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第四幕:魔法使いの酒場の集会 一

 曇った一リギス銀貨が、アッシュ材の机に、白くシャープな輝きを加えた。


「これは洗濯代で受け取るね? 奥様もあなたを心配なさったの。私が訪ねたときは、胸のガーゼと包帯を替えてた。ただの買い物で、どうやって怪我を?」


「市場で、もみくちゃにされて。人酔いです」


 昨日今日と、チャールズ・スクェアの住人は、世間話のはじめに「白いのは大丈夫か」と言い、こう続けた。——○○日で回復するに半リギス。いいや、俺は一リギス。


 酷い賭けだ。が、ナギサも親しい見舞客とこの賭け事に参加し、「このまま治らず死ぬ」に一リギス銀貨を賭けた。二晩寝て治ったから、彼は損をし、銀貨は友人に渡った。


 ノエルも、数度、こっそり見舞いに来た。彼女は感情を表にしないから、ナギサが彼女の心配に気づくには時間を要した。日に三度目の見舞いで初めて、尋常な心配のされかたでない、と意識した。以降、見舞いのたびに、飾りの弦楽器を下手くそに披露し、順調な回復ぶりを示す必要があった。ただ、面倒ではなかった。彼女の顔を見て、彼は(心配性な彼女には申し訳ないが)どこか安心感を得られたのだ。


「『白いの』って呼ばれました。僕、目立つんですね」


「大昔の白い彫刻を模したマネキンで、有名な仕立て屋があるの」


「似てますか。僕、陶磁器人形みたいですからね、冷たい感じ」


 ノエルは「次来たときに服を返すから」と、手早く作業台を片付け、カーテンをタッセルで留めた。熱の逃げたアイロンを石炭と鉄の塔に戻し、仕事用のエプロンを脱いだ。今日は仕事着ではなく、白いシーツを仕立て直したドレス。劇場ではまず見ない簡素な服。裾を結んでいたが、厚手のレースのスカートを重ねていたから、白い足首は隠れていた。脚を隠すことと機動性の両立の、彼女なりの対処だろうか。


 敬虔な宗教徒は礼拝の時間だ。タウンハウスも馬車路地も閑散としていた。ノエルは誰にも姿を見られる心配なく、セントエイル宮殿を眺めていたナギサに、窓から声を掛けられたのだ。


「ありがとう、礼拝日のお休みなのに、ノエルの洗濯を増やしてしまって」


「気にしないで。暇だし、お祈りに行った奥様が許して下さったんだから」


 ノエルは胸元のロケットを指に掛けた。


 涼しい金属音だ。装飾のセクト形魔法銀が揺れていた。ナギサはロケットを、純粋に美しい、と思った。そのロケットは、ノエルの胸元でしか有り得ない、と感じさせる調和があった。マハラルは「魔法具に込めた労力が魔法に反映される」と話した。巨匠(マエストロ)が称賛する彼女の技術、装飾の調和への細緻な気遣い。ノエルは、余さず魔法具に注いでいた。保護魔法は、手間の賜物だ。彼女はその保護を、火傷だらけの彼女の手に、使おうとしていた。


「手袋の魔法、ちょっと待って!」

 ナギサはペトロラタムクリームを差し出した。

「古着売りから、保湿・保護のクリームを頂いたんです。革製品用に、と渡されたんですけど、こっちはカカオバターが混ざっていて、肌に使うんだって」


 開いた蓋から広がる芳醇なココアの香りが、洗剤の匂いと混ざり、ミューズを甘くした。


「くれるのは嬉しいけれど、ナギサこそ、使った方が良いんじゃないの……?」


「もうこの通り。魔法って、ありがたいものでもあるんですね」


 ナギサは、つるんとした右手を見せた。傷は、色の沈着もなく、綺麗に治っていたのだ。


 傷のあった場所をなぞり、ノエルは、完全に塞がった右手の状態を入念に確かめた。魔法を使ったのが彼女であるから、責任持って完治まで見守るつもりだったのだ。彼女は見舞いに来たときも、保護魔法を丁寧に掛けなおした。


「大丈夫でしょ?」


「うん、治ってる。……あなたは、魔法で酷い目に遭ってばかりね」

 ノエルは怒った顔を作った。

「悪魔に襲われたこと、ミュスト中毒で寝込んだこと、本当はぜんぶ知ってるの。クリームひとつ渡されても、あなたが倒れたら、私、嫌だからね?」


 ノエルが指先に小豆大のクリームを乗せ、右手を突き出した。


 なにを要求されているか、分かった。ナギサはベッドを借りたコナー邸で、配達された新しい辞典に、杖振りに合わせページがめくれる、という自動魔法を見ていた。同じことだ。


「薄く延ばして? 魔法で、次は指に取るだけで済むようになる」


「喜んで。ほとんど毎日来るんです。僕にできることは、頼って下さい」


 ナギサはノエルの手にココアの香るクリームを伸ばした。魔法を流し続ける彼女の手から、じんわり力を感じる。魔法の込められた彼女の手は、火傷が多く、乾燥し、筋張っていた。手仕事をずっと続けている人の手だ。


(手の怪我が、綺麗に治りますように)


