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第八幕:ナギサの初めての魔法 三

「とっておき。立ち入り禁止の場所なのか、良くない性質の道具を使う?」


「禁を破るのも程々なら楽しいのさ。それよか、他二本の魔法を覚えてるか?」


「長いのが『水』で他方は『ミュストを打つ』……ちょっと待って。僕は、この杖の使い方も呪文も聞いちゃいないぞ。それを知らなきゃ、僕はなんの練習をするんだろう」


 ナギサは往来ではたと立ち止まり、くるりと踵を返した。


「待て待て待て! 俺が知ってるから! それに、マハラルも言ったろ。『杖を分けるなら詠唱は要らない』。なにより、どっちの魔法だって、お前は見たはずだ。そうだろ?」


 ノエルが洗濯用の水を盥に満たす魔法。アーサーが屋敷のノッカーを響かせた魔法。水と、いわゆる(ぜつ)と呼ばれた魔法だと言うのならば、ナギサは確かに、街の隅々まで行き渡るそれらの魔法の、如何にヒトに近いかを見ていた。


「分かったろ? 案内は任せな、今日は最後まで付いてるから」


「……君は落ち着きなく、進行を中断してしまうからね。でも、信頼するよ、行こう」


「やり遂げるとも。今日は、お前が魔法を役立ててみせるのさ」


 アーサーは高級店が並ぶ大通りを ずんずん ずりずり 進んだ。


 セントエイル区北西。彼らはガラス天蓋の商店街を抜け、デパート三階の古着屋に辿り着いた。工事現場の手動式エレベーター、着る場面の不明な装飾過多の服。ごちゃつくインテリアに、鏡の割れた試着室があった。柔いパーテーションに「使用禁止」の貼紙。


 しかし、アーサーは構わず小部屋のカーテンを開け、ナギサを招き入れた。そうして鏡を固定する金具のひとつを摘み……浮かべたのは、なんと悪い笑顔だったろう。


「初めての経験になるぜ。古い儀式魔法で、しかも転移魔法! 当然誰にもバラすなよ!」


「転移! とっておき、って転移魔法のこと? 一体何処へ連れて行こうと——」


 小声の抗議をまともに聞く前に、雲に散る陽光のように、アーサーは緑、ピンク、黄金色の粉に溶けた。ナギサの体も同様に。極めて膨大な、小部屋に濃縮するミュスト。買い物客がバーゲン品を奪い合う声を背景に、うねる海流の如きは——


「…………。え、潮の匂い?」


 ナギサは石床に尻餅をついていた。すし詰めで熱気と喧騒を撒く、デパートの姿はない。上下へ向かう階段と、荷物のための機能の部屋。波の音。塩はゆい風。


「デーヴァだよ。アヴァリスの南、ベイル河の河口の港町。俺の前の配属先」


 アーサーは胸一杯に、潮風の奔放な感触を懐かしんだ。


 ひやりとした灯台のなかでも、海の香はどこか温かさを孕んでいた。ために、十の月の終わりも近い頃だのに、ナギサに、前世の温く湿った夏の空気を感じさせた。彼の鼻が、潮と夏の日差しを結びつけて記憶していた。あの不快、照りさえ、懐かしませた。


「海の縁の漁船のための灯台なんだ。俺の秘密基地。縁を見るのが好きで、休憩に来ては、儀式道具を仕込んで転移の準備をしてたんだぜ。いやぁー、大変だった!」


 開口部が飛行船で遮られている西日の見えない薄暗い部屋の片隅、ひっそりとニッチが設けられ、蓋の閉まった小箱が安置されている。ナギサは埃の被る蓋を開けた。なかには宝石や魔法陣の書かれた紙片、小指サイズの杖、アーサーの言う儀式の準備だ。


「禁止なんだってのに君は……。……ちょっと待って、海の〈縁〉ってなんだ?」


「知らないなら驚くぜ。予備知識があった俺も、いざ、実物を見たときは感動したさ」

 心柱を持たない螺旋階段の、アンモナイトに似た裏側。彼はその一段目に足を掛けた

「転移魔法の儀式道具を見るのも良いけど、早く最上階に来いよ! そしたらお前はエリスの魔法と同じことができるんだぜ!」


 彼は興奮した足取りで螺旋階段を駆け昇って行った。建物の外壁に沿ってゆったり曲がる階段。段差は低い。高い位置の小窓から漏れる灯がナギサに降る。


 ナギサには、ずんぐりした灯台の外観、灯台に登るヒトのための階段の設計が、簡単にイメージできた。船を見守る灯火の存在感。アーサーが魔法の練習場に推薦するように、最上階でも見合った広さが確保されていそうな構造。彼には灯台が、海運の魔法が働く場として、適した空気感を纏っていると映った。


 魔法の場だ。それを放つことが当然である場。ナギサにとっても。


(エリスの魔法じゃなくて、早く、僕の魔法を使いたい、エリスのじゃなくて!)


