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第四幕:魔法使いの酒場の集会 二

 ナギサが案内されたのは、ラダー・タヴァーンというパブだった。薄ぼんやりとした光で満ちた不明瞭なインテリア。テーブル上に影を生まない工夫のされた照明。路地からのガラス越しに、店の意図は明瞭に分かる、ウチは食事が主役、と。


 アーサーは看板を指差し、数百年と続くパブの数々において、最上の店だ、と言った。


「なら、もっと混雑していても、良さそうなものだけど」


「禁煙なんだよ。昔『雅なスカーフタイの膨らみを讃えるクラブ』ってのが常連で、服に臭いがつくのを嫌ったんだとさ。でも主役は美味い酒と料理。ガイドに載る最っ高の店だぜ」


「期待していいのか? この前食べた食事処の芋料理は、醤油(ソイソース)に漬けたような壊滅的な色と味だったんだよ」


大豆(ソイ)、青臭そうだな。まぁ騙されたと思って食え、もう感涙さ。おーい、マーシャ」


 店の少女は、通りを歩く青年ふたりを垂れ目の瞳に映した。まっすぐ伸びる鼻筋と長い睫毛の特徴的な彼女は、持っていた雑巾をバケツに放り、真鍮の把手を押して客人を迎えた。


「いらっしゃい、ジューンは厨房にいるわよ。いまごろコテージパイを焼いてるんじゃないかしら。そちらは……まぁ! レイスのお客さんは、開店してから初めてよ、きっと!」


「アーサーに、連れられて来ました。ヒュー、だったかな……です」


「吃驚した! そんなに白い肌をしてるから、レイス・デイの祝日がひと月以上も早く来たのかと思っちゃった。いらっしゃい、煙はダメだけれど、存分に寛いでいってね」


 マーシャに促されてなかを覗くと、すでに、アーサーはカウンター越しに女性と会話していた。彼女からは見えないだろうが、ナギサからは、アーサーの足が弾んでいるのがしっかり見えた。子犬の如き懐きぶり。ない尻尾をブンブン回す様が、彼の脳裡で補完された。


(へぇ、他の女性には、あんな子犬みたいな姿を見せなかったのに)


 血色の良い卵顔で仕草ひとつひとつに愛嬌がある女性。少し聴こえる会話では料理の素晴らしさを説いており、仕事が楽しいこと、料理へのこだわりを感じさせた。


「じゃあ、美味しい料理が出てくる期待値は高い、に違いない」


 ナギサは、昇圧剤として薬局で買えそうな料理を思い出して、舌が痺れた。店を選ぶナギサの嗅覚とアルトランド人料理人の舌、果たして、信用できないのはどちらだろう?


 ジューンが厨房に引っ込むのを待って、ナギサはアーサーに並び、耳打ちした。


「素敵な店だ。魅力的な女給が、居るって言うから、てっきり、アヤシイ店かと」


「馬っ鹿、違うわ! 彼女はジューン。アヴァリスの天使だぜ。彼女に会いたいが為に遠方からでも通う客は結構多くてなぁ。俺もいままでカンパニーの担当区画がデーヴァの辺りだったんだけど、運よくアヴァリスに転属したんだ。毎日来られるようになって嬉しいよ」


「カンパニー」


 アーサーは注文を考える仕草を止め、当然知らないか、と納得した様子で頷いた。


「俺の仕事。一昨日お前を助けた、あれがそうだぜ。護衛士ってんだけど」


「あの危ないのを、吹っ飛ばして給料を貰える、なら、害獣駆除業者?」


 口をすぼめたアーサーがテーブルの上に広げた杖の包みには、天秤を持った女性の囲む盾の図案が描かれていた。彼はそれを指差し、交易カンパニーの紋章だ、と言った。


「交易カンパニーは商業組合。アルトランドの商売活動を助けるんだ。俺がやってんのはそのなかの悪魔祓い部門。悪魔がいると陸路は危険そうだろ? 実際危なくて、でも空輸には制約があるから、俺らが陸の安全を確保する。他にも違法取引の取り締まりとか、公正な給金・昇格が成されてるかとか、色々調べる部署があるんだけど」


「公の仕事……っぽいね?」


 紙に注文を書きつける手を再開し、アーサーは「分かんないのも無理はない」と言った。曰く、彼も地方貴族の使用人が、どれほど細かく仕事分担をし、どのように昇格するのか、など興味もないと話した。そして「ナギサにカンパニーは関係しないだろう」とも言った。