 そう願うのと同時に、魔法の手伝いを、ノエルの手に触れる恰好の口実にしているような気がして、ナギサは不意に恥ずかしくなった。かといって、外方を向くとまた彼女に訝しがられるだろうか、照れているのが悟られるだろうか。心臓が飛び出そうだ。が、彼女は触れた手の青白い光に集中していた。——真っ直ぐなヒトだ、と彼は思った。


「自分で使ってても、動きを記録する魔法、面白い魔法だと思うよ。お陰様で、生活のいろんなところで助けられるんだ。……ミュストをずうっと流しているんだけど、大丈夫?」


「なにも、問題はないです。心配、しないでいいですよ」


 ノエルは魔法を止めた。光が消えた。絡んだ指が、彼女本来の低い体温をナギサに教えた。「ねぇ、思い出したよ」。彼女は絡めた指を丸めた。「この手。私ができない作業が、仕事場では当然の作業だった。彼女たちは両手がある。羨ましいわけじゃないんだよ、腕一本には慣れたから。ただ、自分が場違いに思えるの。……一昨日言った心当たり、仕事のことだった」


「ここに来る以前の仕事って、なんだったんですか? 右手だけで……あっ、いえ——」


「私から話題にしたんだもの、気遣われる方が困る」


 ノエルが動かす左肩に追従し、ぺたりと潰れた左袖は儚く揺れた。


「仕事は、本当は魔法具の職人になりたかったんだけどね。秘密。……とにかく、ナギサが魔法を怖いって思うこと、解消とまではいかなくとも、弱くなったんじゃないかな。どう? 自分は仲間外れにされてる……って感じる?」


「だったらノエルと話せないです。平気。……どうして克服したと思ったんですか?」


「話せば感情も整理できたかな、って。彼に怒鳴ったってコナーさんから聞いたんだ」


 ノエルの手はナギサから離れ、ヴェールを下ろし、ミューズの出入り口を指した。


 ナギサが赤面する頬を、さらに真っ赤に染めて振り向くと、ひらひらと手を振る、一昨日見た制服の青年の姿がそこにあった。


「おーい、エリ……じゃない。ナギサ、それは口説いてんの?」


「アーサー! え、いや、違うよ……! 魔法の手伝いで……」


 アーサーは、仕事仲間の女性たちや、見舞いに連れた女性とはまた別の、やはり、美人の女性を連れていた。その女性と門外で別れ、彼は独り、腕を体の横に広げてミューズに入った。やがてヴェールの使用人を窓の反対側に認めると、キザなお辞儀を見せた。


「おお、口元だけでも噂に違わぬ美人さん。ここを通った友人がね、『古風なドレスの、隻腕のヒューが働いていた』と言っていた。なるほど、ヴェールも神秘的で良いですね。ナギサが先に手を出しているとは、もう少し早く出会いたかったな」


 よくもまあ、こんなスラスラ口説き文句が出てくるものだ、とナギサは苦った顔をしながらも感心した。彼は平生こんな調子なのか、女性っ気が多い。十六(エリスの体と同い年)という事実は驚異だ。なにせ毎日、連れ立った女性の顔が違い、皆一様に彼を好きなのだから。


「お嬢さん、ナギサを借りていきますよ。……貴女の時間も借りられれば、幸福ですが?」


「ありがとう。でも私は仕事道具の片付けをしなきゃいけないから、残念ですが、遠慮しますね。ふたりとも遠出するのなら気をつけてね」


 ノエルは窓を閉め、作業机の下にすっかり身体を屈めてしまった。


 ため息めいた鼻息ひとつ。アーサーは、ナギサを連れて大通りに向け歩き始めた。


「パブに誘おうと思ったんだよ。コナーから会話を教えて貰ってるんだろ? 『実践は最良の教師なり』さ。コナーも口酸っぱくして力説しただろうけど、俺らは数をこなす時期にいるのさ。だから、勉強とこないだの詫びを兼ねて……ってところだ」


「君もうお酒の匂いがするんだけど。それに、さっきの女性は一緒に行かないのか?」


「朝食の約束をしていた。コルセット職人の娘なんだけど、彼女自身も腕が立って、しかも器量好し。見たろう腰の括れ! でも、メイドちゃんの古風なドレスも良かったなぁ。薄手のドレスは爽やかだし、自然なボディラインが綺麗で良い。ハーグランド訛りもセクシー」


「……彼女、ハーグランドのヒトだからね。僕は、訛りの聴き分け、できないけど」


 友人代表としてアーサーをよく知るコナーから、彼は「アルトランド随一の社交家」と聞かされていたが、ナギサは、聞いた以上のものだと思った。


 ナギサが上流の街の人びとと会って感じたのは、彼らは必要最低限の距離を守るということだ。要点の絞った言葉を好み、必要以上に干渉しない者が多い。が、どうもアーサーは違う性質を持つようだ。初めての相手でも軽口を交え、深い付き合いがしたくなる魅力を持ち、そして、だいぶ器量好みであることも分かった。


「……パブに、可愛い店員がいるんだろう?」


「半分正解」


 アーサーは和かに上を見上げ、その足取りは軽快だ。


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