番外編4 カイルの想い
僕がマードック公爵家に引き取られたのは、八歳のときだった。
一人娘である、ディアナ・マードック――僕の義姉になる――が、王太子殿下の婚約者になったため、公爵家の跡取りとして、親戚の中で天才だと言われた僕が選ばれたという。
正直、理由はどうでも良かった。だって、僕の家はあまり裕福でなくて、しかも上には三人の兄が居た。四人目の子供なんて、いくら天才と言われても、大人になる頃には自分で生活できる力を手に入れなければならない。
なにより、僕の評価を妬んだ兄たちが、両親の見えないところで僕に手を出してくるのに辟易していた。言い返したり、避けようとするとそれがさらに酷くなる。だから、僕は兄たちの気が晴れるまで、黙って過ごすしかなかった。しかも、両親にはバレないように、服に隠れたところを狙う。身の回りの世話をする侍女はいたが、僕選任というわけでもなく、上三人の兄に睨まれるのはご免だとばかりに、僕の怪我を見ても無視を決め込んでいた。
そんな生活が、公爵家に引き取られることによって終わる――そう、思うと、嬉しかった。
反面、僕が公爵家の跡取りとして相応しくない実力しか持ち合わせなかった場合、家に戻されるんだろうか? と思うと、そんなのは絶対に嫌だと思った。
どうか、公爵閣下に認められますように――。
***
公爵家での生活は、実家と違って何もかもが豪華だった。
でも、家族間は冷たい、と思う。
義父は僕に家庭教師をつけて、勉強させる。それだけ。
義母は実の子が跡取りになるわけではないためか、冷たく、言葉の端々から棘を感じる。
ただ一人、義姉であるディアナだけは、僕に優しく接してくれた。
「カイル、勉強は終わった?」
「はい。一応」
「そう。じゃあ、お茶にしましょう。ライラ、カイルの分のお茶も用意してくれる?」
「かしこまりました。お嬢様」
「よろしくね。じゃあ、今日は天気がいいから、テラスでいただきましょう。あ、今日は殿下もいらっしゃってるの。いいかしら?」
「殿下が?」
「ええ。気さくな方よ。カイルと話をしてみたいって」
「分かりました」
王太子殿下がそう言うのなら、僕には拒否権がない。応じると、義姉様は嬉しそうな顔で、僕を階下へと連れていった。
義姉様はメイドにも礼を言う変わった『貴族』だった。そのせいか、僕に対してもなんの偏見もなく『弟』として見てくれる。僕に向ける笑顔も、貴族令嬢のすました笑みじゃない。優しく慈愛に満ちた目を向けて微笑んでくれる。
僕が壊れなかったのは、義姉様のおかげだろう。
朝から夜まで、ぎっしり詰まった勉強の合間を見つけては――正直、どうやって見つけるのか不明だけど――お茶に誘い、なにかと気遣ってくれる。お茶の時間での会話も、僕がどれくらい慣れたのか、なにか気になることがあるのかと声をかけてくれる。
「あの、お義父様と、お義母様ですが……」
「……そうね。お父様はお仕事ばかり。折を見て話すわ。あと、お母様は……少し複雑な気持ちなのかしら?」
「複雑、ですか?」
「ええ。お母様はわたし一人しか産むことが出来なかった。跡取りを産むことが出来なかったのよ。政略結婚だったけれど、お母様はお父様をお慕いしているから。自分の子ではない子が、跡を継ぐのが複雑な心境なの。でも、必要なことだとわかってくれるわ」
実際は、お義父様は僕のことを親戚の子として紹介したけど、思っていた以上にお義父様と似ていたらしく、お義母様は僕を隠し子だと思っていたらしい。だから、冷たく当たってしまったとか。
