異 牙
「アレウス。貴様は、確かあの娘と面識があるのだったな?」
「は。……その通りです」
「嗚呼、良い、貴様が騎士としての責務を果たさなかった事を今言及しているのではない。ふふ、貴様に任を一つ与えようと思ったまで――それ以外に何がある。無駄な言葉を吐かせるな」
細く滑らかな曲線を描く足を組んで、長くふわりとした髪を手で弄びながら王は述べる。その声は軽く、何処か楽しげであった。鈴の様に可愛らしい声で、言葉を紡ぐ、紡ぐ――。跪く、騎士の頭上に砂糖菓子の様に甘い音色を落としていく。
「……上山泉、であったか。その娘を俺の足元に引きずり出せ。嗚呼、生きて――だ。忘れるなよ、俺の円卓の騎士アレウス。足の一本位折っても良いと俺は思うんだが、どうもこの娘が煩い。事故でもない限り丁重に連れてこい。客人としてのそれ相応の持て成しはさせてもらう――とでも殺し文句につけておけばいいだろう」
「恐れ多くも陛下。一つ、お伺いしてもよろしいですか」
「許す。何だ」
「新しい肉体を得られ、不調をも凌駕した今の陛下に……何故、愚者が必要なのです」
「黙れッ!!」
王は激昂し杯を騎士アレウスへと投げつけた。意見するために持ち上げた顔面に杯が迫りくるのを黙認し、アレウスは目を閉じて杯を受ける。割れることなく、鈍い音を立てて顔へとぶつかり床へ零れ行く杯を充たしていた液体の味にアレウスを拳を強く握りしめた。
薬味――王は、新しい身体を得ても延命の薬を口にする。
「俺の魂を受け入れた肉体に宿る力は、やはり愚者のものだ。足りない……足りない!何故わからない!このままではあの呪いを繰り返すだけだということが!代理王すら立てることは許されない、この玉座に座るのは俺だけだ――なあ、そうだろう。アレウス」
王の身体は、二世界の穢れを浄化する。消え去るのではない、取り除くのだ。身に負素を肥やし、その毒に身を侵しながら耐えることなく浄化し続ける――その行為を、彼の王は肯定した。此の王の目の前で肯定し続けた。彼の王が肯定し、受け入れた王の業を――シリウスは呪いと吐き捨てた。
「……はい。シリウス、陛下――」
アレウスは未だ希望を捨ててはいない。必ずや自らの王を、元に戻す――その希望を捨ててはいない。だから深く頭を下げる。忠誠を示しているのだ。自らの王へ、未来の王へ捧ぐ為に。
「この座は、二度と誰にも渡さない。俺が座り、俺が世界を統べる……そうだ……そうするしかない……エリーシアが復活し、再びこの座に就くなど――考えただけで吐き気がする。俺以外がこの座に座るなど、考えただけで狂いそうだ……!」
王は座に狂っている。座に執着し、自らの地位を欲し続けている。
「――おい、アレウスよ」
「――は」
アレウスは緩やかに顔を上げた。精悍な目つきが、少女の様な王を捉えて離さない。
「――殺せ。俺の道を阻むものを殺せ。俺を害する者を殺せ。俺を糾弾する者を殺せ。貴様は、誰の、何だ」
「――は。陛下、貴方の剣です」
笑う。その笑顔は美しい。
「アレウス。俺の前にある道は、何色だ?」
「――赤一色に、染め上げましょう。我が名に、誓って」
赤とは、この世において至上の色。瞳に纏う者はこの世で唯一だ。
王よ、――あなたに赤はお似合いか。
「失礼致しますっ!!陛下、陛下はいらっしゃいますか!?」
開け放たれた扉から、近衛兵が一人飛び込んで来た。アレウスはゆるやかに立ち上がり、ぬれた髪を静かに指で払う。
アレウスは王を見上げた。王は椅子に足を汲んで座り、アレウスに顎で合図を送る。アレウスは頷いた。
「何用だ」
「たた、大変です……っ!はやく、早くお逃げを――っ!」
アレウスは目を細める。近衛兵と距離を詰め、落ち着くように諭す。
「大変なのです!――あ、あの、お、恐れ多くも申し上げます‼謀反、謀反で御座います‼西の領地、トルーカの軍勢が王都に攻め入って参りました……っ‼」
アレウスは王を一瞥した。王の顔色は変わらない。しかし、目の前に立つ近衛兵の膝が笑い、今にも卒倒しそうな顔色は謀反だけではないと確信した。
「……他にも、何かあるんだろ?」
その一言に、近衛兵の顔が一気に凍り付いた。口にしようと開いた唇が震えている。手に持つ剣が、小さな金属音を立てていた。
「――おい!」
肩に手を置くと、近衛兵は堰を切った様に恐ろしい言葉を口にした。アレウスの目が見開かれる。そして一気に、王――シリウスを仰いだ。
「前皇帝陛下、エリーシア様の軍旗があがっておりますッ!!!!!」
鈴が一つ、二つ音色を響かせる。
次第にそれは重なって、――止んだ。
「良いだろう!俺自ら指揮を執る!竜が、ついに王に牙を剥くか!はは、はははは!――アレウス!」
「はっ」
王の姿は露見した。近衛兵は絶句する。
「貴様に与える命は変わらない。やり遂げろ」
「承知」
「各隊の軍師を集めろ。――早くしろ!」
アレウスは一礼し、部屋を出た。身に纏う円卓の騎士という象徴が、より鮮明に反射する。
アレウスの隣を忙しなく伝達兵が駆けて行く。王の機嫌を損ねれば自らの首が飛ぶ、それを恐れているのだ。あの、見違えるほど変わってしまった王に。
円卓の騎士――それは、王の私兵達。遥か昔に存在していたアーサー王から、前皇帝エリーシアが名付けた。国の全ての騎士を総督する者、騎士団長に位置する者を円卓の騎士のアーサー王の位置につけた。それが、シリウスだった。
騎士団は王の剣だ。その象徴が、シリウスだった。故に、騎士団長は全ての騎士を統べ、一番の私兵として、王の傍に侍る栄誉がある。
「シリウス陛下……貴方を、過去から救い出してみせる……!」
いわば、騎士団長とは、シリウスとは、騎士の憧れであった。
アレウスも――シリウスに対して、それを見ていた様に。
騎士とは、何だ?
騎士団長とは、何だ?
円卓とは、何だ?
アレウスはあの日から幾度となく自分に問いかけ続けている。騎士と言う己の在り方を、騎士団長という己の生き方を、円卓という組織の意味を。
アレウスが憧れた騎士団長という頂きに立っているのに、景色は美しくないのだ。
原因はわかっている。わかりきっている。ああ、こんなことになるのなら、やはりあの時代に自分が――団長を止めていればよかった。
後悔をアレウスは自らの枷にはしない。
簡単なことだ。アレウスは、円卓の騎士であり、騎士団長。
王の剣――、であるならばやるべきことは一つであろう。
王の道を切り開く。王の進む道の茨を切り開く。
アレウスは、シリウスを狂気の沼から引き揚げてみせる。
「上山泉――エリーシア……!」
ああ、安心してください。シリウス陛下。
貴方の手は、もう穢させない。
7章入りました!頭は異ですが、あっちは大変なことになっているそうです。やべえな。




