離れ難き者達へ
「友禅様、友禅様……。上山泉、恐らく術が解けておりません」
「わーかーってるっつーの!……ああ、こええ……」
「……っ、頭がまだガンガンする……」
「大丈夫ですか?上山さん……。ほんと、不躾な。乱暴に鏡子達を連れてきておいて、あまつさえ鏡子は呪を施した縄で両手足縛られて転がされてたのです!……何ったる屈辱か!許すまじ!」
「その節はどーも……。紅茶は飲めるか?」
聖堂から応接間に移された私達は、傷の手当てとある程度の持て成しを受けていた。部屋にはスーツ姿の人が計四人配置されている。私達二人が座るソファ後方に一人、友禅さんの後方に一人、出入り口である扉の左右に一人ずつ……。ふふ、頭痛い。
「……アスティン様に連絡を入れましたわ。放課後……5時過ぎに此方へ向かうそうです」
「……アスティン……先生か?ああ?何で……ハッ――、そういうことか!あー……アスティンってそういう……くっそどっかで聞いたことあると思ってたけどよ、あれかよ!グリームニルか!あ~やっべ、俺領民だったのに忘れてたー……」
鏡子ちゃんが首を傾げる。その目が説明を求める前に、私は切り出した。私が求めた説明は二つ。椿とは、誰か。私が思うアリア・レパラジオネとお前達のいうアリア・レパラジオネは同一であるか、どうか、だ。
「椿。苗字はねぇ、必要ないからな。――ま、俺の仲間だ。……お前、本当に陛下じゃねぇんだよな……?」
鋭く見定めるような目を向けられて、私は苦笑しながら何度も同じセリフを吐く。違うんだって。いい加減にしてよ。
「……椿は――……ん~……お前……上山泉の……成り代わり、だ」
「……成程」
友禅さんは先程から言葉を意図的に濁そうとしている。その度に一々鏡子ちゃんを盗み見ているのだ。
「他者修正機関。鏡子、他者修正機関については既に情報を得ております。ご安心を――ええ!ご安心を!」
語尾に行くにつれ増す迫力に押されている。鏡子ちゃんは先程から何処か腹の居所が悪い。
「マジ?……こりゃ、俺も覚悟決めるしかねぇなぁ……。つら……」
「アスティン先生から聞きました。お前達機関の職員は、他人から見た姿を欺けるって。ということは、仲間同士なら本来の姿で見えるはず」
「そうだな」
「……なのにどうして、私を本物の上山泉だと思わなかったんですか」
「勘違いだ」
「勘違いで済まされる行動ではありませんわ」
「でも仕方ない!勘違いだった!しかも!俺は別に悪くない!先走った感はありありだけど、悪くない!」
鏡子ちゃんが机に手を付いて前のめりになったことに反抗してか、友禅さんも負けじと前のめりになっていた。何だろう、雷さえ見えそうなこの絵面は嬉しくとも何ともない。
鏡子ちゃんは友禅さんの発言に遺憾を示したように目を吊り上げ、口を徐々に開けながら「は、はぁ?」と息を伸ばしながら交戦しだす。
「友禅さん」
「ひっ。わかった、わかった話す……!俺達機関の公約を言ったお前ならわかりそうなもんだけどよ……、俺達には人の目を欺ける代わりに手痛い罰があんだよ。調子乗るやつにかます制裁のようなやつがな」
「それと今回の事が関係あるんですね」
「ありありだ!通常、地球人が誤って落ちたのを発見した時、俺達機関の中で選考が行われる。……仕草、思考回路、体型、その他諸々を点数化して、対象者と一番ちけぇ奴を選ぶためにな。流石にデブの職員が、細マッチョの対象者に化けるのは……なあ?」
「有りませんわね」
「やろうと思えばやれるけどな。んで、たまに居るんだよ……仕事中に奴が、急に……俺達の目から見ても対象者そっくりになるやつが、さ」
意味深に逸らされた目と、噛み締められた歯ぎしりの音が、私にはひっかかる。
「たまに出るんだよ。対象者に思い入れしすぎて、のめり込んで、まるで自分がソイツであったかのような錯覚を起こす奴が。……この状態はな、危険なんだ。記憶の矛盾から、記憶の整理を行って、記憶を入れ替える。データとして取り込んだ情報が、本物になる。……元々俺達は人間じゃねぇからな、嘘も貫けば真にできちまうってわけさ」
茶化した様に笑う友禅さん。その茶化しに笑わない私達。その温度の違いに、友禅さんは調子を狂わされるようだ。どうも先程から動きが落ち着かない。
「職員の欠落は痛手だ。最近、愚者の数が多いし……それに、椿は……俺の、親友だし」
「……親友」
視線が私に戻る。その眼差しを僅かに緩めて、いや、まるで私の心を見透かしたかのような慈悲を込めていた。