「……凄えな、今賢者殿にこんなこと教示する経験そうないぜ。そんな記憶のないお前は、何を頼むんだ? 酒を呑まないなら丁度良い、ここは林檎ジュースだって最上級の料理さ」


 今賢者がエリスだ、と理解するのに、ナギサは少しの静寂が必要だった。


「ああ……林檎ジュースを貰うよ。……同じ職業で集まるけど、労働組合(レイバー・ユニオン)、とは違うんだ?」


 注文を受け取った店長が、カウンターでアヴァリス産の小ぶりなリンゴをぎゅっと絞ってみせた。甘みの勝る熟れた香りが、他の料理の気配を押し退け、ナギサの鼻に届いた。


労組(トレード・ユニオン)。その言い方じゃ奴隷仕事みたいだ」

 アーサーは酒の注がれるグラスを爛々と眺めた。

「カンパニーはギルド統括だから、労組とは性質が違うなぁ。職業資格を授与したりすんだけど……。あぁ、料理は時間が要るか、テーブル行こうぜ」


 アーサーはカウンターに近いスタンディングテーブルを陣取った。


 仕組みが分からない苛立ちがあった。アーサーの話の半分も理解できなかったからだが、これ以上の質問は料理を不味くしそうで、止めた。本当に縁のない内容だろうし、アーサーの気遣いで紹介して貰った店だ。第一目標はアヴァリス一の料理を味わうことだ、と思った。


 グラスの結露を煌めかせる照明が、なにより目的を明解にした。質問攻めより会話、ゆっくりとした時間を。食事のためだけの天板に、グラスの結露跡があった。料理処の空気感だ。


 しかし、酒が温くなるのにも嫌な顔せず、疑問に答えてくれるあたり、アーサー懐の深さと言うか、長く育んできた社交的気回しを、ナギサは感じずにいられなかった。昨日も、デート途中だったが、貴重な薬草を持ってナギサの見舞いに現れた。彼は八方美人でない全方向への好印象の醸し方を、よくよく心得ているものだ。


「(それに加えて)君は食べ物を選ぶセンスが良い。本当に美味しい!」


 りんごジュースは、甘味と酸味の層の上に、爽やかなシナモンの香りがした。会話の添え物や、その場しのぎで空腹を埋めるものではなく、純粋な、〈食べる〉への労力が込もった、黄金色。マーシャの運ぶ料理の香辛料の香りも、同じ気配を持ち、ナギサの唾液を誘った。


「幸せそうに食べるわね、レイスさん。話し方も変だから、『雲の向こう』の国から来たのかと思っちゃった。フィールドさんの友人ですって? 彼も常連よ」


「本当に幽霊じゃなくて、生きた人の、ナギサです」

 と訂正したが、ふと、外国を雲の向こうと表現するのは、幽霊的な姿と天国を掛けた冗談で、無粋な指摘だったか? と不安になった。

「……いや実はレイスかも。レイス語なら上手く話しますよ」


 生前、いずれ受けた講義で舌の位置の指導は、されたはずだ。舌が大事だというコナーの指摘は遅かれ早かれ、聞くことになっただろう。違うのは、懸かっているのが大学の単位ではなく、生活そのもの、ということだ。


 アーサーが「コナーの家じゃなくて、独り暮らしだ」と言うと、マーシャは「珍しい人」と驚いた。……ノエルも万能家事係メイドとして働いているし、コナーも家に多くの使用人を抱えている。観察すれば、コナーの周囲、つまり上流に、独り暮らしが珍しいと分かるだろう。


「本当は、使用人に家を任せるそうで。自分は余暇を過ごすんだ。……死相が出ていてもお給金を頂ける雇い口、知っていますか?」


「お前が雇われる話なのか。いや、止めとけ? いまの状況で仕事を探しても、日雇いの辛い肉体労働しかない。本当にレイスに化けちまうよ。それよか、誰か雇うことを考えたら良いじゃんか。ああいうのも考える価値はある」


 アーサーが指差す先に、店で雇われている〈人形〉がいた。それは、マハラルが連れていた物と同じ木製で、綺麗な顔に仕上げられていた。黄色に焼けた薄いニスの肌が、店の鈍い光で、赤みがかった、生きた血流のようだ。


「借りることもできるわよ」

 マーシャはカウンター奥の貸出証を見せた。

「使用人代わりに使う家のために、貸し出し屋があるの。人形はジューンが……あら、間が悪そう」


 人形は銀のトレイを、焼きあがったコテージパイをはじめとする料理で満載にして運んでいた。手先は銀の粒子を放ち、トレイは支えを持たずとも安定して浮いていた。


 パイを待っていたテーブルの男たちは、年代は様々だが、料理の味そっちのけで口角泡を飛ばす議論を重ねていた。周囲の冷めた視線など御構いなし。空き皿を下げる人形を横に、議題は、人形が社会に対していかに害をもたらすか、だった。


