異 掲げられた王旗 ※挿絵追加しています
挿絵が追加されてるぞぉー!
「なァー、月見酒か?趣味悪ィなあ、リアラ」
「うっぜえ……いい歳くったおっさんがくっつくなよ」
「なぁーんでそんなこと言うのかね。マセ餓鬼」
「俺そこまで言われるほどの悪口言ってねぇ!よ!」
それにな、と湊は続ける。
「俺の世界じゃ月見酒は趣味いいの、邪魔すんじゃねえ」
「うっそだァー」
「何でアルピリに嘘つく必要があんだよ!」
湊の杯は進む。それを横に、ゆるりと嗜むアルピリ。その光景の懐かしさに、アルピリは頬が緩まずにはいられなかった。
「――なんっだよ、きしょいな」
「いやァ、おじさん位になると走馬灯が何時も駆け巡るンでね。相変わらず……強いねェ」
「おめーが弱すぎるだけ」
「ちょちょ」
湊はアルピリの杯に酒を並々つぎ込んだ。そして己の杯も同様に満たした。月夜の下、冷たすぎる風が二人の髪を揺らす。暴風は往った。ここには、穏やかな風以外吹かせない。
「俺は――翼がない」
湊は朗らかに笑いながら、杯を月に掲げた。銀色の水面が、金色の月の色を取り込んでいる。
「俺にも、明確な記憶はない」
何を言うのかと、アルピリは湊を見つめている。
「眷属は、俺を見て言うんだろうぜ。出来そこない、もしくは不完全――。正しい。俺だってそう思う。だから、そんな俺を見かねてユースティティアは存在を差し出したんだ」
アルピリは杯を呷った。ぴり、と喉を焦がすような。
「アルピリ」
「……ン?」
「決戦前夜だ。もう一度、俺の決意をお前に言うよ」
風の拭く絶景の古城。二人が座る岩壁の真下は見えぬ渓谷。
「俺は実花を取り戻す。完全な形で、実花を実花として、取り戻す。泉に弾かれた時、やべえって思っちまったからな、仕方ねぇよ……。やっぱり、あいつにはあいつが必要なんだろうな。けど、実花が泉としてシリウスの元に囚われている以上、俺みたいなちっぽけな存在がどうこう出来る様な状況じゃねぇから――」
立ち上がった湊は、アルピリに向き合った。
「――力を、俺にくれ」
「……俺っちは、シリウス陛下の竜なんだが?」
「ふは、わあってるよ。竜は、主を傷つけられない――本能でな」
「そうーそう。だから、前も言っただろう?準備はしてやるから、後は自分でしろってな」
「……アルピリ」
「――ア?」
湊は膝を付いて、アルピリと視線を交えた。その紫の光る色は、竜の色を濁している。
「アルピリの協力を得る代わりに、俺は佐倉湊を放棄する」
アルピリの、手が止まる。
「だから――理性で、本能を抑え込んでくれ。シリウスを殺めることはしない。だから、――我慢、してくれ」
竜は王を庇護する者。王の生命を感じ、王の感情と同調する親たる者。王を害されることは、抑えがたい殺意の芽生え。
自分だって、抑えられなかった。持てるだけの力を飛ばして、王の元へ向かった。出来るだけの希望を抱えて、王の在処を埋めた――が、結果的に王を失った。
その時、竜は不完全になった。
一対の竜だ。この世において、二人だけの竜。一つが欠けたのなら、もう一つは何としても守らなければ。
幸いにも、王の座は埋まっている。ならば――良い。竜が存在を迷うことは無い。
ただ、少しだけ。その足を、その心を、その思考を――止めろ。
俺が実花を救い出すまで。俺が、シリウスの懐に潜りこむまで。
溢れ出る衝動に身を焦がしても、耐えてくれ。そうすれば、そうすれば――――。
「……よぉーし、神様一匹、大泣きのご注文だ!」
風は常に、王の頭上を舞う。王が掲げた戦旗は煌々と空を隠していく。
風は常に、王と共にある。
