第1話「任務、そして時空嵐」
2017年6月14日修正:誤字脱字の修正および加筆
26世紀、人類は宇宙への完全なる進出を完了していた。
太陽系内部の探索は9割以上完了し、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星までの7つの惑星の開拓を行い、その人口は200億人を突破。多数のコロニーを建設し、人類の居住圏を拡大していた。またいくつかの調査隊が外宇宙に向けて新規惑星、その調査の足を延ばしていた。
しかし西暦2575年10月11日、それは突然起こった。
冥王星観測用基地、リプル基地から太陽系軌道防衛軍本部あてに緊急通信が入る。その内容は外宇宙からの客人の来訪を告げるものだった。突如としてリプル基地上空に現れたその訪問者。しかしその基地からの通信はその直後に途絶し、以後不通となる。
この事を重く見た参謀本部は軌道艦隊を形成、月面基地より艦隊を派遣する。その派遣軍が見たのは巨大な体を持つエイリアン、のちにイオスと呼ばれる地球外生命体との接触だった。
リプル基地は壊滅、派遣した艦隊も6割を損失する激闘の末、ようやく勝利をつかんだ軌道防衛軍は非常事態を発令。以後、敵対したイオスとの戦争は続いている。
[西暦2588年太陽系外縁軌道緩衝地帯L34エリア]
『ルシア、周囲の探索はどれくらい終わってる?』
無重力の中、一体の巨人が静かに佇んでいた。全長は20メートルを誇り、その体を包むのは特殊再生装甲。そして、その下にはナノマシンを血管の様に張り巡らせた機械の体である。黒一色に塗装された機体の肩部には白く鴉の紋章が刻まれてた。
『全行程の85%を消化済み、残りの15%は0045にて終了予定です』
機械の合成音声、しかしながら流暢に聞こえるその声はその機体内部から流れ、パイロットの聴覚にヘルメット越しに届いた。
機動戦術歩行外骨格機、通称MEMの最新機であるRT-320Cがその機体の名前だ。25世紀初頭に開発されたこの外骨格機は宇宙空間内での補助等を目的に当初は開発された。しかしながらその汎用性は異常に高く、いち早く目を付けた軍部は早急に開発を始めた。そして幾度かの月日を流れ、現在の人型に落ち着いている。
『機体残存エネルギー98%、やはり太陽から離れると少し戻るのが遅いな』
この機体の主機として利用されているのはイオンリフレクターである。機体の装甲面から吸収した太陽などの恒星の光エネルギーを蓄積、増殖、反転させることで爆発的なエネルギーを生み出すエンジンだ。そのリフレクターをこの機体は4基搭載しており、その出力は他の機体に比べると3倍以上を誇る。しかしながらリフレクター4基同調は非常に不安定であり、扱いが難しく、また操縦できる者も限られるのが難点と言える。
通常、エネルギーを回復させるのには光エネルギーを装甲に吸収させるだけでいい。MEMの機体にはすべてプリント装甲材が使用されており、リフレクターの膨大なエネルギーを瞬時に必要な箇所に送ることができる。
また恒星の発するエネルギーを吸収するときも同じであり、プリント装甲版内にあるプリント基板を通じてリフレクターまでエネルギーが伝達されるのだ。
しかしながら恒星の影になったり、光が減衰し十分に届かない場所では吸収速度が遅くなることもあり、特性上仕方がないことではあったが外縁部の調査にとってのエネルギー枯渇は死活問題である。
『この距離ではしかたありません。しかしながら先ほどの短時間の戦闘でのエネルギー消費から見ても残存エネルギーは十分すぎるとは思いますが』
『まあ、主機が4機もあるからな。エネルギーは心配してないが、いざという時に必要になるかも知れないからな』
そこまで言った時、コックピットに座る男の目の前のモニターに終了表示が出る。
