彼女を待つ
彼女がこの村を去ってから、もう3年が経っていた。この寂れた寒村では、彼女の夢は叶わない。それは僕も十分承知だ。しかし、僕の心のわだかまりは消えなかった。
11月末の雪国。少し早く訪れた冬の寒さ。ここ2,3日の雪のおかげで、周りはすっかり白一色である。子供の頃は、いや、あいつと一緒に遊んでいたときは、この白い雪のように純粋な気持ちで明るかった。しかし、今の僕は、この雪のように悲しみが積もっていた。
「こりゃあ、吹雪くな。」
思わず1人で呟いてしまった。人が少ない寒村で、僕はただ1人であった。友達は高校を卒業すると、直ぐに村を出て行ってしまう。僕は、この村を出る勇気が持てなかった。新しい場所へ行く自信が持てなかった。時間は進んでいくのに、僕はここで止まったままだ。
「自信が持てなくなりました。もう東京に留まるか分かりません。」
彼女から届いた手紙の最後に、このようなことが書かれていた。僕は、心配と同時に、また彼女が戻って来てくれるという期待する気持ちがあった。彼女の不幸を喜んでいるようで、罪悪感が心の中で湧き上がってきた。先程から降り始めた雪が、僕を一層そうさせた。
戻るかもしれない。彼女から電報が届いた。その日にちが今日であった。僕は、吹雪いてきた寒空の中、軽便鉄道の駅舎へ向かった。
木造の小さな駅舎。入り口には、古い郵便ポストがあり、干し柿が吊してある。筆で「三原駅」と書かれた古い駅舎だ。中に入ると、薄明るく電灯が照らしている。小さな石炭ストーブの石炭が、チカチカと赤く燃えている。小さなキオスクでチョコンと置かれたキャラメルを、僕は1箱買った。
「昔は箱ごと買えなかったな・・・。」
幼い頃が蘇る。雪の中を彼女と駆け回ったあの日。まだ民家の石垣も大きいと感じた幼い頃。2人で作ったかまくらの中で、温かい甘酒を飲んで、ポケットに入れていたキャラメルを、2人で食べたあの日が。中々食べられなかったから、口の中に広がる甘みを、噛まずにゆっくり味わった。彼女も同じように、じんわりとキャラメルを味わっていた。その彼女の嬉しそうな顔は、雪の中で咲くザゼンソウのように美しかった。
(懐かしい・・・。)
そう思いながら、自然とキャラメルを口に頬張っていた。
外は、だいぶ吹雪いてきた。駅長が僕に伝えた。
「たっちゃん。あいにくだけど、この雪だべ。列車はだいぶ遅くなっちまうぞ。」
雪にまみれた駅長は、そう伝えると直ぐに線路の雪掻きへ行った。
また待たなければいけない。この時間は、なんと長いんだ。キャラメルの甘みも、僕を癒してはくれなくなった。ああ、吹雪が、僕たちを別つ渓谷のように深く吹雪いている。このもどかしさをどうすれば良いんだろう?
彼女が戻るということは、彼女にとっては悲劇だ。夢を叶えられず、あきらめて帰るのだから。僕はそれを喜べない。しかし、それは僕の元へ戻ってきてくれることだ。それは嬉しい。この二律背反な気持ちが、僕の心の中で、湧き上がっていた。一秒一秒が、この軽便鉄道のように、ノロノロとしている気がした。
僕は、眠ってしまったらしい。夢の中。煙を吐く山の雪もすっかり溶け、野に咲く花が、麗らかに咲く5月の日差し。彼女が野花の中で歌っている。木々に停まる小鳥のように。僕は、彼女をそっと抱き寄せた。ずっと一緒だと。そっと呟いて。
僕が目を覚ますと、外は暗くなっていたが、吹雪はすっかり収まっていた。筆箱のような小さな列車は、もう駅に到着している。乗客がぞろぞろと降りてきた。僕は、夢のことを信じて、ホームを見つめていた。そうすると、おもむろに駅長がやって来た。
「たっちゃん。たった今電報が来ただ。芳美ちゃんから・・・。」
はっとした。直ぐに紙を開いた。そこには、
「希望が持てました。頑張ります。」
こう書かれていた。僕は、無意識に外を出て、雲一つない星空を眺めた。
駅長がまたやって来た。
「たっちゃん。もう下り列車は終わりだべ。もうこの列車は上っちまうぞ。」
「分かりました。僕は上り列車に乗ります。」
「お、おう。そうだか。」
事情を理解している駅長は、気まずそうに戻っていった。
僕は、直ぐに、カブト虫みたいな電気機関車が引っ張る列車に乗り込んだ。口の中に残るキャラメルの風味を感じながら。