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誰が為に Ⅰ ※挿絵

おやおや?人物紹介の様子が……

「思った通りの雑魚……」


「私は至って普通の生活を送ってた一般人なんだよ!」


 或る教室の一つに、私を浄化役として立てた5名が身を潜めていた。擬態を担当するのは鏡子ちゃんだ。不服だという顔を前面に押し出して、それは立派な擬態をしているらしい。学校に侵入し、アスティンさん達と別れた後も襲われることはなかった。当たり前、と鏡子ちゃんには鼻で笑われた。


 私はというと、協会からぱっと、ぱっっっと移動させられた反動で床にへばっていた。3人の護衛のスーツ隊は無言で傍に列をなして立っている。


「雑魚が魚になれるくらいには役に立つだろうと鏡子が渡した護符はきちんとお持ちですね?」


「はぁーい、もってまーす……」


 体内に取り込み瘴気を無くすという私のやり方は、所詮外の下を内側にしまうもので自分の身体を蝕んでしまう。挙句の果て、システムがまき散らす負素はその濃さがどれほどであれ、触れるうちに私と同化していく。行き吸う様に浄化できるじゃん!と胸を張る私を蹴飛ばして、鏡子ちゃんは外側からの予期せぬ同化を防ぐ護符を私に持たせてくれた。


「安倍様。周辺に敵反応なし、しばし待機せよとの連絡が入りました」


「わかりました。まだ時間はありそうですね……反応ありの情報の時のみ教えてください」


「かしこまりました」


「良いですか、上山さん。鏡子達の役目は、システムと真正面から戦り合うこと。それまでは隠れ隠れ行きますので鏡子は式神を使えません」


 私は身体を起こした。鏡子ちゃんはスカートを折りながら私の正面に正座する。


「……下手に力を使ったら、バレちゃうんだよね?」


「そうです。それでは作戦は失敗し、――文字通りの全滅へ愉快に転げ落ちます」


 うふふ、と笑う鏡子ちゃんに私は苦笑い。


「それまでここで待機かぁー」


「安倍様」


「――いいえ、そうも言ってられないようですわ」


 鏡子ちゃんが立ち上がる。スーツの人達が戦闘態勢に移行した。


「上山様は私達の後ろへ。安倍様もお下がり下さい」


「な、何何……!」


「擬態とは――他の元に溶け込むこと。カメレオンのように?まさに色を、変えるのです。ですから……鏡子達はここに、いないのです」


「安倍様、お下がりを!」


「いいえ結構!職員の方達こそお下がり下さいな!」


「ひっ……また、こいつら……」


 廊下の方の壁から、扉から、障壁をものともせずに奴等は彷徨い出た。ゆらゆらと、人型を取っては崩れ、崩れては象っていく。時々漏れる声は確かに何かを喋ろうとしているのだろう。だけど、きこえない。


 確かに、私達には気づいていないようだ。ふらりとやってきては出て行くモノもいる。しかし、私達が見えないからこそ奥まで入ってくるモノもいるわけで。ある一定ラインを越えたモノだけを次々に消していく。


「それは……?」


 スーツの人達はそれぞれに手に持つ短剣を、人を象っている奴らの首元に差していく。音も無い動作だ、スーツの布の音さえしない。丁度近くに居た男の人に声を掛けた。


「……これですか。負素を吸収する刃物です」


 よく見ると短剣からは水が落ちている。銀色に光る刀身はまるで水面下に沈んでいるかのような錯覚を起こさせる。


「これで負素が吸収されるんだ……――知らなかったわ」


「はい。あの程度ならば、可能です」


 成程。これの水の様なものが負素を吸収し、清める機能があるのか。それならば安心だ。スーツ軍団にも対抗する術がきちんと……そりゃあるはずだよね……ちゃんとした組織だし。