『探索完了しました。半径500キロ圏内にイオス反応はありません』
『了解した。よし、母艦に帰投しよう』
『了解しました』
地球外生命体イオス。その初めての接触の時、最前線であったリプル観測基地にて勤務していた男がいた。その名前はガルビア・クドウ。そうこの機体のパイロットであるリンク・クドウの実父である。
ガルビアは長年前線にて哨戒任務にあたり、その生涯において紛争で数度の実戦経験を積んだ貴重なMEM操縦者だった。その腕を買われ、各基地の監察官として派遣され、その時たまたまリプル基地にいたのだ。
後に残っていた記録から人類で一番最初に敵であるイオスを撃破したのがこの男であることが判明。最終的に機体ごと行方不明になっており、また機体ログから大破が確実であることが分かっている。そのことから、体を張って仲間を守った男として英雄勲章を受ける。
しかしながら残された家族であるクドウ家の人々はそれを表面上受け入れ、また喜びはした。しかしながら一家の大黒柱でもあり精神的支柱であったガルビアの死を反動にし、父を超えるように息子は邁進したのである。
18歳で太陽系軌道防衛軍士官学校を卒業したリンクは直後にMEMの操縦者としての手術を受け、肉体の改造を行った。これはMEM操縦に必要とされる外科的手術であり、それらを完了した者が“操縦者”となれる。
MEMはその高い性能から量産はされているが、コスト面などからも兵士全員に与えるまでは数を確保できない。
またMEMはその汎用性の高さからも操縦が難しく、軍用モデルにもなると難易度は跳ね上がる。その面からもパイロットである“操縦者”がエリートであることが伺える。
そしてもう一つ、“操縦者”になった時点でその者に渡されるものがある。それが操縦者補助自立型演算機である。
小型量子演算機とキューブ型記憶装置を搭載した自立型AIは操縦者の補助を目的に開発されたものだ。莫大な量の計算と素早い反応が必要とされる戦場では彼ら操縦者補助自立型演算機の能力は大いに役に立った。
そんなAIを自ら育てるのが操縦者との電子的接続である。
18歳の誕生日と共に電脳化された人間の脳と電子的に接続、日々の生活を共に過ごすことでAIに自我を発生させ、かつ操縦者との絆をはぐくもうという考えだった。
ボトムアップ型のAIであり、蓄積された情報により反応するこのAIは経験を積めば積むほど優秀になる。そしてそれはともに戦場を歩く操縦者も同じである。AIと人間、その両方を育成する目的から発生したこのシステムは現状定着しつつあった。
そんなAIの一つ、名前をルシアと名付けられた操縦者補助自立型演算機はリンクのパートナーとして多くの時間と、そして戦場を共にしてきた。
『それにしてもここ数日、何も手がかりがありませんね。先程現れたのは逸れた残党です。彼らの残存エネルギーはほとんど底をついていました。どうしましょうか』
母艦に向けての帰還途中、暇を持て余したのかルシアが尋ねる。彼の基本的な姿はポリゴンで形成された疑似肉体であり、モニターかリンクの電脳内にて表示される以外に存在を表すことが出来ない。そんなデフォルメされたルシアの姿が機体のモニターに小さく現れている。
3頭身ほどの肉体に二次元画の様に整った顔、そして己の主と同じ髪の色である黒の頭髪は短く切り揃えていた。
『そう言うな。俺だってここんところの不発でストレス溜まってんだよ』
吐き出すように呟くと、リンクは画面上に現れているルシアの額に向かってデコピンを放つ。しかし、当然ながら画面に、そして二次元上に表示されている電子な存在であるルシアに痛覚など存在しない。だが、そこは長年の付き合いである二人。
『いたっ』
画面接触と同時に体をのけぞらせるように表示させ、同時に声を上げる器用なルシア。完璧なる連携だ。