「椿を上山泉にするわけにはいかねぇ。あいつの人生を……上山泉に奪われるわけにもいかねぇ。だから俺は、上山泉に完全に成る前に、元の記憶を引きずり出して上書きの上から更に上書きしようとしたってわけさ!」
「馬鹿の一つ覚えですか?」
「うるせえな!焦ったんだよ!菫がっ、菫も安藤実花の姿に――!……っ」
「えっ。どういうこと?実花の……実花に完全に成り代わったの?」
「今朝……いつもの場所に行ったらよ……っ、菫、が、安藤実花に見えてよ……!耐えられなかったんだよ!畜生!やべえって、元々!椿を引き戻そうとしてっ散々お前に接触して、お前が実花に心を閉ざしたから!あいつ、あいつ……自分を責めて!あいつ何て言ったと思う!?『椿は私が実花と少し違うから警戒してるのかも。頑張るね』って言ったんだぞ椿ぃ、お前のためにさぁ~!!」
鏡子ちゃんと私は絶句した。男の人が何の躊躇いもなく、大きな粒を瞳から零し始めたからだ。挙句の果て、ソファからは既に落ちていて机につっぷし感情の溢れるままに机を叩いている。
「それがアダになったんだ……ぜってぇそうだ……ほぅら椿‼お前のせいで菫まで巻き込みやがってェええ!何で何で一人で解決しようとするんだよぉ菫ぇええわああああ」
「……あ、あの。それで、その菫という方と今回の非道な行為の接点は……」
「……助けてくれ」
「え」
「お願いだよ陛下ぁ!!菫を助けてくれっ!お願いします!俺、俺、あの二人が居ないと明日の晩飯も食べれないいいいい」
「ちょちょちょ、えっ、えっ!?」
逃げる暇がなかった。素早過ぎるハイハイで近づかれ足をがっちりとホールドされてしまった。勿論、私が。何とか押しのけようと身を捩っても力の強さの差が激しい。足なんて動かないし、何だか這い上がって来てる気がする……!?
「実花には泉からの言葉が必要なんだよぉ、早く、早くしねぇと菫が消えちまうよぉぉお!」
「それはっ……お前たちの責任でしょっ……なんで、私が……!離して!」
「だって菫はもう湊の言葉は聞かねぇんだよ!お前が拒んだせいで!追い詰められてさあ、放っとけって言ったってぇ、あああああん!」
鏡子ちゃんに助けを求めても、引き攣った顔が静かに首を横に振る。
――どうすればいいのよこいつー!
「手伝ってくれたら、この件に関しての詫びもするよぉ!謝罪も絶対ちゃんとするぅ!っつーか、手伝ってくれないと開き直ってるっぅうううう!」
「は、はあ!?――げっ、鼻水!鼻水!」
「何でもいうこと聞くからさあ!お願いだよぉ、菫を安藤実花から引き離してくれええええ」
「――今の言葉、はっきり聞かせてもらったよ。他者修正機関」
部屋の喧騒が急に止まる。一斉に声のした方へ……手入り口の扉の方へ視線を集めた。左右に控えていた人がそれぞれの扉の取っ手に手を掛け、タイミングよく開く。その開かれた扉の中心に立つのは、白いコートを腕にかけ、顔に暗い影を落とした――アスティン先生だった。
「先生……!」
「僕らがその依頼を引き受け、成功した際に本当に君が僕らの指示に従うのならば……職員菫の安藤実花からの剥離、全面的に協力してあげてもいいよ」
「まっ、マジで?」
「うん。グリームニルの、名に誓ってあげてもいい」
にこり、と先生は笑う。その笑顔がまたあの人と重なって、視界が二重になる。その際に耳の奥に残るピアノが鳴るから、私は声を詰まらせてしまって、少し苦しい。固まりそうな身体を動かそうともう一度身を捻じってみるけれど、……はあ、動かせない……。
「さあ、どうするのかな?」
「全て言うとおりに動く!だから、お願い!しますっ!」
足をホールドしたまま首を先生の側に向けて頭を深く下げた。それを見下ろした先生はゆっくりとした動作で私の背後へ回る。その足の動きを追ったのは鏡子ちゃんだけだろう。しかし、鏡子ちゃんは何も言わず、動かず、この状況を静観している。
「うん。じゃあ、誓おう――約束を」
たまには、騎士の真似事も面白いね。
先生は跪いた格好のままわたしを見上げると、そう言っていつも通り笑った。言葉じりに混じる怒気にあえて触れないことにする。
そして、約束を、僅かに違えたことにも。
**
「協力関係締結だ。それに当たって……まずオレから、うん。説明しなきゃならんのよな。でもな、でもな?へい……」