 でも……清めた後その水が代わりに穢れるわけだ。無尽蔵に何のリスクも無しに負素は払えない。消耗品……か。


「なら、皆さん備品を使いすぎて怒られない様にしないと……。使いすぎて小言言われる前に怪奇を打破しましょうね!」


「ええ、その心算ですが。ご心配には及びません。此れは消耗品ではありませんので。吸収された負素はきちんとあるべき所に送られ、清められます」


「――そのようなことしなくても、鏡子はその場で清めることが可能ですが」


 手を控えめに叩いた鏡子ちゃんが、制服を正しながら近づいて来た。お疲れさま、と言うと鼻で笑われた。……一人だけお荷物だもんな、これ。はは。


「さて、そのお喋りな口を閉じて頂けますか。移動します。……ここは少し、瘴気が濃い……」


「待機せよとの指示が入っておりますが」


「状況の変化と共に伝えてください。こちらは上山さんを隠し通すことが最優先です」


「かしこまりました」


 さあ、と鏡子ちゃんが私に手を差しだした。


 え?と首を傾げる。傾げながら鏡子ちゃんの横にいくとあからさまに顔をしかめられながら手を握られた。


「え、何――怖いの?」


「……馬鹿!」


「上山様の空気全体を擬態させるよりも、上山様の肌を通して限定的に擬態させる方が移動時は安全かと判断します」


「ほおー……成程成程。それならそうと言ってくれればよかったのにぃ」


「無駄口を叩きたくありません!」


 ぐい、と引っ張られて私は慌てて口を閉じた。教室を出ると黒く煤けた廊下に出る。うっ、と息が詰まりそうになるのを空いている方の手で塞いだ。


 静かに列をなして進んでいく。ふらふらを出現する奴等は、鏡子ちゃんが近づいたその瞬間に音も無く霧散していく。……凄い、と思った。


"こちらからす。システムらしき女を発見しました"


 ぴたり、と列が止まる。スーツの人が断りも無く通信を私達に直接つないだ。それだけで十分な合図になる。鏡子ちゃんの息が小さくなったのを感じた。


"こちらアスティン。特徴を言ってほしい"


 ドクン、と胸が鳴る。


"こちら烏。承知しました。上山様と同じ制服……髪は胸までの癖毛で、……!"


「移動します」


 鏡子ちゃんが突然移動を開始する。息を吸うのと同時に小さく、そして早く進んでいく。

 通信の声が強張るのを聞くと、僅かに感じる恐怖がある。


"どうしたんだ!"


 友禅さんの声がする。


"――泉、ここにいるの?"


 舌打ちの音が耳を摺りぬけた。私の足が止まる。鏡子ちゃんと目が合う。


"こちら烏!やられました!もう、自分しか――が、が……あ、ああ、……ぐッ"


"なあ、答えなよ。あたし質問してるの!"


 通信が一方的に切られた。私は何度も深呼吸を繰り返す。


 落ち着かないと、死ぬ。

 焦ったら、死ぬ。

 

 何かを成し遂げる為に犠牲を払わせよう。対価として、人の傲慢の為に。


 何も失わず、得ることは出来ない。


 ――動揺しては駄目。


「……必要なのは、周りを見失わない事。上山さんの周りに誰がいるのかきちんと、見ていてください」


 するりと滑り込んだ言葉に視界は鮮やかさを取り戻していく。私は周りを見渡した。相変わらず見えない鏡子ちゃんの横顔と、振り返ると頷いてくれるスーツの人達。その顔に私も頷いた。


「ごめん……行こう」


 握られている手を強く、握り返した。


 再び歩みを始めた私達は、通信を聞き逃さない様気を張り続けながら進んでいく。一人は、僅かな範囲の索敵網を睨み続け、一人は自分たちとそれ以外の足音に耳を澄ませ、一人は目の前の私へ触れる障害を消していく。鏡子ちゃんは私を隠し続けながらも自分に近づく障害を触れる事なく消していく。


"こちら友禅。進みながら聞いてくれ"


