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漆黒の来訪者

「ここのコンマとwhichでここの文を……嗚呼用法名とか覚えなくて大丈夫。日本人って本当小難しい名前つけるのが好きだよね……」


「はい、このitは何を差す…って安倍さん相変わらず元気だね。はい、答えていいよ」


「この連語はわたしが調べた中でセンター頻出語だからきちんと押さえておいてね。センターだけじゃなくて、君たちが大学生になってからも使うよ」


「なあ、センセー」


「…うん?」


「なんでセンセーの目ってさ、青とか黒とかじゃなくてオレンジ色なわけ?カラコン?」


「ちょっと男子ぃー、アスティン先生の授業中に変な質問すんのやめてくんない?――あたしも気に成りまあす!」


「アスティン様の授業に口を出すなんて不躾な人間共……チッ」


 ……今なんか右側から聞こえた気がするけれど、私の非日常はそろそろ日常に帰ってきそうです。きちんと。目の前で教鞭を執るアスティン先生の面影も此方に馴染みそうだとそろそろ思ってきてしまう。


「…気になるの?」


「はいぱーうるとら気になる」


 けれど、私はある程度現状を理解できた。アスティン先生と廊下で出会った数日後、私は研究室に呼び出された。そこで…教えて貰ったのだ。抜けている記憶と、認識の違いを埋める答えを。それを正誤の判断は全て私に委ねると言っていたけれども…嘘をついている様には見えなかった。


" 「嗚呼…やっぱり、その世界から帰ってきたのは夢ではなかったんですね」


 目を伏せながらいう私にアスティン先生は苦い笑みを浮かべながら頷いた。


「ごめんね。…湊くんは泉さんが全て忘れることを望んだ。けれど……」


「何らかの阻害要因のお陰で、不完全に記憶が残っている…と?」


「そうだ。わたしの名前が瞬時に思い出せなかったのもその証だと思う」


「ごめんなさい。正式に挨拶があるまで思い出せませんでした……引っかかってはいたんですけど」


「…咄嗟にわたしの名前を呼んだことは覚えてる?」


「え?呼びました?」


「……ううん、ほんとにあれは咄嗟だったから……ちょっと悲しいなあ…」


「ご、ごめんなさい」


**


「実花は――……実花はどうなったんですか」


「嗚呼、やはり気になるよね」


「……教えてください」


「――ごめん。本当にごめん。わからない」


「は」


「アスティンの名が聞いて呆れるだろう。しかしこれには理由が――泉さん!」


 ふらり、目の前が暗く成る様な感覚。


「…ごめんなさい。ちょっと、案外…ショックでした…」


「朗報をもたらせたらよかったんだけど…――実はね、わたしは…泉さんが地球へ帰されたと入れ違いであの部屋に入れたんだ。あの湊くんの様子から辿ると……道から弾き出された様に思う。シリウス陛下が即位為さってから、彼方と此方を隔てるモノは水だからね。何だろう、泉さんの拒絶に無意識に陛下が反応したか――」


「あの男が反応を……?」


「うん、まあ。もしくは、スワードが反応したか」


「――スワード!」


「はいはい、起き上がらない起き上がらない」


「スワードは、スワードは今どうなって!?」


「わからない」


 頭を抱えてアスティン先生は語る。


「わたしは、すぐに境界内へ…道の中へ飛び込んで君を追ったんだ。半ば目覚めた君をあんな風に強引に返すのは恐ろしかった…。でも、あんな濁流……わたしが辿りついた地球は……」


「アスティン先生……?」


 つらそうな表情に、私は身体を起こした。


「何でもない。余計な情報は混乱をもたらすだけだね、やめようか。取り敢えず早めに泉さんを見つけることが出来て本当によかった。これでもわたしは泉さんの――護衛役だからね!」


