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想起 1

 靄が掛ったような灰色の視界。ごしごし、と目を擦った。上を見上げても…おお、ちょっと見えて来たぞ。あれは……雲?ここは…外? 


 音。誰かの荒い息遣い、下の方から。


 視線を落とすと、地面に倒れた髪の長い女の人。胸元が赤く染まって、口からは血を流していた。


「…ごふっ、……大神(おおみかみ様――?」


 言葉を言うためだけに開かれた口から溢れ出る鮮血。私は何処か離れた思考で物事を考える。あなたは誰?と言おうとしても私の口は私で開けない。どうしてだろう?と首を傾げた。…この行為は可能だった。


「卑弥呼…迎えに来たわ」


 荒い呼吸を繰り返す女はその言葉に笑んだ。


「迎え……と……は…………嗚呼、あの、と……ごほっごほっ」


 血混じりの咳を吐き続けている女の顔を撫でた。青くなった血色と球のような汗が彼女に歩み寄らせた――死を。

 一筋の涙を零して女は笑っていた。咳を、血を、涙を。胸元から零れる血は止まらない。


「私……よかった……ちからを、うしなって」


 私の身体は女の上半身を持ち上げると膝の上に乗せた。そしてゆっくりと涙を拭って、頭を撫ででやる。口元の血は私の袖で拭っても跡を残す。


「大丈夫、お前は力を失って等なかった。王としての責任を放棄したわけではなかった。ただ平和を、安寧を求め続けていた。きちんと私が言ったとおりに。きちんと、私との約束を守って」


「がっ……され、ど……陽が、陰って……」


 私はその言葉に導かれて太陽を見上げた。黒い、太陽を。明るく照らすはずの地を照らさずに闇を招いた元凶。日を喰った闇の所為で、卑弥呼は斃れた。卑弥呼はこの日を恐れてずっとずっと私に祈っていた。もうこの頃には、暴徒する民を纏めるだけの強さを卑弥呼は失っていた。


 先の大戦での敗北。民の絶望、疑心の矛、糾弾の声。日の巫女、一国の主――神に愛されたこの世の至高。しかしそれは既に失われたのだと最愛の弟までもが女に牙を剥いた。


 私は大戦に敗れた後に卑弥呼の元へ姿を現さなかった。卑弥呼を救う術はあった。しかし、この窮地を乗り越えてもあと数十年の命ならばもういいだろう…そう思った。そして、弟が王位を狙っていることも知っていた。アスティンは此処で卑弥呼を迎えるのが最善と言っていた。だから私は卑弥呼の声を無視したのだ。


 穢れてしまったこの地球で、まだ東の果てにかつての楽園があったからこそ私は卑弥呼を絶望へ落とした。西は破滅の足音が響いている。オリンピアを管理させている私の眷属達は既にため息ばかりを吐いている。…だから私は自ら愛しいと思ったこの始りの国を導いた。導いた先に、私の望む人間が完成すると信じて。


 そして、これで完成する。


「光と影は対となるモノ。日が喰われた時に、道が開く。この国は陽だけど、私の国と対照すればこの国は陰。…見て、黒い陽の周りに光が漏れているのがわかる?」


 卑弥呼は息を洩らした。


「強い光を前にして影が強くなっただけ。お前が破滅を招いたのではないわ…お前は私を招いたのだから。お前はまさに、私の巫女」


 呼吸が浅くなっていく。


「さあ逝きましょう陽の世界へ。お前は私の国で生まれ変わるの……私と近しい存在になるのよ」


「お…まち…………い」


 卑弥呼は私の手を震えながら掴んだ。その強い瞳に私は息を呑む。やはり卑弥呼は私の巫女に相応しい。私が繰り返す肉体の転生を守る者に相応しい。


「弟……は……如何様……っ」


「お前の死後、私が見えない者に加護を与えるつもりはないわ」


 卑弥呼の弟は私を見ることが出来ない。他の者も私を見ることはできない。

 そして王位継続権を持つのは、王を弑したのは……弟。神の加護を失った者即ち過ちを起こした者に王を名乗る資格なし。我今此処に天命あり、神曰く、我を欺いた王を断ち汝が国を導け、と。


 よくもまあ、私が聞いている横で悠々と言ったものだ。高齢の姉を、今まで平和をと導いてきた姉を殺すことに一切の迷いを抱かずあまつさえ私の命令としたあの弟に――誰が加護を与えようか。