"烏は全滅した。――恐らく仲間は上山泉の是非を答えていない。だけど……気を付けろ。同じ場所に留まり続けるな。特に安倍鏡子、一瞬でも気を緩めてみろ。俺達の……負けだ"


「"……わかっております"」


"それを願うばかりだぜ。以上"


 階段だ。鏡子ちゃんは上へあがる意図を伝えるように振り向いた。それに同時に全員が頷いて昇る。


「近くに敵は?」


「巨大な反応はありません」


「わかりました」


 廊下を歩いていくと教室の外側にぽつぽつと机が出されていた。余りの机だ。前の学年が入っていた数より今年が少ない場合、余りの机は外に出される。わざわざ一つの空の教室に入れないのは、荷物置きなど何かと便利に仕えたりする。時には先生が使ったりしているし。


 壁にそって歩いているのでぶつからないようにしないとな。


 集中をしているせいか、しすぎているせいか。時折目の前が歪む。酸素をあまり吸ってないのだろうか。気を付けなくては。

 時折止まっては、進む。それを繰り返すとやけに疲れていく。


 何もしていない私が疲れて休憩するなんて言語道断だ。皆、それぞれに疲労していく、消耗していく。なのに誰一人言わなかった。何も言わなかった。


 だから、頑張ろう。踏ん張ろう。


 倒れるのは、終わってから。


 瘴気を全て、平らげて――――――。


「――誰だ!?」


 鏡子ちゃんに抱え込まれ、私と鏡子ちゃんの二人は外に置き去りにされていた机たちの真下へ音も無く潜りこんだ。突然の出来事にパニックを起こした心臓と手足の震えを鏡子ちゃんが酷いほど強く抱き込んだ。


 そして、次いだ声。私達の誰でもない声が、私達へ声を上げた。


 さっきまで誰もいなかった暗闇から。


 目の前に続く廊下しかない長い道の向こうから確かに、足跡が聞こえ出した。


「友禅……様」


 上げようとした顔を封じられた。私の視界は完全に鏡子ちゃんの制服に封じられる。聞こえるのは、ほっと息を吐いた仲間の声の音。


 駆け出した音。そして緩やかに落ちて行き、止まった。


「……何だ、お前等かぁ……!焦った、焦ったぜ!」


 鏡子ちゃんは一向に腕の力を緩めなかった。だから私も必死に息を殺して、鏡子ちゃんにしがみついていた。


「他の連中は?」


「……――いえ、我々三人のみです」


 その言葉に私は息を吸うのを止めた。


「そうか。わかった……」


「友禅様こそ、お一人でどうなされたのですか」


「……やられた。くそっ……お前らも気を付けろ。一瞬だ、一瞬で瘴気に侵される。侵されたら最後だと思え」


「……悔しいばかりです……!」


 再び靴の音がした。真上で音がする。触れたのだ。誰かが、机へと。


「――ふ」


 僅かに、鏡子ちゃんの身体が震えた。


「この下に、何があるんだ?」


「殺せッ!!」


 一気に音が重なり合った。私は我慢できず顔を上げた。鏡子ちゃんが見据える視線の先に、見える足。代わる代わる交差して、一人が床に崩れ落ちた。


 目が合う。目が逸らされる。


 口から泡を沢山、沢山噴いて。首をもがいて、肌を――黒く染めて。


「アァ、に、にげ……ア、アアアアアア……!」


 そして、死んだ。


「"こちら安倍ッ、怪奇と遭遇せし!戦闘へと移行するッ!"」


 男の声が叫んだ。この声は、先程私が剣を尋ねた男の人の声。


"待て!そちらにシステムが言ったのか!おい!位置を送れ!"


 友禅さんの声がいち早く答えた。


"――来た!待ってろ、今そこに――!"


