宇宙から差し伸べられるポイ
高校時代まで、――あくまで俺の知る――牛嶋みのりは停学級の悪さこそしなかったものの、どちらかといえば不良の部類に入る生徒だった。
仲間内、彼女を知る級友の間では、その性格を強調するために彼女のことを『みのる』と呼んでいた。
悪口じゃない。愛称だ。
「お香はさ、みのると喋ったりすんの?」
お香、牛嶋とは対照的に、普段女のように大人しくしている坂口香介の愛称。
何の奇縁か。小学校の頃からずっと同じクラスの友人、福部拓則は俺のことをそう呼んでいる。
「いいや。何で?」
「いやさ。今度、皆で夜会でも開こうかなって思っててさ。ああいうキャラの強い奴いると場が盛り上がるんじゃないかと思っただけなんだけど。」
「いいんじゃない。ちなみにその夜会は何目的な訳?」
福部は、大人数で遊園地や海水浴に行ったり、夜な夜な集まっては恋話やコント紛いのトークショーを企画してはドンチャン騒ぎするのが好きな努力型リア充だ。
「定例会。」
「いい加減、その言い訳は聞き飽きた。」
その言葉が出てくる時は決まって何か隠し事をしている。
この前は告白する前に、好きな女の子の素を見るためにわざわざその子の親しい友人を呼び集め、心理テストを称して色々と引き出したらしい。
そして、口達者で頭も悪くないコイツは、どうしてだか俺に対してだけは嘘がつけないらしい。
「いゃあ、俺もそろそろ大人の階段を昇ってみてもいいかなと思ってさ。」
その上、優等生な外見をしているくせに結構なワルだ。あくまでも高校生基準ではあるけれども。
「何、お前、狙ってんの?」
「いや、あくまで雰囲気作りの一環だよ。お香が誘ってくれた方がOKしてくれる可能性が高いから。ダメ?」
「何で俺?」
「アイツ、お前のこと好きだからさ。」
「まじ?」
「多分。」
覚えがない訳じゃあない。
ただ、たまに視線を感じていたという程度。
根が素直な不良からしてみれば、俺みたいな本音を隠して生きている人間が何を考えているのか『興味』がある程度のことだと思っていた。
「……いいよ。」
俺も、興味が無いわけではない。
みのるは身形さえ普通にしていれば美人だと思う。
「牛嶋さん、ちょっといいかな。」
雑な茶髪にみっともない眉。下手くそなマニキュア。制服は着崩してダボッたい感じにしている。
見栄を張っているのが一目で分かる。そのくせ、ピアスの穴は開けない、なんちゃって真面目な一般的な生徒だった。
声を掛けるとみのるは茶髪越しに、威嚇するように俺を睨む。かと思えば、机の上の雑誌を片付けながら「別に、いいよ」と不自然に小さな声で答えるのだった。
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私たちは高校生という「子ども」だ。
「子ども」のくせに、私たちは大人に隠れてタバコやお酒を嗜むことをステータスにし始める。
手を繋いでキスは一つ上のランクで、その先のピンクな世界に突入したなら、「子どものようで子どもでない特別な奴」として誰からも一目置かれるようになる。
こんな格好をしてはいるけれど、私に後者の経験は一切ない。
基本的に臆病なのだ。
お酒の席は近くの海辺だった。明かりは少なく、花火さえしていれば怪しまれることもない。
もちろん此処に集まった級友たちもまた、片手に『青春』を、片手に『若気のいたり』を持って今か今かと「お目当て」の隙を伺っていた。
そして、私にとっては彼との親交を深める場。……ううん。変に親しくなることはない。ただ、いくらか会話のできる関係になるだけで十分だった。
私の目には彼が、宇宙空間を彷徨い歩き、拉致できる獲物を探し続けている危険な人物に映っていた。
その先に尽きない好奇心があることは分かっている。
けれどもそれは地球人には混沌とし過ぎていて、うっかり手なんか繋いでしまったなら、ひと月と経たずに解剖、もしくは改造されてしまうのは必然だった。
それでも彼に関わろうとしてしまう私は、多分、彼のことを……好きになりかけているからだと思う。
「言葉を交わしたい」というのは、その2つの葛藤の末に出た答えだった。
私は、来る日も来る日も小さな鉢の中から外の世界を見遣るだけの運命を背負った縁日の金魚。
おじぎ草のように外からやって来る刺激に口をパクパクさせるだけの命。
だから何も考える必要はない。ただ一言二言、挨拶と相槌を打つ。ただそれだけで十分なのに。
それなのに、都合の良い妄想に唆されてここまで流されてきた駄魚は、そんなチッポケな努力さえできないらしい。
結果的に、大して親しくもない女友だちの隣で一人、延々とグラスを空けるという意味の欠片も感じない飲み方をして、ただただ無駄な時間を費やしていた。