「……ふふっ、そうですか?」


「そうだよ!」


**

「それじゃあ……聞こうかな」


「何を?」


「泉さんの真意、を。正直に答えて欲しい、何も偽らないで君が思った事を言うんだよ。…いいね?」


「…はい」


「君は――どうしたい?」


「……なに決まりきったこと、聞いてるんですか」


 私は一度目を閉じて、そしてもう一度開いてアスティン先生をしかと見据える。


「まだあやふやな記憶があります。不安なこと…沢山あります。けれど、これだけは――これだけは変わらない。私、上山泉は―――」


 私の心にはエリス――貴女が、居る。今は見えない、聞こえないけれどあの時抱きしめ合った、決意し合ったことは揺るがない。貴女が傍にいると思えば、怖さも多少薄れる……そんな気がした。


「実花を助けて、湊と実花と共にもう一度この世界に帰ってくるために、全てをこのまま終わらせないために、」


 私はお前を護りましょう、私はお前の為に剣を振いましょう――。だから、お前も共に戦って、共に護って、そしてどうかお願い―――。


「再びあの世界へ戻ります」


「…わかったよ」


 アスティン先生は私の足元に片膝を付いた。そして、片手を胸元に当てるとそのまま深く頭を垂れる。…その行為に抵抗を覚える私は、すでに居ない。何処か当然だという思考が脳を充たす。


「…グリームニルに名を連ねる者、名をアスティン。司るは叡智…余談ですが、この世界に於いて遥か昔に――ブラギという名を贈られたんだけど……知ってるかな?」


「ブラギ……うん、なんとなくわかる」


「…それは光栄です……泉、さん。改めて、貴柱あなたの望みの為に――名に誓って仕えることを此処に宣言します」


「…答えて。その言葉は、真実ですか?」


 あの世界で何度かその言葉を聞いたけれど、果たして守られてきたのか定かではない。


「名に懸けて――名に誓う。その言葉は最高位に属する誓いの言葉。――アスティン先生、問います。その言葉に偽りはありませんか?」


「はい――」


「顔を、あげてください」


 橙の瞳が私を射る。


「偽りはありません。もし…もしわたしがこの誓いを破った時、世の理が完全に死んだ時、この身を――」


 かたり、と背後のドアが動くのが聞こえた。しかし私は目を逸らさない。


地獄ゲヘナへと落としましょう」


「――上山さああああんんっ!自分だけアスティン様を独り占めなんてずるいですわああああああ!」


 スパーン、と開かれた扉にアスティン先生は信じられないくらい素早い動きで立ち上がった。 "


――――ゲヘナ、かあ……。


 ゲヘナ、ゲヘナ……地獄ゲヘナ。うう、勢いであんなこと言っちゃったけど何だか時間差で恥ずかしい。……結構恥ずかしい、うわああ、ええええ、うわあああ。


 じわじわと足元からあがってきた羞恥心に耐えるように唇をきゅ、と噛んでノートを取ると見せかけて下を向いた。……あ、そういえば。私はシャーペンを置いて右側のポケットに手を突っ込んだ。銀色の小さいチェーンをつけた紅の石は変わらない光を私に放ちながら私を映している。


 石に私が映る、覗き込んでいる私が。その瞳の中で思い出せる限りの過去を振り返ろう。…思い出せるはずだ、この石の名を。


 うとうとと眠りへ誘われた私の耳元で、一滴の声が水面を打った。


 ――――アンス。


 びくっと身体を揺らして顔をあげた。眠っていたのか、と気づいてまだ授業、と安心。ころころと白いノートに転がりかけていた石を私は強く握り締めた。


 喧騒の中で、目を閉じて。


 …そういえば、いつのまにか鏡子ちゃんは先生のことをアスティン様、と呼び捨てにしていたな。


 ちらりと右側を盗み見た。―――うげ。鏡子ちゃんはぎりぎりと歯を噛み締めて、うえ!?なんかノートに書いてるし!ご、ごぼうせ……。


「きょ、鏡子ちゃん」


 私はこそこそと話しかける。視界の端に実花がちらりと顔を向けたのがわかったが、敢えて気づいていないふり。


「…何ですの。今鏡子、最高に気分が悪いです」


「それ、なに?」


「…は?これです?」


「そうそう」


 隠そうともしない渋った表情。いやちょっとは隠せよ、と思うが届かず。…初対面の頃から鬼、呼ばわりだったもんなあ。ねえ、アンス。何で鬼なんて呼ぶんだろうね、この子は。