 鏡子ちゃんが私の肩を叩く。鏡子ちゃんは私にすぐ横の教室を指さした。

 私は頷いた。


 また一人、床に崩れ落ちていく。女の人だ。女の人の顔が無残にも床に叩きつけられたと同時に――、


 鏡子ちゃんは足で机を蹴り上げた。


「――っ、はははやっぱりそこに居たんだな?」


 私は素早く後ろへ這い出る。鏡子ちゃんは右手で重心を支えると片足を相手の顔面に定めて回る様に立ち上がった。空気を掠めた敵が小さく呻く。


「安倍鏡子、相手となりましょう」


「……違う。お前じゃねぇ、お前じゃねぇ!!泉を、泉をどこに隠した!!」


 ……見えてないんだ。


 揺れ始める空気の振動に硝子の窓が音を立ててひび割れる。ふと見ると私の姿はガラス窓に反映されていなかった。


"こちらアスティン!システムと遭遇した!"


 何ですって?


 確かにあのシステムは実花の姿を取っていた。……じゃ、じゃあシステムは実花の姿意外取れないの?待って、――待って!


 これ、システムじゃないの……?


 目の前で繰り広げられている攻防戦。鏡子ちゃんは身に纏わせた気を使って肉弾戦をするしかない。

 これがシステムじゃないのなら、私達は何と戦っているんだ!


「黙って消えなさい!!土地を荒らす、不届き者めが!」


 鏡子ちゃんが目で早く入れと急かした。私は咄嗟に扉に手を掛けて、


「……」


 入れなかった。閉められた戸を開けていいのかわからない。開けたら扉は開くのだ。誰もいない、誰も触れていないはずの扉が開いてしまう。


 鏡子ちゃんを見た、その時に。


 男の人の首の根を、友禅さんの姿をした怪奇が掴み上げた。


 その光景が、私の脳にある光景を呼び起こす。大きなお城の大きな額縁の前で、綺麗に笑う金髪の女性の前で出会った男を思い起こさせる。顔色の悪いあの黒の様な紺の様な髪の男は、赤い目を細めて私の首を掴み上げた。


 怖かった。殺されるかと思った。そして何よりも――、


 突然の死の恐怖って、どういうものか知らなかったから。


「あああああああああああああああああああああああ!!!!」


 確かに根を張って、私の心層に棲み付かせていた。


 断末魔を上げたその声に脅かされた心がついに扉を開いた。重いものが床に落ちる音と、人と人がぶつかる音がする。


 教室に入って机に手を付いて窓際まで走った。窓際の桟に手を付いたと同時に扉が閉められる音がする。振り返るよりも窓ガラスに反射したものを確認する方が早い。ほっ、と息を吐いて私は振り返った。鏡子ちゃんが胸を上下させながら髪を揺らす。


「――安倍鏡子、誰を匿っているんだ?」


 人影が映り込む曇りガラスが振動で揺れる。


「"こちら安倍。救援はどのくらいで着くのです"」


"こちら友禅!今向かってる!あと5分もかからねぇ!"


「――なあ、泉か?泉が中にいるのか?」


「"わかりました。それまで、持ちこたえましょう"」


「――いるんだろう?お前達が隠すのは泉しか考えられない!」


 今にも扉を蹴破りそうな勢いで揺れている。それなのに鏡子ちゃんは気にも留めず通信を返しながら私へ近づいていた。


"――安倍、鏡子さん"


 鏡子ちゃんの顔がその声に僅かに動いた。


"泉さんを、頼んだよ"


「"はい――アスティン様"」


 鏡子ちゃんは嬉しそうに笑った。

 

 無くなった私達の距離。鏡子ちゃんは私の肩に手を置いてしゃがませる。


「本当はあの怪奇の注意を引き付けている間に上山さんを逃がしたいのですがそうはいきません。必ず鏡子がアレを消します。それまで上山さんは音を立てずこの教室内でアレの死角に立ってください」


