金色と白色
ごぽり。
口から溢れ出た空気が水中で音を立てる。コンクリートに見えた地面は私がぶつかる前に液体化した。うねるコンクリートの先へ落ちればそこは水中だった。
底はない、水面も見えない。というか、此方が上なのかわからない。もしかしたら、反対向きになって私は底を水面と勘違いしているのかもしれない。
ゆらゆら、ゆらゆら。私は微睡んでいく。
暗い、暗い、海の中。身体を丸めて、目を閉じる。目を閉じても闇を払う事はできない。
「泉」
目を開く。頭上から光が差し込んでいた。誰?と問いかけても答えない。唯、私の名が反響する。
動かない身体、鈍った思考回路。
光は消えた。目を閉じる。すると突然、此処に渦が発生した。突然の事についていけない、流される、激しい濁流。
ごぼり。息が吸えなくなった、いや、やっと息をしたのか?でもそんな事如何でも良い、誰か、誰か助けて。
苦しくなった胸と、空気を吐き出す口と、私を砕こうとする水圧が全てが覆いかぶさって私は再び意識を手放した。
「……エリーシア様。僕には……」
「わかってるわ、いいの言わなくても」
彼女はふわりと笑んだ。そして彼女の一つ分背の高い彼の頭をよしよしと撫でている。幼子をあやす母親と見紛うその表情は途端に影を落とした。青色―厳密に言えばライトブルーなのだが―を含んだ金の髪は風に遊ばれている。
「まさか、私の代で歪むとは思わなかったわ。……あーあ、嫌になっちゃう」
「僕も、思いませんでした」
「よね!先代の後に次は気を付けようと思ってきちんと仕事してたのに。根本が一緒だから、同じ木が育っちゃうのね」
朗らかに彼女は笑う。彼はそんな彼女を抱きしめたい衝動をずっと抑えていた。慣れた、とすます顔も大丈夫、と笑う声も全てが不安定で。
「……お前にね、お願いがあるの」
「なんでしょうか」
困った様に頬を掻き乍右下を見て、掻いた手の拳をぎゅっと握ればまっすぐに彼を見た。そして――――。
「…………」
黒い空だ。……本当に黒い空だ。目を数回瞬かせ乍私は草原に倒れていた。身体はじっとりと湿り、顔には水分を含んだ髪の毛がへばり付いている。
「……これが現実であると証明できる手段が既に失われているのなら、これはまさしく夢である」
声が、出た……。間違いなく自分の声。何でこんな意味不明な事を呟いたのかは個々の想像にお任せしようと思う。溜息を一つ吐くと、私は上半身を起こした。ぐるりと周囲を見渡す。広い広い、草原だった。空には星も月も出ていないのに、周りの風景は自然と私に溶け込んでくる。
夢の世界、だった。
草は均等に伸びてカーペットとなり、風が波立たせる。まるで、私が此処に在るのが当たり前と云う様に、背景は私を馴染ませる。私は、忘れて駆け出した。広い広い草原を、まるで何処かの主人公の様に。ついさっきまでの現象も幼馴染の事さえも忘れて私は一人笑いながら踊っていた。星も月も見えなかった。でも、私は見えた。光源の無い世界は確かに色に溢れてたから。くるくる待っていたら足が絡まりずっこける。でも、痛くない。
「あははっ!不思議ーっ……はあ、気持ちいい」
ふわふわした安堵感。頬に当たる草はちっとも痛くなくて。私は余韻に浸るように目を閉じた――――まさにその時。まるでガラスが割れた様な、音。そして、耳を掠めるひゅうっとした音と、何かが顔のすぐ横に刺さる音がした。
「此処に居たのかい、お嬢さん」
声の正体を確かめること何て出来なかった。ただ、私の目の前に轟々と突き刺さった金の槍を震えながら見る事しか出来なかった。もし、この槍が数センチ左に飛んできてたのなら。もし、私がこの方向に倒れていなかったのなら、もし……。