 何度も問いかけても反応しなかった愚かな子。我欲に染まればその目は潰える。


「第一、お前を殺した人間を何で」

「私は、おと、うとを、……うらみませ、ん」


 必死に声を振り絞って卑弥呼は言う。霞んだ目つきで、私を見つめて言う。けれど卑弥呼、其処に私は居ない。もう卑弥呼の目は見えていないのか。


「女…であ…私を……まもって…おとうと、で、した。日巫女となってから……っささえ、て……おとうと……。わるいのは……じゃない…みんなを…かった……私が……い…!おねが……私がしんだ、ら……弟を……守ってくれま……?」


「卑弥呼……」


「加えて……お願い……す……っどうか、…弟の……私の……傍に…」


 卑弥呼は私がもう見えないから私は感情を隠さずに顔に出した。嫌だと口に出せば声色で全てを読み取っただろう。


 ぽとり、と私の手を掴んでいた手が落ちた。静かに消えかかる灯が残り僅かに成ったのだ。一見すれば死んだ。しかし、人は本当の死まで――聴力は残り続ける。


「それがお前が私の元へ来る交換条件かしら?良いでしょう、これまでのご褒美に飲んであげる。けれど私は約束を守らない者に慈悲はやらない――お前の弟が一度でも我が戒を破れば私は見捨てるわ。いいわね?」


 卑弥呼は返事をしない。けれど私は了承の意として彼女の身体を横たえた。風が吹く、迎えの準備は既に済んでいる。天上にある国に既に卑弥呼の居場所は用意した。


「邪馬台国の女王卑弥呼よ。私が愛した日の巫女よ。お前は命が終えるその日まで我が誓いを守ってくれた。おめでとう、その命は今日を以て永遠となる」


 卑弥呼の身体から魂を抱き上げた。その魂は赤子のような形を造って私の胸に頬を寄せた。


「声を上げて泣きなさい私の巫女。今日はお前にとって喜ばしい日であるのに、悲しい日であることは間違いないのだから。声を上げて問い詰めなさい、愛しい者にその思いを告げなさい」


 私は左手で、光を失った卑弥呼の目を閉じた。すると刹那、赤子の目がぱちりと開く。遺体が息を吐き出したのと、赤子が息を吐いた音が重なった。


 闇が包んだ草原に赤子の鳴き声が響き渡る。赤い血で濡れるはずの赤子の身体は光で濡れていた。瞳から大粒の涙を零して泣きわめく赤子をあやしながら私は姿を溶かしていく。


 私の姿が完全に消えた頃――――大地に日が差した。


 女王卑弥呼、斃れたり――次の王へ椅子を譲る為に死んだと伝えられたかつての女王は生きた人々と共に墓へ葬られた。王に参列した者の多くは涙を流した。あれ程後ろ指を差したというのにいざ死ねば良き王だったと褒め称えた。


 そして後に、この国は一度目の死を迎える。


 まだ幼い巫女を連れて下界へ降りた私を迎えたのは、


「……お主、此処では見ぬ顔だな。余所者か?」


 かつて卑弥呼が養子へと迎えた少女、伊予であった。


「……幼子、嗚呼もしやお主等――他国から逃げてきたか」


 凛とした背筋と冷めた視線。唯冷たく見下ろす先には、在りし頃に慕っていた卑弥呼が居るということも知らずに花をプツン、と千切った。


「故卑弥呼の弟王に……お会いしようと」


「――はっ、兄王に?お主等は聞いておらなんだか」


 その笑い方に巫女は私の手を握った。足にしがみ付くと、顔を半分隠して伊予を見上げる。……また巫女も、記憶がない。肉体は生まれ変わり、魂が昇華した存在は死んだ年齢もしくは私が定めた肉体年齢を迎えるまで記憶を戻させないようにしている。純粋に育ってほしい、抵抗せずに天上を受け入れるために。


「国を亡ぼす王は要らぬ――それ即ち、大神おおみかみ様が決めた世の理よ」


 伊予は緋色の袴を靡かせて言い放つ。自信を含み、笑みを含み、威厳を含んだ表情で――。


 私はその言葉に満足げに笑った。



邪馬台国初期、西側ではローマ帝国の五賢帝の時代ですね。ここテストに出ますよ。そしてどんどん衰退の一途を辿ります。暴君ネロ、とか出てきちゃいます。ですから、この大神様は文明的には遅れているが、まだ澄んでいる東の人間に期待をしました。

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