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第七幕:タンジー街と白い部屋 一

 首都アヴァリス州のセント・アルバート大聖堂は、連綿と丘陵を埋める石建築群に、一等高い尖塔を誇る。区では最古、王国全体でも最古級の、エルシア教信仰の中心地。大聖堂中央に埋め込まれた魔法銀タイルが、アルゲン島各地への距離を測る起点となる。


 ナギサがそのタイルを跨ぐのは、今日で三度目だ。


 杖を貰うまでの十日の準備期間、ナギサは、エリスの輪郭を捉えようと教会へ通った。彼が敬虔なエルシア教の信徒だと知ったからだ。来て正解だった、と思った。ナギサは、礼拝に訪れたエリスの気配を感じるような気がしたのだ。


 エリスを知る執事(教会職。使用人でない)はコナーの紹介状を受け、天才の〈弟〉を迎えた。白い青年が記憶喪失と聞くや見学許可を取りつけ、熱心に典礼や建築の案内をした。


 日に数度の礼拝の、最初が終わったことを報せる鐘の音。幾千年に渡る響きが、耳を打つ。

聖堂側廊の片隅で、執事は古新聞に掲載された粗い写真を見せた。


「中央左がブレグバリーのヴェナス準男爵エリス・フォン=ダラム卿」

 執事はナギサの白い掌に写真を乗せた。

「……貴方はミュスト過多の白肌の所為か、兄君より異国的(エキゾチック)で妖艶な空気を纏っておられ……失礼。悪魔的と言うのではないのです。印象が似てないなと」


「街では『マネキンに似てる』、と。気になさらないで下さい」


「マネキン、人形か。私は聖典の物語の一節を聯想しました。『賢者聖チャールズ』率いる純白の修道士たちを。……今賢者殿はカラスのような漆黒ですから、兄弟の対比も面白い」


 カメラに向けて笑うエリスの誰より艶やかな黒髪、焼けた肌。今賢者。彼は階段に三列で並ぶ研究者たちの下段中央で、仲間と髪をもみくちゃにし合い、肩を組んでいた。噂に聞く天才性より、ひょうきんを感じた。年少者なりに愛されていたらしい。


「……兄、の隣の方はどなたですか? 真ん中の……」


「ジョン王子殿下です。フォン=ダラム卿殿は数年掛かりの大調査に参加していますが、浅い場所の調査グループには殿下が御参加なさいました。彼らは滝壺の調査をしているんです」


 ナギサは脳裡に、白く流れ落ちる平たい水の線を浮かべた。涼しい飛沫に打たれながら、水を採取するエリス。……全然、間違ったイメージだと思うが、これ以外想像できなかった。


「では弟殿、私は司祭の元へ戻らねば。新聞は差し上げます。それと、次回お越しの際はこれをお持ち下さい。賢者聖チャールズの物語も聖歌の一節になっていますから」


 執事は新聞に、簡易な聖歌集を重ねて渡した。活版印刷の膨らみが文に表情を与えていた。

ナギサは礼を言い、儀式を終えた信徒の列に混ざってセント・アルバート大聖堂を後にした。……今日の予定の半分が済んだ。


「さんざ待たせた、早く丘を降りよう」


 教会があるのは切り立った高い丘の上だ。信徒たちは崖肌を縫うように設けられた階段を上り下りして礼拝に赴く。休日礼拝ともなれば、麓の幹線道路と階段への小道の境にはエルシア教徒たちが教会を目指して整列する〈聖なる行列〉が現れる。


 平日の今日は人も少ないが、代わりにノエルが帰りを待っていた。礼拝の見学に時間が要るから、と貸本屋で待たせたはずが、水路の柵から身を乗り出して手を振っていた。目の細かいヴェール、腰を絞った真白いドレス。離れた場所からでも目立つ。


「私もたまにはセント・ジョージ聖堂に行ってみよう、かな。奥様はよくお祈りなさるんだけど、私はその習慣がないの。ヨリアってこと、バレないか心配だからね」


 セント・アルバート大聖堂——エルシア教〈中道会〉アヴァリス州教区の主教座聖堂。同じエルシア教徒でも〈北領会〉のノエルが行くことはない。


 祈る神は同じでも、会派ごとに儀式も思想も異なる。ナギサは、そう聞いた。街の多くが自分の教会を持ち、祈りのときは孤独になる……孤独に象徴の背後と向き合っている。前世を顧みれば教会の分離も違和感なく飲み込めた。礼拝は、そう営まれることだ、と。


