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大古の獣 ※挿絵を追加しました!

「……この、鳴き声が……」


 静かに!


 先生の緊張しきった声が私達にも伝わって、先生の個室は再び静寂を強制された。何なのかわからない。それはどうやら私だけのようだった。先生と鏡子ちゃんは二人合わせて窓に齧りつき、外をしきりに睨んでいた。蚊帳の外?何もわからない無知への怒り――?そんな感情が湧く前に私の中に生まれたものは一つ。


 異常の再来の確信。だって、私にも次ははっきりと聞こえたんだ。


 か細いのに、強く響く声……?笛の様な音、やけに不安を煽る――。


「トラツグミの声……?そんな……まさか――」


ぬえ……だ」


ぬえ?」


 二人だけの意図的な沈黙。戸惑いの様な微かに揺れた先生の瞳が私を映す。

 先生は腕時計に目を落とすと、隠しきれない冷や汗と僅かに悔やんだような声で私へ話した。


「まだ、陽は完全には落ちない。月が出ない内に帰りなさい。わかったね、泉さん……もし、出た月が赤ければ……安倍さん」


「はい、承知しております。さあ、帰りますわよ!」


「えっ失礼します――ちょっと……!ねえ、月が赤いと何なの!?」


 引っ張る様に出て行った二人を見送りアスティンは息も薄いまま自室の鍵を閉めた。一呼吸おいて、深く吐き出す。――頭痛だ、嗚呼、なぜ……怪奇がこうも立て続けに……。


「鵺……討伐されたはずだよね……最悪だ……――何故このタイミングなんだ……陛下……っ!」


 一人の男へ当てた憤怒を机に叩きつけた。人間界も天界も全ては一人の王の統治下。一人の人間を意図的に狙う負が生み出した怪奇は自然では生まれないのだ。このタイミングで、急に死を泉へ与えようとしている。目的を泉にだけ絞り、執拗に狙う――負を身に肥やす者だからこそ出来る所業であった。

 あの時……フードの男の時、いち早く気づいた安倍鏡子が飛び込んでいなければ――恐ろしい。もしあの時泉が命を落としていれば、冥府へと至る輪廻の再生を再び待たなければならない。エリーシアの遺体に魂の魂魄を見つけられなかったからこそ、人間界へと手を伸ばしたグリームニルに取ってあの時――スワードの隣に隠れた黒髪の少女の気配が誰であるかわかった時の歓喜が今迄の年数を一気に忘れさせ再びスワードに光を取り戻させたと言うのに……。再び、失う?ならば?

 エリーシアの死から幾年経った?次は、次は一体どの長さ待ち続ければ――いや、きっとスワードは次を考えていない。だからこそ、スワードは自らが泉の横へ立つことを止め、アスティンを傍へ置いたのだ――。


 泉を守り通せ。


 アスティンは鼓膜に入り込むトラツグミの声に怯えながら、再び強く、机を叩いた。


**

「――ぶわっフォッ」


 全速力で帰宅路を駆け抜けていた私は、前方を走っていた鏡子ちゃんが急ブレーキを踏んだことにより衝突をした。私の衝突に動じず余裕気に踏ん張る鏡子ちゃんの顔は、違う意味で余裕がない。嗚呼、そうか……。辺りを見渡せば、あの数分の間に?……はは、陽が落ちていた。


 私は月を仰いだ。雲に隠れて見えない次が今、顔を出す。


「赤い……」


 月だった。


「十六夜のくせに、ためらう気はないのですわね……」


 と呟いた鏡子ちゃんは私の腕を再び掴むと走り出した。急なアクセルに転びそうになりながらも私も駆けて行く。曲がって、曲がって、上って――背後に響く細い鳴き声が私達を追いかける。


「どこっ………に、いくの!?」


「…………神社…………神社です!」


 何の為に。その単語を言おうと口を開いても、乾いた喉に発声は辛い。ぐ、と反射で唾を呑んで私達は走り続けた。灯もない暗い路地にぽつん、と拓かれた神社に舞い込んだ。

 酸素、酸素――!!