「……これは五芒星。安倍家に伝わる正当な――」


「そこ。安倍さんと上山さん」


 ぎぐう、と同タイミングで固まった。クラス中の視線が集まったのがわかる、それに…それに…。嗚呼やっぱり!鏡子ちゃんの顔が般若も顔負けなくらい真っ赤に!なってる!


「上山泉ィ……!」


「二人仲が良いのは大変いいけど…授業中は静かにしようね」


 あ、アスティン先生……見逃して欲しかった…よ…。


**


真実と確信できるあの世界の記憶と、夢と疑わしい記憶が混じり合っているわたしの脳内は、授業の時間を利用してノートに書き出してみても....穴ばかり。場面が飛んで思い出す、もはや今妄想した産物なのではないかと疑うたびに先生へと尋ねれば少しを除いて真実と告げられる。ただし、その少しは審議のしようがない。


「泉」


 顔を上げると……実花、の顔があった。


「何?」


 少し困った様に眉を下げて、言葉を飲んだ彼女に私は少し俯いた。


「…何、書いてるの…?」

「実花に関係ないでしょ」


 詳しく見られる前にノートを閉じて私は教室を出た。態度が悪い、素っ気ない、――でも、何故、実花ではない人間を実花として接しなきゃいけないの?何処をどう見ても別人なのに、どうして…!


 そういえば、エリスが何かを言ってた気がする。


「…何を、言ってたんだっけ」


 嗚呼、ここも抜け落ちている。

 急く足を止めた私の背後から靴音が響いた。吃驚して振り返ると、湊を名乗る男が笑顔で片手を挙げた。


「よお、泉」


 連鎖的に想いだされる風景。紫色の瞳、後ろから抱きすくめられた腕、座敷牢、一番新しい記憶は――水中の出来事。


「…湊」


 目の前が更に霞んだ気がした。黒い霧が立ち込める様だ。


「……泉、さっきのは傍から見てもどうかと思うぜ?実花、かなり落ち込んでるぞ」


「…うん」


 突然湊が距離を詰めだした。反射した私の身体が後ずさり始める。声もない攻防に、男が負けるはずは無かった。腕を掴まれると強引に引っ張られる。「えっ、何!」「いいから!はやく仲直りすっぞ!」教室への道を逆戻りしていく中で、私の胸元からブレスレットが飛び出た。


「嫌だ離して!!」


 足首に力を加えて抵抗してもずるずると引きずられていく。不思議と人気の絶えた廊下は見渡しても広いばかり。


「――お前!いい加減にしろ!前から少し変だぞ!?」


 手を払われて湊は振り返る。その勢いで戻された腕を胸元に引き寄せて私は湊を見た。


「何で俺達に余所余所しいんだ!何で実花を無視して転校生ばかりを構う!?俺達何かしたか!したなら言えよ!――なんで言わねぇんだよ言ってくれなきゃわかんねぇだろうが!」


「うるさいうるさい!別に無視なんかしてない!」


 黒い黒い靄が身に張り付いていく。


「嘘を吐くな泉!よくも、よくも実花にあんな顔をさせておいてそんなことが言えるな!親友じゃねぇのかよ春休みの期間でこうも態度が変わる様な仲だって言いたいのか!?あ!?」


 ああああ、よくも、こいつは、私達をさも、知っている、ように語る!