 彼自身、遠慮なく魔法を放って良いと言う感覚を持ち、一足先に階段を登って行ったアーサーに追いつこうと、一段、また一段と息を切らせて踏みつけた。


 外壁のみが支える階段は、一見頼りない。が、足場は驚くほどの堅牢さを返した。靴音が反響し、興奮した。アーサーは中腹ほどで止まっていた。ナギサは彼を追った。杖の魔法銀に反射した西日が、壁に銀の水面を揺らし、魔法の道具の存在を意識させた。使うのだ、と。


 ……そして、アーサーに数段ほどの距離まで登ったところで、勢いは彼に殺された。彼が指示を下したのではなく、彼の険しい横顔が、ナギサにそうさせたのだ。


「どうしたの、アーサー。階段の先に——」


 アーサーは人差し指を唇に当てた。


 ナギサは細心の注意を払った小声でさえ不用意なのだ、と悟った。外壁にもたれ昏倒する老人を発見したから。灯台守の制服の老人は、魔法によって意識を奪われていた。


「ミュストが上にふたつ。泥棒目的の賊か、魔法の達者な上級悪魔の可能性もある。杖を手放すな、魔法銀をいつでも杖に添える心算で構えろ。舌はミュストを打つ魔法だから。……まず隠れろ。そして危険を感じたら、相手がヒトだろうが構わず打ち、逃げろ。俺がお前を守る約束はできないし、生きることが絶対だ、分かったな」


 アーサーの纏うオーラが、秘密基地に目を輝かせる青年から、豚の悪魔を撃退した勇敢なカンパニーの護衛士へと変わった。彼は私用の杖を薬指と小指で固く握り、ぼんやりと漂わせていたミュストを引き締めた。階上の敵と段差を詰めた。あと数段、灯台の襲撃者と対面する。ナギサの心臓は暴れ、いまにも口から飛び出しそうだった。


「主——」


 アーサーは杖を握る手で、セクトを形作る交線を切った。


「俺らに気づいてんのは分かってた……聖剣!」


 電熱線。晩秋の雨雲を切り裂く雷光が、黄金の折れ線を無数に吐き散らし、アーサーの杖を無限に延長した。灯台以上に遠く劈く、アーサーの『聖剣』魔法。真昼の陽光とさえ、比すれども数層倍強烈に煌いた覚悟。

 その光景は、生活の面とは別方法でも、世界に魔法が組み込まれることの証明だ。


「ゴアッ……ッァアアアアアッ!」響く悪魔の声。


 火球の群は悪魔の魔法か。ナギサの目前を、雷を抱くアーサーと火球が縺れ合う。


「アーサー!」


「ナギサ、迂闊に頭を出すんじゃ——」


(杖を腕輪に、)


 悪魔が杖を構える姿を、ナギサは真正面から捉えた。充分に、彼と悪魔との関係を承知していた。悪魔の炎が迫る。悪魔の背を超えて街が栄える。街の住人たちは、魔法を、洗濯に、鋳掛の火に、工場の制御に、あるいは、恋人の気を惹くための花束に、きっと使っている。灯台はそんな関係にはなかった。この世界で傷つけ合う関係が自然なのだ。


「狙い定めて、添える——ッ!」


 魔法は、悪魔の放つ火球を超え、筆型杖の先から直線を飛ぶ銀の雫だ。


 無意識に、魔法を消す、ことを考えていた。狙いを外した雫が悪魔の肌に浸透したのは、ただの偶然だ。「ァ……」しかし悪魔は、魔法を受けて起こした激しい痙攣によって ブルブル と震え続け、関節のそれぞれが勝手に折れ曲り、崩れた。悪魔の背中に縦長の亀裂が走った。壊れた体の組織、赤黒い液体。カラカラと組み方を忘れる細い白。


