自分、とは
「ほーう、これは面妖。まるで、月影を吸い込んだようじゃ」
「玄武っ、また勝手に出てきましたわね!」
先生の背中越しに少年の――名を玄武と言ったか――大きな瞳が私を覗き込んだ。拍子抜けしたような私の顔を映す瞳が、愉快なものを見つけた様に歪む。
その表情は、無邪気に澄んでいた。
「相反している様で、しておらぬ。溶け合っている様で、互いを抑え込もうとしておる。見よ、娘。我が眼に映るは真実也。偽りなど申せず――見ろ」
「玄武……!」
目を逸らせなかった。先生の凄む声も、力の入れられた腰も、全ては瞳の前に遮断された。食い入るように見つめられた瞳に、食い入った私が見える。眼に閉じ込められた私は、私は……。
「――あ、あ、ああ……!ごめ、ごめんなさいっ!!」
強く結ばせた糸を強引に引きちぎる様に身を離した。立つ私と、膝を付いた先生。その背後で数歩身を離した玄武。カーテンの隅で、私を静観する鏡子ちゃん。
髪を撫でた。肩口までゆっくり降ろして、私は右下へ瞳を動かす。
黒だ。私は、黒だ。
でも――持ち上げた髪は、色は。
「のう、娘。汝は――人、なりや?」
「人間っ、人間です!化け物なんかじゃない、ましてや、――違うっ!違う違う違うもん!私は――……、――っ!」
勢いの儘否定して、目を開いた先にあった景色は、唯傾けられた耳と、答えを待ち望む顔だった。理解できた。理解したくなかった。察することは、恐ろしい。円周上に囲まれたこの場の全てが答えを静かに待っていた――。
「泉さん!」
叫んで、全てを吐き出せたらどんなに楽だろう。
逃げて、全てを背後に置けたらどんなに楽だろう。
泣いて、全てから護られたらどんなに楽だろう。
苦しいなら止めてもいいと、辛いなら逃げてもいいと、嫌なら目を閉ざしていいと――……、ああ、逃げられない!
駆ける足を速める程に増していく後悔と、心臓の鼓動を上げていく程に増していく苦しみ。それは圧倒的な違和感であり、それは圧倒的な自然の摂理。
「何故、あのような不安定な王を追うのか?」
「……何故、泉さんを挑発した」
静かに立ち上がったアスティンは、何も言わずに泉の後を追おうとした。その行為を止めたのは玄武。玄武は静かに言を投げる。それをアスティンは静かに捨てた。
覗く橙の瞳は、僅かな怒気を孕ませる。対する褐色の瞳は、その場にふわりと浮くと身長差を克服するように距離を詰めた。
「知恵を司る者、我等より高位に座する者。答えは既に得ておろうに。……我らは王と道を違えた者故に、王と寄り添えざらぬ者故に、我らは思う所違えどこの世界にあの娘が居続ける限り言ノ葉を用いて所在を明らかにしよう」
「所在?」
「はっはっはっ……!我ら十二神将は須く鏡子の式神!我らは血の契約に従い、必ず主を守る。それは変わらぬ、いつ如何なる世においても変わらぬ在り方。あの方と袂を別った後も変われなかった。――なればこそ、我らは今再び問うぞ」
アスティンは一度、強く目を閉じた。そして、開く。
その足は、その目はもう玄武を見ていない。ただ、ゆっくりと開け放たれたままの扉に触れた。
「あの子を――人に、戻せると思う?」
背中越しに、古き神へと問う。顔を上げた鏡子を、玄武が一瞥する。
「何を今さら。生れ落ちた時より、あの娘は人に非ず。異なる始りを、書き換えることは――それこそ……神の御業のみ、ではないのかの」
「そう。――そうだよね」
「――待って、泉さん!」
「先生っ、見な、見ないで!」
掴まれた腕を思い切り振り払った。振り向きざまに掠めた目が私を映す。
お互いが、お互いの呼吸音を聞いた。荒々しく、違った色を含んでそれは確かに響いている。
「どこに行くつもりなの!?夜に外に出ようものなら、次は命が無いかもしれない!」
「――別に、逃げようなんて考えてない!いっそ、そうだね、いっそこのまま自分がわからなくなる位なら死んだ方がマシなのかもしれない!そうだ、そうだよ!きっと、シリウスも其れを望んでる!」
カッとなった。別に私は、逃げたくてあの部屋を駆けだしたわけでは――……。
「死んだ方がまし、だって?そんなこと言わないで欲しい、君を命がけで護った人たちになんて酷い事を言うのかい、君は!」
先生。あなたは、そのことを言うために私を追いかけて来たの?