『まあほかの連中も連絡よこさないってことは特に異変はないって事かな』
他の連中、リンクと同じ小隊に所属し、かつ己の部下である4人の顔を浮かべる。
太陽系軌道防衛軍参謀本部直轄の特殊部隊“クロウ”。それがリンクが所属する部隊の名前だった。太陽系の外縁軌道に隠れているイオスの前線基地の掌握及び破壊任務が主であり、そのために最新鋭の機体と装備を与えられているのである。
『作戦行動中に付き通信封鎖中です。ですので連絡がないのかと思いますが』
通信封鎖はリンクが決めたのだ、自分が決めたことを忘れるほどに年は食っていない。それに電脳化していることで記憶は電脳内の記憶領域から何度でも正確に呼び起こすことが可能なので間違うことはない。
この恩恵によって軍人の錬度が向上したのはまた別の話だ。
『自分の出した命令を忘れるわけないだろ?まあそれほど切羽詰まった状況にはなってないってことだろう』
そういうリンクも目標宙域に到達する直前にイオスの中型種の“戦闘級”3体と交戦になった。全長20メートルを誇るイオスの中型種であり、基本的にMEMでしか対応できないこの敵はサソリを幻想させる体をしている。大きな鎌を両サイドにそれぞれ持ち、四本脚は太く、体を覆う表皮は硬く分厚い。
尻尾の部分には推進器官が備わっており、宇宙空間では3次元軌道を可能としている為厄介な敵とされている。
しかしながらリンクとそのパートナーであるルシアは長年この相手と戦ってきたのだ。この戦闘級に限って言えば撃破数はすでに4桁に上っているベテランである。ものの数分で片付け、任務を続行したのだ。
『定時連絡まではまだ時間があります。母艦に帰投次第休憩を取る事をお勧めしますよ』
ストレスが溜まっているときの癖である指でリズムを刻んでいるリンク。それを目ざとく見つけたルシアが声をかけた。
『それは嫌味か?』
長い付き合いであり家族ともいえる仲である2人。その信頼関係をみても冗談を言い合えるほどだと言える。
『御冗談を』
そう軽口を叩いている間に母艦が停泊している宙域に到着する。
しかしながらリンクの視界内には母船の姿は見当たらない。モニターに表示されている仲には何もない宇宙空間が広がっている。
『母艦の光学迷彩を解除』
『了解、母艦の光学迷彩を解除します』
その声の直後、今まで何もなかった空間から突如卵型の宇宙船が出現した。
機動戦術歩行外骨格機RT-300シリーズ専用運用母艦MSRT-1000シリーズ名“エッグリース”の巨大な船体が徐々に見えてくる。
MEMのRT-300シリーズ専用にカスタマイズされ開発された母艦エッグリースはその名の通り卵型の船体をしている。全長は50メートルを超え、MEMを目の前にしてもその巨大さが伺える。後部にはスラスターを乗せ、船体内部にはMEM用の専用格納庫があり、その他は生活スペースとなっている。
艦内には疑似重力発生装置が備えられ、地球と同じ重力下での生活を可能にしている。元々無重力化では人間の体に色々と以上を生じることが多かったのだがそれはナノマシンによって改善されかつ操縦者は普通の肉体ではない。その為重力は必要ないのだが、それを言うのは開発者曰く野暮らしい。
そしてエッグリースの目玉と言えるのが短距離光速跳躍システムである。これは主機として搭載されているイオンプラズマリアクターを二基搭載し、その膨大なエネルギーを使用し跳躍するのだ。
元々イオンプラズマリアクターは戦艦級に搭載するエンジンであり、この程度の大きさの船には不相応な代物である。しかしながら任務の性質上どうしても必要なため搭載したのだった。
そしてそのエンジンを利用した高速跳躍システム。これはイオスの技術を利用したものだ。元々鹵獲に成功した大型種である“戦艦級”が持っていた機能をまねしたのだ。これにより短距離ではあるが光速以上の速さでの航行が可能になったのだ。
