誰が為に Ⅱ ※挿絵
扉を出ると、そこは大量のパソコンが列を成して配置されている教室に繋がっていた。PC教室だとか、視聴覚室だとか言われる教室の全てのデスクトップはあの青に染まっている。分厚く閉じられたカーテンのせいで、この教室を照らす灯は自ずと限られてしまっていたが。
見慣れた教室だ、間違いはない。
中央最前に置かれた一際長い机と、その机に並べられた教師用のパソコン達。そこに座る、生徒一名。それは顔を上げず、ただ座り続けていた。この私が扉を開けているのにも関わらず。
息を小さく吸って、私は手に掛けていた扉を閉めた。誰にも邪魔させないように、誰も此処に入らないように。そして、中へ進めば……ほら、お前は顔をあげるのだ。
「初めまして、泉。……まだ、泉だよね?」
「言葉遊びに付き合ってる暇はないの。――すぐに消してやる」
「ああ……貴女の中で、僕に会ったんですね」
実花の姿を真似たシステムが立ち上がった。私は進むのを止める。ただ、目を凝らして相手の行動を観察していた。
「アスティンはどうしたの」
「……アスティンはさあ、あたしと泉のこれからに関係ないよ?」
「――答えなさい!」
喉の奥から這いあがる黒い感情を、言葉に乗せて吐き出した。システムはそれに気づいてなのか、いないのか。にこりと眼を細ませて、下げていた手をこちらへ見せつけた。
べっとりとついた赤い手を。これが答えだ、そう言いたげな笑顔で!
迸る衝動が私の足を動かす。そのまま胸ぐらを掴んで、机越しに此方へ引き付けた。その衝撃でパソコンが倒れていく、そのディスプレイが荒れた私の姿を映していた。
胸ぐらを掴まれてもシステムは、笑顔を崩さなかった。しかも、さらに笑みを深くしていく。
「心配しなくても大丈夫だよぉ。あたし、あたしはね、きちんと世界の均衡保つために考えられるから!」
苦い、苦いわ。
口の中に苦味が広がる。ぎりぎりと相手の胸ぐらを両手で締め上げて言った。
目の前で、誇らしげに笑うその顔に。
「あんたなんか……あんたなんか、知らない!認めない!実花の名を騙るな!私の大好きな親友の顔で、声でしゃべりやがって!」
私の言葉に、みるみるうちに笑顔が崩れ去っていく。
「……そんな事言わないでよ。痛い、痛いよ……折角、会えたのに――また、離れるのに……」
堪えられないほど腹が立って、私はシステムを後ろのホワイトボードへと突き飛ばした。頭がくらくらする。飲み込まれそう。
「私は!……今から会いに行くの。本物の実花に、湊に会いに行くの。その言葉、本物から聞くからさ……偽物は、とっとと……――消えてしまえ」
一気に全ガラスに激しい亀裂が入る音がした。視認は出来ない。カーテンが邪魔だ。
ゆっくりとシステムが立ち上がる。顔を俯かせて、陽炎の様に立ち上がった。私は少し距離を置くために数歩後ろへ下がらざるを得なかった。――得体が知れない気がしたのだ。本能が、下がれと言うから。
確かに私が、その幕を切り落としたのだろうから。
「――ふ、ふふふ」
でも、システムはその場から動かない。小さく、確かに、声を上げて笑っていた。次第にそれは肩を震わせ、お腹を抱えて、そして、
「ふふふふふふふふふっ……あははっ……、――悲しい」
上げた顔は、頬は、零れ落ちる涙で濡れていた。
心がざわついた、心が苦しみだした。私には、わたしにもその姿は苦痛なのだ。そんな中、顔を上げたシステムはその姿を溶かした。
一気に私の身が辺りを警戒しだした。知らずの内に首からアンスを外していた。始まったのだ。
殺し合いだ。
「……どこにいるの!姿を見せなさいよ!」
吠えた私に、システムは答えない。私が声を出さなければこの場に聞こえる音は、パソコンの機械音と、私の呼吸音だけだ。
緊張が首筋を伝う。静寂が私の鼓動を加速させていく。
