幕間 ある真夏の遺品整理
見つけたのは、板紙をノートの表紙に貼り付けただけの、簡単な作りの本だった。
掃除を中断し、〈ナギサ〉と札の下がった自室、進学祝いに祖母が買ったヴィンテージのデスクチェアに腰を据えて表紙をめくる。中身が気になると掃除の手が鈍っていけない。読書は掃除を進めるための、必要な儀式だった。椅子の構造のどれもが、儀式のための最良の形を作る。読書を、勉強を、邪魔する主張のない形。祖母らしい椅子だ、と思う。
掃除好きの祖母は鼻歌を歌いながら、定期的にワックスを重ねて家中を光らせた。幼児の僕はよく足を滑らせたせいで、中学に上がる頃までワックスの香りが大嫌いだった。祖母の言うところの、最良の床の、最良の姿のための仕事、香り。
祖母と鼻歌とワックスは、記憶の中で常に寄り添う。
祖母はすっかり弱りきった病室でも、毎日「今日はワックス掛けの日だね?」と僕に尋ねた。掃除のおかげか健康の塊のような人で、腰を痛めるまで薬を必要としなかった。祖父母ともかねてより宣言した通り、残す家族に手伝われず、病室で亡くなった。そんな祖母が掃除していた本棚だ。保存のためのパラフィン。埃を寄せぬガラス戸。時期が来れば虫干しされ、定期的に読まれた。状態の悪い本の存在する余地はない。自然、リビングの本棚の整理は、いつも僕に読書をするよう薦めた。
本棚には、僕が産まれるより以前から祖母が持つ本がある。祖母が亡くなってから僕が買い、読み倒した本がある。背表紙に印刷されたタイトルが、僕の、本への感動を呼び起こす。
一番初めに覚えた英語は〈Mary——メアリー〉だった。祖母の名前だ。
蔵書印を押す癖のあった祖父を真似て、祖母は自分の名前の印を作って面白がっていた。最後のページに押される〈Mary〉が綺麗な模様に見えて、紙に模写した。
ある年齢以下向けの本は、英語と日本語とで、同じタイトルが二冊ずつある。つまり、二冊を一緒に読むことで、本来読めないもう片方の文字も理解できるという仕組みだった。海の向こうに生まれた祖母、大陸を挟んだ反対の島国で生まれた祖父と僕。そうであっても、声と文字を介した感想を言い合えたし、祖父母はそれをいたく喜んだ。気づけば、簡単な物語ならどちらでも読めるようになっていった。
お伽話、民話。こういったものは、僕が読まなくなった後でも、祖母が綺麗に補修し、本棚に並べた。保存だけではない。時おりそれらを取り出しては、やはり鼻歌まじりで読んでいた。書き込みがあり、前小口の下から四センチが手垢で変色している。気に入って再読していたものは海外の『藺草ずきん』と、なぜか『桃太郎』。それらが掲載された本だけ、背表紙が取れ、二冊目がある。本棚は、祖母が残した雰囲気を宿している。
だから遺品整理が進まなかった。どの背表紙を取っても、その本を読む祖母の顔が思い出される。「ナギサ、ちょっとおいで」と僕を呼び、感想を尋ねた。小さい頃の記憶を総動員して、あれが面白い、これが悲しいと話した。そうすると、とても満足そうだった。そんな祖母の様子を見ると安心したことも、一緒に思い出す。
(僕はおばあちゃんの、箱庭の人形だ)
今日もまた、棚に置かれた四枚の写真に「おはよう」と声をかけた。ひとり暮らしに見合わない部屋は、挨拶をよく響かせた。二枚を線香の火で照らし、祖父に手を合わせ、祖母に祈る。生き残された僕のルール。
今日は母と仲のよかった従姉が、祖父母の家でひとり暮らしをする従弟の様子見と、遅々として進まない掃除の手伝いでやってくるという。ありがたいが、これは自分の仕事だという使命感が強くあるし、彼女の休日を奪うのも申し訳ない。できる限り、ひとりで進めたい。人の手を借りるのは得意でなかった。人が差し伸べた手を、たとえその人が嫌いでなくとも、どうしたって追い返してしまう。この掃除は自分の世話でもあると思うので、ならば僕がするべきだし、そう主張した。僕が納得するための掃除ならば、僕以外の仕事が紛れてはいけない。それでは僕が、永遠に整理を終えられない。整理の方向性だけでも決めるために、今日は、いつも手をつけない場所から始めることにした。