「難しいけど……頑張る」


「なあ、泉?泉一人出て来たのなら此処にいる他の奴らを生かして返してやってもいいんだぜ」


「――叶えもしない事を連ねるとは、まさに鬼ですわね」


「鏡子ちゃん……」


 鏡子ちゃん越しの扉に、お札が張ってあるのが見えた。相手が扉を蹴破ろうとする度に煤けていくお札を見ていた。


「ごめんね……」


「馬鹿ですわね!」


 頭をお札で叩かれた。いてっ、と零れて立ち上がった鏡子ちゃんを見上げる。


「ここはありがとう――と聞きたいのですが!」


 ついに扉は蹴破られた。それと同時に肩を押され私は教室の角へ急いで移動する。鏡子ちゃんは私を押してそのまま回転し、怪奇が手を掛けた扉に向かって手に持っていた札を投げた。


 それは風を起こし、爆風へと渦を成す。机を巻き込んで、一気に札の軌道へと突き抜けた――が、笑みを浮かべた友禅を模した怪奇は、爆風の残り風に心地よく髪を揺らしながら余裕気に教室へ入ってきた。そして見渡して、笑みを消した。


「……安倍鏡子」


「……はい?」


「どーしても教えてくんねーの?お前の、隠してるもの」


「ふふ、――鏡子、何も隠しておりませんもの」


 怪奇は、辺りをゆっくりと見渡すとまっぐと鏡子ちゃんを見て、


「そっか」


 笑った。


 駆け出した怪奇は机が吹き飛んで無くなった場所へ一気に駆け込んだ。一撃を受け止めた鏡子ちゃんの身体がずるりと後ろへ下がる。机の角に身体が当たっても声一つ上げないで、すぐに反撃へ身体を捻らせていた。


 鏡子ちゃんは護符こんなちからを扱えるのに、体術も扱えるんだ。


 黙って見つめていた。瞬く内に変わっていく二人の戦いを。


 鏡子ちゃんを見ていると胸の内が重くなる。私と変わらない歳なのに周りよりはるかにしっかりとした自分を持っていて、恐ろしい怪奇に一人で立ち向かえる強さを持っている。……私の様な生活ではないことは易々と伺えた。――血のにじむ努力の上の成果であろうとも、天才故の必然であろうとも、私の様な普通の家に生まれたわけではないのだから、その生活の上で私達を憎んだりしなかったのだろうか。


 鏡子ちゃんは少なくとも、私達を見下してはいなかった。


 自分の身を率先して投げ出してしまう程、自己犠牲を当たり前とした考え方をして守ろうとしている。――それは考え過ぎかしら?


「―――っ」


 吹っ飛んだ机が私の右へ越して黒板にぶち当たる。慌ててその場から退いた。気づけば鏡子ちゃんは――傷だらけだった。


 ぎょ、として戦いを注視すると、鏡子ちゃんは既に自分の身など守っていなかった。相手から傷を作られる前に浄化していたのに、今では浄化さえしていない。


『……泉を守っているんだよ』


 鈴が、鳴った。背後から鈴が鳴る。


 私を守る事と、浄化を防がないことがイコールで繋がるとでも言いたげね。


『……あの子、もう両方するほど余裕が無いから……』


 確かに鏡子ちゃんがどんどん壁際に追い詰められていく。たまに相手の胴体を蹴り飛ばしても、相手が机を投げて鏡子ちゃんの視界を奪った一瞬で距離を詰めてくる。そして、一手一手、鏡子ちゃんは相手の攻撃を捌き切れなくなっていく。

 


「早く上山泉を俺に返せッ!!」


「はっ、返せも何もあなたのものでは――ッ」


「―――――……っ」


 鏡子ちゃん、と叫ぼうとした私に鋭い視線を飛ばした。


 鏡子ちゃんは、派手に吹き飛んで机の山にその身体を打ち付けた。机は、四本の足を無規則にむき出しにしている。そんな所に、鏡子ちゃんは吹き飛ばされてしまった。


 私は自分の口を押えて、膝を付いた。必死に歯を噛み締める。額から血が流れても、鏡子ちゃんはまだ、起き上がろうとしている。


 まだ、私の姿は見つかっていない。


 鏡子ちゃん……!