 ぜえぜえと息を吸い込む私を傍らに、鏡子ちゃんは手を組みながら呪文を唱え始めた。切れることない綺麗な発音と、文字として聞き取れない言葉。……よく見ると、同じ行為を繰り返している。一つが終われば、また始りの音が始まる。何度か繰り返される後、あ、また……と冒頭だけは聞き取れる様になった。


 突如、大地が鳴いた。赤い月あかりを隠して、視界が黒く染まる。それに気づいた私は――鏡子ちゃんは目を瞑って一心不乱に唱え続けている――神社の本殿、その屋根を見た。


 声を奪い去る音の威圧。頭の中の私を白に塗りつぶす程の――不可解さ。


 頭は猿

 からだ(たぬき)

 尾は蛇

 手足は虎


 哭く声は――――、


ぬえ……」


「 如何にも 」


 腹に響く声に、鏡子ちゃんの呪文の繰り返しは終わった。


「 我は鵺。我は獣。我は雷獣。我は神。我は―― 」


 面である猿は、その大きな口をにんまりと三日月にして、口を開けて笑った。


「 人の恐怖である 」



蛇に睨まれた蛙。動くこと知らず。


 背筋が、足が、身体が凍りついたようだ。動かせば死ぬ――何て主導権を握って居られない。動かせば?私が、動かせば?そんな主語無い。私に、能動的な主語は与えられていない。動かせない。私は身体を動かせない。

 見上げているだけ。月を隠す程の大きな獣を見上げているだけ。


 ぬえ――獣が一度、大きく鳴いた。耳を塞ぐことすら許されなかった私は――甲高い耳鳴りを伴って、音を失った。大きく跳躍した獣の爪がやけにゆっくりと……見えた。


 突如目の前に舞い降りた黒髪の一房が大きく靡く。打たれた様に主導権を取り戻した私は「鏡子ちゃん!」と目の前の少女の名を呼んだのに喉が恐怖に張り付いているせいで音が出ない。しかし鏡子ちゃんは手を獣の目前に突き出し、暴風に晒され歪んだ表情の中で私へと振り向いた。されどそんな彼女さえも脅かすほどの獣なのだろう。彼女の声も響かない。必死に叫んでいるであろう彼女の声が聞こえない――。


挿絵(By みてみん)


 ここで、私は自分の耳が聞こえないことに気付いた。


 鏡子ちゃんの目が揺れた。下唇を噛んで私へと飛び出してくる。音が聞こえない――甲高い耳鳴りの――世界に取り残された私は、飛び出た鏡子ちゃんの背後へと焦点を持っていかれた。目の前を鮮血が飛び散る。動く視界の端に捉えた獣の爪に綺麗な鮮血が付いていた。


 




「――上山さん!っう……何故、何故貴様の様な獣が無傷で境内へ侵入できるのですか!」


「 現状が答えである 」


 この鏡子が……圧される……ッ!


 咄嗟に上山さんの前まで飛び出て結界を張れました。GJ。鏡子本日のMVPですわ。しかし、今まで対峙した妖を遥かに凌駕していく重量に結界が軋んでいく。相手方の猛撃の余波が鏡子の結界内に漏れて暴風へと変わる。身体は傷つけません、ですけれどそれでも鏡子の結界内に漏れるほどの相手の威力の大きさに流石の鏡子も……!


「上山さん!後方へ走って!……上山さん!?」


 何故動かないのですか!?――相手から目を背けるのは好ましくない。けれどもどかしい後方の恐怖に竦んでいるであろう友人を叱咤する心算で瀕死の覚悟で首を後ろに回しましたわ。


「何をしているのですか早く走って!!上山さん、聞いていますか上山さんッ!!」


 札を晒している右腕に電流が走るような痛み。ひび割れていく、それを目視できる程弱まっていく結界。そして、私の顔を見たまま呆然と立ち竦む上山泉。駄目ですわね、鏡子の読みは外れていませんでした。自力では離脱出来そうにない上山さんを残して鏡子だけ離れるわけには行かないのですわ。仮にも、不本意とはいえ、鏡子はアスティン様に協力すると言いましたから。それに鏡子は上山さんの正体に興味がある――。