これは義姉様からではなく、お義母様から涙ながらに聞かされたことだった。
と、こんな風にいつも気にかけてくれていた。
お茶の支度をしてから行くから、と義姉様は僕に先に行くように促し、キッチンがある方へ向かってしまった。
仕方なくテラスに行くと、王太子殿下が椅子に座って待っていた。
幼いながらも、こう……貫禄があるというか、上に立つものだと思わせる何かがある、不思議な人だった。
どう声をかければいいのか戸惑っていると、殿下のほうから声をかけてくれた。
「君がディーの弟のカイルだね? 僕は――」
「しっ、知ってます。王太子殿下ですよね」
「うん。ウィリアムでいいよ。カイルは僕にとっても『弟』になるからね』
「……はい。ウィリアム様」
不思議な気分だった。実家は家格が低く、おそらく社交界に出ても王太子殿下に直接言葉をいただくことはないだろう。
それにしても、お茶に誘ったくせに、義姉様はいつになったら来るんだ!? 王太子殿下と何を話せばいいんだよー。
王太子殿下はフレンドリーだけど、なんとなく恐れ多い。二人きり怖い。
義姉様の馬鹿ーと心の裡で叫んでいると、ガラス戸が開かれた。義姉様はお菓子を手にして、後ろには義姉様付きの侍女ラナがカートを引いて入ってきた。
「あら、もう名前で呼んでるほど仲良しになったの?」
嬉しそうに言いながら、陶器の器をテーブルの中央に置いた。中身はクッキーだ。少々歪な形もあって、義姉様の手作りだと分かる。
そう、義姉様はお菓子を作ったりと、本当に貴族令嬢らしくない。でも、焼き立てのクッキーはとても美味しいんだ。
「義姉様、少々段取りが悪いのでは?」
「あら、だって焼き立てを食べて欲しかったんだもの」
「ディーのクッキーは美味しいからね。子供たちにも人気だよ」
子供たち? 家には義姉様と僕しかいないはず――そう思っていると、孤児院の子たちよ、と義姉様が付け加えてくれた。
そうか、貴族の義務としての孤児院への慰問の一つか。義姉様と王太子殿下はよく二人で慰問に行っているから。貴族たちの模範となるよう――ということで、金銭だけの寄付だけでなく、孤児院へ直接赴いて子供たちに接しているという。いずれ、僕の執務の一つになるだろう。
なら――
「次回の慰問のとき、僕も同行してもよろしいでしょうか?」
「カイルも興味があるかい?」
「はい。いずれ僕の仕事の一つになると思うので。殿下と義姉様がどのような慰問を行っているのか、この目で見たいです」
「いいよ。今月はもう行ったから、来月かな?」
「そうね。お父様に言って、スケジュールを調整してもらいましょう」
殿下と義姉様二人が同意してくれる。
二人の雰囲気が柔らかい。二人とも、優しいんだろうな。
僕も二人に追いつくように、いつか並んで歩けるように、もっと頑張ろう。
***
月日が流れるのは早いもので、貴族の令息令嬢が通う学院へ入学する年になった。
義姉様と呼んでいるけれど、数か月の差のため同じ学年だ。
義姉様は学院での勉強と、王太子妃教育の二つをこなさなければならず、昔のようにゆっくりと話す時間が少なくなったのが淋しいと素直に思う。
また、追い打ちをかけるように、キーナン男爵令嬢がいろいろ話掛けてきて、これがまた、義姉様のことを悪く言うような内容ばかりだった。
僕が義姉様に虐められている?
