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第一幕:ビアトリクス墓地での出会い 四

 コナーはナギサの肩に毛深い手を乗せ、一度断られた紅茶を勧めた。


「……この建築群を見て、些細なことで良い、思い出すことはあるか? すぐにでも記憶が戻るのなら——いや、止めよう。余計に悩ませてしまう。お前の涙は、私の所為でもあるはずだ」


「……なんにも。建築や水路は、凄い立派な街でしたけど」

 手早く観光地を回る、パック旅行者の感想だ。

「ごめんなさい……。ここがどんな街かも知らないんです。僕がエリスだと思えないし、魔法を初めて見ました。ノエルが居なければ、僕は、凍死を待つばかりだった。……彼女に助けられたんです。どうか彼女に悪いように、なさらないで下さい……」


 ナギサは、着地点を見失った自分の話が、残酷なほどに惨めに思えた。考えが散らかって、もはや自力での整理整頓は望めない。どうにか自律を望むのに、助けられるばかりで情けない。道化芝居のマリオネットめいている。


 ぐしゃぐしゃ泣くナギサに、コナーはトリュフを食べさせた。上品に溶けた。包まれていたミルクシロップの風味が、ナギサの涙腺の働きを和らげた。暖炉の炎が弱まり、微かな煤の匂いのする中で、コナーはナギサの肩を優しく叩いて励ました。


「エリー、心配するな。アルゲン島の知り合いにはヨリアに好意的な者もいる。どうにか宿を用意してあげられるように努める。……お前も、自分の心配だってしなくて良い。師匠(マエストロ)を呼んで診てもらおう。研究室のことは、なんでもいい、覚えているかね?」


 ナギサは首を横に振る。


「……そうか。深い忘却の呪いだ。しかし悲観はいけない。師匠ならば、きっと直してくださるだろうからね」


 彼は師匠と呼び慕うマハラルについて、楽しそうに語り始めた。マハラルはこの街アヴァリス州、否、この国アルトランド一番の杖職人だと言う。そしてマハラルはこの島アルゲン島、否、この地域セントラス一番の魔法学者だと言う。マハラルは貴族にも関わらず職人仕事を愛する変わり者。でも、そうなることは神が示した道だ——と言われる程、彼は最先端で最高級の杖を手がける杖師の巨匠(マエストロ)。そして、研究者としてコナーとエリスの師匠でもある、と。


「エリーも私も幸せ者だ。アヴァリス州を、アルトランドを、アルゲン島連合王国を、そしてセントラス中を探しても、ああ優れた指導者に巡り会えることはない。エリー、安心なさい。忘却の呪いは、必ず解除されるものなのだから」


 コナーの口調は軽妙で、師への尊崇を表していた。


「お前の杖も師匠から頂いたものだ。それもあって師匠をお呼びするのだが……おんや、ノエルはずいぶんと早く戻ってきたようだ。遠慮など必要ないと、伝えるべきだったか」


 コナーは早いと言うが、師匠の話をしているうちに時計の長針は半周していた。


 ノエルは、コナーが蒐集したという異国の着物に身を包み、頬を紅色にしている。その姿がまた、ナギサのメランコリーを誘った。どうして〈その服〉があるのか、心が乱れた。


「さあエリー、疲れも落としておいで。出てきた頃には、申し訳ないが、私は部屋だろう、明日は早い予定があるのでね。ベッドは、これも申し訳ないが、使用人の部屋を使わせるわけにもいくまい。おそらく、客間のソファになってしまうだろう」


「あの、着物をどこで……。いえ、心より感謝致します、こんな、親切にして下さって」

 ナギサは深々と頭を下げた。

「コナーさん、今晩は、お世話になります」


 コナーは「改まって気にしないで良い」とナギサの肩に手を置いた。猫顔でも、口角が上がるという変化ははっきりしているのだな、とナギサは思った。


「今晩だけでなくとも構わないよ。さあ、湯でゆっくりと、髪を染める粉汚れを落としてくると良い。ほら、用意をして待っているぞ」


 階段に続く扉の前で、狐頭(フォクシー)の女性がナギサを待っていた。


「……それじゃあ、コナーさん、お風呂お借りします。でも、これ滑石(タルク)やチョークじゃなくて、きっと地毛ですから、お湯でも、色は流れない、と思いますけど」


 コナーは、瞬きのようなほんの一瞬だけ、気絶しそうな顔をした。目の前にいたナギサでも見間違いかと思うような少しの動揺だった。しかし、またすぐに笑顔らしい顔をつくると「そうだったね」と言って自室に引っ込んだ。ナギサはその表情に違和感を感じたが、コナーが出てくる様子はない。待っても仕方がないのだろう、と悟った。ナギサは、散々待たせたフォクシーの女性へ駆け寄り、風呂場をどう使ったら良いのか説明を貰った。


「魔法が使えない、と伺っております。シャワーと、必要でしたら水差しをご使用下さい。着替えは棚の中のものをご自由に選んで下さい。サイズは……申し訳ないのですが」


 棚に着替えが用意されていた。サイズがちぐはぐだ。使用人の服から見繕ったのだろうが、巨体馬頭の〈プーカ〉や老猿の如き〈スプリガン〉、同種ヒューの物ですら、ナギサの体型に合わない服が揃う。羽織ることができるのは、異国風の着物だけだ。ナギサが狐頭の女性に助けを求めようとすると、なにかありましたらベルで男衆をお呼びください、と言って、浴室の外へ下がる始末。


(……僕は「自国風」着物か。着方が曖昧なんだよな。襦袢と帯、なんだ……この白い紐)


 普段着のスタンダードではない。から、着方がいまいち分からない。この世界に着付師などがいるかどうかも、ナギサには分からなかったが。職業としてあるなら教えて欲しい。


(コナーさんも狐の女性も、背中のファスナーや首の隙間、なかったな)


 ……陶器の蛇口をひねると、シャワーの冷たい水が体を打った。お湯を期待していたナギサは驚いて跳ねた。……と思えば、次第に黙って浴びられない熱湯に変わり、肩を真っ赤にしてしまう。右が冷水・左が熱湯。調節に悪戦苦闘し、ブラシで体をこすり、バスソルトを叩き込んだ湯船に浸かるまでに二十分を要した。


(銀色の世界に迷い込んだ。台本なんてないんだ。死んだのかな。それとも、帰れるのかな)


 髪は、やはりチョーク汚れではなく、濡れてもなお明るい銀色に光っている。ナギサはそれをくるくると指に巻きつけては離す、を繰り返した。特殊メイクなどなかった。ああ、彼はいよいよ現実を受け止めた。


(だーれも、役者なんていないんだ)


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