何も起きないからこそ無意識に、そういう機会がくるのを待っていたのかもしれない。
彼がお手洗いで席を立った時、ちょうど催してきた私は彼を追うようにその場を離れた。
「どうした。お前もトイレか?」
けれども彼は、そんな私のことなんか見透かしているとでも言うように、私を待ち伏せていた。
「牛嶋、大丈夫か?」
多分、彼も初めからそのつもりだったんだ。
彼の言葉は、それを誤魔化すというよりも、そうして欲しかった私を挑発しているようで、妄想という名の期待は増々強くなっていく。
「水、買ってくるか?」
そしてついに妄想が、現実に足を伸ばしてくる。私を引き込もうと彼の声に蠱惑的な色を塗りたくる。
彼を前にして、色んな意味で緊張したからか。急に頭痛が酷くなり、視界は歪んでいく。
「……ゴメン、大丈夫だから。」
こんなに頼りない自分の声は今までに聞いたことがない。
自分の足で、皆のいる場所に戻らなきゃいけない。いけないのに、やっとの思いで絞り出したそれが、人間としての私の最後の言葉になってしまった。
――――そうして目が覚めた時、私は林の中にいた。そして、自分の体が妙に熱いことをボンヤリと感じ取る。
「ここ……、どこ。……、何してるの!?」
「ああ、牛嶋。起きたんだ。」
答える彼の顔は、私の下半身から生えていた。何をしているのか、明らか過ぎた。
私は縛られ、身動きができない。
「ちょっ、ヤメ……、止めてよ!」
常識的に抵抗するけれど彼の手と口がする手術は度を超えていて、全身に押し寄せる興奮が、それを拒む理性をボロボロと削ぎ落としていく。
お酒が入ってて力も入らない。こんなことなら来るんじゃなかった。
……それは、本心?
「坂口くん……、何で?」
私にできることは何もなかった。
私はすでに「宇宙空間打ち上げられた金魚」なのだ。ここでは私は何もできない。窒息しないために、ただただ息を止めていることしか。
彼の世界では私の声も届かない。どんなに必死で訴えても、住む世界の違う彼にはまるで理解されてもらえない。
それがまた、私をオカシクする。
「本当に嫌?」
水鉢の外に出たことのない私もまた、宇宙人の言葉を何一つ理解できない。
それでも、私の肺に辛うじて残っている酸素が、最後の息を吐く。
「い、嫌に決まってるじゃない!」
あと一歩退いてしまったら、絶対に引き返せない。そんな怖さがあった。
私の声が聞こえない彼は、当然のように『行為』を続けた。
「みのり、彼氏いないだろ?」
他人に呼び捨てにされたのは初めてだった。
「……だからって何しても言い訳じゃないでしょ?」
馴れ馴れしいと感じることはない。むしろ寒気にも似た高揚が、私の水鉢を侵していく。
「ダメって訳でもないだろ?俺らなら。」
彼の、ヒルのような指先が私の服の中に潜ってくる。そして獲物の生態を調べる宇宙人のように、ヒルは丹念に、丹念に私の身体の上を這い回る。
「お前、今日から俺のものな。」
また、ヒルを放った宇宙人が何か言った気がした。
でも私はもう気が狂っていてほとんど聞き取れちゃいない。
こんな傍若無人な態度をとられているのに、少しも腹が立たないのは私が寛容だから?それともやっぱりお酒のせい?
まだ一度も「好き」だとか「愛してる」だとか言われてない。
それでも彼の『愛』に、昂まれば昂まる程に、私の頭は彼の言葉を都合良く捏造、解釈していく。
彼を拒む壁はとっくの昔に、跡形もなく消されてしまっている。
「坂口くん……、私のこと、好きなの?」
それでも『異性』として、彼に言って欲しい言葉があった。
それさえ聞けたなら、私は今のこの状況を許せるまでに彼に支配されかけていた。明日から、水鉢の中にはなかった刺激的な青春が待っているはずだった。
それなのに、私の細やかな願いは、彼の唇から麻薬のような言葉を引きずり出してしまう。
「心も身体も無防備な女って、相手にどこまで気を許すのか気になっただけなんだけど。お前、まんざらでもないんだろ?だから最後まで付き合ってやることにしたんだ。」
……まだ酔いが残っているのかもしれない。彼が本物の宇宙人に思えてきた。
「お前は気にならない?」
そうしては私は一切の抵抗を止め、全てを彼に任せてしまう。
※ポイ=金魚すくいで使われる和紙を張った手持ち網のこと。
※駄魚「だぼ」=とるに足らない魚。兵庫県辺りで「アホ」や「バカ」という意味で使われる言葉だそうです。
調べなかったら「だぎょ」と読んでいるところでした(笑)
ゴルフの「ダブルボギー」も「ダボ」と略すようです。気をつけてくださいね!
※昂まる(たかまる)=興奮状態になること。ただし、通常は「高まる」と表記する……みたいです。