わたしは大丈夫だけれど、私は持つかしら。一度、深く息を吸って、吐いた。とずれた一拍で、違う音が耳を掠めた。ゆっくりとその音源へ身体を軸をずらさずに動かした。
すすり泣くシステムは隅で身体を丸めている。
ほ、と胸を撫でおろしてしまった。
「……お前、躊躇っているでしょう」
するりと出た言葉。システムが一度、身体を振わせて顔を上げた。とめどなく流れる涙は、枯れることをまだ知らないのだろう。
「ああ、やはり。もうすぐしたら、完全になるのですね」
更に涙は溢れ出していく。わたしはアンスを握る手を見つめた。視界の奥で、システムは立ち上がる。縋る様な、何時かの様な目で、わたしに手を伸ばしながら近寄り始めた。涙は止まらなくて、嗚咽を我慢して、わたしへ手を伸ばす。
その様を見下ろしていた。静かにアンスが動き始める。いつでもアンスを剣に変えて、相手を浄化できるように。
一歩一歩距離は縮まっていく。
「どうして、そこまでしてわたしを殺したいの?」
わたしの問い掛けに彼は足を止めることも、答えることもしない。
「手に入れたでしょう、お前が欲しいものは全てわたしから手に入れたでしょうに」
ただ手を伸ばして、わたしに触れようと近づいてくるだけ。
「思念を形にしてまで、どうして……わたしを、殺すの……こんなのじゃ……繰り返すだけよ」
わたしと彼の距離は後一歩。触れそうな手を降ろして、彼は立ち止まった。
アンスが熱く、燃えているかのようだ。
「……答えは全て、あの日に貴女へ渡しています。貴女をこの手で殺した日に、貴女をこの手で辱めた日に、全て」
「――あの日?」
しまっ、た。
揺らめいたシステムが、咄嗟に口に出た私の疑問に笑い、姿を眩ませた。次の瞬間、システムが私の眼前に現れて――、
「んっ……!」
腕を取り、腰を引き、――触れるだけの、口付けを。
いや、離れない。角度を変えては口付けてくる、呼吸をさせてくれない。触れた先から、私の身体は反応する。流れ込む、負素が、口移しで流される!
――何なのだ、この男は。
「んっ……むっ……っ‼」
身体はその行為に過剰に反応した。多少身を痛めても構わない、関節をあらぬ方向に曲げても。剣をこの手に具現させ、何としてでもその身体を引き裂こうとした。
出来ない。身体に剣を喰いこませた瞬間に、その身体は黒煙と化し、また真横に型を取って笑う。そして、またシステムは泣くのだ。
「何なの……」
その声に、声が被さった。鈴が鳴る。システムの姿が溶ける。
『あの日、彼女はいつも通りに謁見の間へ行きました。あたしの静止を振り切って、もう幾ばくも無い身体を引きずりながら忌々しいあの場へ行きました。これ以上、彼女を穢したくなかった……最後だと笑う彼女の思い通りに事が進むことも、苦痛に拍車をかけていたから……』
『――気づけば、視界は赤く……赤く染まっていました。今から思えばあたしが染まっていたのでしょうが、当時のあたしには周りが赤く見えたのです。ええ、恐らく周りも酷い赤でした』
電気が落ちたパソコンルームで、システムの独白は続く。上から垂れるように赤く染まりゆくデスクトップ。周りを見渡すと、徐々に青が赤へ変わる。
『次に、止まらない手を見ました。あたし自身、自分が何をしているのかわからなかった。わかりたくなかった。……次に、止まらない絶叫が聞こえ出しました。誰だったのか、まだ誰か生きているのか……そう思いましたが徐々にその叫びは、笑い声に変わっていきました。だからあたしは気にすることをやめました』
優しい声色は、例えるなら幼子を寝付ける母親のような。
『しばらくすると、手が止まりました。……というか、手が滑りました。持っていたものを持っていられなくて……漸く、そこであたしの作業を終わりました。息の切れ方が尋常じゃ無かった覚えがあります、怖かったのでしょうか?――はい、怖かった。何故でしょう、今でも……怖い……』