そんな母艦が5隻、連なるように漂っている。船体は白く塗装されており、背部のスラスターを収納した状態では卵と言っても遜色ないほどだ。
上面の格納庫ハッチを解放させ、己の機体を収納するリンク。殆どの操作はルシアがやってくれるため席に座ったままでいいのだ。
船体に固定した後、MEMのハッチを解放する。
エアーが抜ける様な音と僅かな駆動音と共に前面ハッチが解放される。すでに船体上部のハッチは閉鎖されており、格納庫内部の気圧も整っていた。
己のヘルメットを脱ぎ捨てるとスーツの前面を開ける。するとひんやりとした外気がリンクの開け放たれた胸部へと入り込んでくる。火照った体には最高の薬だ。
「お帰りなさいリンク。参謀本部より通信が入っています」
先ほどまで機体で話していたルシアの声がどことなく聞こえてくる。
機体を船体に接続した際にすでに母艦との接続を終えていたのだ。AIであるルシアにとって母艦であるエッグリースもMEMも自らの体のように扱える。
その為、ルシアの音声は船体内部に設置されてあるスピーカーから聞こえてきたのだ」。
「録画映像か?」
直ぐに問い返すリンク、その表情は何処か優れない。
参謀本部とは地球のエリア0である地球連邦の首都にある太陽系軌道防衛軍の本部の事を示す。そしてそこからの直接通信であればレーザー通信を使用しても5分ほどのタイムラグが生じるのだ。だからこそリアルタイム通信はあり得ないことを知っている。
「はい。受信時間は0700、いまから45分前になります」
現在の時刻は標準時の7時45分。母艦帰投予定の15分前になる。
格納庫からそのまま自室へと直行したリンクは短くため息を吐きながらソファーに座る。
広さとしては20畳ほどのリビング。中央にはテーブルが置かれ、それを挟むように二対のソファーが置かれている。そして中央の壁には暗く、何処までも続く宇宙空間が映し出されている。
小隊長という立場から何度も部下を招き入れることがあるため部屋は綺麗に掃除している。いや、正確には掃除させている。
そいうのも
「リンク、そうため息を吐くものではありませんよ?」
そう言いながら現れたのはロボットだった。
外側は一目でロボットだと分かるように金属質のものだ。身長は170センチと男性モデルとしては小柄だが、その中には多くの科学技術が埋め込まれている。
ルシアの人型端末でありサブ端末の第6世代人型歩行機RTMS-1410だ。MEMに本体があるルシアは通信経由でこの端末を操作しているのである。そしてこの部屋を片付けているのもルシアなのだ。
「そうは言っても本部からの通信で内容が良かった試しがないんだよなぁ」
上からの命令はいつも何かしらおかしなものなのだ。現場を知らない、とまでは言わないがもう少しは現場の事を考慮して発令してほしいものだとリンクは常々愚痴をこぼしている。
「そうは言ってもあなたは軍人です。命令には従わなければ軍紀が乱れますよ」
「はいはい、俺はしがない軍人ですよー」
そう言いながらリンクは手元の携帯端末を操作する。いくつか操作を行い、最後に暗号解除のパスワードを打ち込み解凍する。するとその動画は部屋にあるモニターに表示され、再生を始めた。
『これは録画映像である』
まず初めにこう紡がれるのが習わしになっている録画通信。タイムラグが発生してします外宇宙にはつきものと言えるだろう。この前置きは既に一般化しつつあるのだが、定型文として未だに活用されているのが現実だ。
『私は参謀本部作戦群次長レルゲイ・ドルキニア准将だ。リンク・クドウ中佐、貴官の小隊に臨時任務を発令する』
リンクが睨んだ通り、その動画の内容は嬉しいものではなかった。まあ嬉しいものでも移動任務程度だが。