「スワードのこと?湊のこと?実花のこと?鏡子ちゃんのこと?それとも――この頭から抜け落ちている人たちのこと?」
最後の言葉に、あからさまに先生が反応した。
「わからないよ!わからないの……何度も、何度も記憶を思い出した。何度も過去を廻った!でも、あの世界のことさえも、わからないところがある……鮮明に思い出せるのは、怖いって感情と、実花を助けなきゃってことだけ!……ねえ、先生。何なの、何なのコレ。一体全体何がどうなってるんだよ!」
丸い月が私を急かす。どくどくと、鼓動が増す。不安要素を消す様に、私は浮かび上がった感情を矛にして目の前に立つ人物へ投げつけていく。
「どうして、色が変わるの……!?どうして、こんなに苦しいの……!?」
目の前の、口が開かれた。紡がれる言葉を――塞いだ。
勢いよく流れ込む身体を守る様に私達は床に落ちていく。驚いた目とは裏腹にその手は私をしっかりと抱き留めていた。
「言わないで!まだ、言わないで……。辿りつくから!自分で、自分で絶対、辿りつくから――」
先の見えない恐怖に震えだす手を、置きあがった先生は包む。片方の手にアンスを含ませて、もうぬくもらない石を私の温度を与えていく様に。
「無理は……よそう。大丈夫さ……というか、余計なことはどうか考えないで、ね。うん、突然髪の毛の色が変わっちゃったんだ、なんの作用も――無くね。そうだね、不安なら一つ要因をあげてもいいよ」
「……?」
「覚えてるかなあ。泉さんがスワードの屋敷に来てしばらくたってさ、それ、貰った日のこと」
ぎゅ、と掌が握られる。
「……うん。――あ」
「そう。全部スワードのせいにしちゃえばいいんだよ!」
「――ぷ、駄目だよ。それだとスワードが何時もみたいにあわあわしちゃうよ」
「おや、ばれちゃいましたかあ?」
「む、スワードのこと馬鹿にしてるな!」
――何を話しても、今の君は聞く気がないだろうなあ。いや、それは正確ではないし言い方が少し悪いかな。けれど、態々最高峰のモザイクが掛ってるんだ。それで君が壊れないのならそれも有効活用した方が良い。
全ての不都合を余所へ移そう。それも一つの真実。この世界の、突然の理。きみは憎むだろう、でも君はそれを選ばざるを得ない。
自分で絶対辿りつくから、かあ。
無理をしなくていいと言っても、それこそ無理な話なんだよね。
「おいで、泉さん」
わたしは泉さんの手を掴むと、そのまま腕を引いて立ち上がらせた。
「ジャスミンティーを淹れてあげようね。それを飲んで、落ち着いて……もう一度眠れば朝には元に戻っているよ」
「……本当?」
「――ああ」
当たり前だよ。眠るのさ。
眠れば自ずと、彼女も眠るだろう。今日ばかりは。
「――寡黙だの、鏡子」
アスティンの侮蔑を含んだ眼差し。それを流した玄武は、二人きりになった部屋で、改めて鏡子を振り返った。見据えられた鏡子は、その言葉を鼻で笑う。胸を張り、手は自信を示す様に心に当てがった。
放たれた言葉の意味はわかる。
お前が足を突っ込んだ世界を知ろうとはしないのか?
意味をわかった上で、それでもと鏡子は顔を上げた。
「勿論ですわ。鏡子は、何も聞きません」
玄武は幼い面に釣り合わない笑みを口元に浮かべていたが、その言葉に眉を少し上げる。
「鏡子からは、何も聞きません。ですが、この目を覆うことはしません。この耳を覆うこともしません。当然――この口も。ただ、鏡子は尋ねることをしないだけですわ。あの方にもあの方なりの心の準備というものがおありでしょう!……だから鏡子は、差し出されるのを待つことにしたのです」
「……ほう。差し出されるとは、何を?」
「言葉」
「――ほう」
鏡子は己の身に流れる晴明の血に集中した。衰えることのない力、その力は代々当主のもの。晴明の力を持つ者が生まれるまで、この一族を守り続けた者たちのもの。
「言葉とは、こころ。玄武、……をはじめとした十二神将はこころを鏡子に差し出している。それを鏡子は三歩後方で待っているのですわ。ですので、疑問を抱こうともそれを直接口に何てしません。――まして、自ら聞くなんて。不都合は不都合としてしか在り得ない。……それも、鏡子がまだ境界線の外にいるせい!それでは、まだ何も始まらない」
「あい、あいわかった。そういう話は、女同士でしておれ。――俺はもういく」
「ふん。免疫無し」
――む、と顰めた玄武はふわりと浮遊する最中で、鏡子の眼前に人差し指を差した。
「――別に、別にな。鏡子はそういうものに現を抜かすのを止めはせん。それは、落ちるもの故に。されどゆめゆめ忘れるな。鏡子はここで、我等と共に在るのだと」
「……何が言いたいのです?」
玄武はそれに答えずに消えた。それを見送った鏡子は一人首を傾げ、爛々と輝く月を仰いだ。
あけましておめでとうございます。今年もなにとぞ、薄明の丘共々よろしくお願い致します――――――わあああああ6章全然進まないですね!なんでやねん……ま、まあ。お次はいつもの、異 をお届けします。進んで無いのに、進まない異をお届けします。
そしてもうセンター試験ですね。懐かしい、去年の今頃は更新ストップで私も勉強しておりました。過ぎた今ではあれも良い思い出です。受験生、がんばれ!