あの優しい義姉様がそんなことするわけがない。義姉様が怒っていて声を荒げているのなんて、見たことがない。なにより、出会った時から好意しか見せなくて、目下の者にも気安く話しかけ、お人好しとさえ言えるほどの性格の持ち主だ。
聞いていて不快にしかならないキーナン男爵令嬢の話。だけど、何故か第二王子殿下と王太子殿下の側近たちが彼女に寄り添い、「ディアナ嬢に虐められたら、私(俺)たちに言うんだぞ」と本気で言っている。
なんなんだ、一体。
ウィリアム殿下も彼らの言動に眉をひそめるが、誰ひとりとして気付かない。
キーナン男爵令嬢の周囲の空気が気持ち悪い。でも、殿下から「何をもってそういうのか分からないけど、ディーを貶めるのなら、傍に居て動向を探った方がいいかもね」と言われ、義姉様と距離を置かされた。もちろん、殿下も同じように距離を置いたけれど。
それを見た義姉様の傷ついた表情に胸が苦しくなった。
そのせいか、キーナン男爵令嬢の周囲だけだったのが、今では学院内で噂話になるくらいだ。
幸い、義姉様は王宮での勉強もあり、学院の出席日数が少ないため、噂が耳に届いていないようで、殿下と二人で安堵した。
だけど、なんで義姉様がそんな風に言われるんだよ⁉
悔しくて、でも、僕では義姉様の噂を払拭することは出来なかった。
そんな中、たまたま義姉様と一緒に帰ることになった。
王都にタウンハウスを持つ貴族は、寮に入らずにタウンハウスから馬車で通う。普段の義姉様は王宮に行くことが多いから、別々の馬車を利用するけど、今日は王宮へ行く予定がないため、朝も一緒だった。
「カイル、学院ではどう?」
「どう、とは?」
「お父様から公爵家の仕事も受け継いでいるのでしょう? 学院での勉強もあって大丈夫か心配になったの」
「大丈夫だよ。お義父様はそれを見越して、学院に入る前に教育を詰め込んだからね。学院に入る前のほうが大変だったかな。それに義姉様のほうが忙しそうだよ」
「……そうね。こうして一緒に学院に行けるのは久しぶりだものね」
義姉様はそう言うと、少し淋しい表情を浮かべた。
その顔を見て、義姉様には悪いけど、嬉しい気持ちになる。きっと、義姉様は僕が見ていないところで、僕のことを気にかけてくれているのだろう。
「少し、淋しかったから、今日は一緒で嬉しいよ、義姉様」
「そう、わたしも嬉しいわ」
こうして、学院に着くまでの短い間だけど、義姉様と二人の時間を過ごした。
学院に着くと別々のカリキュラムのため、別れることになる。義姉様は「また帰りにね」と手を振って行ってしまった。
義姉様に手を振り返すと、キーナン男爵令嬢がすかさず声をかけてくる。
「おはよう、カイル君。朝からディアナ様と一緒で大丈夫だった?」
「別に何もないよ」
「無理しないでいいのよ。ここにはディアナ様が居ないんだし。少しは本音を出さなきゃ、疲れちゃうわ」
「本当に何もないよ」
キーナン男爵令嬢の声を聴いていると苛々してくる。義姉様となら、いつまでだって話していられるのに。
この頃になると、僕は義姉様への想いを自覚していた。
というか、八歳の時に出会ってから、常に気遣って優しくされれば、誰だって好意を持つに違いない。義姉様はそんなことも理解していない。
もちろん、なんのために公爵家に引き取られたのかを忘れたわけじゃない。それに、義姉様の想いは殿下にあるのは、間近で見ているので分かり切っている。
でも、それらがあっても、僕は義姉様のことが好きなんだ……。
***
退屈な授業を終えて、帰るために義姉様を待つ。
義姉様は図書室で借りた本を何冊か重そうに持ちながら、「待たせてごめんね」と言う。
「それはいいから、本を貸して。ふらふらしているよ」
「ごめんなさい。ちょっと調べ物をしたくて、気づいたら本の数が多くなっちゃったの」
「あまり無理しちゃだめだよ、義姉様」
「……そうね。でも、頑張らないと、わたしは優秀じゃないから」
義姉様は少し前のテストの順位が十位以下だったのを気にしているのだろう。