リンクが移動任務を好む、というわけではない。もともと移動任務はそれ相応に時間がかかる。
軌道防衛軍が通常使用している移動手段としては輸送機やシャトルなど様々な物があるが基本的に主機に核融合炉を使用している。これは今となってはすでに過去の技術だが、その信頼性の高さやコストの関係からも使用されているのだ。
これら核融合炉を搭載した乗り物の難点と言うのが時間がかかることだ。
通常地球の地上から月面基地に移動するためには軌道エレベーターによって静止衛星軌道にまで上昇し、そこからシャトルに乗り換える。
そしてシャトルで片道2時間、エレベーターも含めると都合6時間もかかることになる。
月面基地に向かうだけでもその時間がかかるのだ。太陽系に点在する基地に移動するだけでも相当な時間を要することになる。
そんな移動時間をリンクは個人的な趣味の時間などに使用しているためほとんど軍務がない。そのため好んでいるということに過ぎない。
『昨日標準時2346に外縁軌道ポイントV24区域にて極小のエネルギー放出を確認。その後の観測により小規模だが時空嵐を観測した』
時空嵐、元々は超新星爆発などの影響によってニューロンが異常加速することによって宇宙空間にて電磁嵐のような現象を起こすことだ。しかしこの嵐は非常にまれであり、その嵐によって新たな鉱物が生成されることが多いため、研究者の間では要観測対象となっているのである。
『そしてもう一つ、この区域内にイオスの反応を捉えた。貴官の小隊にはこの宙域にてイオスと時空嵐の関係について調査、観測を行ってもらいたい。そして可能であればイオスを殲滅して欲しい。ついてはこの通信を確認後すぐに行動に移られたし』
通信はそこで終了した。
プツリと途切れた映像は既に削除されていた。これは軍で使用されている暗号文独自の機能の一つである。敵であるイオスが傍受するとは考えられてはいないが極秘任務に限らず電脳を保有する兵士にとって一度見聞きしたことは後でも確認が可能なのだ。そのため不要なデータの削除という名目でも自動的に削除されるようになっているのだ。
また、この記録を開いた瞬間にすでに受信通知を本部に送信してるため確認していない、などという言い訳は通用しない。
「なっ、言っただろう?良い事なんてないんだよ」
早速愚痴をこぼし始めるリンクは深いため息を吐く。
時空嵐はそれ自体は問題ない。しかしながらその中での観測任務などは地獄以外のなんでもないのだ。
加速した粒子どうしの衝突による小爆発。理論上MEMの表面装甲ではなんら問題ない強度ではあるが、無傷というわけではないのだ。だいいち機体がすごく揺れる。
そしてパイロットとして致命的なまでにリンクは乗り物に弱い。しかしながら自分で操縦するぶんに関して問題はないのだが。まあそうでないとパイロットとして終わっているだろう。
「酔い止めを用意しておきましょうか?」
すぐさま問い返すルシア。その問いに苦笑いを返しながらリンクは立ち上がった。
「部下の帰還後すぐに移動を開始する。暗号通信で帰還を急ぐように送れ」
しかしながら腐ってもリンクは軍人である。軍務には忠実である、心の中でどのように考えているのかはわからないが。
「了解しました」
短く返事を返すルシアは即座に返事を返すと行動を開始した。
「さて、これがどう出るか」
ルシアが消えたリビングに再びリンクのため息が漏れるのだった。
☆
[太陽系外縁軌道V24ポイント]
「全く厄日だ」
太陽系軌道防衛軍所属の中佐であるリンク・クドウはそう呟いた。
彼がいるのは太陽系外縁軌道ポイントV24区域。数時間前に届いた地球の本部からの直接の指令に従っての行動だった。