 ノエルは階段を降りたナギサに駆け寄り、胸あたりを指で押した。彼女の考えを、彼は少しの時間を掛けて気づいた。新調した杖が、彼女のドレスに下がっているのだ。


「……発動器(オルガン)を指差してるんですか」


「そうだよ。聖堂を出たのも分かったから、迎えに来たんだ。あなたは発動器が波動し始めたって聞いたから、探知魔法が使えると思って、せっかくだから魔法を試してみたの」


 ナギサは、彼の肩を ぽんぽん と叩くノエルの腕合わせて揺れる杖を見た。しなやかな木軸の先に被る魔法銀のキャップ。高級な杖に比べれば装飾はまちまちだ。しかし、加工の全行程が彼女による手製の杖は、純朴で、美しく思えた。


「あなたは魔法が使えるようになる、って奥様が話してた。なら探知できるよ」


 奥様の話題の情報源は、きっとコナーだ、と思った。ナギサの事情は、彼からすべて筒抜けらしい。弟弟子の回復を嬉々として話す彼を想像し、失笑した。


「コナーさんのお陰で、今度迷子になったとして、ノエルは助けてくれるでしょうね」


「見つけてあげる、絶対ね。魔法を手伝ってくれた波形を覚えてるから。……良かったね、無事に魔法が使えそうで。イライザさんみたいな例もあるから」


 ノエルが指差した新聞一面には、船と少女の横顔の写真が掲載されていた。ナギサは下流へ向かう馬車を探しつつ、記事の冒頭を読んだ。「ウィンスレットシャー公爵の娘イライザ、無振動症治療の為セントラスのダナエ大学病院へ……」。公爵家令嬢が奇病治療の為に、大陸にある大病院への入院を決意したと言う報道。


「無振動……症。アーサーが言ってた気がする。ミュストがないって」


「数十年に一度って言われる奇病なんだけれどね。病気で発動器が停止してしまうとか、洗礼を受けない赤ちゃんとか、そもそも魔宝具を売っちゃったとか、魔法が使えない理由は色々あるけれど……。でも、無振動症は生まれついた性質だから、治療とか買い直すとか、どうにも対処のしようがないんだって。周りは魔法を使うけど、自分は使えないって知ったら……きっと自分を酷く責めてしまう。幼い子には答えるよ」


 ナギサは、マハラルの書斎で出会った少女を思い出した。コナーたちが大慌てで探していた彼女は、大人たちを苦戦させていた。「波動が感じられない」。彼らはそう呟いた。彼女のミュストは振れていないのだ。あの日も、きっとあの日までもずっと。


「……僕、無振動症の子に会った。……なのに、無神経な言葉を投げてしまった、かも」


「外からじゃ、無振動症だって気づけないよ。申し訳ないと感じてるなら、誠意を持って謝れば、その子も許してくれるはず。……あ、あの馬車乗せてくれるかな?」


「次に、屋敷を訪ねたらそうします。……ノエルは本当について来るんですね? 下流の、しかもビアトリクス墓地より下った、暗くて湿ったボロ小屋街の一室を探すんですよ?」


 ナギサの予定のもう半分は、白い部屋に辿り着くこと。そして、明日マハラルの工房を訪ねるために都合の良い、コナーの屋敷の客間に帰ること。前世への未練を始末できるかも知れない。あるいは現世と思い切って別れるのかも知れない。杖を受け取る前に異世界の出発点を確かめる、ごく個人的な用事。ノエルには退屈なように思えたのだ。


 しかしノエルは、役者のような大げさな手振りで、それでも付いて行く、と言った。


「なんて丁度良いんだろうね。程よく流行遅れのドレス! 下流にぴったり」


 ノエルは呼売り娘の真似をした。その仕草はマーロウ・チャーチ市場の花売り娘たちによく似ていた。彼女は魔法でゼラニウムの造花を作り、ナギサのフラワー・ホールに添えた。


「今日はね、奥様を訪ねるお客様があるの。ヨリアが勤めているなんて、お客様にお見せするわけにいかないもの。暇を頂いたから、奥様の為にもお客様の為にも、私は外に出なきゃ。……だから今日一日、私をあなたに貸し出します」


「……分かりました、貸し出されます。愉快な散歩では、ないですけど」


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