でも、義姉様は王太子妃教育もこなしている。特に、王族ともなれば他国の人間と接する機会が増えるため、他国の言葉だけでもいくつも覚えなければならない。この国は比較的大きめな国のため、共通語に近いものがあるが、それでも他国の言葉を覚えていた方がいいらしく、王太子妃教育に含まれている。
「朝、僕に無理しないようにって言ったけど、義姉様こそ無理をしないでね」
「うう、カイルにまで心配されてしまったわ……」
そんな会話をしつつ、馬車までたどり着くと、御者が扉を開けてくれたため、義姉様を先に馬車に乗せる。その後、僕も乗り込んだ。
ほどなくして馬車が走り始める。さすが公爵家だけあり、優先して馬車に乗れる。荷物が多いので、前に荷物を置いて、義姉様の横に並んで座った。
義姉様は疲れてふらふらしていたので、すぐに馬車に乗せることが出来てよかった。
そう思って、義姉様に声をかけようとしたら、すうすうと寝息が聞こえてきた。
「義姉様?」
声をかけても目を開ける気配がない。
そっと義姉様の頬に触れると、ふにゃりと表情が崩れるけど、そのまま眠り続けていた。
「義姉様、疲れてるんだね」
当然と言えば当然か。
だけど、義姉様は自分があまり優秀じゃないと謙遜したけど、他の同年代の令嬢の中に、義姉様と同じだけ勉強して、あの成績を保てる人がいるだろうか? キーナン男爵令嬢は三位をキープしていて、それを鼻にかけているところがあるけど、彼女は学院の勉強のみだ。義姉様の勉強量がどれくらいなのか、まったく分かっていない。
なぜキーナン男爵令嬢が、義姉様のことを目の敵にしてるのかは分からないけど、殿下や僕から見れば、滑稽にしか見えない。が、声を掛けられるのはうっとうしい。
「義姉様の声なら、いつまでも聞いていたいのにね」
そう呟いても、義姉様は小さな寝息を立てたまま。
今なら遠慮なく触れられる?
義姉様の頬にもう一度触れると、先ほどと同じくふにゃりと崩れた笑顔になる。頬に触れた手をすーっと下のほうに動かし、義姉様の唇までたどり着く。
うっすら口紅を引いてピンク色をした唇は、荒れていなくて柔らかい。その唇に吸い寄せられるように顔を近づけ――
――駄目だ!
寸でのところで理性が止めた。
反動でバッと義姉様から離れる。
ドキドキとうるさい胸を服の上から押さえながら、深く深呼吸した。
義姉様のことは好きだ。
でも、義姉様はウィリアム王太子殿下が好きで――
僕の勝手な想いで、義姉様を傷つけてはいけない。だって、僕に口付けられたと知ったら、殿下に対して後ろめたく思い、悩むことになる。
義姉様にとって、僕は『弟』であるべきなんだ。どれだけ僕が義姉様のことを想っても、僕の想いは義姉様にとっては、迷惑でしかない。
いや、『弟』としての好意なら、義姉様は受け入れてくれるし、苦しませることはない。
僕はぎゅっと拳を握り締めて、義姉様にとって一番良い行動をするべきだと思い直す。
そんな僕の思いに終止符を打つかのように、公爵家にたどり着く。
また、止まったことによって、義姉様の意識も浮上したのか、瞼をぴくぴくと震わせた後、ゆっくりと目を開けた。
「姉様、家に着いたよ」
「あら、そう。もしかして、わたしうたた寝しちゃった?」
「うん、気持ちよさそうに寝てたよ」
そう言って笑い返せば、姉様は顔を赤くして、「見てないで起こしてよ」とぼやいている。
そんな姉様を置いて先に降りてから、馬車の中に居る姉様に手を差し出す。
「ごめんごめん。あまりに気持ちよさそうに寝てから。でも、今日は疲れているみたいだから、早めに休んでね」
「……そうね、気を付けるわ」
姉様は僕の手を取って、ゆっくりと馬車を降りる。
荷物は御者が屋敷内に運んでくれるため、姉様をエスコートして屋敷に入った。
僕は姉様の幸せを最優先に考える。僕の想いよりも。
だから、この日から、僕は義姉様を姉様――義理ではなく本当の姉として――と呼ぶようになった。
僕は姉様の幸せを、なにより願っているから。
ほぼ乙女ゲームのイベントには触れず、姉様大好きで終わりました…。