『そして、僕は立ち上がろうとしたのです。ですが、床を誰かが磨いた後だったのでしょう。赤色の綺麗な大理石はとても滑り易くて斯く言うあたしも皆と同じように滑ってしまいました。その時に隣で同じように滑っていたのでしょう。彼女の髪が僕の顔に掛かりました。……ふふ、僕はそれが可笑しくて、痛む頭の中でくすくすと笑ったのを覚えています。』
実花のような鈴の声のゆったりとした独白の悲壮感が、僅かに揺らいだ。くすくすと笑いながら話す実花の声は、パソコンルームを赤く染めていく。
『嗚呼……女中を叱っておかなくちゃ。あ、いえ、その時ある不始末を見つけてしまいまして、そう思いました。水拭きしたのなら、きちんと水気を吸わないと僕みたいな――あたしみたいなのが転んでしまいますから。いえ、すでに大勢転んでしまってました。皆恥ずかしかったのでしょう、だから皆顔をあげようとしなかったのです。――そういえば、周りは既に暗く日が沈んでいました。彼女は最早活動できる身ではありませんでしたから、早々にベッドに運ぼうとあたしは思い至りました』
『思った通り、気を失っていた彼女を抱きかかえると更に床が滑りやすくなりました。あたしは気を付けて彼女を寝室まで運ぼうとしたのですが、彼女の金の髪が赤黒くておかしいな、と思いました。恐らく彼女の身体は浄化の限界を迎えてしまったのです。悲しい、とても悲しい気持ちになりました……』
『不意に酷くキツイ薫りが鼻についたので、窓ガラスへと向かいました。窓を開けていないのに吹き通る窓の設計に僕はね、感嘆したのです。普段いると周りが見えなくなりますね、反省しました。きっと彼女も嬉しかったのでしょう、月が彼女の瞳程赤く染まっていましたから――』
声が一瞬震えたかと思えば、けたけたと声は笑い出した。完全に赤く染まったデスクトップの発光色が目に痛すぎる。
『そういえば、あの叫び声の、笑い声の正体……思い出したよ、泉』
ドクン、と心臓が跳ねる。狙いをあやふやにさせていた銃口が、重い動作ではっきりと私を捉えたようだった。
『あたしなの』
『ねえ、泉』
『――は、好き?』
「……え?」
『赤い部屋は、好き?―‐―あたしは、泉のようで、大好き』
――その言葉が合図だった。校外に明々と輝く赤い月光が教室内を充たして、私の目を潰した。
「言い訳が許されるなら、最愛たる我が王よ。聞き届け給え」
実花の声がはっきりと聞こえた。スピーカー越しではない、はっきりとした肉声。咄嗟に目を開けた。恐らく脳が月光を警戒してた所為で霞んだ視界が、安堵して視界を全て解放した。
見覚えのある、広大舞踏場に、実花が立っていた。その姿は、あの世界に置き去りにした実花に違いなかった。
「泉は帰ってはならない」
二つの声が重なる。実花の声と、あとは誰だろうか……?
「泉は赦してはならない」
顔をあげない実花。私は唯一の警戒を解かない儘、言葉に耳を傾けた。
「泉は二度と、座してはならない」
一方の声が後方から響いた。恐怖に慄いた私が咄嗟に振り返れば、そこには――髪の大半が青黒く染まった男が、実花と同じように俯いていた。
「言い訳が許されるなら、最愛たる我が王よ。聞き届け給え」
確かに、重なる。――怖い。でも、ここで恐怖に飲まれてはいけない。それこそが相手の思うつぼだと指摘した鏡子の声が辛うじて私の足を気丈にさせていた。
「愛故に、過ちを犯します」
「愛故に、還りを拒みます」
「愛故に、王を拒みます」
「愛故に――」
「泉の地位を欲します。死せよ、我が王。死せよ、死せよ死せよ――エリー……」
エリー……その発音と、良い慣れた発声に私の身体が反応した。
「――裏切り者がああ―――!!!」
自分の声とは思えなかった。激昂した私の中が、男へと一直線に駆け出していく。男はそれに気づくと、僅かに顔を上げた。覗いたのは、昏い紅の瞳――。
シリウス……!?