 第一、人は死に目に会えば会う程成長出来るのです。間違いかもしれない、時代錯誤の猛威に頭がおかしくなったのかもしれません。でも鏡子は――、安倍家の……次期当主なのです。


 札を空中に放つ。通常であれば鏡子の護り札は力を供給する腕を断っても札内に満ちた霊力で十分すぎる程の威力を放ちます。けれど今回は例外。恐らく10秒も持たないでしょう。

 鏡子は敵に背を向ける。走るよりも飛びついた方が早い。上山さんに飛びついてそのその腰を持ち上げようと思いましたが、背を走る熱の様な痛みに未熟ながら声が出てしまった。でも、でも止まってはいけないのです鏡子。

 ですが……でも。鏡子は、陰陽師なのです。それ故に……気を抜けば死ぬであろう死地に身を置いた者として一番してはいけないことをしてしまいましたわ。剣を取り、相手を見据えたのならその優先順位は不変なのに。見据えた相手の首を跳ねること、それが第一に成し遂げることなのに。鏡子は――、


 陰陽師なのです。


 気づいた、気づいてしまった。守る為に飛び出し、一瞬抱えた彼女の肌に触れた瞬間、鏡子の血が感じ取った邪気。


「――鏡子ちゃん!」


歪に叫ばれた己の名に自然と身体が反応しても鏡子の心と思考を独り占めしたのは上山さんの中に渦巻く呪詛。


 突き飛ばして絡み合った瞳の中で、その呪詛の鱗片が上山さんの瞳の中で笑いましたわ。数にして、二つ。


「あっ」


 左肩が抉られた――のですわね。


 衝動の余波で石畳を転がる前に、鏡子も反撃致します!鵺?面白い、清明様……どうやら鏡子は、先祖を超える存在の様――!


「カラリンチョウ、カラリンソワカ……玄武っ!」


 全身を打撲したようです……痛いですわね、流石に。ふう、でも大丈夫。玄武は十二神将の中で最強なのです。はあ、ごめんなさい大祖父……鏡子は――、


 歴代最強なのですわ。


「……え?」


「 頼光らいこうの血筋であらず、身を隠せ 」


「玄武っ!玄武ッ!!何処に現界したのですか玄武っ!!」


 相手方の攻撃を避けにくい。肩が、背がとても痛い……。嗚呼、痛みに泣いてる暇ではありませんね。避けなくちゃ――鏡子の式神は……。


 一瞬にして鏡子の頭の中に解答が浮かびました。恐らく――……いいえ、絶対に正しいその答えに鏡子の身が戦慄……いえ、武者震いそうそれは武者震い……を起こしました。

 この神社は外見は機能していますが、本来の機能を有していません。その事実が絶対性を持って鏡子の頭の中に浮かび上がったのです……。


 弾かれた様に上を見上げて咆哮しそうになった鏡子ですが、赤い月が鏡子の視界を覆い尽くしたので逆に冷静になれましたわ。――怪奇、鵺は神社の主神を喰ったのですか?


「鵺。……貴様、もしかしなくても神を――この神社の主祭神を取り込んだのです……?」


「 黄泉に赴け、言葉なく 」


 攻撃は続きます。けれど鏡子には考える時間が必要なのです。


「そんなつれないことを仰らないでくださいませ。……閻魔大王の土産話として、お聞かせください」


 そこで、ぴたりと攻撃が止みました。そして鏡子は――、上山さんに目で合図を送りました。








無音の中でほぼ棒立ちになっていた私は耳奥に走った激痛で我に返った。靴で石畳を擦ってもまだ音は聞こえない。けれど、鏡子ちゃんと鵺がぶつかる音は水の中で聞く音の様に歪に聞こえた。


 ――そして私は、鏡子ちゃんの合図に気付けた。


 鏡子ちゃんの目がゆっくりとスライドしていく。止まった瞳の方向に私が視界を動かせば其処は……お賽銭箱の後ろ、拝殿の門。


 そこに行けばいいんだね?