基本的にリンクの性格と言えば大雑把である。その部分をパートナーであるルシアが補助しているのだが、任務一つとっても勤勉とは言えないのだ。それは彼に従う部下たちも同じ感想を持っている。
『隊長、回線からダダ漏れですよ』
若い女性の声。この部隊では唯一の女性隊員である部下の叱責の声だ。階級が上である隊長に向かって意見出来るくらいには気の置けないほどの仲ではある。
「なんだね中尉、文句があるならハッキリ言いなさいな」
まるでやさぐれた子供の様にコックピット内で膝を抱えているリンクは口をとがらせながら返す。
『いえ、文句ではなく苦情です』
淡々と返す女性隊員。その口調からは心からの苦情が入っている。
その声に他回線から押し殺したような複数の笑い声が漏れてくる。部隊の他の隊員達も1年以上の軍人としては長い付き合いである。それなりに打ち解けているのだ。
その声に少し眉をひそめながらもリンクは特に声を荒げることなく反論を続ける。
「では直接参謀本部に提出してくれたまえリリアーナ中尉」
一小隊と言えど特殊部隊である為、すぐ上の上司は参謀本部になる。だからこそそう言った細かな苦情は何事も無かったように掻き消されると分かってはいるのだろう。だからこそリリアーナと呼ばれた中尉はさらに言葉を続ける。
『では参謀本部マルコス人事部課長に向けて異動願いを送っておきますので。理由としては上司のセクハラ、という事で』
その言葉でリンクの表情は徐々に悪くなる。
「ちょ、それはないんじゃないのリリアーナちゃんよ」
『やられましたねリンク』
「お前は黙ってろルシア!」
参謀本部が抱えている人事部、いわば異動を一手に取り仕切る部署である。そしてそこの課長であるマルコスという男はリンクと昔馴染みなのだ。悪い意味での。
『隊長、私を小娘扱いしないでください。訴えますよ?』
彼女の声からは微塵も冗談などに聞こえないから困ったものだ。
「ちょ、いやスキンシップを測ろうと上司のそれなりの配慮じゃないか」
『御無用願います』
一蹴されるリンク。実際にはリリアーナの歳は21歳と6歳もリンクと離れている為に馬が合わない、というまではないが大雑把な性格のリンクと几帳面のリリアーナではかみ合わないのが現実だ。そしてそれをいつも取りまとめるのがリリアーナのパートナーであるアリスである。
『お二人ともそろそろ痴話喧嘩はおやめになったらいかがでしょうか?』
『ちょっとアリス!』
きつい一言。そのキツさは言わずもがな、自然とパートナーである少女に集約される。
『リリアーナ、貴方もいい年の淑女なんですから年上の殿方を困らせてはいけませんよ?まああなたがリンク隊長の事が好きすぎて仕方がないのは解りますが』
何とも大きな爆弾を通信越しではあるが投下してくれたものだ。それを一番最初に感じたのはルシアだった。この小隊のパートナーの中では一番最年長であり、経験もそれなりに豊富である、だからこそ次のアクションも容易に予想できる。
『にゃ!にゃにを!!!』
通信越しに少女の甲高い悲鳴じみた声が飛ぶ。すでに音量を絞っていたルシア以外は今の音で軽くめまいを起こしただろう。それほどの声だった。
『ア、アリス!あなたっ!ありもしないことを口走るんじゃないのっ!』
やれやれと誰にも聞こえないため息を吐きだしつつ、会話に再び耳を傾ける。
「あー、中尉ひとついいか?」
近々声に辟易しつつ、ようやく隊長であるリンクは切り出した。そういう仕事も隊長の仕事である。
『なっ、なんでしょうかっ!』
未だに興奮しているのか先ほどまでとあまり変わらない声の高さになっている。
そんな可愛い部下のてんぱった声を聴きつつ苦笑いしながらリンクは続ける。
「そろそろ予定宙域だから準備よろしくな」
それはリリアーナに向けてだけではなく、小隊全員に向けての言葉だ。ただその一言で通信越しにでも雰囲気が変わったのが分かる。なんだかんだ言っても特殊部隊の隊員なのだ。