制止の力も届かない。完全なる身体の暴走だった。突き付けた掌へ現出させた剣は、事もなげに手首を捻られ落とされる。その勢いの儘首を押さえられ、私は赤い床に押し倒された。ぬるりと滑る床が気持ち悪い。しかし男はそんな私の嫌悪感を図りもせずに、言葉を吐き続けた。
「安寧たる眠りを」
「――シリウス」
片腕が突き付けた刃の先端が、喉を食い破る前にわたしは目の前の男の名を呼んだ。呪いの様に止まった男の青く長い髪が頬に降りかかる。
「……シリウス。聞かせて」
「……何を、ですか」
前髪がその瞳を隠した。
「私の――最期の約束、覚えてる?」
「――!……は、はい」
シリウスの声が震えた。けれども震えない剣先。
「そう……ならば……何故、そんなにまで王位を欲するの?お前が私を殺さなくても、王位ならあげると言ったのに」
「……いりません」
「……え?」
「陛下に与えられた王位等、意味がない!」
その言葉の剣は喉元を喰らい尽くしてしまいそうな剣よりも痛い。あ、ああ、この男は今、自分が言った意味がわかっているのかしら……!嫌よ、嫌、認めなくない……痛い、痛い……!
だって、この言葉の意味じゃシリウスは私が邪魔だったということなんだもの。
嗚呼、――何て、酷い、世界。
私の大好きなシリウス。愛しい私の剣。この世で最愛の――陪神。
それはもう、過去なのね。いいえ、その過去さえも、真実だったのかしら?そう、シリウス。お前は約束を破るのね。私が与えた約束を破るのね。良いでしょう、ええ、良いでしょう。
人へ堕ちても。
記憶を剥奪されても。
王権を簒奪されても。
私は――支配者。
「嗚呼――……最高の、」
別れを、告げなければいけない。あの日、笑って往こうと思っていた日々は無残にもこの男に奪われてしまったから。今こそ、あの日に告げるはずだった別れを言う時が来たのだ。
嗚呼、それも、なんて、嫌な方向に捻じれてしまったのね。
さようなら、縋りたかった過去。
さようなら、願わくば嘘であれと願った過去。
さようなら、――さようなら。
断罪せよ、裏切りへ。
「……気分だわ」
零れた雫を露わにして狼狽えたその腕を掴み取り、立場を逆転させた。組み伏せた男の露わになった顔が随分と懐かしい。
「……お前もそうでしょう?シリウス……!」
「――はい」
真っすぐと憎い男の喉元に剣を喰いこませた。「あは」引き抜いて、刺す。穿つ、穿つ穿つ穿つ穿つ穿つ穿つ穿つうが、つ、うが……うが……あ、は、は、ははは、……ふふっ……ははは……ははは……。
――抵抗さえ、しない!
「あはははははは!」
もう一人のシリウスへ近寄っていく。動かないシリウスは捨てて、私は身体を赤く染めながら歩み寄った。
女の姿を模したシリウスは、漸く顔を上げた。嗚呼、愛しい女。愛しい友――愛しい人。
されど、お前もさようなら。
「……どうして?わからない。何で、泉はそこまでするの?……苦しいならやめればいい。泣いてまで、自分を犠牲にしなくてもいいんだよ。そう、教えてくれたのは泉なのに……どうして?」
「――今更何をぬかすのお前は!私がやらなくて、誰がやるの!私が傷つかなくて誰が傷つくの!?」
「ほんと……そんなんだから、あたしが守ってあげなくちゃいけない……」
実花……いいえ、シリウスは顔を上げて言った。それに内情が揺さぶられる。
「泉」
「……何?」
「――愛してる」
剣を横に薙ぎ払った。半ば衝動だ。情動だ。叫び出したい。わたしの狂った理性が、暴れ狂うのを押さえている。
生暖かい吹き出した愛が降り注ぐ雨の中、私も笑う。両手に捧げられた愛を溜めて、飲み干してあげましょう。お前が、そこまでして、差し出す愛ならば。
残らずに私に捧げなさい。その約束くらい、守って。
「――ええ、わたしも。愛してたわ!」
目の前で愛を吹き出し、自らの愛に溺れる最愛の友を見て、私が慟哭する。
それに比例するように、私は笑みを深めていった。
髪を濡らす体液を、頬を滴る体液を、四肢を這う体液を、全て愛と形容できるのでしょう?
慟哭に反応するように、空間が激しく揺れた。一つ一つが重い太刀の一撃の様に、校舎のコンクリート達が歪な悲鳴をあげながら死んでいく。友から流れる血が足元を満たして、それを救い上げようと私が動く。
そうだ、そうだ。殺してやったのだ。紛れもない、これは実花そのものなのだから!