「……突然で悪いが、ナール。……ナール?」
「……っ、……ぁ、あ、」
身体を突き抜ける様な恐怖。徐々に近く成る音声に戦慄した身体は素早く地面から離れ、それと距離を取った。しかし、足はまるで生まれたての動物の様に震える。ぐらりと膝からもう一度崩れ落ちることなんて安易に予想できた。
それを見ていた声の主は降ってきた。……降ってきた。上からふわり、と。ミルクティーの様な色をした長くない髪を揺らしながら……困った様に口角を上げた。深い赤のマント…だろうか?それに身体を包んだ彼は右手で空を掴んだ。その手には先程の槍が掴まれていた。
震えが酷くなる、歯が噛み合わない。脳は突然の大きすぎるストレスの分泌に悲鳴を上げる様に鈍痛を生む。脳裏に友人の顔を浮かんだ。……実花、湊。無表情の彼らしか浮かばなかった。
――死ぬんだ。夢の世界で。まさか。
冷や汗が私の頬を滑り落ちた。
「……随分と、演技派なようだが」
「そこまでです」
突然、目前が金と白に染まった。その色は服全体のカラーリングだった。呆然と見上げる私と槍の男との間に突然彼が現れた。
何の前触れもなしに、この空間に、突然に。
「僕の娘にそのような物騒な物を向けないで下さい、騎士」
「娘?御戯れを」
「戯れたのは何方でしょうか。貴方の先程の行為、騎士と言えるものですか?」
「話をすり替えるのは止めて頂きたい、スワード様」
足は動かなかった。私は目の前で進行している光景に食い入る様に見つめる他には術がなかった。
「娘、と聞こえた気がしましたがスワード様の様な身分の方がまさか咎人を迎えるはずがない。……ナールは此方で預かるのがきまりです」
「騎士、決めつけるのはいけないと思います」
「真実を述べたまでです。……さあ立つんだナール。君の身柄は此方で預かろう」
「愚者如きが具現結界を張れるわけがないでしょう。帰ってください」
「強制力はありません。大人しく其処をお開け下さい」
金色の瞳が鋭く細められた。白い彼は、はあとため息をつく。
「……僕の、娘を巻き込んだ遊びだったんです」
「は?」
彼の突然の独白に二人は首を傾げた。……が、わたしの首は傾げられなかった。が、瞬時に理解した。彼は私を助けようとしている――。
「貴方の髪、随分と黒いですよね」
驚いた。先ほどまで美味しそうな色をしていた彼の髪の毛は東洋人よろしくと言ったように真っ黒に染まっていた。騎士と呼ばれた男は、己の髪を触りながら目を僅かに見開きそしてすぐにその双眸を白い彼に向けた。
「…?……嗚呼、僕は娘の魔術構造をよく理解していますから影響は皆無なんです。…僕を陥れようとした可愛い娘の悪戯なんですよ。でも、流石は僕の娘。よくこのような高度な具現結界をはれましたね」
くるりと振り返った彼は笑っていた。…あまりにも綺麗な造りだったから、私は口をあんぐりと開けてしまう。白く長い髪に橙の瞳。頬が熱を持つのがわかった。
「……咎人の色に染め上げるとは、とんだ悪趣味だ」
そう小さく吐いた騎士は私達に一礼をし、私に「愚者と申し上げた非礼を許して頂きたい」と膝を付き頭を下げた。その返答は私でなく白い彼が行った。このようなことは2度とないように、わかりましたね。その言葉に頷いた騎士はその姿を雲のように消した。
消した。
――――!?
「危ない所でした、大丈夫でしたか」
「きえっ」
「…?それにしてもこの魔術、誰が張ったんでしょうか」
「さっ、さっきの人は……」
「騎士ですか?帰りましたよ」
「きえった……」
「嗚呼……!そうですよね、地球の人には新鮮でしょうか」
新鮮も何もあり得ないよ!!