ソファに座りなおした私を含めた四人。私の隣に鏡子ちゃんが、真正面に先生が、鏡子ちゃんの正面には友禅さんが座っている。そして友禅さんは、この台詞を言いながらやけに真剣な顔で私へと言葉を発していた。まだ気怠さが抜けない私は、耳奥で成り続けるメロディーから逃れるように体を前のめりにして受けと姿勢を表す。
「へい……?」
ごほん、と先生が咳をした。それに合わせたかのように友禅さんが「HEY!!!!!」と真剣な顔のまま私に……叫んだ。んだと思う。
「かみやまいずみ……の!話を聞かせてくれ!納得できるような感じに説得力高めで」
「随分言いにくそうに言うんだね……。あれでしょう?エリーシアか――」
「そこは、わたしが説明しよう」
手を上げた先生はカップを持ち上げながらそう言った。持ち上げたカップの中に、並々と紅茶が注がれる。それを待って先生は再び口を開いた。
「君たち他者修正機関も知っての通りね、泉さんをはじめとしたその三人は落ちた。君たちが成り代わってる間、まあ色々あってね。うん、大変だったなあ……」
あの日々を懐かしむかのような表情に私は視線を落とす。
「そこで泉さんも色々体験してて、その一つに……まあ、前皇帝陛下エリーシア様の追体験をするっていう……機会があったんだ。そのときの余波、というか……そうそう君たちが危惧している過度な同調、もしくは共鳴が起こっている。その後遺症だろう。他者修正機関、君が促した追想の調べ……君の術はグリームニルに属する術だから泉さんの中に残るものと上手い具合に噛み合ってしまって、上手い具合にエリーシア様と共鳴したんだよ」
「――成程。ぜーんぶ、上手い具合に上手い事いったんだなあ!」
「そうそう」
突然、目の前が霞みはじめた。私は何度か目を擦ったけれど、目の前の霞みは取れない。息を呑んだ。そして、怖かった。
「あー?でもさっぱり納得できねぇ。最上位とこんな簡単に共鳴できんのか?何の因果っつーの」
「あ――わかったよ。ちょっとこっち」
友禅さんは立ち上がった先生に腕を掴まれて出て行ってしまった。二人が居なくなったことに少し気が抜けて私は目をぎゅっと瞑る。そして開く。あれ、あれあれ……?
私は顔を押さえてそのまま目を押さえた。霞がさっきより酷い、音も酷い!
扉の小さく開く音がする。僅かに指の間を開いて見ると、スーツの人が一人扉から出て行った。横では鏡子ちゃんが心配そうに私の肩を揺らしている。頭を抱えた私の肩を。
「鏡子ちゃ……、ピアノ、止めて、お願い」
歪んだ鏡子ちゃんの顔は怪訝に目を細めて耳を澄ます。聞こえない、とでも言うかのように首を振った。私以外、聞こえてない……?
それを確認しようと頭痛がする頭を持ち上げて残っている人の顔を見ても、スーツ姿の人達は立ったまま動いていていない。鏡子ちゃんの声が、聞こえてるのにわからない。
――また、音が増す。増えていく。我慢できなかった。
私は立ちあがった。私の腕を取った鏡子ちゃんの手を払いのけて追い立てられるように出口へ向かった。音から逃げたい。教会から逃げたい!
手口へ近づいた私を、出口付近で立っていた片方が私の身体を阻んだ。もう一人はいない。さっき出て行った。腕に阻まれた私はその腕に崩れた。身体ごと支えられても、爆音のように、鐘のように響くピアノの連弾は私を逃がさない。
鏡子ちゃんの顔が跳ね上がる。どうやら鏡子ちゃんには私が聞くことが出来なかった音が聞こえていたらしい。扉の外から女の叫び声に混じった制止の声、そして二人分の乱れ合う足音が聞こえていた。私を押さえるスーツの人ではない、残りの人が気になって扉を上げて半身だけだして外の様子を鑑みるその一瞬で――、飛び入った人影。
その人影は外を見たスーツの人の胴を推し込んで奥へ飛ばすと、誰の目にも認識される前に部屋の全景を把握した。その視線は苦しむ私で止まり、小さく声を出す。
「――泉!」
その静止もまた束の間であった。だから、誰もその人が誰なのか把握できていない。鏡子ちゃんでさえ、動けない程の速さ。でも、束の間でも静止は、静止だ。
その誰かが私へと伸ばした手を上から押さえつけ、吹き飛ばされていたスーツの人が上からその誰かを床へ押さえつけることに成功した。鏡子ちゃんが「よっし!」と力むと、私の傍へと駆け寄った。私からは何が何だかわからなかったけど、鏡子ちゃんは私を護ろうとしてその背に私を庇う姿勢を取っていた。
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