眠れ、眠れ、全ての悲しみから耳を覆って。
眠れ、眠れ、忌むべき光景から目を覆って。
眠れ、眠れ、その言葉はもう言い飽きた。
眠れ、眠れ。
私という証明の服を溶かして、わたしを身に纏うわ。
止められない、止まらないのね。
ねえ、でもこの業は全てわたしのもの。お前は全てが終わるその日まで、わたしの胎内でお眠りなさい。
――上山泉よ。
そして、わたしは怪奇を平らげた。
***
一つの身体に、一つの魂。
一つの魂に、一つの人格。
わたしは、エリーシアであり、上山泉ではない。
わたしの魂は、エリーシアであり、上山泉である。
違いは、性質でも、本質でもない。
「――鏡子!」
だが、わたしは――上山泉では、ない。それは逆も然りなのだ。
「……何たる、神気か……」
システムが崩壊すれば、世界を構築していた主が崩壊したも同じことだ。柱が崩れたのだ、世界が崩れない道理が無い。
だけど、負素が思ったよりも激しくわたしの身体を暴れまわる。
「上山さん……?どうされたのですか、その、服は……」
息を吸うごとに内臓をズタズタに切り裂かれていく痛みを感じる。
時間が無い。この崩れた空間から早く脱出しなければ、この子や他者修正機関の子達が外に出られなくなってしまう。
「優しく出来ないわ、――出るわよ!」
鏡子の腕を回して、二人引きずる形で教室を出た。ありとあらゆる所に亀裂が走り続ける。地面さえもその機能を失うのは僅かな差でしかない。わたしが地面を踏むか、地面がその役割を放棄するか。
――あら、負素が浄化されずにわたしを這いまわっている……?
「上山さん……何処に……」
"アスティン!友禅!どこに――"
「――――っ!!鏡子……っ!」
大きな地鳴りがして、床が崩壊した。
わたしは傷ついた鏡子を囲う様に落ちていく最中引き寄せていく。周りの鋭利な鉄筋が肌を裂こうとも、必死で、鏡子を繋ぎ止める。力も無く落ちていく鏡子をしっかりと引き寄せて居なければ最悪身体を打ち付け、もしくは貫かれ、死ぬかもしれない。
それは駄目だ。
十二神将が選んだ子ならば、わたしだって守らなければ。
泉をあれほど守った勇敢な子。ここで、失って、やるもの、か‼
「――え?」
待って。重力って、下に働くものよね?まさか、空に向かって重力が働いていいなんて、誰が決めたの?
ねえ。
「こいつ――!まだ、まだなの……!?お前は、本当にわたしを殺したいのね‼」
わたしを上へ引き上げる引力の正体は――月だ。見上げた月が、ぱっくりと大口を開けて私を吸い込んでいる。鏡子を抱いて、月を睨む。その真下に何か引かれて――、見下げれば。
実花の姿があった。その姿を鏡子も見下ろしていた。
――違う。この負素の本当の狙いは――。
「ごふっ」
堪えられずに溢れ出た血は、わたしの口から出ていた。鏡子がゆっくりと視線を戻し、その瞳に動揺を隠せない。私は自分の震える手を見て、それ越しに見た実花の声が言った。
『 ごめんなさい。もう、ダメみたい 』
上 山 泉 を 殺 す つ も り か !
上山泉を殺すことで、わたしを殺すことに成功する。それが狙いだ、それが狙いなのだ!この肉体はわたしではなく上山泉を適合させるもの。つまり、上山泉の精神を食いつぶして、死を先に確定させるつもりなのだ!
先に死を宣言するのだ。肉体の停止は、後付て構わない、と。
吹き飛ばされる猛風の中、わたしは叫び声をあげながら術を展開した。この身体で、どれほどの魔術が使えるかなんて考えている暇はなかった。
上山泉を死なせてはいけない。この身体を死なせてはいけない。
光だ、離れてはいけない光。身体を二つに裂かれる痛みに悶えても、引き離すから。
絶対に、シリウスの思い通りになんて――。
―――――――――――あ、月に呑まれる。
6章終了となります。長い間御付き合いくださりありがとうございました。
次は7章です……フォウ。七章はちょっと待っててください。今急いで組み立てていますゆえ……!
あ、ちなみにこれ文章ほやほやです。御免!
終わらせたかったんだ!この長い戦いをぉぉぉおお!