"友禅……さん"


 鏡子ちゃんの通信だ。私はその場から動かずに近くの扉を見た。そうだ、友禅さんはまだだろうか。アスティンさんからの追加の連絡はどうした。


 五分なんて、もうとっくに過ぎているのに――。


"上山……さん。自分がすべきこと、何なのか……っ、わかって、いますか!"


"うん……うん!"


「わかってんだ。浄化をやめたのは、隠したい物を隠すことを優先したいからだろ?おいおい、そんなことやめて、俺に返してくれ。そうしたらやめるよ?安倍の街にもこれ以上負素を蒔かない。――当主なら本当に何が大事かわかってるはずじゃないのか?」


「――わかっています」


"安心しました。……鏡子が立ち上がらなくなったら、行くのです。……出来ますよね?"


「じゃあ早く、泉を俺に返せよ―――っ!!」


"……っ、もちろん!"


 怪奇の姿が友禅の姿から弾けた。弾の様に飛び散って、一瞬全てが宙に止まる。


 鏡子ちゃんが目を見開いて、弾かれた様に粒に突進した。


 その粒は追う様に鏡子ちゃんに畳みかかり、次々に追随していく。床を背に仰向けに滑り込んだ鏡子ちゃんは護符を口に咥えて滑り込み、壁にぶつかる前に身体を足から宙に浮かせて壁をまるで床の様にさせて先程まで自分が寝そべっていた床から離れた。


 一気にその床に弾がめり込んでいく。鏡子ちゃんを貫けず、床を貫いた無数の弾は硝煙の様な煙を出しながら次々に消えて行った。

 鏡子ちゃんはゆったりと宙返りをしながら床へ降りたち――、


「忘れたのか?」


 完全に、背中を取られた。


「ここは、俺の世界だ」


 何の抵抗も許されずに、上から机を振り下ろされる。鏡子ちゃんは踏み潰されるようにその場に倒れた。


 私はゆっくりと扉側へ歩き出す。


「……上山泉は、どこに居るんだ……?」


 私は振り返った。私をまだ映していない瞳に、ぼろぼろになった鏡子ちゃんを映している怪奇は姿が半分、煙の様に溶けていた。


「あ、あははは!――怪奇なんぞに、誰が教えますか?いいえ!誰も、教えませんとも!」


「そうか。……ならば、残念だな。お前も次は良き生を送れるといいな」


 完全に鏡子ちゃんに相手の注意が向いた瞬間に此処を出る。


 置いていく。鏡子ちゃんは置いていく。


 それが最善だ。それが誠意だ。それが――、死んでいった人達への。


 躊躇うな!進め、進んでよ、進めよ!


 恩を仇で返してはいけない!命を懸けてくれた人たちへの、礼儀を――。


 見てしまった。怪奇が鏡子ちゃんへ手を伸ばすのを。完全にゆっくりとした動きなのに鏡子ちゃんはもう、手さえ動かしていなかった。


 開けて駆け出すだけ。私は私のやることをやる。やれる。やれるよ!私だってやれる!


 ごめん、鏡子ちゃん。救えなくて。ありがとう、鏡子ちゃん。護ってくれて。

 

 私は思い切り、扉を開けた。そして、思い切り、





 叫んだ。





 やっぱり、無理っぽい。




「鏡子ちゃんから離――――れ――――ん――か――いッ!!」


 近くにあった椅子を掴んで私は怪奇へ突進した。私が声を出したせいで、完全に鏡子ちゃんの擬態は崩壊したようだ。私を見た怪奇の顔が好色に染まる。



「泉……!ああ、やっぱり此処に居たんだな……」


 すんなり椅子を取り上げられて、手を掴まれた。びり、と刺激が来る。が、今はこいつを鏡子ちゃんから引き離す。


 私は、私を違えない。


 まもるんだ。護るんだ。守るんだ!