「ジューンがね、人形を借りてきたんだけど、あの集会は人形反対派なのよ。つば広の帽子をかぶった方、クレイダルさんっていうんだけど、彼が代表。……お店にいる間は彼女、居心地悪そうにして奥に引っ込んでるの」


 マーシャは厨房の姉に憐憫の目を向けた。


「なぁ、アーサー。なんで彼ら、わざわざ、人形が働く店に来てるんだ?」


 ナギサは、彼らに憤懣を抱えた視線を向けるアーサーに、小声で尋ねた。


「人形のいない場所はそう無いし、ここに来る男は大抵、目的は同じだ」

 と彼は答えた。


 つまり、彼らもまたジューン会いたさに店に通っている常連なのだ。自分たちの議論がジューンを遠ざけている彼らも、慕われても人形を用意したばかりに表に出にくいジューンも、ナギサには気の毒に思えた。


 そして彼らは酷く酔っていた。

巨匠(マエストロ)が特殊な魔法具を手に入れた……!」

「人形の改良が街に混乱を……!」

 彼らは順に頼む酒を議論に注ぎ、より勢いを増した声を店中に響かせ、また次へとグラスを傾ける。一方他の客は、半ば諦めた様子で各々酒を飲むしかできない。ナギサもそれに従って人形への罵倒を聞き流し、アーサーが飲む琥珀色の酒の果物のような香りを嗅ぎながら、運ばれてきた料理の味に意識を集中し、立つ腹を濁した。


(料理に罪はないのに、酷い話だ)


 (マトン)やウサギといった食べなれない肉も、店は舌に馴染む味に仕上げた。多くの客が頼んでいた料理に、白身魚のフライ、硬イモと野菜のソース炒めがあった。市場でよく見る、地元の食材。それらはナギサの、旅行者の味覚を大いに満足させた。誰かが作る料理ということが、ひとり暮らしの長い彼にとって、尚更料理を美味しくする調味料だった。


 ……こうなると、つくづく甚だしい喚き声が嫌になった。ナギサは、どうしてあの有害無益の酔漢どもに店のテーブルが解放されているのか、甚だ疑問だった。


 さて、その酔漢の喧しい議論がいったん速度を緩めた。長身の男がむくりと立ち上がり、ナギサの寄りかかるテーブルを通り過ぎ、カウンターに注文を言いつけた。代表だという男で、穴があきそうな程に頰がこけ、ぎらぎらした目をしていた。ナギサは、彼の幾度と直されたズボンの裾と、アッパーが深くひび割れた革靴を見つけた。


 クレイダルもまた彼の方で、店でぼやっと目立つ白い青年に気づいたらしい。


「あまり他人をジロジロと眺めるものではないね。この礼儀知らずの白いのは、アーサー、お前が連れてきたものか。低俗な男は、低俗なやつとつるむものだ。そうだね? 白いの」


「……失礼、しました、クレイダルさん」


「聞き取れんな、外の者が。お前もアーサーのように、巨匠にぶら下がって呑気に暮らそうとしているのだろう。気に食わん格好をして……奴の徒弟とでもなったか? 新たに手に入れたと言う『本の魔法具』を、貴様も利用しようと思っているのかね」


「…………ごめんなさい」


 ナギサは、クレイダルがなんの文句を吐いているのか、理解できなかった。徒弟も魔法具も知識の外に溢れたものだ。無知を過剰に突かれ、ナギサは情けなくて泣きそうだった。酒灼けした喉から発される声が、言葉の棘をなおさら強調して聞こえた。彼の怒りのどれに謝罪したのかも、ナギサはわからないままだった。


 日本でイメージされる「パブ」とは、きっと、異なるのかも知れません。

 林望さんのエッセイ『イギリスはおいしい』では「実に清廉潔白である。客は、カウンターまで自ら足を運んで静粛に酒を買い、自分たちのグループだけで…………楽しそうに穏やかに話をしている」と紹介されています。


 アーサーはキッチンにある注文表を厨房に飛ばしていますから、つまるところ、劇中のイメージは、握りしめた食券を料理に替えて席に着く、学食式居酒屋とでも言えばよろしいでしょうか。

 実際は口頭で頼むものであるはずですが。

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