風の民――竜の民。一対の竜が治める領地、トルーカの民。創世より王に仕えた者達。それ故に、誇りは誰よりも高く、愛は誰よりも深く。女王、エリーシア。彼女こそ、我らが世界の王。故に、彼らの家に隠された女王が愛した花を模した木彫りの彫刻があるのだ。
「兵を集めている」
華やかな風の都の路地裏。光と影が交差する場所。深い闇が、こちらを覗く。収集者は、密やかに話を繋げる。お互いに胸を高鳴らせながら。お互いに、想いに震えながら。人から人へ、町から街へ。瞬く間にその言葉は広がった――その情報を、他の領土に漏らす事なく。
竜の民は、いくら還ろうともこの記憶だけは忘れてはしない。誓ったのだ、あの日。あの嘆きの中で。簒奪王よ、我ら竜の民は決して忘れはしないだろう。我らの屈辱と、恥辱の日々を。愛は哀へ、歓びは哀しみへ移り変わり色は全ての瞳をくすませた。
「何故だ?」
「戦だ」
王の身体を幾重にも渡り貫いたその剣を、王から流れ出た血で染め上げたその瞳を、夜明けを忘れたその髪を、不忠に落ちたその魂に今こそ――鉄槌を下せ。
竜の民の瞳に映るは、黄昏の赤、暁の赤、永遠の時。認めはしない。諦めはしない。いつか、いつの日か必ずや女王の御印を再びこの大空へ昇らせる。そして、女王の駆ける馬車を捕まえるのだ。在るべきところへ還るべき場所へ、竜はそのために虚空に声を響かせるのだ。
呼んでいる。いつも、王の名を。祈れよ、我らが王に。祈れよ、我らが星に。祈れよ、我らが大地に。天を翔る翼を持ち、地を裂く爪を持つ我らが竜。瞳の奥に見せぬ衝動――。
領土は、風を止めない。
「戦?」
「そうだ。信じられないだろうが、先程アルピリ様より直々に徴兵の命が下った――」
領土は、華やかさを失わない。
「7日後、王都を襲撃する」
「……何?」
歌声を、花吹雪を、色彩を――失うな。
愛された街へ戻せ、愛された心へ戻せ、いつ如何なる時も、誰にも悟られることがないように秘めた復讐心を腹の底へ抑え込め。
肉を運ぶナイフが僅かに震えていても、金色の瞳が薔薇を抱えて会いにきても、酔った勢いで暴言を吐いても――その心は、来るべき日まで飲み込み続けろ。
そうすれば、いつの日か、いつの日か。我らの持つナイフは剣へと変わり、我らが愛す伴侶は敵へと変わるだろう。
「アルピリ様が、エリーシア陛下の御旗を掲げられた!」
トルーカは、風の都である。噂は流れ、薄れゆく。鳥は気流へ乗り、遠くの地へ。
今日も風の都は眠らない。闇夜に光る緑眼は、各々に煌めていた。
集え、我らが領主が棲む城へ。集え、我らが兄弟よ、その胸に彼の王を抱きながら。掴め、その腕が鍛えしままに。掲げよ、その怨讐で磨かれた剣を。
集え、今こそ雪辱を果たす時――!
嗚呼、異色の旅人が華やかな街へ足を踏み入れる。その高揚さが、何と気持ちの良いことか。街の住人も、温厚で気持ち良い。異色の旅人をまるで家族の様に迎えてくれるではないか。
迎えよう、暴君の民。迎えよう、無能の民。
風の都は、何人にも門を閉ざさない。風が流れる以上、我らも共に流れて行こう。
されど――、
風の流れに逆らえると思うな。
門の向こうへ再び渡れると思うな。
旅人の笑顔の下に埋まるモノを、我らは忘れはしない。
さあ、歌え、騒げ!酒なら溺れる程、肉なら咽るほどある!今こそ贅沢の限りを尽くす時!風の都は、眠ることを放棄した街だ!
「あたし、昔にトルーカへ来たことがあったけど、随分明るくなったのね!前も凄かったけど、今日はお祭りみたい!」
「あっはっは!そりゃあ、そりゃあ――トルーカは今、歓びの街に変わったのさ!」
湊くんはこんなことしています。