 私はこくりと頷くと其処目掛けて静かに駆け出した――というのも、自分が立てる音が聞こえないんだけどね。

 お賽銭箱の後ろに回って、鏡子ちゃんを顧みた時――、ちらりと此方を一瞥した鵺の瞳に心臓を掴まれた気がした。獰猛な緒が、真っすぐと私の元へと振り下ろされ――。


「――――っ」


 後方へ弾け飛んだ私の身体は恐らく拝殿の扉をぶち抜いて中へ転がり込んだ。ごろごろと中を転がる時に目を開けたら木の板が見えたから恐らく間違いではない。痛む全身が起こそうとする私を妨害する。けど、悠長に寝そべってる暇はない。何とか上半身だけ起こして門を見ると――、


 勇ましさは度を過ぎれば何になる?


 血塗れた制服に相反するほどの凛とした背中に揺れる艶やかな黒髪は、ただ立往生するかのようにそこに在る。


 一度も私を見ずに鏡子ちゃんは拝殿を飛び出た。――鮮やかな血痕を置き去りにして。


 勢いよく閉じられた門に私は危機感を感じた。声が出ているのかはわからないけど、不格好な姿で門へとしがみ付いて――勢いよく戸を開こうとした。


 開かない。閉じられた戸は開けない。物理的に閉じられていない、そして私は其れを破る手を知らない。


「鏡子ちゃん、鏡子ちゃん!!出して、お願い一人で行かないで!!」


 ただ死に行く様にしか感じない彼女へ戸を叩きながら訴える。その最中にも私は、わかっていた。この言葉、この行為――全てが自己満足であることを。護られてばっかり――そう頭の隅で思ってもまだ私はそのぬるま湯から抜け出せない。どうして?どうして……?記憶の隅に微かに残る戦いの記憶は、自分の意志では再現出来なかった。


「嫌だ……嫌……っ」


 嫌だった。目の前で失う姿を見ることは嫌だった。叫んでも、叫んでも声は聞こえなくて。澄ましても、澄ましても外の音を伺うことは出来なくて。叫び疲れた喉が何も言えなくなるまで私は無駄に名前を呼んだ。


 どうすればいいのかわからない。


 戸に背を向けて私は座り込んだ。何かしなくちゃという焦燥感が身体を震わせる。アンスは反応しないのだ。


 顔を上げると先に神の依代である鏡が私を映していた。その何たる無機質さか。やはり此処にも……、


「……神は居ない」


 そう――神は居ない!


 神の依代である鏡に神がいないから、空席だから神社が神社でないのだ。そうか……そうか……!この異様な違和感の正体はこれなんだ!


 理解できる。


 鏡子ちゃんは陰陽師だ。だからこそ、妖と対峙する際にこの場所を選んだのだろう。恐らく神社特有の力を借りる為に。そしてそれは陰陽師に有利に働くはずだった。しかし、なぜかその恩恵を得られない。そしてその原因は――、


「神社に神様が居ないから……神社が機能しないんだ……」


 血が廻る。高揚する音が脳に直接響く。


 座が開いているなら、座ればいい。誰でもいいのだ、神社を本来の姿に戻すだけの資格があれば――。



 私は立ちあがった。何の疑問も持たずに前へ進み出る。そして歩み寄り、鏡へと手を伸ばせば――、


 あたりの景色が変わる。


 顔を隠した人ならざるものが一斉に頭を下げた。その中の一人に導かれるは、簾のかかったこじんまりとした部屋。畳の腕に上がる様に促されて開かれた御簾の中に入ると一気に御簾は降ろされる。そして私は――、


 畳の上に座り、この目を閉じた。



トラツグミの声ってヒョーーーーーーーーーって音らしいです。流石に作中でヒョーーーーーって書けなかったのですけど、ヒョーーーーーが一番わかりやすいのです……ヒョーーーーーーーーー。

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