「骨……」


 ナギサは肉塊になった悪魔を見下ろした。感情は希薄だ。どうしてか、魔法を扱うヒトの営為、その営為に興奮し歓喜した彼をまた、酔狂なヒトであると思った。途端、動かない悪魔が可哀想な生物に見えてしまったのだ。


「……ごめんよ、僕を怪我させた悪魔は君じゃないんだけど……ッうわ!」


 もう一方の悪魔と目が合い、ナギサは杖を放り出した。悪魔はふたつ。アーサーも言っていたことだ。石の床に倒れ込んだ感触もないほど、心臓が押さえつけられて痛かった。


「ばか野郎。悪魔倒してぼーっとすんな。舌も撃たねぇし」


「……ペンの形でも、杖だったね」


「そりゃそうだ、振るもんだぜ。……おめっとさん、相性の良い解呪魔法が、まさか組み上がった悪魔まで解体するとは、驚いた。一端の貴族の坊ちゃんっぽいこと、できたじゃんか」


「ありがとう。随分と危ないとこだった。呆然として……これは、変なことだろう。僕は、彼らがとても小さい生物に見えたんだよ」


 ナギサは吐き気を抑え、動かぬ悪魔に近寄った。彼らに対して抱えていた、恐怖や、不気味さといったは感情は、アヴァリスの霧のように散った。いま、彼の吐き気は〈死体〉のみに向いていた。ナギサが彼らに向ける視線は、いまや純粋に善良の気質から出る、同情だった。


「こうするのが正しいか、僕は知らないけど」。そう呟き、ナギサは掌をぴたと合わせた。


「それは祈ってんのか」


「うん」


「……なら正しいさ。俺たちは悪魔を神の試練だって思ってる。でも、だから神に対して祈るんだ。『主よ、貴方の試練を乗り越え成長しました』ってさ」


「……そっか、試練か。悪魔は試練か」


 ナギサは、護衛士の信念との差異を認めない訳にはいかなかった。彼の祈りは、彼と悪魔とを等しく救うことにあったのだ。……ヒトでない恐怖を、静物や乗り越えるべき困難、として扱う勇気を持たない彼は、魔法で組み上がった良識を、空気として肺に取り込むのは、まだ難しかった。もう半分の納得を得るときは、まだ遠い。


「悪魔も大変だ、とは、感傷的かな。ごめんよ」


「俺も、本来なら殺すまでしない、自分で決めた規則でな。……だから、お前を楽にするかは分からんけど、教えてやるよ。目の前の悪魔の、背中から飛び出てるやつに見覚えは?」


「……背骨だよ」


「ビアトリクス墓地で見せたけど」と言ってアーサーは、溢れ出た悪魔の血液にミュストの雫を垂らした。「これは……」。ナギサは血液の銀色に変化するのを見た。血液は生物の持つ雰囲気を無機物のそれに改めた。真白く流れる液体溜り。背骨に見えた棒が、色を失くし、本来の形状を明らかにしてみせた。


「棒に、魔法銀が埋まって……これ、杖だ。工房で見た、骨の役割のものだ」


「人形の芯だ。お前の罪悪感を軽くするかは分かんない。けど、こいつらは俺らが来るよりも前に、命令を受け付ける人形にされた。……元々死んでる。最低レベルの粗末な人形だ」


「……人形だなんて、こんな生々しい表情だのに。布や木の肌も球体関節も、街で見る、表情の刻まれた無表情もない。墓地の南東の悪魔みたいに——」

 否、あの日の悪魔は人形だったはずだ。

「……アーサー、これ、マハラルさんの許可証」


「そうだな、この魔法は許可証が要る。魔法の禁を犯した違反者報告は、二度目になるな」


「それだけじゃない。早く立ち去ろう。悪魔の人形に製作者がいるのなら、僕らは、火事の街から逃げるように、慎重に、迅速にここから離れなきゃ駄目だ……」


「その通りだ。ビアトリクス墓地のような、俺らを守る結界はない。悪いな、ナギサ。俺はまた予定を反故にする。巨匠(マエストロ)監査部(カンパニー)に手紙を飛ばして、俺らも急いで帰ろう、製作者に見つかる前に。デーヴァに転移門を用意したのは、つくづく正解だったぜ」


「君も違反者だよね……非常時なんだ、なにを言うこともしないけど。急ごう」


「一個持って帰るから、うまく隠すの、助けてくれな? じゃあ——」


 熱波。アーサーの背の布が焦げ落ちた。


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