「貴方が湊なら私と実花の関係位――わかるはずだよね!?何にも知らない癖に、知った様な口を叩かないで!私と実花の関係に口を挟まないで!」


「…お前其れ本気で言ってんのかよ……意味わかんねぇ、わかんねぇよ!ちっちぇ頃から一緒にいるのに何で知らないになるんだよ!ふざけんなよ!俺達を一体なんだと思ってんだ!」


 最後の言葉に私は歯を噛み締めた。それは此方が問いたかった。貴方達は一体何なのだ。誰なのか。…いっそ、湊も実花も行方不明になってくれた方が気持ちも一途で済むのに。心を乱す要因が、あっちにも、こっちも、そっちにも…そこらじゅうに転がっている。立とうと思っても足を取られ支えを得ようとも滑り行き。


 俯いた頬に冷たい雫が伝った。自分でも一瞬それが何なのかわからなかった。気づけば一滴、二滴…より多くの粒が落ちていく。自分が泣いているのだと気づいた瞬間に関を切ってしまった。


 とっさに右手で目を押さえて声を殺した。無意識に跳ね上がった肩と、相手の息遣いの変化が読み取れた。――止まらない。


 触れられた肩から拒絶した。拒絶の意を示すために、敢えて顔を上げた。


「……っ」


 唇を噛んで精一杯の抵抗をする。湊の顔をみた瞬間に更なる涙腺の崩壊を招いたので私は早々に背を向けた。「おいっ、まて、待て泉!」歩み出した私の手を掴んだ手を払う。たとえ男性の握力でも安易に払えた。私が意図した行動ではない。「泉!説明しろ!何があったんだ!」前に回り込まれて肩を掴まれた。「はなっして!」涙を拭う手も使って湊を退ける。これも身体が勝手に動いてくれた。ぼう、と熱に浮かされた頭はもう体に動けなんて命令出来ない。ただ初めに背を向けた時に何処へ逃げようか、と考えて出した答えの場所に勝手に足が向いてくれた。


「湊」


 その声を合図に追いかけるのを半ば諦めた湊へ身体が向いた。顔を上げた湊は困惑した顔つきで私を見ていた。


「……実花を……家に帰しといて」


「あ、ああ……わかった」


 何て顔をするのだろうか、この偽物は。半ば信じられないと云う様に笑ったぎこちなさが私に僅かな苛立ちをもたらした。


 すぐに背を向ける。歩き出す。そして駆け出した――。


 湊が背を向けてお互いに距離を離していくその中心に、見知らぬ影が現れたと言うのに。


 駆けこんだ女子トイレで私は初めに人の有無を確かめた。全ての個室を開けて人が居ないのを確認すると大きな音を立てて壁に凭れかかった。対面して鏡に映し出された私の顔は随分酷い。目が赤く、鼻も赤い。ふふっ…と一人でに笑うと、あらら…涙が出てきちゃった。


 ぽろろろ、ぽろろろ。


 立ってることも出来なくて、壁を伝って蹲る。両手で目を覆って声を押さえて泣いた。泣いてしまおうと思った。誰の慰めも必要としてないはずなのに、心の端でスワードの顔がチラついた。私は甘えたかったのだ、あのやさしさに。


 きっとスワードなら、労わりの言葉を言いながら抱きしめてくれるから。優しく頭を撫ででくれるから――甘えさせてくれるから。 


 あの時与えてくれた胸の暖かさで、この空虚を埋めたかった。


「赤いマントと青いマント、どっチがいイ?」


 瞬時に顔を上げて全身が固まった。急に聞こえた問い掛けの声に膝が崩れ落ちた。思わずトイレのタイルにお尻を付いてしまったなんて、考えられない。


 純粋な恐怖。


 あ、あれ?だれ、だれこの人。なんで、ここにいるの?だれ、だれだれ。


「赤いマントと青いマント、どっチがいイ?」


 黒いコートの背の高い人間は、低い声でもう一度私に問いかけた。フードを深く被ったせいで唇の動きしか見えないが、脳裏で警報が鳴り響く。膝が笑う、目を逸らせない。


 男越しに見えた鏡に、その黒いコートの男は映っていなかった。



わーーー!今日は久しぶりの土曜日フル休日です!嬉しいな!うれしいな!

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