 蛮勇か、愚かか、何とでも言えばいい。間違っている、私だけまた逃げるのは間違っている!


「ば、馬鹿……」


 下から聞こえた声に目を向けると、鏡子ちゃんは泣いていた。


 胸が痛んだ。でも私は、……どうしても鏡子ちゃんを殺せなかった。


 ごめんなさい。



 でも、今は、こいつを、退ける!


「は、な、せ……!よくも、好き勝手鏡子ちゃんを甚振ってくれたな……!」


「うーん、そんなことはないぜ。俺だってかなりやられた方、強かったなー安倍鏡子」


 お互いが掌を突き合わせ、腕に力を込めている。鏡子ちゃんに流石に体力を削られたのか、私でもするりするりと相手を後退させることが出来ていた。


「ああそう!なら――」


「俺を浄化するのか?」


「勿論そのつもりなんだけど……!?」


 怪奇は笑う。


「俺は自慢じゃないがかなり量があるぜ。泉の胃の中の半分を閉めたら、メインが入らないんじゃねぇの?」


「そんなこと知ったことか!――エリス!」


「ああ、っそ。ま、嬉しいわ」


 ぎり、と歯を噛み締めた。鏡子ちゃんをあんなまでにしておいて、こいつは悔しそうな顔一つしないのか。こいつは、自分が消えることに屈辱を感じないのか。


 ――まるでわたしが屈辱を感じる。


 身体の内側から、何かが合わさる感覚がしてきた。エリスと感覚が同期しているのは再確認する。例えるなら、何かを起き上がらせているような。そして、平らげようとした時、教室の全ての窓が開き花弁が吹き込んだ。



「な、何……!?」


 半透明の何かが、鈴の音を鳴らしながら列を成して教室へ入ってきていた。月明かりに赤く照らされていた教室が――、白い。


 月が、白い!


「神使――」


 私の手を花吹雪によって引き剥された怪奇が、恨めしそうにその名を口にした。


「我等、毘沙門天を主とし、主無き今も真摯にお仕え致す者――。我らの主に近しき人の子、あの日の無礼の代わりに助太刀致す」


 白く発光する球体が、それぞれ花吹雪の中から人型となって生まれていく。装束に色は見えないが、男や女、大人や、老人、子供に至るまでが教室に入りはしないものの窓ガラスの向こう側に顔を白い布で隠して立っていた――浮いていた。


「…………ふざけるな!!残滓どもが、今になって目覚めやがって……‼」


「っ、しま」


 怪奇に手を取られ、首に腕を宛がわれて捕らわれてしまう。腕に力を入れられれば私の首はいともたやすく締まるだろう。それを合図にしてか、部屋の中に浮遊していた球体が一斉に屈強な男の姿に変わり、槍を怪奇に構えた。


 その前方に降りて来た一人の子。繊細な動きで、裾の長い装束を風に靡かせて、隠れた瞳が一瞬だけ、鋭く見えた。


「無駄なことだ。――人の子よ、それを我らの手で起こそう。我らに出来るは僅か。……構わないだろうか?」


 鈍い痛みを感じながら、私は頷いた。目の前の神使も、頷いた。


 刹那、私の胸元の石は鋭い光を持って私の首を離れた。するりと浮いた石は頭上に浮上し、赤い光を渦巻きながら形を変える。その光景に場にいる全員が視線を奪われていたと思われた、その時。


 私は唐突に弾き飛ばされた。よろめいたまま、壁に突っ伏す前に目の前の神使いに手を取られ、さらに前方へ放り投げられる。私の目の横を、光が通過した。――遅れて、音がする。


