないし。
止めようとするけど、クライヴが「大丈夫だよ。これだけ証拠とかあるんだから」と言って率先して、ディアナの元へ向かって。
ディアナはクライヴに気付いたのか、エミー子爵令嬢と話すのをやめて、クライヴを見て声をかけようとする。
「あら、クライヴ様、卒業おめ――」
「ディアナ嬢、レイラ嬢に対する数々の非道、断じて許せない。今ここで、その罪を認め謝罪していただこう!」
「え?」
ディアナはいきなり何を言われたのか理解できず、きょとんとした顔になっていた。
そうよね、わたしに対しての虐めもある程度でっち上げだというのは、わたし自身が一番よく知ってるわ。
でも、わたしが幸せになるために、あなたが邪魔なのよ。
始まってしまったものは仕方ない。クライヴ達に任せて、わたしは後ろで脅えているようにしてみせる。
「お前は……! レイラ嬢に卑しい身分の者が殿下に近づくなと、彼女の出自を貶めただろうが!」
「他にも、彼女の教科書が破かれたり大切にしているものの紛失……これらに貴女が関わっていることは、彼女の証言によりはっきりしています」
「他にもサロンでジュースを零してレイラにかけた事とかもあったよね」
「……はあ?」
うーん……なんか、このディアナってホント呑み込み悪いわね。
クライヴ達が畳みかけるように言うのに、ディアナは困った顔をしてばかり。謝罪も言い訳もない。
まあ、わたしを虐めたのが、ディアナだと認めさせればいいのよね。
ほら、早く頷いてしまいなさいよ。面倒臭い。ゲームのディアナは投獄か追放しかないんだから。
「いい加減なことを言わないで下さい」
わたしがディアナの態度にイライラしていると、横から口を出してきたのはカイルだった。
わたしは慌てて、カイルに脅されているからって庇う事はない、ディアナはどうしてカイルを虐めるの、とカイルの味方であるように言う。
それなのに。
「レイラ嬢が何を勘違いしているのか知らないけど、僕は姉様の事を信じてる。大体、姉様に虐められた記憶なんて一つもないしね」
「そんなっ!? だって、カイル君はディアナ様に虐められていたんじゃ……」
ゲームではカイルは公爵家に養子に入ったけど、ディアナとディアナの母に虐められて、公爵には跡取りとしてしか見てないため、愛情に飢えている設定だったじゃない。
それなのに、カイルとディアナは仲のいい姉弟のような会話を繰り広げている。
挙句、ディアナがカイルに抱き着き――
「わたしのこと、信じてくれてありがとう」
「……姉様の性格で虐めが出来るって思うほうがどうかしてるんだよ。――ねぇ、殿下?」
気づいたら、先程までいなかったウィリアムが近くまで来ていた。
どうして、わたし、ウィリアムルートを選んだつもりなのよ? なのに、どうしてわたしの方に来ないで、ディアナの味方をするの?
「ウィリアム様! どうしてその女を庇うんですか!?」
「君はここで何を学んでいたのかな? 学院内でも身分制度は免除されない。君よりずっと身分が上の公爵令嬢であるディアナに対して『その女』? 君は何様のつもりかな?」
「だ、だって、殿下はわたしに優しかったじゃないですか!」
「そりゃあ、私の国の民だから、優しく接するのは当然だろう?」
「…………え?」
「私はこの国の王太子であり、いずれ王になる立場。だから、一国民に対しても無下にしないようにしていただけだよ」
ワタシ ノ クニ ノ タミ ダカラ ?
違う!
わたしは一人のウィリアムという男性に好かれたいんであって、一国民だからとかじゃないのに。
大体、乙女ゲームのヒロインと攻略対象なんだから、そういう好意じゃなくて、恋愛的な意味で好きになるに決まっているはずなのに。それに、ゲームのように進めたはずよ。
「でもっ、王という存在は孤独で、だから、寂しくないですかって聞いた時に、殿下は『そうだね』と言ったではないですか? それって、ディアナ様が殿下の事をきちんと支えていないからではなかったのですか?」
そうよ。ゲーム通りなら、ウィリアムはディアナとの関係は良くなく、将来国を背負う存在になることに重圧と孤独を感じていたはずだった。だから、わたしはウィリアムに何度か「王太子って大変なんですね」とか「ディアナ様は殿下を支えて下さらないのですか?」とか、「わたしなら殿下にそんな思いをさせないのに」と伝えていたはずなのに。
ウィリアムはわたしの言葉に同意するような反応をしていたのに!
「兄上、いくら婚約者が可愛いのかもしれませんが、心優しいレイラに対してその態度はないのではありませんか?」
「そう? 彼女、優しいの?」
「そうですよ! レイラは身分に拘らない優しさを持っています。兄上の婚約者とは違います!」
「それが、優しいって事?」
「そうです! 第二王子で兄上のスペアでしかない僕にだって、価値があると!」
「私も父が宰相として国に仕えていますが、同じことを望まれて育ちました。その重圧を彼女だけが理解してくれたのです」
「俺だって同じだ。レイラは俺達にとって大事なことを教えてくれたんだ!」
わたしが「どうして!?」と悩んでいるところに、クライヴがわたしの味方をするように言う。続くようにヘンリーとバリーも、わたしのことを揃って『優しい』と言ってくれた。
そうよ、これよ。彼はわたしに攻略されて、わたしの事をとても大事にしてくれるのよ。
でも、殿下の言う『優しさ』は違うようで、ディアナの『優しさ』を説くように語った。
違う。ディアナを良く言うウィリアムなんて、ゲームのウィリアムじゃない!