『『『『了解』』』』
4人の返事を聞きつつリンクも準備を開始する。
「ルシア、機体を戦闘機動で維持しつつ観測装備に移行」
『了解、出力戦闘モードにて固定。続いて観測器具を装備します』
今まで待機していたのは母艦であるエッグリースの格納庫内部である。
エッグリースにはメンテナンス設備が一通りそろっており長期の任務に対応できるようになっている。また格納庫内には多種多様な装備があり、その中の一つに観測用の装備がある。今回はその装備を取り付け出撃になる。
なお戦闘も考慮しておかないといけないため、最低限の装備はつけたままである。観測にうつつを抜かし、撃墜されるほど間抜けなことはない。それをわかっているルシアは言われなくとも確実に装備を装着していく。
『完了しました』
「了解。ウルフ1から各機、観測はウルフ1が行う。各機は散開し時空嵐の外縁部からイオスの索敵及び撃滅を敢行してくれ」
『『『『了解』』』』
通常観測は複数人で行うのが通例だ。それはふた方向からの観測が確実性があり、かつデータの不足や観測速度などに違いが出る為だ。
しかし、イオスが発見されている現状で間抜けに観測している暇などはない。まずはイオスの撃滅が優先である。
しかしながら司令部からの命令はイオスと時空嵐の関係性を観測しろとの命令だ。だからこそ最低限の配慮として装備品が貧弱になる観測装備は自分だけにしたのだ。これは己の腕を信じる以前に部下に負担を掛けたくないとの思いからだった。
「よろしい、では出撃する。以後回線は非常時を除きオープンにする」
この際の非常時、と言うのは他の隊員に聞かせられない内容である、などの場合だ。しかしながらその様な内容はほとんどの場合存在しない。なので、非常時という事になる。
すぐさま返事を返すあたり、うまく教育されていると受け取っていいだろう。
リンクが乗る機体は既に開放されたエッグリースの格納庫から離れている。
『では出撃します』
ルシアの短い声と共に僅かな荷重が体にかかる。これは機体が母艦から離れるために加速したためだ。
「ルシア、念のため母艦は近くに待機させとけ」
万が一、それは緊急退避などになる場合だ。
エッグリースには戦闘能力自体は殆ど備わっていない。しかしながら移動手段と考えた場合は優秀である。
それはエッグリースに内蔵された短距離光速跳躍の能力である。
『了解しました。エッグリース一番機、一定距離にて追従させます』
即座に言ったことを理解し120%で返してくれるこの存在はありがたい。
「さて、何が出てくるかお楽しみと行こうか」
「おいおい、冗談きついぜ」
それは観測を始めて30分後に発生した。
直径15キロの範囲で発生していた時空嵐が急遽拡大、そして悪化したのだ。
しかしそこまでならまだ理解の範疇であった。そもそも観測している時空嵐なるものは発生原理は解明されているが、実際の所物理学を越えたものであり、未だに研究途中だからだ。
だがそれと同時に突如現れたイオスの大軍にはいくら百戦錬磨のリンクをもってしても驚かざるをえなかった。
現れたイオスの大軍、その数“戦艦級”3匹“空母級”2匹 そしてそれぞれに乗っている中型種の“戦闘級”が約3000匹。どう考えても一小隊で相手にできる数ではなかった。
順当に当てて大隊規模。MEMでいう4個小隊、計20機で当たるのが最低ラインなのだ。
こういった非常時の場合の判断は早い。
「ウルフ1より各機、緊急離脱!繰り返す戦線を離脱しろ!」
イオスが現れたのは部下たちが少ないイオスを討伐していた宙域。少し離れていた場所から見ていたからこそ全体の規模を把握できたが、その真っただ中にいる彼らはそれに気づいていないだろう。