そして見つけた。
棚の足元の、あまり開けられなかった引き出し。その中には、いくつかの小瓶や石と、背表紙がなく綴じ部分が見えている本があった。厚い板紙の表紙。クリーム色のページ。上質なテクスチュアにブルーブラックのインク。
「おばあちゃんの字……じゃない?」
祖母に似ていて、より硬い文字。それに、その本の表紙は焼けていた。ガラス戸に並んでいるよりずっと古い。どのような本で、どうして引き出しにあるのか興味が湧く。
棚に並んでいるものの表紙には『不思議の国のアリス』『ピーターラビットのお話』『クマのプーさん』……。この板紙には、何も書かれていない。並んでいる本には、挿絵が付いている。この板紙の中には、インクの滲んだ絵が描かれている。ちょっとだけ下手だった。
初めの数ページを読んでみると、病弱だが物語好きなお嬢様と、冒険家気質で人気者の青年が登場して……といったものだった。お嬢様は、自分の話を聞いてくれる誰かを求めている。きっとそれが街の青年なのだ。世界には、鉄道も、航空機もあるらしい。近代的だな、と思う。挿絵で病床の少女が歌い、隣に歌詞がある。『チャールズの聖典』と題された歌の歌詞には、研究書のような番号が振られている。
ページ番号が大きくなるにつれ、まっさらな紙に真っ直ぐな文字列を書くことに慣れたのだろうか、規則的な、判を押したような文字に変わる。機械のように正確なアルファベットが、淡々と物語を紡いでいる。本の四分の一を過ぎたあたりでぷっつりと物語は途切れ、代わりにメモが残されている。
「これは、見たことあるな。メモはおばあちゃんの字だ」
物語についての註釈が、いくつか書いてある。歌詞中の番号は、祖母が後から加えたもののようだ。そこには「アニーのお気に入り。初出二巻目」とある。
「……これが、何冊かあるんだ? 他のも家のどこかに置いてあるかな」
思い当たる場所はない。引き出しにはこれ一冊だけだった。本棚と庭でなければ、捨てることに苦労はあっても、整理程度はできている。遺された物は一通り目にしているはずだ。……本棚にあるなら、儀式に邪魔されなければ、掘り出せるかも知れない。
もう一度、これが何冊目か知りたくて本を開く。
機械的な文字が途切れた、その次のページ。「ナギサに頼む」と、祖母の文字でただそれだけが書いてある。物語が中途半端に、お嬢様はまだ誰にも出会わずに、途切れてしまった。どうして続きがないんだろう? 僕に、なにを頼むのだろう?
さらに次のページを開け、註釈の答えを探す。
「うぁ……、あれ、前が、見えない……」
体が急激に重くなったように感じ、汗が止まらなくなった。部屋はグニャグニャと曲がって形を留めない。輪郭がぼやけ、像が幾重にも分裂して見える。椅子から崩れ落ち、部屋の真ん中で電池の切れかかった玩具になった。
倒れた弾みで、本が放られた。
心臓が言うことを聞かない。心房心室が各々、自由に、バラバラに、思い思いのタイミングで動いている。外から抑えようと、鳩尾に両手を押し付けてもがく。心臓、心臓、心臓……。ドクンドクン という拍動に紛れて、鼻歌と、玄関のインターホンが鳴っている気がした。
祖母の遺した本の、最後のページには〈Mary〉の蔵書印が押されていた。
ボール紙を表紙の芯にした本は、日本では、明治20年前後から現れるのだとか。同時代の教科書は和綴じのものもありますから、現代的のハードカバー的な本と古文的な姿を持つ本が同居しているのは、どこか時間が混ざり合った感覚があります。
文中では、文字通り「板紙が表紙の」本をイメージしています。靴とかプラモデルとかが入っていた空き箱の裏側、ねずみ色や砂色の、あの紙が見えている本、ということです。