ゲームのウィリアムは、ディアナのことが好きじゃなかったはずよ。一応、政略結婚だと認識していたから、我慢していただけで……
「でもでもっ、殿下はディアナ様の事を嫌っていましたよね!?」
「私が? ディーを?」
「だってディアナ様にだけ意地悪言っていたじゃないですか! 皆には優しかったのに!」
「私がディーに対してそういう風に接するのは、ディーが私の隣に立つ人間だから、だよ」
「え?」
「ただ庇護すべき民じゃない。私と同じ位置に立ち、同じように民を守る存在――だから、私はディーに色々なことを望むし、ディーはそれに応えるように頑張っている。認めているんだよ、私の隣に立つのはディーだけなのだと、ね」
それって……ウィリアムは自分の横に立つのはディアナだけだと、すでに決めていたって事? ディアナの事を見込んで色々教えていたというの?
違う違う違う! こんなのわたしの望んだ展開じゃない!
なんでゲームのシナリオ通りに動かないの? どうしてウィリアムは『ヒロイン』を愛さないの?
わたしが『ヒロイン』なのよ!?
そう喚きたいのをぐっと抑えていると、ヘンリーとバリーを側近候補から外すとまで言った。クライヴは謹慎だとも。
なにそれ、彼らはウィリアムルートに入っても、わたしの事を支える大事なキャラなのよ? それを遠くにやる?
信じられない……何もかも信じられないわ!
***
呆然としているうちに、わたしはこれ以上いると邪魔だとばかりに男爵家に追い返された。
馬車の中、「こんなの違う。何が悪かったの? ゲーム設定なら……」と呟いてしまう。
そう、ゲームのシナリオ通りなら、わたしは今頃ウィリアムの隣で笑い合っていたのに……
なんで、どうして? どうして、こんなことになるの?
どうして、という気持ちのまま男爵家に戻ると、入り口に義母が待ち構えていた。
「お義母様……」
「お義母様なんて呼ばないで頂戴。汚らわしい」
「なっ!?」
「お前、学院で男を何人も侍らせて……本当に、母娘揃って男を漁る事しか考えないのね」
「ちがっ! わたしは……!」
だって、ここはゲームの世界なんだから、ヒロインであるわたしが、攻略対象に近づいたって可笑しくないの!
義母のように、父に捨てられないように振舞うだけのあなたとは違うのよ!
義母を睨みつけると、義母は蔑む視線をよこす。
「まあ、いいわ。こうなった以上、もうあなたをここに置いておく義理などないわ。あの人も呆れ果てていたもの」
「……え?」
あの人って、お父様の事?
そう、訊ねる前に、義母はわたしの腕を掴んで立たせると、従僕に扉を開けさせ、外へと思い切り押し出した。
急なことで、わたしは受け身も取れずに玄関先に倒れこむ。
「いた……」
「もう、お前はこの男爵家とは縁のない小娘。――さっさと出ておいき」
「なっ、どういう事ですか!?」
「お前を貴族籍から抜くことで、男爵家にお咎めなしにしてもらったのよ。ほら、説明してあげたんだから、さっさとどこなりともおいき!」
義母は言いたいことだけ言うと、玄関の扉を思い切り閉めた。
わたしは従僕に追い立てられるように、着の身着のままで男爵家から追い出されたのだった。
***
あれから、何か月経ったのだろう?
卒業パーティに出た格好のまま追い出されたので、いいとこのお嬢さんだと思われ誘拐されかけ、必死に逃げた先は、わたしにはわからない場所だった。
幸いドレスは余り汚れていなかったため、古着屋で買い取ってもらえないかと交渉して、庶民が着る服と交換してもらった。(汚れているし、綺麗にしても高すぎて売れないから買い取れないと言われたけど、庶民の服と交換でいいからと言って粘った)
とはいえ、庶民に知り合いもおらず、どこへ行っていいのかも分からない。
食堂と思しき店に行くものの、お金もない。働かせてもらえないかと頼んでも、身元が分からない小娘を雇ってはくれなかった。
堕ちていくのは早かった。
今ではドレスと引き換えに手に入れた庶民の服も薄汚れ、わたしは狭い路地に一人座り込んでいた。
満足に食事もできないため、体は痩せてしまって体力が落ちている。嫌な咳が出たけど、薬を買うお金もない。生きているのが辛い。
どうして? どうしてゲームの世界なのに、生きているのが辛いなんて思うの?
わたしは『ヒロイン』で、絶対に幸せになるはずだったのに……
結局、わたしは意識がなくなるまで、ゲームと違う展開になってしまったことに疑問を持ち、また恨めしく思った。
どうしてどうしてどうして……最後まで繰り返して、そして、瞼が落ち真っ暗になった。
王太子からはお咎めなしですが、攻略対象の家や婚約者の家から男爵家に苦情が来たため、ヒロインを放逐することで男爵家は許してもらいました。
次から王太子視点になります。