 辛うじて机を避けて床に滑り込んだ私は、背後で聞こえた歪な音に身を震わせた。怪奇の呻き声と、血を吐く音も聞こえる。


「……いず、み……」


 身を起こして、振り返る。そこには、身体を幾重にも貫かれた怪奇の姿があった。


 光る槍に胸部を貫かれ、また貫きそこねた槍に皮膚を裂かれ、周りに赤い水たまりを浸食させていく。しかし、怪奇は立ち上がろうとした。槍を放った武人達が消えていく。月が端から再び赤に染まり行く。その前に、やらなくては。私は立ちあがった。


 その目前に、剣は降ってくる。


「アンス……」


 銀色に輝く剣身が煌めいた。


「如何にも。汝が、剣である」


 掴んだ。強く、強く、頷いて。


 私の前にはアンス、アンスの前には怪奇。

 次々と武人が光へ戻っていく最中にも怪奇は立ち上がろうとしていた。しかし、床に縫われた身体は持ち上がらない。

 私は、剣で空を一度切った。


 一歩一歩、近づいてく。その度にまだ形のある者達が頭を垂れる。


 一歩一歩、近づいていく。その度に目の前の怪奇の姿が、誰かに重なる。


 黒の髪が僅かに青色を帯びているように見える。


 私を呼ぶ声色に、僅かに懐かしさを含ませて居るように聞こえる。


 そして、私を見る目が――、赤く、見える。


 目の前に立った。動かす事の出来ない腕を無理やりに動かして、まだ私を掴もうとする。動かせない身体を動かしてまだ私を殺そうとする。

 アンスを両手で強く握った。段々と私の呼吸が早くなる。目の前が、瞬いて見えて来た。映る、移り変わって一瞬だけ――、ここではない何処かへ変わった気がして。


 高く振り上げた剣を、一瞬だけ、私が振り上げられたかの様な光景が目の前に浮かんで。

 血に濡れた床の冷たさが、一瞬だけ、私の背後にあるような温度が伝わって。

 背後に昇る月が床に反射しているだけなのに、一瞬だけ、目の前に浮かんでいるような錯覚がして。

 声が、違う名前を、呼んだの。



「あああああああああああああああああああああッ!!!!!!」


 強く、強く叫んだ。強く、強く、柄を握った。そして、重く剣を翳した。


 跳ね飛んだ頭部は、その目に私を移すと一斉に霧散した。膝を付いていた身体は、指令を失いだらりと脱力し、霧散した。水源を失った血は、その場で一斉に蒸発した。


 怪奇は殺した。――やった……。


 激しい呼吸を繰り返す私の手の中で、石に戻ったアンスを首に掛ける。私は肩を叩かれて、後ろを振り返った。


 そこに、深々とお辞儀をする装束の姿があった。


「……お願い、してもいいですか」


「何を?」


 汗を拭って、私は床に倒れている鏡子ちゃんを見た。


「事が終わるまで、ここで鏡子ちゃんを守ってほしいんです」


「……、いいでしょう」


 私は頷いて、足を前に出した。鏡子ちゃんに近づいて、しゃがみこむ。


「ありがと、鏡子ちゃん」


 彼女の頭を撫でて、私は立ちあがる。少し間を置いて見つめて、アンスを握った。


 強く在ろうと、強く成ろうと、決めたのだ。

 その為に問い掛けを封じた。理不尽を肯定していくために。


 ――そもそも、世の中に本当に理不尽なんてないのだろう。全ては何かしらの始まりがあって、今に繋がっている。何もないのに、糸は繋がらない。繋がらないから辿れない。……簡単なことだ。


『――行っちゃうの?』


 鈴の声が、る。窓ガラスから覗き込む、赤い月を見上げた。


「今、行くよ」


 例えば、薄く開かれた眼に私の後ろ姿が映るだろう。

 例えば、その背に手を飛ばした所で届きはしないだろうが。

 例えば、そのことに彼女が無駄に責任を感じ無い様に――、



「いってきます」


 せめて、笑え。


挿絵(By みてみん)

そろそろクライマックスです。この章の!

鏡子ちゃん、ありがとう。

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