だが通常即時に返信してくる返事が聞こえない。観測開始時に命令していた回線の常時開放は電磁嵐により断念している。しかしながらかろうじてではあるがデータの送信はできていた。
しかし最悪なことに先ほど拡大した時空嵐の所為で通信とレーダーが完全に切断されていたのだ。
「くそっ!ルシアっ、信号弾っ!」
返事を返さない部下達。それを素早く判断したリンクは叫びながら素早く後退、近くについて来ていた母艦から主武装である近接武器と銃型の武器を取り出す。観測装備は非常時であるため放棄することを決断した。
『退却信号、打ち上げ完了』
その声と同時にリンクの直上にて3色の信号弾が打ち上げられる。色は白、緑、青。起動防衛軍にて規定されている退却信号弾だ。通信不可領域においても確実に伝えられるように軍人の基本的な教養で学んでいる。
『2番3番機離脱確認。4番機、確認できず。5番機戦闘級3体に囲まれています』
戦場を観察していたルシアは素早く報告する。
それを自分の目で確認したリンクは舌打ちをする。
「わかってるよっ!」
そう言うとリンクはすぐに長距離狙撃装備を組み立てる。通常は短距離射程用にバレルが短いのを装備している。そのバレルをすぐに取り換え、頭部の望遠カメラを起動させた。
『エネルギー、主砲に回します』
何を求めているのか、すぐに理解し反応してくれる相棒は素晴らしい。
ものの数秒でチャージが完了し、すぐに引き金が引き絞られる。
わずかな反動と同時に銃身から長距離貫通エネルギー弾が射出される。これは弾丸を火薬で飛ばす従来のものと違いエネルギーで形成された弾薬だ。
それも貫通特化型であり、着弾後に爆発する榴弾である。
何の抵抗もない宇宙空間に秒速15キロの高速弾が飛翔する。
それは火薬銃で使用されるライフル弾の約15倍の速さである。
音も聞こえない空間に一筋の光が流れ、あたりを明るく照らすほどの光量をもってイオスの肉体を吹き飛ばした。
『着弾確認。5番機の離脱を確認』
「よしっ!」
そう言いながらリンクは2発撃ち出すとライフルを収納した。
「離脱に入る!」
離脱は短距離であればMEMのみで移動するのが早いが、この場合は太陽系内まで下がる必要がある。だからこそ離脱途中でエッグリースに収納させた。
『ドッキング完了・・・これはっ!』
しかしながら物事はうまく運ばない。それを裏付けるようにルシアの驚いたような声が聞こえる。
「どうしたっ!」
声を掛けるが早いか、ルシアはリンクにも見えるようにMEMのモニターに外の映像を映し出す。そこには先ほどよりも拡大している時空嵐が荒れ狂うように迫っていた。
『時空嵐が拡大します。ニューロンの暴走を確認、速度・・・早すぎて検知できません』
次の瞬間強い衝撃が船全体を襲った。幸いリンクはコックピットにて待機する予定だったので戦闘状態のままだ。だからこそ急な衝撃にも対応できた。
通常の衝撃であればエッグリースがある程度吸収する。そして当たり前ではあるがMEMも対衝撃吸収機能は高い。それらを越えてリンクまで衝撃が届いたのだ。
「なっ、今の衝撃はっ?」
『時空嵐によるものです。大丈夫、船に損傷はありません』
安心させるように落ち着いた口調で語るルシア。しかしながらモニターに映るそとの映像は苛烈を究めた。そして極めつけはこの出来事だった。
『なっ、時空の歪みを検出!これは危険です!』
いうが早いか急激な加速を始めるエッグリース。しかしながら運命とは残酷である。
『間に合いません、歪みに飲み込まれます!』
その声の瞬間リンクは覚悟を決めた。軍人になった時にすでに覚悟は決めていたのだ。これまでも幾度となく命の危機にはさらされてきた。だからこその勘なのか、自然と恐怖はなかった。それも、うまく説明できないような確かな自信があったのだ。
そこでリンクの意識は途絶える。